『ライトノベルと感動について』《二》
続けます。
アニメでも漫画でも良いのですが、
【創作を始める動機】として、
ナニカを見て『感動』したから
ソレを自分で創りたくなる、という衝動があると想います。
『音楽』など特にその傾向が顕著でしょう、
ソコには間違いなく個人個人の【感動】が在るからです。
寧ろソレが【無い】のに創ったものは、
ただ只管に『空虚』なモノであると
断じざる負えないでしょう。
故に【挿絵に騙される】などの、
『小説』ではあるまじき「現象」が此処に起こってしまうのです。
『一般小説』ではまず起こり得ない事態でしょう。
ワタシは常々『作品は作者を映し出す鏡』
と想っていますが、
ソコには作者の「人格」や「嗜好」以外に
ソレまでの『知識』や『経験』も出ます。
故に【偏った】モノしか読んで来なかった人は
ソレがそのまま「ライトノベル」として出てしまうのが
作品の怖さです。
【感動が無い】というのも正に
その部分が顕著に露呈しているという事実でしょう。
昨今では、『小説を読む習慣』が無いのに、
【ライトノベルは書いている】という人は
多いように散見されます。
前項の「三点リーダ」の件じゃないですが、
そういう人は『小説の基本』が文章に反映されてないので
すぐに解ります。
【楽器が弾けないのに音楽をやる人】を一体どう想いますか?
『感動が無い』とは、つまりはそういうコトなのです。