【作者と読者 ~テーマの乖離~Ⅱ 】
はい、続けて参りましょう。
表題にある通り、【作者と読者の乖離】とありますが、
では一体『何』が乖離なのか、
その部分を考察して参ります。
前稿で申し上げた通り、
『ガンダム』の原作者である冨野監督が
【作品に込めたテーマ】は、
~どうすれば人間は【戦争】という
『永劫回帰』の輪廻の環から抜け出せるのか?~
というコトです。
でも残念ながらこの作品を支持した
【多くのファン】にこのテーマは伝わっていません。
受け手である【読者に於けるテーマ】は、
『MSの戦いがもっと見たい!』です。
だから【続編】等と云う作者のテーマと
【真逆】の主張が生まれてしまうのであり、
ソレは『ガンダムのプラモデル』という
【巨大な市場】が生まれてしまった事からも明白です。
アレほど冨野監督が
『戦っちゃいけない! もうそんな事からは解放されよう!』
と作中で訴えていたにも関らず、
皮肉にもその作品を【支持したファン】は、
【戦争よ続け! MS(殺戮兵器)サイコー!】となってしまったワケです。
この【乖離】に当時の冨野監督が大いに絶望し、
あれだけの大ヒット作品にも関らず
【続編】のZガンダムまでは5年以上も
その依頼を渋ったというのもよく解ります。
【1stガンダムでやった事が全部無駄になってしまう】
からです。
他作品で例えれば
【多くの犠牲を払って倒したラスボスが実は生きていた】
【今までの事は全部『夢』だった】
というのと同じ事で、作品に『信念と誇りと責任』を持っている人ほど
このダメージは大きいでしょう。
故にその後の冨野監督の足跡は正直見てられません。
Z以降、ZZ、逆襲のシャア、F91、他のスピンオフ作品も含めて
自暴自棄になったように『ガンダム』ばかりを生み出し。
【戦争の道具ではない、平和の為のニュータイプ能力】は、
ファンネル、巨大MS、ハイパー化を生み出す
『ただの戦闘スキル』になってしまいました……('A`)
「萌え」や「異世界チート」の【テーマの無い作品】なら
このような【乖離】は起こらないでしょう。
しかし、全てに於いて『真剣に創作活動に挑む人』に、
このような事態が生まれてしまうというのは、
また何とも哀しい処です。