【幻影(イドラ)の呪縛】
はいどうもこんにちは。
この世に在るスベテは “幻影” に過ぎず、
皆その 『実体』 を捉えられず「幻」を視ているに過ぎない。
とある哲学者の言葉ですが流石に「誇張」が在るとはいえ、
物事の『本質』は射貫いているように想います。
「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃなく
“情報” を食ってるんだ」
とどこぞの〇ゲも宣っていましたが、
「外食」に“見た目”が重視されるのは
いわずもがなの事実です。
前置きが長くなりましたが当然コレは
「ライトノベル」にも当て嵌まります。
表紙の挿絵が『美少女』
コレは “良い娘” だ、悪い娘の筈がない、
だって【可愛い】んだから。
物事を疑わない、というか『思考停止』に陥っている状態では
作中の描写から伝わってくる【嫌悪感】
その「感覚」すら自分でキャンセルする場合があります。
例えそのキャラが身勝手でエゴイズムの塊で、
罪の無い人間すらモノ扱いで「使い捨て」にしようとする
鬼畜外道で在ってもです。
コレが【幻影 (イドラ) 】でなくて一体 “何” でしょう?
人間は、物事の『実体』の半分を
“イメージ” で認識する習性があります。
コレが記憶の「簡易化」にも繋がっているのですが、
いずれにせよ「現物」と“イメージ”とが混ざってしまっては、
その『本質』からは遠くかけ離れてしまいます。
「認識」するという事は、物事の『本質』を正確に捉えている事と
必ずしも一致しません。
そして『錯覚』を視ているというコトに、
その『本人』だけは永遠に気づかないのです。
『実体』以上に“評価”されている作品は
幾らでもありますし皆さんにも心当たりがある事でしょう。
その殆どが無駄に膨れ上がった“バブル”であり、
そのバブルの中身こそが『本質』から逸脱した
【幻影 (イドラ) 】です。
どこのどの作品とまでは云いませんが、
ともあれアノ作品が
【日本興行収入歴代第一位】というのは
やはりオカシイのではないか?
しかしソレが実体の無い“バブル” だというのなら、
幾分納得のいく論理でしょう。
何も今に始まったコトではない、
人間は原初の時代から【幻影】を求め、【幻影】を信仰し、
ソレで繁栄と退廃を繰り返してきました。
人間が存在する限り、
【幻影】は万物に宿り決して消滅する事は無いのです。
ところで今読んでいる「そのライトノベル」
一体誰が書いているのかお気づきでしょうか?
女性でも美男子でもインテリの作家でもなく、
而してその『実体』は――。