【“後付け”の概念Ⅱ】
続けます。
『正義は勝つ』『勝った者こそ正義』
よく“違う意味”で使われますがワタシは
【同じ】だと想っています。
そもそも【現実の戦い】に於いて
『正義VS悪』等と言う
漫画じみた「図式」は存在しません。
【正義VS正義】が当たり前なのであり、
勝った側が【本当の正義】として「記録」に残されます。
その際に【歴史の改竄】が行われるのも最早定説と云って良いでしょう。
そして【敗けた側】には往々にして情け容赦ない【責め】が加えられます。
『正義VS正義』そして『正義』が人間に本来備わっているモノなら、
【敗けた側】にも一定の温情や酌量、敬意が払われても良さそうですが
基本そういった事は行われません。
コレは【敗けた側が悪】と規定するのならば、
後の「対応」も含めてその論理性は不気味な程に此処に担保されてしまいます。
『倫理と道徳』は関係ありません、
此処に『正義という概念』は本来人間に存在するモノではない、
「言葉」というモノを”戦いの後始末”の為に合理化した
【後付けの概念】だという論拠です。
『情報戦』という言葉があるように、
【戦い】は何も暴力だけが専売特許というわけではありません。
ソレで争う前から既に【戦い】は始まっているのであり、
【言葉で人が死ぬ】というのも昨今の情報社会では
特段珍しい事ではありません。
つまり、『正義』とは「キリスト教」や「イスラム教」のように
創られた概念。
『神』のように実体が無くそもそも存在すらしないモノ。
しかしソレを信じる者にとっては、
少なくとも【その者の心の中にだけ】存在するのでしょう。
故にやたら独善的でエゴイスティックで
ヒステリックになるのは当然の事。
【人間個人が勝手に心の中に生み出すモノ】だからです。
『宗教』も、罷り間違えば【カルト宗教】と呼ばれ
多くの人々に『惨劇』を齎します。
そして、『宗教』と『正義』ほど、
【戦争と相性の良いモノ】は他に在りません。
≪完≫