自宅から保育園、そして職場へ。
朝7時7分スマートフォンのアラームが鳴り響く。手を伸ばしてアラームを止める。俺の体は、重くベッドから離れることができない。身体とは、こんなに重いのだろうかと錯覚を覚えるほどだ。
俺の役目は、2人の子共をリビングに連れて行くことだ。まぶたも重く目が開かない。目を開けると光が差し込んだ光を避けるように反対に寝返り俺は朝を批判する。現実ではなく夢の中に舞い戻りたいと感じる心は俺だけではいはずだ。
時間は容赦なく俺を追い詰める。夢から現実世界へと俺を叩き起こし時間が俺を目覚めさせた。光に背を向けた体を手足が支え四つん這いにうづくまる。この布団から離れたくない、葛藤を時間が引き離すように体を立ち上げた。
光が差し込む方を見ると子共2人はまだ夢の中で、俺は長女を抱きかかえリビングに連れて行く。俺の手の中でお姫様抱っこされている長女は、深い眠りについた眠れる美少女なのだろう。5歳になった長女は15キロ、リビングまで7m程度だが、重たい。妻から言うとそれは、愛の重さだそうだ。15キロが愛の重さなら軽いのか、はたまた、1人の生命は地球より重い。確かに、自分の手の中にいる姫は地球より重い、愛の重さなのかもしれない。長女をリビングのテレビが見えるところに寝かせ、俺は、もう一度ベッドへ向かう。
もう1人の姫に声かけするが、次女は、俺の言葉に反応せず、2人目の眠れる森の美少女だ。次女は、いつもピンクのフリフリのドレスを着て寝るのが習慣だ。両手でお姫様抱っこをするとピンクのドレスはフワッと舞い上がりなびいた。次女は4歳で15キロ、俺は、地球より重い愛を持ち上げ、リビングへ連れて行く。
ああ、まだ身体が、頭が、重い、俺の身体は地球より重いのか? 寝起きの身体は、俺自身の54キロよりも重い、これが、まだ神経が起きていないということか? もう1度ベッドへ戻り、ひと仕事終えた体をベッドへ寝かせた。10秒だけと思い、呼吸を10回だけする。近くに洗面所があり水の音がする。
妻はシャワーから浴びた髪をバスタオルで拭きながら歯磨きをしていた。起きないと、再び体を起こし、妻に「おはよう」と挨拶をしてキッチンへ、テレビは教育番組がかかっているが、2人とも起きない。
俺は、冷蔵庫から冷凍食品のほうれん草とハンバーグとスパゲティと唐揚げとオムレツを剥ぎ取り電子レンジ600W、2分10秒にセットした。2分10秒間の間に歯磨きと寝ぐせと顔を洗う。時間との戦いだ。急いで洗面所に向かい、鏡でまつげを手入れする妻の横で歯磨きをすると、妻はリビングへ向かった。
キッチンからピーッ!と電子レンジが俺を呼んでいる。寝ぐせに霧吹きをしてキッチンへキッチンからリビングを見ると妻が子供を着替えさせている。着替えている姫達はまだ寝ている。俺は、電子レンジから、5つの品を取り出し、弁当箱へ入れて仕切りをおかずの方へ押しつけて、ご飯の入れる場所を確保した。空いた空間に容赦なくご飯をこれでもか!と叫びたくなるほど押し込んだ。ギューギューのご飯の上に昆布と梅干しを押し込み俺の弁当が完成する。
その頃には、着替えを済ませた姫達が薄らと目を開ける。次女は決まってチョコレート!と言うのでケーキ型のチョコレートを冷蔵庫から取り出し「チョコレートいるか?」と言って次女に渡す。寝ながら食べるようとするので、膝に座らせて食べさす。長女は、まだ半分寝ているのでトントンして起こしてチョコレートを食べさそうとするも起きない。イスへ座らせてパン? チョコ? と聞きチョコを指さして食べる。なんとか食べさせると、次女の手と口がチョコレートまみれ、ああなんてことだ、両脇を抱え手と口をキッチンで洗い流す。
そして、保育園の用意、妻が服を持って用意をしているので俺は、靴下を探すが、片足だけが大量に見つかり、両足を揃えるのにベランダからリビングを行ったり来たりイライラしながらようやく見つけ出す。髭を剃る前にベッドを経由する。体を寝かせて、また、10回呼吸する。身体で重力を感じながら呼吸すると少し落ち着く。ああ時間が容赦ない。髭をそりリビングへ。弁当箱と水筒に水を入れ寝ている姫達に「行くよ!」と声をかけながら、自分の服の用意。妻は「じゃ行くね」と行って玄関を出て行った。
自分の服を着て2人にもう一度「行くよ!」と強く言う。ようやく声が届いたのか、2人は立ち上がり玄関へ歩いて行く、妻が用意した保育園で使用する服をエコバックに入れて、弁当箱と水筒を横掛けカバンに入れて、自分も玄関へ向かう。
玄関へ行くと長女と次女は靴を履こうとするが、1人で履けない。ようやくの思いで靴を履かせて行こうとする時に、長女が「ゴム!」と言って靴を脱ぎゴムを取りにリビングへそれを見て、次女も「ゴム!ゴム!」と言う。もう間に合わない。
「早く!」「もうゴムは明日にしよう!」と言っても効果などない。長女がゴムを持って玄関に来て、すぐに1つ括りにするが、次女も「ない!ない!」と言うので、靴を脱ぎ「どこ行ったん!」と叫びながら俺も探す。俺も「ない!ない!」と言っている。ハッと思い出し、洗面所で見つけてすばやく1つ括りにして、靴を履かせて玄関を出た。
玄関に鍵をしめながら次女が足を掴み「抱っこ!抱っこ!」といい抱っこを要求、すでに家を出るのに時間が5分オーバーしている。焦る気持ちが「もう歩いて!」と口から出る。長女にエレベーターのボタンを押すように伝えた。ヨシ!と思うとポケットに違和感、ケータイが家の中「もうあかん!」と呟き次女をおろしてもう1度玄関を開けてケータイをダッシュで取りに行く。急いでドアを閉めて次女を抱っこ、エレベーターを見ると長女が乗っていてその隣に、隣の奥さんが乗っている。
「ああ、すいません!」本当に申し訳ない。奥さんは顔の前でいえいえと言う素振りで顔の前で手を振る。エレベーターを止めてしまって、隣の奥さんが乗っているなんて、しかも出る時に「ないない」「もう!」とか玄関で言ってしまって、しかも大声で、言ってしまった。確実に聞いていましたよね、奥さん。
エレベーターは違う階で1回止まり学生が乗って来た。心の中ですいません。エレベーターを止めてしまって申し訳ない。そう思いながら、1階へ、自転車までの間に長女はダンゴムシを探す。夏はセミを手掴み。もう本当に時間がない。
俺は、なんでもっと早く準備できないのか、なんでもっと子供達を早く起こせないのか、いやもっと昨日早く寝かせていれば、昨日10時に寝かせようとしたが、全然寝てくれなかった。毎日そう思うのに出来ない自分。次女をおろして自転車をセッティングして長女を呼ぶが来ない。「早く!来てよ!」とつい声が大きくなる。集合住宅なのに叫んでしまう。
俺は、あまり怒らないタイプの人間だと周りから言われていて、「今までに怒ったことはあるんですか?」とよく聞かれるぐらい怒らないのになぜだろう。時間と感情が切羽詰まり間に合わない時のどうしょうもない感じが先に来てしまう。
長女がダンゴムシを手に取りやって来た。「大丈夫だよ。ダンゴムシさん」と言って自転車に乗った。ああ、なんでだろう。計画性がない自分が悪いんだろうな。こんなに純粋な長女に対して怒ってしまうなんて、俺は、どこが優しいのだろうか。子供ができてから脳内の怒りの回路が再形成され強化されたのか、いや、全く怒らなかった人が、突然キレた時の恐さの方が怖いか、俺は、逆に怒りの回路が少しづつ再形成されてきたから逆にコントロール出来ているのか、人はなりたい自分になるためにすべてを選んでいると思う時がよくある。この事象もなりたい自分になるために選んでいるとしたら。きっと、この怒りの事象もなりたい自分になるために必要なことなのかもしれない。ということは、この朝の一連の流れも長女、次女にとって見れば、2人ともなりたい自分になるために自らが選んでいるのかもしれない。子供達が俺を親として選んで来てくれたように。それがなりたい自分に向かっているのではないか。
一瞬、自転車を漕ぎながら自分を見つめ直すのもつかぬま保育園へ到着。自転車から2人をおろして、保育園のチャイムを鳴らして扉を開ける「抱っこ!」と言う次女を抱っこして、玄関で靴を脱がせていると、子供連れの母親が、子供に「靴を脱いで下駄箱にしまってね」と伝え、その子供は、自分で靴を脱いで下駄箱に靴をしまった。
ああ、次女より小さな子供が自分で出来ている。俺は、長女と次女の靴を脱がせている。いいのだろうか。俺は、この子達の『できる能力』を奪ってしまっているのかもしれない。俺は時間がないせいで。俺は、時間のせいにしてしまっているのかもしれない。成長を手伝えていないのかもしれない。子供達も「あのお母さんだったら」と思っているのかもしれない。考えると切りがない。落ち込んでいる暇はない。時間は容赦ないのだ。
とりあえず、急がなければ、俺は、モニターで2人を出席にして、体温を測り先生のもとへ連れて行く。ドアを開け、先生に引継ぎ服をロッカーに入れて、すれ違う「いってらっしゃい」と言う先生に「お願いします」と言ってスマホを見ながらイヤホンをセットして自転車に向かい、自転車にまたがり仕事に向った。朝7時7分に起き7時53分までの出来事。8時30分から仕事。自転車で30分かかる職場、間に合うのか、事故らないように全力で自転車を漕ぐ。