6 汐里の気持ち
その数日後、私は『梢』に行った。
他の客と一緒になりたくなかったので、開店と同時くらいの早い時間に行った。
「やあ」
扉を開けて狭い店に入った。
煮物のにおいがした。
カウンターには出来たての里芋の煮っころがしが大皿に盛られていた。
「看板に電気がついていたから、もうやっているかと思って入ったんだけど……」
「上田さん、いらしゃい。どうぞ。もうお店は開いていますよ。いつもの席に座って下さい」
「ありがとう」
「お飲み物はどうされます」
「いつものを」
汐里は私の焼酎のボトルを棚から取り出すと、炭酸の瓶を冷蔵庫から取り出し、焼酎のソーダ割を作ってくれた。
カットレモンは別に小皿で出してくれた。
私はレモンを一切れグラスの中に入れると、酒に口をつけた。
「上田さん、この前は変なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」
「変なことって?」
「父になって欲しいって言ったことです」
「別に気にすることはないよ」
「でも不愉快だったんじゃないですか?」
「どうして」
「だって……」
「本当言うと少し嬉しかった」
「えっ?」
「実は汐里というのは娘につけようと思っていた名前だったんだ」
「その娘さんは今どうされているんですか」
「流産だった。その後、いろいろなことがあって妻とは上手くいかなくなり離婚した」
「辛いことを訊いてしまってすみません」
「だから、汐里という名前の君から、父になって欲しいと言われた時、嬉しかったんだ。無くした家族を取り戻すことができるような錯覚だったんだけどね……」
汐里は泣き出した。
「どうして泣くんだい」
「ごめんさい。ごめんなさい。上田さんの気持ちも知らないで、上田さんの心を傷つけるような変なことを言ってしまって」
「いいんだよ」
「私が上田さんに父親になって欲しいと言ったのは、ただ寂しかったからなんです」
汐里は涙を拭いた。
「私、父親っ子で甘えん坊だったんです。それが、東京に一人で出てきて、一人でお店をやって、一人暮らしをしていて、時々すごく不安で寂しくなることがあるんです。だから父親くらいの年齢の男性に甘えたかったんです。そんな私のわがままで上田さんに辛い過去を思い出させてしまって……」
汐里は声を上げて泣き出した。
「いいんだよ。そんなこと」
私は慌てて汐里のことを慰めた。
「寂しいのは君だけじゃない。僕だって同じだ。だから、ごっこ遊びでもいいから親子にならないか」
汐里が顔を上げた。
「いいんですか」
「もちろんだよ」
「私、本当に我がままで、甘えん坊ですよ。それでも、上田さん、いいんですか」
「いいよ」
その晩は、私は閉店の時間まで『梢』にいた。
そして汐里が店を閉めると、タクシーで汐里を部屋まで送った。
汐里は自宅の前で降りると、私を乗せたタクシーが視界から消えるまで手を振って見送ってくれた。