3.最高の親友
それからアデリーナは、重度の人見知りを隠し続けている王太子フィリクスをフォローする為、夜会やお茶会等では常にその横に張り付き、フィリクスが社交場で円滑な交流が出来るように奮闘しだす。
この時からアデリーナは正式にフィリクスの婚約者となっていた。
そんなアデリーナは、まず手始めに将来的にフィリクスの側近候補となっている令息達との関係醸成に力を入れ始める。気軽に話し合える年の近い友人を得る事で、フィリクスの重度な人見知りを軽減させようと試みたのだ。
その為、側近候補の令息達が集まり出すと、アデリーナはフィリクスの隣で積極的に話しかけ、なるべくその会話にフィリクスを巻き込むようにした。
すると、お互いに戸惑いを見せていたフィリクスと側近候補の令息達は、少しずつ距離の取り方のコツを掴み始め、三カ月も経つとすっかり打ち解けだす。
そもそもフィリクスは一度心を開いてしまえば、かなり人に好かれやすい人柄なのだ。緊張で顔を強張らせてしまう事から解放されたフィリクスは、側近候補達にもアデリーナが息をのむ程、見惚れてしまうあの王太子スマイルを叩き売りし始める。
無口で無表情しか返してこなかった端整な顔立ちの王太子が、急に出血大サービスのような満面の笑みを気軽に返すようになれば、誰でもがそのギャップに心を打ちぬかれてしまうのは当然の結果だ。
それは側近候補だった令息達も同じだったようで、半年も経つと彼らはまるで旧知の仲のようにフィリクスと親しくなっていた。
こうして側近候補達との関係醸成に成功したアデリーナは、次の克服対象として王族に取り入り甘い蜜を吸おうとする有力貴族達の対策に乗り出す。
だが流石に社交界の修羅場をくぐってきた猛者達相手では、人見知りを発動後にすぐ固まってしまうフェリクスのままでは、簡単に手玉に取られてしまう……。
しかもまだ10歳のアデリーナでは、流石にやり手の大人相手では対策案など立てられない。
そこでアデリーナは、親の指示でフィリクスに近寄って来るそれら有力貴族の令息令嬢達との交流をフィリクスの前で披露し始める。子供同士ではあるが社交界特有の際どい会話展開をフィリクスの前で実践して見せたのだ。
この行動の目的としては、基本的な能力値が高いフィリクスならアデリーナが繰り出す際どい会話展開から瞬時にコツを掴み、その駆け引き的交流スキルを習得してくれると考えたからだ。
すると予想通り、フィリクスはそれらを関係醸成する為の交流ではなく、公務などで行う交渉だと認識する事で、人見知り症状を押さえこむ事に成功する。
要は関係醸成的な会話交流ではなく、駆け引きのような交渉術と認識する事で、フィリクスは人見知りにならずに済むという流れだ。
この時のアデリーナは、フィリクスに「相手の裏をかく事に専念なされば、緊張せずにどんな相手の方とも会話が出来るかと思いますよ?」と軽い気持ちで助言したのだが……。
その所為でフィリクスは、柔らかい笑みを浮かべながら油断のならない人物という腹黒い会話術を身に付けてしまった。王太子としては、それぐらい策士でないと王侯貴族相手ではやっていけないとは思うが、極度の人見知りを発症していた頃に比べると、本来持っていた誠実さと純粋さが薄れてしまったように思えて、アデリーナは間違った方向で助言してしまったのではと、こっそり後悔していた。
そしてちょうどこの頃から、フィリクスの口調の威圧感が軽減され、いつの間にか柔らかい印象を持つものに変わっていた。
そんな人見知り改善大作戦を二人で行っていたら、五年の月日が流れた。
そしてある夜会で、ついにフィリクスの人見知りが完全に克服されたかの最終試験が、アデリーナによって行われた。試験内容は夜会参加時の間、フィリクスが隣にアデリーナがいない状態でも乗り切れるかどうかと言うものだ。
その結果、フィリクスは見事に一人でその夜会を乗り切った。
「アディ! 君のお陰ですっかり社交関係も円滑にこなせるようになった! 本当に……本当に感謝する!」
夜会終了後、アデリーナの見送りで現れたフィリクスは、駆け寄ると同時にいきなりアデリーナに抱き付く。そんなフィリクスは、この五年間でアデリーナの呼び方もすっかり愛称呼びとなっていた。
この時の16歳になったフィリクスは、身長はアデリーナの頭一つ半ほど高くなり、出会った頃の少年らしさも薄れ、青年寄りの容姿になっていた。しかし、国王夫妻譲りの整った顔立ちは相変わらずで、柔和な雰囲気をまとえるようになった事もあり、王太子特有のキラキラオーラを無駄にまき散らしている。
同時に何故かアデリーナに対して、絶対的信頼感を寄せていた。
その姿は、さながら飼い主を盲目的に慕う大型犬だ……。
その所為かアデリーナには、王太子から犬耳とふさふさの尻尾が生えている幻覚までも見え始めている。
「で、殿下! このような人目の多い場所で抱き付かれるのは、いくら婚約者同士といえども節度ある接し方とは言い難いので、おやめください!」
「何故だ? そもそも私と君では婚約者というよりも旧知の仲という友人関係だろう。親友同士ならば、このような過度なスキンシップは普通では?」
そう言って更にアデリーナをギュウギュウと抱きしめてくる。
以前は堅苦しい雰囲気をまとっていたフィリクスだが、今では誠実さも残しつつ、すっかり朗らかな雰囲気だ。側近候補達とも友情を深め、社交場ではやり手の貴族や隣国の王族とも対等な立場で堂々と渡り合えるようになり、言い寄ってくる令嬢達もやんわりと華麗に躱せる程の成長を見せたフィリクスだが、アデリーナの前ではどうしても甘えが出るらしい。
「そ、それでは、殿下は側近候補のご友人の方々ともこのように抱き合ったりなさるのですか!?」
「そう言えば抱き合う事はあまりないな……。だが肩を組んだりはする。そうだ! 最近は平民達の間で流行している『ハイタッチ』という変わったコミュニケーションの仕方があるのだが、とても洗練された動きをするから、それをお互いによくやりあったりしている!」
「ハ、ハイタッチ……?」
「ハイタッチとは、友人達と何かを協力し合って、それが成功した際にお互いに喜びを確認し合う時にやる儀式のような動きだ。こう……互いの手をパンと叩き合わせ……」
そう言ってグイグイと距離を詰めながらアデリーナの右手を掴み、自分の右手に重ね合わせてくるフィリクスにアデリーナが、顔を赤らめる。
最近、アデリーナに対するフィリクスの距離感はやたらと近いのだ。
「で、殿下! これは淑女に対する適切な距離感ではございません!」
「そうだろうか。だが……君は私の婚約者なのだから問題ないのでは?」
「婚約者同士でも節度ある距離感というものがございます!」
「ならば親友という意味での距離感で……」
「男女間の友人関係では、尚更不適切な距離感です!」
「そ、そんな事はないだろう?」
やや不満そうにフィリクスは、渋々アデリーナの手を解放する。
その表情は、どう見ても叱られてしょげてしまった大型犬だ……。
フィリクスの頭部と背後に垂れ下がる犬耳と尻尾の幻覚が見えてしまう。
同時に自分達のやり取りを微笑ましそうな目で生温かい視線を向けてくる側近や従者の雰囲気に羞恥心を感じずにはいられないアデリーナ。
思わずフィリクスから、素早く距離を取る。
すると、フィリクスが僅かに片眉を上げた。
「アディ……?」
「フィリクス殿下。婚約者とは言え、伯爵令嬢ごときのわたくしが殿下にこのような事を申し上げるのは不敬に値する行為かと重々理解はしているつもりです。ですが……ここ最近の殿下のわたくしに接する際の距離の近さは、いくら婚約者といえどもあまりに近すぎます。これでは品行方正の殿下のイメージが、損なわれる可能性が出てきますので、今後はもう少し控え目な接し方を心掛けて頂きたいのですが……」
「だが! 君は婚約者である前に私の一番の親友だろう!?」
珍しく強めの口調のフィリクスの言葉にアデリーナが一瞬だけ、ピクリと全身を強張らせた。しかし、フィリクスはその事には気付いていない。
五年前、友人になって欲しいと頼んできてから、フィリクスはずっとアデリーナを婚約者というよりも親友という体で、周りの人間達に紹介していた。
もちろん、フィリクス自身に悪気は一切無い。
初めて緊張もせずにありのままで会話が出来る年の近い友人が出来た事が、嬉しくて仕方なかっただけだろう。
だが、それは五年経った今でもその関係のままなのだ……。
夜会などで有力貴族や隣国の要人などにアデリーナを紹介する際、フィリクスはその手を取りながら腰に手を回す淑女用のエスコートの仕方ではなく、同性の友人を紹介する時のような感じで肩を組みながら、アデリーナを自分の方に引き寄せて相手に紹介をする。
その際、「私の婚約者の……」と紹介はしてくれるのだが、その様子は第三者からすると明らかにフレンドリーな友人を紹介しているようにしか見えない。
出会ったばかりのまだ少女らしさが残っていた頃ならば、そのフィリクスの接し方にアデリーナは、そこまで不満は抱かなかっただろう。
だが、今は違う。
今年、15歳になったアデリーナは立派な淑女であり、年頃の乙女だ。
婚約者の男性にまるで同性の友人のような扱いをされる事は、かなり抵抗があり、同時にある事を痛感させられてしまう。
五年前からアデリーナに対してフィリクスがよく口にする言葉……。
『君は私にとって最高の親友だ!』
満面の笑みで心の底から嬉しそうに全力で伝え続けてくるこの王太子は、アデリーナが友情ではなく、愛情を求めている事に一切気付いていない。
初めは極度の人見知りの所為で、取っ付きにくく冷徹な印象だった王太子フィリクス。しかし五年前、初めて自分に心を開いてくれた時に向けられた笑顔で、すでにアデリーナの心はフィリクスに撃ち抜かれていたのだ。
登城すれば、今でも飼い主を慕ってやまない大型犬のようにアデリーナに駆け寄ってくるフィリクス。しかもあの整った顔立ちに満面の笑みを浮かべながら、心の底から嬉しそうに。
その行動を計算で行っていたのであれば、アデリーナもこんな一瞬で篭絡される事はなかっただろう。しかしフィリクスは、この行動を全て無意識で行っている。
少年らしさが残っていた五年前ならまだしも、現在のほぼ青年になりかけた容姿で、しかも眩いくらいのキラキラしさを伴う整った顔立ちで、全力の友愛を訴えてくるのだ。
こんな美形王太子にそのような接し方をされて、陥落しない女性などいない。
自身のその破壊力を全く理解していないフィリクスは、その女性キラーとも言える凶悪な魅了スキルを惜しみなくアデリーナに五年間放ち続けた。
フィリクスにとってアデリーナは、確実に特別な存在になっている。
だがその特別性は、今のアデリーナがフィリクスに望んでいる類のものではなかったのだ。これがもし五年前ならば、この特別感に満足出来ただろう。
だが、フィリクスに恋心を抱いてしまった今のアデリーナでは、この『最高の親友』という扱いでは満足出来ない……。
それどころか絶望感すら抱いてしまう。
『最高の親友』という事は、フィリクスの中ではアデリーナは異性として意識されていないという事だ。その為、フィリクスに恋愛感情を抱いてしまった今のアデリーナでは、その肩書では満足出来ない。
だが、フィリクスの方はそれを痛感させるような同性の親友に対する接し方を無意識とは言え、アデリーナに対して頻繁に行ってくる。
それがここ最近のアデリーナには辛いのだ……。
「確かにわたくしは、大変光栄な事に殿下の一番の友人であると自負しております。ですが……それは周囲の者がわたくし達に求めている姿ではございません。わたくし達が周囲から求められている姿は、品行方正で貴族のお手本のような婚約者同士という姿なのです」
「『最高の親友』では、ダメなのか……?」
「ダメという訳ではございません。ただ……どうしてもフレンドリーな接し方が多くなってしまう為、周囲はわたくし達の事を『婚約者』という関係では見てくれなくなってしまう可能性がございます」
「だ、だが、夜会では過度な接し方をしているご夫婦や婚約者同士が、たくさんいた様に思うのだが……」
「それはわたくしと殿下の間にある友愛的な接し方でしたか? もっと甘さを含んだ接し方ではなかったでしょうか?」
「甘さ……」
「その甘さのある接し方も度が過ぎれば、はしたないと称されます。ですので、その接し方もプライベート等の時間では良いでしょうが、わたくし達の場合は公の場では控えなければならない接し方です。そもそも殿下とわたくしの間にあるのは友人に対する親しみなので、プライベートでもその接し方をする機会はないと思いますが……」
そこまで一気に口にしたアデリーナだが……自分の発した言葉に自身が傷ついている事を痛感する。だが、今ここでその線引きをしっかりしておかなければ、それこそ今後のフィリクスとの関係に支障が出ると考えていた。
「友人では……プライベートでも気軽に触れ合う必要性がないという事か?」
「必要性は確かにございませんね。そもそも貴族社会では、他人に触れすぎる行動もマナー違反になりますので、率先して行う事にはあまり意味が無いかと思われますが」
「意味がない……」
「ですから、今後は殿下もわたくしに対して過剰なスキンシップをお控え頂くようお願い致します」
「………………」
「殿下?」
「分かった……。今後の君との接し方を少し考えさせて貰う……」
そう呟いたフィリクスの表情は、どこか苛立つような雰囲気をまとっていた。
その事に気付いたアデリーナは、慌ててフォローしようと口を開きかける。
だがその前にフィリクスは、踵をかえすように「今日はもう失礼する」と冷たい声で突き離し、そのままアデリーナの前から去って行ってしまった。
一体何がフィリクスを不機嫌にさせたのか分からないアデリーナは、そんなフィリクスの後ろ姿をただ茫然としながら見送る事しか出来なかった。