それぞれのエンディング オルランド編
苛立ちをぶつけるように、オルランドは目の前の壁を思いきり蹴飛ばした。がつんと鈍い音がして、薄い壁には簡単に傷がつく。
「くそ、なぜだ。なぜ俺が、こんなところに……」
怒りのまま叫んでみても、答える者は誰もいない。
ザニーニ伯爵家の嫡男だったはずのオルランドは、いつのまにか家を追われ、平民や下位貴族が所属している騎士団に放り込まれていた。
いったいどうしてこうなったのか、オルランドはいまだに理解していなかった。気が付けば家を追い出され、異母弟が伯爵家の後継者になっていたのだ。
(すべてはあの女のせいだ。くそっ……)
オルランドには、父親が決めた婚約者がいた。
ロッセリーニ伯爵家の令嬢であるルチアだ。
見た目はなかなか美人だったが、気に入らない女だった。気が強くて生意気で、しかも女のくせに経済や学問を学んでいるという。そんな女との婚約はさっさと破棄して、学園で知り合った自分好みの愛らしいグロリアと結婚する。そう決めていた。
だがグロリアが、ルチアに嫌がらせをされていると泣いて訴えてきた。生意気な女だったが、この結婚には乗り気だったらしい。これを理由に、婚約を破棄する。そう決めて、グロリアとともにルチアのところに乗り込んだ。
そこまでは、予定通りだったはずだ。
それなのに気が付けば向こうから婚約破棄を突き付けられ、慰謝料の請求までされた。婚約破棄は願ってもいないことだが、向こうから言い出したのが許せない。もちろん慰謝料など支払うつもりはなかった。
「ふざけるな!」
怒りのままに拳を振り上げたが、突然現れた異母弟のテーオにあっさりと受け止められた。無防備だった腹を思いきり蹴り上げられ、無様に転がった。
「異母兄さん。これ以上恥を晒すのは、やめてくれないかな」
テーオは呆れたようにそう言うと、勝手にルチアに謝罪し、慰謝料の支払いまで約束していた。勝手なことをするなと叫びたかったが、腹に受けた強烈な蹴りのせいで、まだ声を出すことができなかった。
「では、失礼します。あ、これは僕が処理しておきますので」
引き摺られ、その場から連れ出された。
テーオはそのまま学園にある庭までオルランドを引き摺って行くと、そこでようやく手を離した。
「貴様……」
まだ痛む腹を押さえながら睨み据えると、テーオは呆れたような顔をした。
「異母兄さん、まだ自分は悪くないとか思っているの? そうだとしたら、もう馬鹿の領域さえ超えているよ?」
「何だ……と……」
怒りに任せて拳を振るおうとするが、あっさりと躱される。
「愛人の子のくせに、生意気な!」
「僕の母は愛人じゃなくて、停戦の条件として嫁いできた第二夫人だよ。まあ、そんなことはもうどうでもいいけど。どうせ異母兄さんは、いなくなるんだから」
そう言うとテーオは、今までとは違う、酷く残酷な笑みを浮かべる。
「まさか被害者である彼女に手を上げようとするとはね。近くに潜んでいて、本当によかったよ。あれさえなければ、謹慎で済んだかもしれないのに」
「お前、最初から……」
「うん、見ていたよ。何もなければ出るつもりはなかったけど、さすがにあれは見逃せない」
戦女神と呼ばれた義母とよく似た、凄みのある笑みを浮かべて、テーオは言った。
「異母兄さんは知らないだろうけど、僕はね、彼女のことが好きだったんだ。強くて綺麗な彼女にずっと憧れていた」
「強いだと? あの女のどこが……」
「強さというのが腕力だけのことだと思っているのなら、異母兄さんはやっぱり馬鹿だね。彼女の強さはその意識の強さだ。さすがにザニーニ伯爵家がやらかしたことを考えると、僕が婚約者になるのは無理だけど、彼女が自由に生きられるように、できるだけ手助けをするつもりだよ」
テーオは深い憧憬を込めた視線をルチアがいる方向に向けると、オルランドに向き直った。
「そういうわけで、異母兄さんはもう伯爵家にはいられない。王都を警備する騎士団に入れと、父さんが言っていた」
王都の治安を担当している騎士団は、平民や下位貴族で構成された騎士団だ。実際に賊や魔物と戦うことも多く、危険な部署でもある。
「何だと? 父がそんなことを言うはずが……」
「勘当だって言っていたよ。ああ、義母さんのことは心配しないで。僕の母さんに貴族の妻は務まらないし、義母さんには今まで通りに伯爵夫人でいてもらうから」
「ふざけるなぁ!」
激高して殴りかかったオルランドの拳を、テーオはあっさりと躱す。
「さっきからそればっかりだね。別に僕はふざけてないけど」
何度も殴りかかるがすべて躱され、最後にまた思いきり蹴られる。
「ああ、また足が出てしまった。騎士らしくないって父さんに叱られるけど、これは母さん譲りだからなぁ。勝つために手段は選ぶなって教わったし。でも、しばらくはおとなしくするしかないか」
痛みで意識が遠くなったオルランドの耳に、そう呟く異母弟の声が聞こえてきた。
そのまま気を失ったオルランドは、気が付いたらこの騎士団の寄宿舎に放り込まれていた。
ここでは誰も、オルランドの言うことを聞かない。むしろ新人のくせに生意気だと、殴られたりする。そのうち誰かが迎えに来てくれると信じていたが、あれから十日が経過しているのに、誰も来ない。
その焦りから、オルランドは壁を蹴りつける。
「くそ、何で俺がこんな目に……」
「うるさいぞ、新人。壁を壊したら自腹で弁償だ。二か月ほど無給で働いてもらうからな!」
通りかかった先輩騎士にそう怒鳴られ、思わず足を引っ込める。二か月も無給になったら、飢え死にしてしまうだろう。
「……ふざけるな。俺はこんなところにいるべきじゃ……」
小さく呟かれた言葉を聞く者は、もう誰もいなかった。




