公爵令嬢アリーナの戦い・10
でも、そこに立っていたのは見覚えのないひとりの青年だった。
この夜会の参加者なら学園に通う生徒だろうが、一度も見たことのない顔だったから、同じ学年ではなさそうだ。
彼はじっくりと観察するように、アリーナを見つめている。
アリーナもまた、彼を見つめた。
すらりとした長身。煌く金色の髪に、藍色の瞳。顔立ちはとても整っているが、どこか鋭利な刃物のような恐ろしさを感じる。
「あなたは……」
こんなところにいるはずがない。
いくら今日は学生のために開放されているとはいえ、ここは王城だ。
だが彼は、兄たちよりは自由な立場を利用して、レムス王国を自由に動き回っていたという。裏社会にさえ出入りしていた男だ。あり得ないことではなかった。
ある結論に辿り着いたアリーナは、気圧されまいと顔を上げて、まっすぐに彼を見つめた。
視線が交わる。
この国の王子を見慣れているアリーナには、彼がレムス王国の王子だということが信じられないくらいだ。それほど彼の視線には、剣呑な光があった。
彼こそ、グロリアやメリーギ男爵のような者を利用して、この国を混乱させようとしていた張本人だ。だが、すべての証拠を消して身を隠していた彼が、どうしてわざわざアリーナの前に姿を現したのか。
「どうしてここに?」
警戒を解かぬまま、アリーナは名乗ることもせずに短く問う。
彼が誰であろうと、王城に侵入した不審者であることには変わらない。グロリアを連行していた衛兵は、まだ近くにいるだろうか。
「公式な訪問だ」
アリーナが何を考えていたのかわかったのか、彼は短くそう言った。
「公式?」
「王太子として挨拶に来た。それだけだ」
では彼は正式に、レムス王国の王太子となったのだ。その報告と挨拶のために、この国を訪れていたらしい。
だが、それだけではないだろう。
アリーナは警戒しながら、彼を見上げる。
エドガルドを町で見かけただけの目撃者まで、容赦なく消されたのだ。
もしあの騒ぎがなかったら、グロリアは今度こそ殺されていた可能性がある。ふたりが引き起こした騒ぎには辟易していたが、結果的にはそれがグロリアの命を救ったことになったのだ。
「それは、おめでとうございます。ですが、本来の目的は達成できなかったようですね」
そう皮肉を言うと、彼は獰猛な肉食獣を思わせるような、狂暴な笑みを浮かべる。
「そうだな。だが、わざわざこの国まで来た甲斐はあったようだ」
エドガルドが見据えていたのは、アリーナだ。
その双眸で見つめられた瞬間、本能的な恐怖を感じて背筋がぞくりとした。
危険な男だ。
目的のためなら、けっして手段は選ばないだろう。
「この国の女は興味深い。自分たちで証拠を集めて男を追い詰め、あんなふうに捨てるとはな」
「私たちが、彼らを陥れたわけではありません。ただ、自分たちの行動の責任を取ることになっただけです」
「そうか。それは残念なことだ。彼らは、それだけ魅力的な出逢いをしたのだろうな」
「……」
痛烈な皮肉だ。
アリーナは手のひらをきつく握りしめる。
すべての元凶が目の前にいるのに、何もできないのが悔しかった。そんなアリーナを嘲笑うように、エドガルドは優美に微笑む。
「こそこそとこちらを探っていたねずみの巣を見に来たが、お前のような女だとは思わなかった。おもしろい女だ。手に入れて、壊れるまで遊んでみたくなる」
どうにか証拠を掴もうと、何度もエドガルドの身辺を調査していた。どうやらそのことによって、彼に目を付けられてしまったらしい。
アリーナは臆することなく顔を上げて、エドガルドを睨むように見つめた。
「いずれ必ず、お前を手に入れる。それまでせいぜい足掻いてみせろ」
「あなたの好きにはさせないわ。この国も、もちろん私も」
「お前がどう出るか、楽しみにしている」
エドガルドはこの答えに満足そうに笑みを浮かべて、控え室から立ち去った。残されたアリーナは 椅子に座り込んだまま、震える肩を抱く。
彼の視線も執着も、狂暴で恐ろしいものだった。公爵令嬢であるアリーナには、今までまったく縁のないものだった。
それでも怖がる様子は見せたくはない。
だから必死にエドガルドを睨んで、自らを奮い立たせてきた。自由を得るには、戦わなくてはならない。今までの経験から学んだことだ。
「……上等だわ。今度こそ、絶対に私が勝ってみせる」
アリーナは顔を上げて、エドガルドが立ち去った方向を見つめる。
その瞳にもう怯えはなく、決意と闘志に満ちていた。