公爵令嬢アリーナの戦い・7
リベラートは、そそくさと立ち去ったようだ。
これでようやく静かになった。
そう思っていたアリーナは、ふと目の前に立ち尽くす人影に気が付いて、顔を上げる。
「アリーナ?」
すらりとした長身のこの青年は、リベラートの弟であるジェラルドだ。彼は信じられないものを見たような目で、アリーナを見つめている。
「ジェラルド殿下。どうかなさったのですか?」
「君は、兄上のことが好きだったのではないのか?」
「あ……」
その言葉に、自分がリベラートにうるさいと言って追い払ったことを思い出す。
(ああ、そうだった。そういう設定だったわ)
考えることが多すぎて、少し気が削がれていたのかもしれない。
「はい、お慕いしておりました。ですが、王太子殿下はあれほどグロリア様を愛していらっしゃるのですから、私の入る余地など、もうありません。それがはっきりとわかりました」
このまま演技を続けるのも面倒になって、アリーナはそう言って悲しげに瞳を伏せた。
「……今のはどう考えても、うるさい野犬を追い払うような……。い、いや。兄上の不誠実な対応を、弟として申し訳なく思う」
ジェラルドはそう言って、頭を下げる。
てっきりいつものように口説かれると思っていたのに、彼はそのままそそくさと立ち去って行った。あれは敵に回してはいけない、と小声で言ったような気がしたが、きっと気のせいだろう。
このときから、ジェラルドに付きまとわれることはなくなった。そろそろ手を打たなくてはと思っていたので、ちょうどよかったのかもしれない。
それからも懸命に証拠探しに奔走したが、結局、エドガルドが関与していた証拠は何ひとつ出てこなかった。
これ以上彼にこだわって、長引かせては別の問題を引き起こしてしまう恐れがある。
(仕方ないわ。リベラートとグロリアを排除するのが、私の当初の目的だったもの。これ以上は、私ではどうしようもないことだわ)
悔しい気持ちはあるが、ここまでだ。
アリーナはメリーギ男爵と、彼に協力したレムス王国の貴族に関すること、グロリアが彼らの手駒だったという証拠をまとめて、父であるインサーナ公爵に提出した。
さすがに父は、ある程度のことは掴んでいたようだ。騎士団長や宰相の息子まで関わっていたのだ。それも当然か。
「よくここまで証拠を集めたものだ。お前ひとりでやったのか?」
「いいえ。町の様子はコンカート子爵令嬢のメリッサ様が、メリーギ男爵については、ロッセリーニ伯爵令嬢のルチア様が。レムス王国の内情については、ラメッラ侯爵令嬢のカルロッタ様が協力してくださいました」
「……そうか」
父は、アリーナが提出した書類を確認し、その令嬢たちがすべて、今回の件の被害者であることを確かめると、静かに頷いた。
「だが、これをそのまま証拠として国王陛下に提出するわけにはいかない。こちらでも簡単に調査をする。しばらく待て」
「はい、わかりました」
アリーナは素直に頷いた。
自分はただの王太子の婚約者であり、本来はその王太子が狙われたことを報告するのが目的だった。
だが、その間にグロリアが消されてしまったら面倒なことになる。エドガルドに固執して、調査を長引かせてしまったことを少し後悔した。
それだけこだわった彼のことを、アリーナは父に報告しなかった。
あれから、新しい証拠がないか再度調べてみた。すると、以前はエドガルドを町で見かけた、スラム街で誰かと話し合いをしていたと証言していた者達がすべて、姿を消していたのだ。
自ら姿を隠したのか、それともエドガルドによって消されてしまったのかわからない。でもそれによって、彼の名前を上げることさえできなくなった。
おそらく彼は、兄を退けてレムス王国の王太子になるだろう。
これほどのことをやってのける男だ。
そして彼が国王になったときのレムス王国は、かなり厄介な存在になると思われる。この国は、それに対抗していかなくてはならない。
幸いだったのは、今回の件で退けられた者たちが、王太子のリベラートも含めてそれほど有能ではなかったことか。彼が去ったことによって、より優れた者をその地位につけることができる。
とにかく、問題はもうアリーナの手を離れた。
あとは、すべてが終わるまでどうやってグロリアの身を守るかだ。きっちりと罪を償ってもらうためにも、ここで死んでもらっては困る。
(それには、傍に居るのが一番かしら……)
今までは変な言いがかりをつけられないように適度に距離を取っていた。
だが、もう彼女がメリーギ男爵に命じられて、リベラートに近付いたという証拠は提出している。グロリアが襲われて、リベラートがどんな言いがかりをつけたとしても、それがアリーナのせいになることはないだろう。
父の調査が終了し、グロリアの罪が確定して拘束されるまで、傍で見張っていたほうがよさそうだ。
それからしばらくして、少し離れた場所からにこにことふたりを見守るアリーナの姿に、グロリアとリベラートは怯えることになる。