公爵令嬢アリーナの戦い・6
「アリーナ様」
ふと声を掛けられて、アリーナは顔を上げた。
目の前にはルチアとメリッサ、そしてカルロッタがいる。
今日は恒例のお茶会の日ではなかったが、いろいろと相談したいことや知りたいことがあったので、三人を公爵家の屋敷に呼んだのだ。それを思い出して、アリーナは謝罪する。
「ごめんなさい。少し、ぼうっとしていたわ」
「お疲れなのではありませんか? このところ、ずっとお忙しそうでしたから」
カルロッタがそう気遣ってくれる。
「ありがとう。私なら大丈夫よ」
情報を集めてくれているのは彼女たちで、アリーナのやっていることは、リベラートとグロリアを監視するだけだ。だがある意味、それが疲労する原因なのかもしれないが。
「ただ、私たちは冤罪から身を守るために婚約を破棄したかっただけなのに、ずいぶん大事になってしまったと思ったのよ」
言ってしまってから、失言だったと反省する。
彼女たちはもう、自分の目的は達している。婚約は破棄され、元婚約者たちは、それぞれの行動に見合った結果になっていた。
それなのにこうして手伝ってくれているのは、完全に彼女たちの好意である。それなのに自分が弱音を言うなんて、間違っていた。
「でも、あのふたりがもっと慎重で用意周到だったら、私も追い詰められるまで気付かなかった可能性もあったわ。だから、これでよかったのね」
そう言って、笑みを向ける。
「アリーナ様」
そんなアリーナに、メリッサが言った。
「わたしがセストに約束を破られて落ち込んでいたときに、買い物に連れて行ってくださって、本当に嬉しかったんです。わたしなんて、同じグロリアの被害者でなければ、ただの平民上がりの子爵家の娘でしかないのに」
アリーナがちゃんと友人として認めてくれたから、不誠実な男に仕方ないと言って結婚してもらうような、価値のない女ではないと信じることができた。
「わたしとアリーナ様は友人ですから。困っているときに助け合うのは、当然です」
「……ありがとう」
この言葉が嬉しくて、心から礼を言うと、メリッサは照れたように笑う。その笑顔は、とても愛らしかった。
「私だって、アリーナ様と出逢って救われました」
アリーナとメリッサの間に入ってそう言ったのは、ルチアだ。
「まだこの国では女性が政治や経済を学ぶことに偏見があるのに、アリーナ様は応援して下さいました」
「わたくしも、マウロに裏切られてつらかったとき、アリーナ様はずっと傍に居てくださいました。わたくしには何も取柄もありませんが、アリーナ様のためなら何でもします」
カルロッタまでそう言ってくれた。
「みんな、ありがとう……」
王太子でありながら好き勝手に生きているリベラートと、そんな彼に取り入るグロリアに制裁を加えるだけのつもりだった。
それなのに、思いがけず他国の王位継承争いまで絡んできて、少し怯んでいたのかもしれない。
「そうね。こんなところで立ち止まっている暇はないわ。しっかり証拠を掴んで、あとはお父様に任せてしまいましょう」
レムス王国の第三王子、エドガルドがこの件に関与しているという証拠さえ掴めば、あとは何とかなる。
そう思ってあらゆる伝手を使って調べ上げたが、証拠がまったく掴めない。
メリーギ男爵が、レムス王国のある貴族と手を組んで、グロリアを利用してリベラートやその側近たちを篭絡しようとしたところまでは辿れている。これだけでも、グロリアとメリーギ男爵の罪を告発するには充分だ。
でも、それ以上はけっして辿れない。
(絶対に、彼が関わっているはずなのに……)
アリーナは分厚い報告書を机の上に置いて、溜息をついた。
エドガルドは黒だ。
似たような者が裏社会の者と接触していたこともあったし、メリーギ男爵と手を組んでいたレムス王国の貴族と接触したという目撃情報はある。
だが、それがエドガルドだと断定できるような証拠は、何ひとつ出てこなかった。
あやふやな証言や目撃情報で、他国の王太子を告発することはできない。
(悔しいけれど、向こうの方が一枚上ね。あまりにも手慣れているわ)
まさに、暗雲低迷。
鬱々とした思いのまま学園に行けば、そこでも騒動が起きていた。
グロリアがまた襲われたのだ。
彼女はすっかり怯えていて、リベラートの腕の中で震えていたが、それでもアリーナのせいにするだけの根性はまだあったらしい。
最初とは違い、今回は現場にさえ居合わせなかったのに、どうしてもアリーナのせいにしたいリベラートとグロリアの執念には、ある意味感心する。
アリーナに付きまとって、してもいない罪を認めるように迫るリベラートを適当にあしらいながら、考え込む。
聞けば今回もまた、階段から突き落とされそうになったらしい。
だが前回よりも高い場所で、運よく回避できなかったら確実に命を落としていただろう場所だ。
このままグロリアがあっさり殺されてしまえば、メリーギ男爵とその協力者まで逃がしてしまう。それを思えば、今まで集めた証拠だけでも、先に提出するべきかもしれない。だが一度父に手渡してしまえば、たとえ事実だったとしても、他国の王子であるエドガルドが関与していた事実は、外交上の理由から隠蔽される恐れがある。
「アリーナ、聞いているのか!」
リベラートの怒鳴り声に、思わず苛立った。
「うるさいので喚かないでください。殿下の話など聞いておりません」
誰のせいでこんなに苦労していると思っているのか。
そう思って睨み据えると、彼は怯えた小動物のように視線を反らした。