公爵令嬢アリーナの戦い・4
「……退屈だわ」
アリーナは溜息をついた。
ここは学園の中にある庭園だ。時刻は昼休み。
ランチタイムも終わりに近づき、生徒たちは思い思いの場所で休憩をしている。
先ほどまで仲間たちと一緒にいたアリーナも、付き添いの侍女を連れて庭園に来ていた。あまり一緒にいると、グロリアの攻撃に彼女たちを巻き込んでしまう恐れがある。だから、学園内では極力離れて行動していた。
他の令嬢たちが情報収集をしているのとは違って、アリーナの役目はリベラートとグロリアの監視だ。だが、彼らが仕掛けてくる幼稚な罠を避けるだけの日々は、かなり退屈なものだった。
グロリアはどうしても、アリーナがグロリアを嫉妬からいじめているように見せたいらしい。だが平民の彼女が考えつくいじめなど、せいぜい嫌味を言ったり、私物を隠したりする程度。そういえば水を掛けられたり、制服を汚されたというものもあった。
だが公爵令嬢のアリーナが、平民であるグロリアを邪魔だと思い、本気で排除したいと思ったら、その程度で済むはずがない。そんな稚拙ないじめを行っていると思われるのも不本意だ。
(私なら、その手のプロに依頼するわね……)
仕事は完璧で、けっして依頼主の情報を漏らさないプロが、この国にも存在している。そこに依頼すれば、明日にはグロリアという人間はいなくなる。
そこまで考えて、アリーナは再び溜息をついた。
(あ、重要な証拠を消してどうするの)
こんなことを考えてしまうほど、疲れていたらしい。
幼稚な罠でも、繰り返せば人を疲弊させることができるようだ。第三王子のジェラルドが何かと介入してこようとするのも、疲れている原因かもしれない。
誰かの助けなど必要ない。
アリーナにはすでに信頼する仲間がいる。それだけで充分だ。
だが、あまり邪険にすると彼まで敵に回すかもしれない。そうすると、リベラートとジェラルドに挟まれて、身動きが取れなくなる可能性がある。
だから彼の援護に感謝を示しつつ、それでもリベラートを慕っているように演じなければならない。
面倒だが、仕方がない。
まさかここまで大事になってしまうとは、アリーナも思わなかった。
でもこちらにはまったく非がないのに、いかにも自分たちが悪いように見せかけて非難する彼らが、どうしても許せなかったのだ。
メリッサ曰く、平民風に言うと、これは向こうから売ってきた喧嘩を買っただけだ。そして戦いが開始された以上、完全勝利を目指すのは当然のこと。大切な仲間と自分を守ることだけを考えて、アリーナは戦うだけだ。
(そうね。今さら考えたって仕方がないわ)
そう思い直したところで、目の端に赤いものが映る。庭園に向かうための階段の辺りだ。
きっとグロリアが、こちらの様子を伺っているのだろう。
だがどんなに仕掛けられても、公爵令嬢であるアリーナがひとりきりになることはない。学園では友人が、他の時間は今日のように侍女が付き添っている。何を仕掛けても証人がいる以上無駄であると、早く気が付いてほしいものだ。
(いっそルチアのように教師を巻き込んで、行動をすべて書き記そうかしら)
手間はかかるが、一定の効果はあるだろう。
そう思っていたところで、ふいに悲鳴が聞こえてきた。
「きゃああっ」
聞き覚えのある声だったので思わず顔を上げると、グロリアが階段を転げ落ちていく。
(えっ?)
いくらアリーナを陥れるためとはいえ、さすがにあれはやりすぎだ。打ち所が悪かったら、命を落としてしまう可能性もある。ここから落ちたら死ぬかもしれないと思えないほど、馬鹿だったのだろうかと思わず考える。
そうだとしても、死なれてしまったら面倒だ。
駆け寄ろうかとも思ったが、思い止まった。このまま近寄ったら、突き落とした犯人にされてしまう可能性が高い。悲鳴を聞いた者が何人かが、親切にも様子を見に行ったようなので、きっと大丈夫だ。予想していたようにグロリアは誰かの手を借りて立ち上がり、痛いと喚いている。
遠くからそれを見つめていたアリーナは、ふと誰かが物陰から様子を伺っていることに気が付いた。その人影は、目立たないように注意深くグロリアの様子を観察している。だがアリーナの視線を感じたのか、突然振り向いた。
「!」
その視線がアリーナを捕える寸前に、何とか周囲の人たちに紛れることができた。
自分の手が震えていることに気が付いて、アリーナは両手をきつく握りしめる。
殺気を帯びた、鋭い視線だった。あれは絶対に、この学園の生徒ではない。
(もしかして誰かが、すでにプロを雇ったの?)
彼女ならあちこちで恨みを買っていそうだから、あり得ないことではない。でも、学園に入学してからグロリアが手を出していたのは、アリーナと仲間の婚約者だけだ。たしかに平民の中には、今でも彼女を恨んでいる者がいるだろう。だが、その手のプロを雇えるほどの者がいるかどうか。
「グロリア! ああ、何てことだ。誰かが君を突き落としたんだな」
「リベラート様。わたし、死んでしまうかと思った。怖くて……」
聞こえてきたグロリアの声はいつもの演技ではなく、震えていた。
本気で恐ろしかったのかもしれない。
「アリーナ、お前がグロリアを突き落としたのか。何と恐ろしい女だ。まさか私の寵愛が得られないからといって、グロリアを傷つけようとするとは」
「……うるさいから、少し黙って。考えがまとまらないわ」
隣で誰かが喚いていたから、アリーナはそう一喝する。
もしかしたらグロリアは、もう相手に切り捨てられようとしているのか。
考えてみれば、それも当然だ。グロリアはもう三度も失敗している。篭絡しようとしていた男たちは失脚し、王太子しか残っていないのだから。
少し、楽観視しすぎたかもしれない。グロリアが馬鹿だったので、その雇い主もたいしたことないのではないかと考えていた。
アリーナは情報を整理しようと、庭園を後にした。
ここは雑音が多すぎる。
もう少し静かなところで、じっくりと考えたかった。