遭逢 - 水瀬 友紀③
グレーのパーカーの前ポケットに両手を突っ込んだ彼女と、その背後にいる僕に日下部は気づいたのだろう。
彼は立ち漕ぎを止めてサドルに座り、右手を大きく挙げて手を振ってきた。
キ、キィー……。
そして、彼は僕らの目の前で自転車のブレーキを踏み込み、いつもの余裕のある笑顔を見せる。
日下部「おはよう、水瀬。そちらの女性は知り合いかい?」
日下部を睨む彼女の背中からは殺気に近い雰囲気が漂っているにも関わらず、彼がそれを気にしている様子は全くない。
前々から思ってたんだけど、彼は人の感情とか敵意にちょっと疎いんだ。
生徒会側に着いていた慶から渡された毒入りポテトを全く警戒せず、素直に受け取って食べたくらいだし…。
だから、言わないと…。君は今、狙われているって!
「日下部……に、逃げ…!」
僕が彼に注意を促そうとしたタイミングで、彼女は前ポケットに入れていた右手を真横に伸ばした。
「解術・巫覡装束」
彼女のグレーのパーカーとスウェットパンツから一瞬にして全く別の服装に変化する。
真っ白な着物に鮮やかな赤色の袴…、いわゆる巫女のような姿。
そして、さっき真横に伸ばした右手には赤い柄の錫杖が握られている。
長さは彼女の身長より少し短いくらい。その錫杖の先端には、半透明の白い輪の形をしたものが5つ。
大きな1つの輪に、それの3分の1くらいの小さな4つの輪が繋がっている。
彼女が何らかの能力を持っていることは間違いない。
いま目の前で、彼女自身がそれを証明したんだ。
日下部「目にも留まらない速攻のお着替え。それを公共の場でやってのける精神力と確かな技術。君……いや、貴方はプロのマジシャン?」
感心した様子で変身した彼女に問いかける日下部。
君はこの半年で今までの経験を忘れたのか?
この変身を見て手品と思うのは普通の人。でも、僕らはそうじゃない。
変わった体質を持つ特質持ちや、君を含めた神の力を使う神憑を見てきたじゃないか。
彼女はどう考えてもマジシャンじゃなく敵意のある能力者だ。
「安心して。じっとしてくれたら、すぐに終わるから。君に憑いてる邪神は強大だけど…、大丈夫」
彼女はそう言って、赤い柄の錫杖を両手で持ち、日下部の方へかざした。
すると、錫杖の先端にある5つの輪が真っ白に光り始める。
「浄術・え……」
「やめろ!」
危険を感じた僕は、咄嗟に彼女の肩を掴んで後ろに引っ張った。
このとき、彼女の能力については何もわかってない。
肩を引っ張ったくらいで能力を阻害できるかはわからないし、できなかったとしたら日下部は死んでいたかも。
「ちょっと……! 邪魔しないで!」
だけど、それなりに効果はあったみたいだ。
5つの輪から発生した光は消え、彼女はこちらに振り返って僕の手を払った。
なるほど、そういうことか。
僕は払われた手でもう一度彼女の肩に触れながら、日下部にこう呼びかけた。
「日下部、彼女の狙いは君だ! 速く逃げるんだ!」
多分だけど、彼女の能力は少しでも集中を乱されると使えなくなる。
僕が肩を掴んで引っ張ったりしている間に逃げてくれ!
日下部「ちょっと待って。何だかお尻が疼いている気がするんだけど」
サドルに跨がった状態でお尻をフリフリし始める日下部。
何やってるんだよ…! “連続肩タッチ集中阻害戦法”も永遠に持つわけじゃないんだ。
相手は女子、あんまり触りすぎると気持ち悪がられる…。せいぜい後3回くらいしか阻害できないんだ。
シューーーーッ……。
そんなことを考えていると、日下部はガスの抜けるようなあの音と共に、上空へ飛び上がった。
日下部「あれ…? 何だいこれは? 僕の意思とは関係なく……。シリウス?」
僕と彼女は、空中で手足をバタつかせている彼を見上げる。
自分の意思じゃないのか?
そして、日下部の能力を初めて見た彼女は…、
「なっ……飛んで……! そ、その人を解放しなさい!」
驚きながらも、浮遊している彼に錫杖を向けた。
解放って…、シリウスに言っているのかな?
もしかして、彼女には人に憑いてる神が見えるのか? だとすると、彼女は神憑?
確か神憑は人によるけど、神が見えるんだっけ?
浮遊している日下部の身体は少しずつ回転し、学校にお尻を向ける。
日下部「シリウス、いったい何を考えてるんだい? もうすぐ学校が始まる。僕を遅刻させる気かい? …………! シリウス、やめるんだ! これは僕のお尻だぞ! 早く降ろす………」
シューーッ!
日下部の意思とは裏腹に、彼の身体は学校と反対の方向へと飛び去ってしまった。
多分、宙屁の速い版の方で…。
シリウスは気づいていたんだろう。彼女が危険だということに。
日下部を取り逃がした彼女は、こちらが心配になるほどの絶望した表情を浮かべていた。
「うそ………そんな……。あの人、殺されるかも……」
この人、何か誤解している? シリウスが日下部を殺すなんてことはないと思う。
そう思った僕は、彼女にこう声をかけた。
「あの…、シリウスはそんな悪い神じゃないと思う。彼らは多分、半年以上ずっと一緒で…。僕らを助けてくれたこともあったんだ」
いつの間にか巫女のような服装と錫杖は消えていて、元の服装に戻っている彼女は、僕の顔を見てキッと睨みつける。
「そうやって邪神は人に付け入るのよ。君が私を止めたせいで、あの人が危険な目に合うかもしれないわ。てか、邪神の存在知ってたのね。名前まで付けてるし…」
いや、いきなり説明もなく攻撃みたいなことをしようとしたら誰だって止めに入ると思うけど。
それにシリウスが邪神って…。悪い神だと言われるのは納得いかない。
「うん、色々あって神の存在は知ってる。そういう神もいるのかもしれないけど、シリウスに関してはそうは思えない。僕からすれば今日初めて会った君のほうが怪しいよ。名前すら聞いてないし」
僕がそう返すと、彼女は両手を腰に当てて溜め息を吐いた。
「はぁ…、御門 伊織よ」
呆れた顔で自分の名前を名乗る彼女。
これから、僕を説得させるための長い話が始まりそうだ。
御門「まぁ、霊感みたいなのがあって…。今は邪神を祓う活動中って感じ。信じてもらえないだろうけど…」
御門さんか。
彼女は名乗った後、続けてそう言った。
まぁ、普通の人は信じないかもしれないな。でも、僕の友達にもっとクセの強い能力者がいるから幽霊見えるくらいじゃ驚かないよ。
「僕は水瀬 友紀。君の言うこと、僕は信じるよ。最近、変わったことが色々あったから」
正直、よだれ垂らしたりオナラしたりみたいな能力をカミングアウトされなくて少し安心している。
名前を名乗って握手をしようと思ったけど、やめておいた。御門さんは女子だから。
御影先生と名前似てるけど、親戚とかじゃないよね…?
御門「よろしく、水瀬。君の知っている神…、邪神について説明するわ。今、あの友達は危険な状況にあるかもしれないの」
彼女は両手を前ポケットから出し、身振り手振りで邪神について話し始める。
ちょうど、そのとき…。
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
朝のホームルームの始まりを知らせるチャイムが校舎から聞こえてきた。
まずい…、担任の辻本先生が出席を取る前に教室に行かないと!
名前を呼ばれる前に入れば一応、ギリギリセーフだ。担任の先生の性格や気分によるけど。
「ごめん! 放課後聞かせて!」
僕はやむを得ず、彼女の話を遮り校舎に向かって走り出した。
御門「え、私が怪しいとか言ってたのはもういいの!?」
驚いたような口調で僕に問いかける御門さん。
確かに敵かどうか見極めることは重要だけど、授業にきちんと出ることも同じくらい大切なんだ。
10分でも遅れると授業がわからなくなる。
「後で教えて! それまで、日下部には手を出さないでほしい」
僕は一瞬だけ振り返り、彼女にお願いした。
彼女が僕の頼みを律儀に聞いてくれるかはわからないけど…。
よくよく考えたら、日下部は神憑だ。それもシリウスの発言からして、位が高くかなり強い神憑だと思われる。
そんな彼なら、自分の身くらいは簡単に守れると思うんだ。
むしろ、特質も何もない僕が彼を守るのは難しい。
だから、僕は日下部がそんな簡単にやられない強い人間だって信じてる。
校舎に走っていく僕に対し、彼女はまだ何かを言ってるようだったけど…。
遅刻になるかどうかの瀬戸際に立たされている僕は、それを無視して自分の教室に向かっていった。




