報復 - 文月 慶⑥
“吸収”。
聞き覚えのある男の声が聞こえて目を開けると、僕らは瓦礫の上にいた。
目を瞑る前に見ていた砂漠の光景と、僕らを囲む核ミサイルはどこにも見当たらない。
また違う幻か? なんで変えた?
そんなことを思いながら、僕は周りをよく見渡した。
僕が足場にしている瓦礫の山。隣には頭を抱えて蹲っている鬼塚がいる。
少し離れたところには、仰向けになって倒れている日下部の父親が…。
気を失っているのか死んでいるのか。どちらかわからないが、後々面倒だから生きていると願おう。
そして、僕の前方では、御影本体が瓦礫の中から突き出している1本の腕を睨みつけていた。
奴が幻ではなく本体だと確信できたのは、この瓦礫の山以外の見慣れた風景のお陰だ。
いつもの吉波高校の校舎と広大なグラウンド。つまり、この瓦礫は倒壊した体育館の残骸ということになる。
幻霧にかかった僕らの行動は、現実の方にも少なからず影響していたんだろう。
体育館が壊れる程度ですんで良かったな、鬼塚。
地球が壊れて人類滅亡なんてしていたら、君の性格上、罪悪感に押し潰されて2度と立ち直れなくなりそうだ。
そして、僕は未だに頭を抱えて震えている鬼塚からグラウンドに目を移す。
水瀬「樹神、なんで町を侵食しようとしたんだ?」
樹神「お、俺の財産は…? パチンコで勝ちとった5千億兆万円。この手にあったんだけどよ…」
グラウンドの真ん中で何かを話している水瀬たち。
幻霧は何らかの力によって無効化され、都合の良い幻を見れなくなった樹神も緑花王国を解除したというわけか。
樹神「こんちくしょー! 誰が盗った? 俺のブロッコリーに呑まれて消えろ!」
水瀬「落ち着け、樹神! 事情を説明してくれ!」
憤慨する樹神を宥めようとする水瀬。
そもそも本人は幻とは思ってなかったようだな。現実を見ろと言いたい。
この幻霧を完全に無効化したのは、あの瓦礫から生えている1本の腕だろう。
その腕は強く拳を握っている。
御影の能力を封じた腕の持ち主、奴の正体は…。
御影「景川、何をしているの?」
模範生徒の代表、イレギュラーの神憑である景川慧真だ。
こいつの能力は不明。
シリウスとの戦いにおいても拳を握るような動作でオナラを無効化していたように見えた。
奴の能力の1つに神憑の力の無効化が考えられる。
もし、そうだとすれば、対神憑においては無敵の存在だ。
景川は瓦礫の中からもう1本腕を出し、這って出てくるような形で姿を現した。
どこか痛めているのか起き上がろうとはしない。
御影「早く私に力を返しなさい」
御影は腕を組み、少しイラだった様子で彼を見下ろしている。
景川はぜぇぜぇと息を吐き、怒りで身体を震わせた。
景川「こ、これが……貴女の言っていた統制ですか? こんなことは間違っている」
やっぱり上手いこと言いくるめられていたのか。こいつの能力が気になるところだ。
御影は舌打ちをし、履いていたハイヒールの靴を脱いで手に持った。
御影「もう一度言うわ。私に力を返還しなさい」
断ればハイヒールの踵の部分で殴るつもりだろう。返すと言うまで殴り続ける。
さっきまで隕石が降ってきたり、地球が割れたり核ミサイルに囲まれたりしたせいでハイヒールが何だと思うかもしれないが…。
景川自体は生身の人間。脳天を突き刺すような鋭い痛みが彼を襲うに違いない。
そんなことは彼自身もわかっているはずだ。それでも彼は臆することなく、御影を睨んで首を振る。
景川「何度言われてもこの力は返さない」
御影「あら、そう…」
バコッ
奴は無情にも、断る景川の頭をハイヒールで殴りつけた。
御影「気が変わったらいつでも言いなさい」
そう言って、何度も頭を殴り続ける御影。
景川「貴女のしていること、ずっと視ていた。隕石や核ミサイルで生徒を殺そうとする貴女は教師失格だ!」
殴られて恐らく激痛を感じながらも、景川は言い返す。
その調子だ、景川。お前が能力を返さない限り奴の計画は進まない。
僕の復讐は完了し、政府との因縁はこれで断ち切れる。
後は御影自身が諦めるのを待つだけだ。
ここは現実で本体は目の前。水瀬たちも近くにいる。
いつでもお前を倒せる状態だ。早く降伏しろ。下手に抵抗すると、剣崎の唾液で固められることになるぞ。
景川「生徒に恐怖を募らせる。それは猿渡の力の性質上、仕方のないことだと思っていた。皆が安心して通える学校。全員が授業に前向きに取り組み、自分の将来のこととかを真剣に考えられる環境にあるクラスが実現するなら、坊主だって構わないと思ったんだ」
ヒールが頭に何度突き刺さろうと訴え続ける景川。
安心して通える学校、前向きに授業に取り組めるクラス作りか。
こいつが僕のクラスに編入し、不良を吹き飛ばしたことは、カメラを通して見ていたから知っている。
お前…、あのゴミ溜めのような僕のクラスを変えようとしていたのか。
景川「でも、さっきの行動でわかった。貴女はこの学校を良くしようなんて微塵も思っていない。この学校を自分のものにしたいだけ…」
御影「ごちゃごちゃ言ってないで返しなさい。殴るほうも手がダルいのよ!」
奴はそう言いながら、ハイヒールを左手に持ちかえる。
あいつがこれ以上、殴られるのは気が引ける。剣崎に奴の動きを封じさせるか。
飽和凝結唾液を放ってからしばらく経った。もう回復しているはず。普通の唾液を放つくらいなら問題ないだろう。
ガラガラ………
僕が自身のホログラムを移動させようとしたとき、そいつは瓦礫の中から現れた。
忘れていたわけではないが…。
日下部の身体を借りたシリウスに圧倒された後、日下部豪のビンタを3発、そして瓦礫に埋もれてもなお動けるのか。
瓦礫を掻き分けて出てきたのは、2体の神に憑かれた猿渡玖音。
思っていたよりもしぶとかった。
こいつが出てくれば状況は変わってくる。指を鳴らさせるわけにはいかない。
御影「あら、お目覚めのようね」
奴の登場に気づいた御影は上機嫌になり、手に持っていたハイヒールをがさつに履いた。
確か、猿渡の片方の手には剣崎の唾液がかかっていて動かすことはできないはずだ。
もう片方を封じれば指を鳴らすことができなくなり、恐怖で従わせられない水瀬たちを支配するのは不可能になる。
どちらが先手を打つかで勝敗が決まるだろう。奴が指を鳴らすか、鳴らす前に唾液で封じるか。
早く剣崎に指示を…。ホログラムを移動させる猶予はない。
「剣崎! 唾液で猿渡を封じろ! 奴が指を鳴らす前にだ!」
僕は口に両手を当て、剣崎たちのいる方向に向かって声を上げた。
唾液で封じる以外にももう1つ方法はある。それは鬼塚に止めさせること。
だが、これは自分の中で却下した。彼が力加減を誤れば猿渡は死ぬ。下手すれば学校が吹き飛ぶかもしれない。
僕が思っていたよりも彼は強い。まさか、地球を割るレベルだとは思ってなかった。
彼自身が加減を完璧にできるようになるまでは、気安く攻撃を許可するわけにはいかない。
御影「猿渡、早く指を鳴らしなさい! 貴方が鳴らせば、計画は完遂する」
ふっ…もう遅い。そんなことをしている間に剣崎は靴底に唾液を塗ってお前らに接近する。
そうだろ? 剣崎…。
僕は勝ちを確信し、剣崎たちのいる方へ目をやる。
剣崎はこちらを見据え、両手を強く握り締めていた。
何をしている? もう唾液は塗り終えたのか? だったら早く接近しろ。
剣崎「文月氏、コロス……絶対コロス……」
はぁ……秘密をバラしたから殺すってことか?
さっき飽和凝結唾液を使った時点でもうバレていると思うんだが…。
クソッ…、お前が動かないのなら仕方ない。
御影「猿渡、聞こえないの? 早くしなさい!」
向こうは向こうで何か揉めているみたいだな。理由はわからないが、今の内に…。
「鬼塚、猿渡を止めてくれ。あの唾液野郎は役に立たない」
相変わらず僕の隣で蹲っている鬼塚に指示を出すが…。
鬼塚「……………」
ダメだ、反応がない。エラーを起こした機械のように…。
昔のテレビみたいに叩けば治るか? いや、僕の手が壊れるだろう。
そもそもホログラム越しには叩けない。
おい、ここまで来て形勢逆転か?
なんでお前らはいつも肝心なときに使えないんだ。
鬼塚、バグってる場合じゃないだろ。何としてでも君には動いてもらう。
「立て、鬼塚! 戦え、鬼塚! 坊主になっても良いのか、鬼塚!」
僕は、鬼塚を奮い立たせようと声を上げるが…。
ダメだ、坊主というワードにも反応しない。完全にショートしている。
いったいどうして? さっきの戦いで疲労して動けないのか?
御影「鳴らしなさい、猿渡! 言うことを聞け、猿渡! 志望大学に行けなくなっても良いの? いったいどうしたのよ!」
猿渡も動かない…? もしかして、この場で別の何かが起こっている?
よく見ると水瀬たちも固まっている。さっき僕を殺すと宣言した剣崎もこちらに来る気配はない。
鬼塚「ごめん、文月くん…。身体が動かないんだ」
猿渡「すみません、御影先生。俺ら、あれには逆らえないんです」
猿渡はそう言って、僕の後ろにある校舎を指さした。
それに釣られて僕は校舎のほうに振り返る。
あぁ、なるほどな。僕も実際にここにいれば、この気配に気づけただろう。
校舎からこちらに向かってくる3つの人影。吉波高校の生徒なら誰もが知っている。
2人は口を揃えて、か細い声でこう言った。
猿渡「あれが……」
鬼塚「あの人が……」
鬼塚・猿渡「「恐怖がやって来る」」




