乱入 - 水瀬 友紀⑪
文月「えぇ……はい、そうなんです。貴方のお子さんは今、僕の目の前で見るに堪えないイジメを受けています」
慶が電話を掛けたのは、日下部の家だった。
見るに堪えないイジメ…。確かに天井に吊されて気を失っている彼を見ただけだとそう映るかも。
でも、今からみんなで協力して彼を下ろそうとしている。なんで、僕らが虐めてると思わせるような電話を今さら?
文月「助けてください。僕は過去に骨を砕かれてから貧弱でイジメを止めるなんてことはできない」
そんなの初耳だ…。僕は君と中学からの同期。君が言ってることが嘘かどうかなんてすぐにわかる。
今日はやけに嘘を吐くよな、慶…。
それも全部、僕らを陥れるための真っ黒な嘘を…。今日がエイプリルフールだとしても普通に不愉快だ。
たった1日で、これまで積み重ねてきた僕と慶の信頼関係は崩れ去っていく。
文月「日下部くんは僕のかけがえのない友達です。貴方の力が必要です。お願いします………お父さん!」
かけがえのない友達を実験台にする人がどこにいる…?
彼が電話を掛けた場所は、日下部の家。そして、話の内容からして電話の相手は彼のお父さんだ。
何が狙いなんだ…。お父さんを呼んでどうする?
まさか、日下部のお父さんもオナラ使い…? もし、彼も学生時代からオナラの力を手に入れてその力を極限まで磨き上げていたとしたら…。
日下部の父さんは、シリウスを超える歴戦のオナラ使いなのかもしれない。
慶の目的、もしかするとそれは…、自分が味わったあの屈辱を僕らへ数十倍にして味わわせること。
文月「場所は……吉波高校の体育館。お待ちしております、お父さん」
ピッ………
彼は電話を切り、僕の目を見てニコリと笑った。
全てはこの小さな復讐のため…。
御影先生と手を組んだのも……琉蓮を処刑しようと仕向けたのもこのため。
日下部を毒殺しようと見せかけて、シリウスを呼び覚ましたのも全ては僕らにオナラで報復するためだったのか!
「なんて……なんて執念深いんだ! そもそも君が鬼ごっこなんかしなければ、あんな目には合わなかったんだぞ」
慶は声を荒げた僕を見て、疑問を浮かべたような顔をする。
文月「何の話だ? この状況をひっくり返し、最後の敵を引き摺りだすための助っ人を呼んだんだ。感謝してほしい」
猿渡「助っ人? こいつらのか? この裏切り者が……」
猿渡は今の発言で警戒心を露わにし、慶に指を突き出した。
せっかく…和解できると思ったのに。
そんな猿渡を見て彼はふふっと嘲笑う。
文月「その指を向けて僕をどうする? ホログラム相手にも効くのか見物だな」
彼らともわかり合えそうだったのに君のせいで台無しだ。
鼻で嗤われた猿渡は、イラだった様子で舌打ちした。
猿渡「お前が裏切って……俺らが任務を果たせず、報酬の話もなくなったらどうしてくれるんだ?」
任務…? 報酬…? 御影先生から言われたのかな?
御影先……いや、あの女性はそもそも本当の教師なのか?
文月「そんな話、知ったことじゃない。僕はやるべきことを果たし、彼女との契約は満了した。しかし、彼女は僕に報酬を渡さなかった。僕が今、何をしようと誰も文句は言えないだろ?」
2人が言い合っている中、僕は考えた。
1つ考えられるのは、彼女は国からの刺客だということ。
鬼ごっこに学生大戦、僕らの学校はこの短期間で国が動くレベルの事件を2つも起こした。
国の理想としては、学生大戦であの3校が僕らを潰すこと。自らが介入せずに勝手に脅威が去ってくれるのを望んでいたと考えよう。
だけど、僕らは特質を使って彼らを退けることに成功した。
猿渡「くそっ…」
文月「こんな話をしている場合じゃない。君たちにとっての脅威がもうすぐ来る」
彼らが言い合ってるのを横目に、僕はより考えを深めていく。
僕らは国から危険な存在だと思われている。このまま放置していれば民間人にも危険を及ぼすかもしれないと。
そう思った政府は、僕らに対抗できる神憑や特質持ちを教師や校長として送り込んだ。
そして、厳格な校則を作り従わせることで、能力による事件が起きないように防ごうとしているのかも。
慶が御影先生と手を組んだのは、彼に与えられた任務を果たして応酬を受け取るため。
その報酬として考えられるのは……、政府が彼から奪った“BrainCreate”の完成版。
それになら、慶は食いつくだろう。
バターンッ!
体育館の扉が強引に開かれる音がした。構わない…。僕は考察を続ける。
これなら、御影先生たちの奇行や、慶が彼女と組んでいる状況とも辻褄が合ってくる。
そして今、裏切ろうとしているわけも…。
唯一の疑問は、猿渡と景川だ。
シリウスは確か……彼らは最近、憑かれたと言っていた。
その発言から考えると、彼らは御影先生が学校に来たタイミングで神に憑かれている可能性が高い。
普通、そんなタイミング良く手に入るのか? 後、彼らが国についている理由とその応酬や任務もわからない。
「雅いいいぃぃぃぃ!」
さっき音が鳴った方向から雲龍校長にも引けを取らない大声が聞こえてきて体育館内に反響する。
構わない………僕は考察を続け……いや、誰?
僕はその声に反応し、体育館の出入り口に目をやった。
体育館の扉の前に立っていたのは、力強く日下部の名前を叫んでいる大柄な男。
年齢はぱっと見、僕らの親と同じ世代。髪型はツヤ感のあるオールバックでポマードやヘアスプレーでガチガチに固められているのがわかる。
それに何と言っても、彼の体格はあまりにも凄まじい。全身が筋肉で包まれたかのような身体つきだ。
僕の一回り……いや、二回りは大きい。生まれつき筋肉質で、毎日激しいトレーニングを行わないとこんなムキムキにはならないと思う。
そんな筋肉マッチョのいかつい男性は、慶が呼んだ日下部のお父さんに違いない。
正直、彼の極められたオナラを喰らうより素手で殴られる方がよっぽど恐い。
文月「彼の名は日下部 豪。日下部雅の父親であり、君たち生徒会に地獄を見せる者」
慶は怒りで震える日下部のお父さんに一礼した後、景川と猿渡を指さした。
文月「彼らが貴方の大事な息子を虐めた大罪人です。どうか……貴方様直々に罰を下してやってください」
彼の言葉を聞いた日下部の父さんは、力強く床を踏み込んで彼らに1歩ずつ近づいていく。
迫り来る敷き詰められた筋肉に、彼らは怯んだのか1歩も動かない。
ついに、猿渡の目の前にその大きな筋肉が立ちはだかった。
猿渡「………え?」
その巨躯に圧倒されて硬直する猿渡。
お父さんは右手をゆっくりと挙げて……、
バチンッ!
頬を目がけて素早く振り下ろした。
渾身のビンタを喰らった猿渡は、身体ごと床に叩きつけられる。そして、彼の顔が直撃したところには円状に軽くヒビが入った。
ヤバいって…。鬼ごっこに学生大戦、そして今度は殺人事件…?
もう政府がミサイルを放ってきても文句は言えない。
猿渡「う…………う………」
あ、良かった! 彼はまだ生きている。早急に救急車を呼べばきっと助かる!
猿渡「き……きぃやあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!」
まだ叫ぶ程度の余力は残っていたらしい。
この高周波な叫び声に、思わず耳を塞いで目を瞑る景川。
次の瞬間、体育館全体が若干揺れ、全ての窓ガラスが粉々に砕け散って僕らに降り注いだ。
これも彼に憑いている神の力なのか?
シリウスの作ったオナラの領域から1歩も動いてない僕らには何の影響もなかった。ちょっとうるさいって思っただけで全くの無傷だ。
だけど、近くにいた景川は咄嗟に耳を塞ぎ、塞がなかった日下部の父さんの耳からは血が滴り落ちている。
………! 吊された日下部は?
お父さんの筋肉の存在感が凄すぎて彼のことをうっかり忘れていた…。
僕は彼の安否を確認するため、天井を見上げた。
まだ気を失っているみたいだけど、彼は大丈夫そうだ。無意識に自身のオナラで鼓膜を守ったんだろう。
多分、相殺屁ってオナラで…。
それにしても、猿渡はいったいどれだけ技を持ってるんだ?
バチンッ! バチンッ!
技が豊富なのは凄いし、神憑なりに努力したのかもしれないけど…。今回は大人しくやられていたほうが良かったと思う。
自身の鼓膜が裂けたことには一切構わず、日下部のお父さんは彼にとどめを刺した。
豪「ふぅ……ふぅ……。おい、俺の倅はどこだ?」
そして肩で息をしながら、動かなくなった猿渡を跨いで景川に詰め寄る。
景川「お父さん、落ち着いてください。耳、大丈夫ですか?」
自分の安否よりも、お父さんの耳を心配する景川。
恐くて機嫌を伺ってるんじゃなく本当に心配しているのがわかる。今は敵かもしれないけど根は良い人なんだろう。
でも、激昂したお父さんに彼の優しさを受けとる余裕なんてない。
逞しい両手でがっしりと彼の首を掴み、激しく前後に揺さぶった。
豪「倅はどこだと聞いている! 言え! 俺の愛らしい雅をどこへやったんだ!」
首を掴まれてはまともに息ができないし、返事なんてままならないだろう。
猿渡は多分、死んだ。景川もこのままだと死んでしまう!
でも、あんな筋肉戦車をどうやって止めろと言うんだ…。
雲龍校長を倒した琉蓮ならワンチャンある。でも、彼はまだトイレから帰ってこない!
景川「う……え…………う……え……」
泡を吹き、黒目をあらぬ方向に泳がせながらも必死に答えようとする景川。
さっきも言ったけど、お父さんは頭に血が上りきっている。
豪「“ウェーイ”だと? 昼間からパリピやってんじゃねぇ!」
彼が必死にした返事を正確に汲み取ることはできそうにない。
僕が……僕が……伝えないと。足がガクガクと震えている。
恐い…。そう、恐いに決まってる。
僕らもイジメに加担していたと認識されたら、あんな仕打ちを受けることになるだろう。
大丈夫……僕は大丈夫だ。鬼ごっこや学生大戦を乗り越え、ついには村川先生とまともに話せるようになった僕ならできるはずだ!
“日下部は上にいる”。
そう伝えれば良いだけなんだ。簡単だ、たったの2文字で充分に伝わる。
僕は大きく息を吸って多分、高校生活で1番大きな声を出した。
「うえええぇぇぇぇ! うえええぇぇぇぇ!」
お父さんは景川を横に放り投げ、こちらに振り向いた。
………あれ? おかしいな。更に怒ってる!?
彼は指をポキポキと鳴らしながら、鬼の形相でこちらに迫ってくる。
豪「だから……昼間からパリピやってんじゃねぇって言ってるだろ」
ヤバいヤバいヤバい…。殺される…。
なんで、パリピ認定…? てか、パリピだと無条件に殴られるの?
“上にいる”。そう伝えただけなのに…。
剣崎「水瀬氏! 逃げるのだ! 日下部氏の父上は私たちが虐めたと思っている!」
怜は僕を守るため、唾液滑走で彼に立ち向かった。
剣崎「粘縛……」
バチンッ!
唾液滑走、時速100キロメートルの滑走。
日下部のお父さんは、その速度で接近されても全く動じずにビンタを振り下ろし、怜を吹き飛ばした。
立髪「悪いな、お父さん! これは正当防衛だ! モヒカッ……!」
モヒカッター、鉄をも斬る三日月状の髪の斬撃。
一瞬、髪がゴムのように伸びた後で分離して放たれるんだけど…。そのゴムのように伸びたタイミングで、お父さんは彼の髪を素手で掴んだんだ。
立髪「………何!?」
ぶんっ……ぶんっ………ドンッ!
そして、掴んだ髪を持ち上げて彼の身体ごとぶんぶんと振り回し、床に叩きつけた。
強すぎる…。慶の鬼以来の絶対に勝てそうにない強大な敵だ。
立髪「今日は……刺し殺されたり……叩き殺されたり……散々だぜ」
彼はそう言い残し、意識を失った。怜、立髪……ほんとにごめん。
僕の後ろに残ってるのは、皇と不知火の2人だけ。
僕がやられてる間に彼らだけでも逃げてもらおう…。何の力もない僕にできるのは精々それくらいだ。
皇「おい、不知火…。最終試験だ。あいつを倒せば友達にしてやる」
………え。ダメだ!
骨と皮しかないような不知火を戦わせるなんて…。あの筋肉に触れただけで砕け散りそうだ。
不知火「ほんとに?! ナイフ、使っても良い?」
彼はナイフを持ってキラキラと目を輝かせている。何かお父さんに対抗できる特質でもあるのだろうか?
皇「あぁ、この際、正当防衛だ。行ってこい! 俺を守れ!」
そう言われた彼は、希望に満ちた笑顔でお父さんに走っていった。
豪「………! ナイフか」
勝敗はもちろん、僕の予想通り………
バキッ
お父さんの大勝利だ。
体重を乗せた右ストレートが不知火の顔面に突き刺さる。
一瞬の出来事で確証はないけど、顔が半分くらいヘコんでいたように見えた。
そして彼の身体は僕らを通りすぎ、体育館の外へ放り出されて遥か遠くの方へ…。
豪「正当防衛だ、仕方ない」
もう打つ手はなくなった。皇、君だけでも逃げてくれ。
僕は彼にそう伝えようと後ろに振り返ったんだけど……、
もうそこに彼はいなかった。
僕の後ろにあったのは、ポップコーンの袋と飲み干されて空になったペットボトルだけ。
うん、それでいい。君はリーダーだ。
この非常事態を陽や琉蓮に伝えてほしい。
お父さんはついに僕の前までやって来た。僕を見下ろす彼の眼光が鋭く突き刺さる。
そして…、彼の右腕はゆっくりと持ち上げられてから僕の頬を目がけて振り下ろされた。




