神々の戦い - 水瀬 友紀⑨
きょうじんろく……何とか。長すぎて聞き取れなかったけどあまり弱い技じゃなさそうだ。
多分、長い名前をつけるってことは強いんだろう。僕がよく読んでるマンガだと大体そんな気がするから…。
大方、その予想は的中していた。
シリウスの足元に六芒星のような紋様が出てからそんなに時間はたっていない。
突然、彼は両膝をついて自分の頭を地面に叩きつけたんだ。
その光景はかなり異様なもの。自我を失ったかのように何度も何度も頭を叩きつける。
その動きはまるで中身をくり抜かれた人形のように生気がない。
やめてくれ。このまま叩き続けると彼は頭を砕いて死んでしまう…!
猿渡「はぁ……はぁ……。狙い通りだ。お前が相討ちなんて望まないことはわかっていた。お前らの事情を知ってるからな」
息を切らしながらも安堵の表情を浮かべる猿渡。
何意味の分からないことを言ってるんだ。これ、お前の術か何かだろ?
本当に……殺す気なのか? 日下部を…。
猿渡「お前はこいつを死なせない。2度と向こう側には戻りたくないんだろ? このクソニートが…」
頭を打ちつけるシリウスに対して、震える声で暴言を吐く猿渡。
よくわからないけど、僕の友達を……仲間を悪く言うな。
クソはお前だ、猿渡。彼はお前より何千倍も良い人なんだ!
新型の鬼に囲まれたとき、助けに来てくれた。
学生大戦のときも、この学校のために色々と協力してくれた。
僕の恩人なんだ。そして今もシリウスか何だかわからないけど、助けようとしてくれている!
許せない…。
僕は不知火のそばにあったナイフを持って立ち上がった。
「やめろ…。これ以上、僕の友達を傷つけるな。僕の友達を殺したら、僕はお前を刺し殺す」
文月「水瀬…、落ち着け」
ホログラムの慶は、表情を変えず淡々と僕にそう言う。
君は黙っててくれ。僕は君がここまでしようとしていたとは思っていない。
これは猿渡が勝手にやったことなんだろ? 思っていないというより、そう信じたいだけかもしれない。
ナイフを向けられた猿渡は僕を無視して、頭を叩き続けるシリウスに話を続けた。
猿渡「悪いけどお前には死んでもらう。お、お前、ガチだっただろ…? ここで殺しておかないと今度はやられる…。まぁお前みたいな使えねぇ奴、死んでも誰も文句は言わないだろうな!」
ぷつんっ
僕の中で何かが壊れる音がした。ただただナイフを持って僕は奴の元へ走りだす。
“あいつを殺せ”。
脳がそんな感じの指示を僕の身体に命令し、僕はただそれに従うような感覚だ。
猿渡はこちらに気づいて、少し震えながらもニヤニヤと笑い出した。
猿渡「せっかく守ってもらってたのに…。その領域から出たら……死ぬぜ? これって正当防衛だよな? 俺、刺されそうになってるし」
僕に向かって“崩壊の音”とやらでも放つつもりか?
別に構わない…。刺し違えてでもお前を殺してやる。
奴は僕に手を向けて指を鳴らす形を作った。そして、僕が接近しナイフを振りかざそうとしたとき…、
「やめるのだ……」
そんな僕らの間に割って入ったのは怜だった。
気づけば彼はナイフを持つ僕の手を抑え、もう片方の手は猿渡の手を包みこむように掴んでいる。
唾液滑走を使った? 彼の靴底が若干潤っているように見える。
猿渡「………! いつの間に?! これは聞いてないぞ、文月!」
怜の高速移動を目の当たりにして、驚きを隠せない猿渡。
慶は僕らの特質や情報をある程度、漏らしてはいたようだけど…。怜の特質に関しては伏せていた?
あれか…、バラすと何されるかわからないから唾液のことは言えなかったんだ。
文月「………知らないほうが良いこともある。剣崎、水瀬を連れて元の場所へ戻れ」
怜は彼に従ったのか無視したのかはわからない。彼には一切見向きもせず、僕の目をしっかりと見据える。
剣崎「水瀬氏、落ち着くのだ。このおかっぱ頭に対して、腸が煮えくりかえる気持ちは私も同じ。共に信じよう、日下部氏を。そして私の秘密を漏らさなかった文月氏もだ」
とはいっても……。こうしている間にもシリウスは壊れた人形のように頭を打ち続けている。
出血も徐々に酷くなっていて、床も赤黒く染まりつつあるんだ。
僕だって慶やシリウスを信じたい。
猿渡「おい、誰がおかっぱ頭だって? こっちの手で鳴らしてやろうか?」
ぺっ!
猿渡の発言に対し、すかさず怜は奴のもう片方の手に唾を吹きかけた。
ぱきぱきと音が鳴り、彼の手は指を鳴らす形から動かなくなる。
猿渡「う、動かない…。これも知らない! 何をした!」
彼は焦って固まった手を必死に動かそうとしているけど、全く動く気配はない。
怜が使ったのは多分、凝結唾液だ。
これで少しは安全に話せる。さっきの怜の発言に対して僕は返事をした。
「僕だって信じたい! けど、こうしてる間にも日下部の身体は傷ついている。根拠のないものを信じて黙って見ている訳にはいかない! こいつを殺して彼にかかった術を解くんだ」
僕が怒りに任せてそう言い散らすと、彼は悲しそうな顔をして首を振る。
そして、少しだけ口角を上げて優しい笑顔を作った。
剣崎「“殺す”なんて物騒な言葉…。水瀬氏らしくないであるぞ。根拠は一応……あるのだ」
彼はそう言って、ある人物の方に視線を向ける。
剣崎「皇氏を見るのだ」
彼に言われるまま、僕は皇がいる方へ振り向いた。
いつの間に買ってきたのか、彼は2リットルのコーラとポップコーンを食べながら笑っている。
シリウスと猿渡の戦いに夢中になっていて気づかなかった。
剣崎「私は科学的根拠がないものはあまり信じない。しかし、彼の直感は科学的根拠並に信頼できると最近思ったのだ。それくらい良く当たる。彼が笑っている間は人が死ぬようなことは起こらないと思われる」
一理あるようなないような…。あぁ…、でもどんどん出血が酷くなっていく。
日下部の額から、血が流れてポタポタと地面に落ちていってるんだ。
怜はその様子を確認しながらも話を続けた。
剣崎「彼の笑いが止まるまで様子を見ないか? 君が彼を殺すと必ず罪が課される。まだそんなリスクを冒す段階ではないと思うのだ」
皇…、君を信じて良いのか? 君の直感にシリウスや日下部の命を託して良いのか?
彼は映画鑑賞しているかのように僕らのやり取りを眺めている。
皇「ヒャッハッハ! コーラが進むぜぇ♪」
信じて……いいのか?
剣崎「わかってくれて誠に嬉しい」
怜は何か勘違いしたのか、僕に向かって深く頷いた。
剣崎「共に見守ろう、共に信じよう! 日下部氏を、文月氏を………そして、皇氏を! みんなを信じるのだ!」
ちょっと待ってくれ! 僕はまだ何も言ってない! 僕のどこを見てそう思ったんだ?
剣崎「………よし、我々の陣地へ戻るとしよう」
彼はやや強引に僕の腕を引っ張って、皇たちが座ってる場所へ戻そうとしている。
そうか……。彼は信じているわけじゃない。僕に人を殺させないために身体を張って出てきてくれたんだ。
皇「危ない!」
自分の所へ戻ろうとする僕らに対し、皇は声を上げて持っていたポップコーンを袋ごと投げてきた。
床に塩味のポップコーンが散乱して僕らの足元にもいくつか転がってくる。
何するんだよ…。僕は少し不快な気持ちになり彼の顔をじとっと睨んだ。
皇の顔に、もう笑顔はない。
彼の意図に僕は気づく。
僕らに向かって投げたんじゃなかった。僕らを守ろうとして、反射的に猿渡のいる方向に向かって投げたんだ。
怜も僕を止めるのに必死だったんだろう。僕の腕を引っ張ろうとして猿渡の手を離してしまった。
解放された奴の指は今、鳴らされようとしている。
急いで走ってもシリウスの作ったオナラの領域には間に合わない!
でも、怜なら間に合うかも。唾液滑走の速さなら鳴らすよりも先に…!
だけど、怜は僕の前に立って盾になろうとしていた。
やめてくれ…。君をこんな目に合わせたのは僕のせいだ。君は逃げてくれ…!
そんなことを声に出して言える猶予すらもうない。
猿渡はニヤつきながら、自分の勝ちだと言わんばかりに指を鳴らした。
パチンッ
体育館内に響き渡るこの音を聞いて、思わず目を瞑る。
………。何も起こらない。
いや、何かが起こった実感がすぐに沸かないのはさっきと同じだ。
それに僕は守られてしまった。僕の前にいた怜がどうなったか…。
恐くて目を開けることができない。
シューーーーーー……。
耳を澄ますと聞こえてくるガスが抜けるような音。
ガス…? この音は………! もしかして…!
僕はガスの音に希望を抱いて目を開ける。
僕らの目の前にいたのは、お尻をこちらに向けているシリウスだった。
彼は腕を組んでオナラをしながら、猿渡を見据えている。そして、背中を向けたまま僕らに語りかけた。
シリウス「すまない…。僕のせいで君たちを危険な目に合わせてしまったね」
彼はそう言って、自身の額についている血を制服の袖で拭う。
シリウス「もう大丈夫。君たちの周りには相殺屁が漂っているからね」
彼の発言から、怜と僕はギリギリ奴の技から逃れられたということがわかった。
目の前にある彼のお尻からオナラが放たれたということも…。まぁ、無臭で無害だとは思うけど…。
復活した……というより、あの長ったらしく強そうな技を解かれた猿渡は絶望したような顔をする。
猿渡「おい……ありえねぇ。なんであれも効かないんだよ!」
焦りに焦っている様子の彼は、シリウスに向けて指を鳴らそうと手を出した。
しかし、そんな安直な攻撃をシリウスは決して許さない。
シリウス「蟲翬屁」
猿渡「うわあぁっ!」
突然、両耳を塞ぎ苦しそうにする猿渡。
新しい種類のオナラ?
シリウスはここから1歩も動いてない。猿渡のみに当たるようにしたのかわからないけど、彼は両方の耳を塞いだまま動けないでいる。
シリウス「ずっと塞いでたほうがいいよ。鼓膜が破れるかもしれないからね」
奴はいつも指を鳴らして技を出していた。多分、両手で耳を塞いでるうちは何もできない。
シリウスはそれを狙ったんだろう。まぁ、片方の手は凝結唾液で既に動かせなくなってるけど。
シリウス「宙屁・迅翼」
そして、宙屁の超速い版で耳を押さえてる猿渡に詰め寄った。
彼は奴の前に着地し、ポケットに手を入れて背中を向ける。
シリウス「君は凄かった。まだ憑かれてそんなに経ってないんだろう? それなのにもう力を使いこなし始めている。尊敬するよ、君には才能がある」
背中越しに猿渡へそう語るシリウス。
ちょっとかっこいいけど…。最後もオナラでとどめを刺すんだろうなと想像してやっぱりダサいと思ってしまう。
シリウス「でも、僕が憑いた本体を殺そうとしたこと……僕をニート呼ばわりしたことは許さない。
喰らえ__真の昏倒劇臭屁、10連発」
いや、それはちょっとかわいそう…。
確かに猿渡は悪い奴だけど、10連発はやりすぎだ。
しかも、“真の”ってことはもっと臭いってこと? 僕もたまたま嗅いでしまったことがあるけど、あれより臭いのを10回って…。
まぁ、いいか。僕も奴にはイライラしていたし、臭いオナラを嗅がせるくらいの仕返しならかわいいものだ。
シリウスは日下部の代名詞、昏倒劇臭屁を放とうとした。
今度こそはと思ったけど……また放てなかったんだ。
僕らは猿渡にばかり気を取られてうっかり忘れていた。
神憑が他にもいることを……。
彼は速かった…。いや、もしかするとテレポート? それすらわからない。
彼は日下部のお尻に手を当てて余裕の笑顔でこう言ったんだ。
「やぁ、久しぶりだね! シリウスくん?」




