生死の狭間 - 日下部 雅①
___日下部 雅。
僕の名前を呼ぶ声がする。
___日下部 雅、聞こえますか?
どうやら、僕は何者かに呼ばれているようだね。それはそうと、ここはどこだろう?
何も見えない、真っ黒な空間。その中に僕が1人、仰向けになって倒れている感覚だ。
僕はゆっくりと身体を起こして手足の有無を確認する。
ふむ、僕の身体は五体満足だね。そして、この場所はいったい…?
___………。おい、日下部 雅。
最後に覚えているのは、慶の言っていたスペシャルポテトを水瀬から受け取って食べたこと。
あれを食べて、気づけばここにいたんだ。
___おい、われ、何無視ってんねん! しばくぞ、コラ。
おっと、誰かが僕に用があるみたいだね。いきなりこんなとこに飛ばされたものだから…。
つい反応が遅れてしまったよ。だけど、姿が見えないね…。
「聞こえているよ、はっきりとね。恥ずかしがらずに出ておいで」
相手はきっとシャイな人なんだろう。僕は恐がらせないように優しい声で返事をする。
すると、彼は僕の前に何の前触れもなく唐突に姿を現した。
「君らと違って実体はないんやけど……これでええか?」
僕は少し驚いてしまったよ。いや、嘘だ…見栄を張った。
少しどころじゃない。途轍もなく驚いているさ。
僕の目の前に現れたのは、紛れもない……、
僕自身だったからね。
「何、じろじろ見てんねん」
僕の姿をした彼は、関西弁でそう言う。
ドッペルゲンガーかな? まぁ、口調は全く違うけどね。
自分に似た彼らを見ると死んでしまうと言われているけど…。僕はもう死んでしまうのだろうか?
ちょうど良い。彼本人に聞いてみればわかるだろう。
死の運命が頭をよぎる中、僕は恐る恐る真実を知ろうと彼に話しかける。
「君は、僕のドッペルゲンガーかい? 僕はもうすぐ死んでしまうのかな?」
僕の問いに、彼は首を横に振りかけてから縦に大きく振った。
何ということだ! せっかく慶と和解できたと思ったらこれだよ…。
ふっ…仕方ない。手荒な真似はしたくないんだけどね。彼が僕の命を奪うと言うのなら、僕もそれに抗わせていただくよ。
僕は背中を向けてお尻を突き出し、臨戦態勢に入った。
「悪いね…。僕はまだ死にたくないんだ。君には放屁を喰らってもらう。シリウス様の力を思い知るがいい」
「ちょっと待たんかい」
背中を向けて臨戦態勢に入ろうとする僕を、彼は動じることなく制止した。
「僕は君に憑いてる神や。多分、シリウスって僕のことやろ? 僕は君を殺そうとしとんやない。もうお迎えがこっちに向かってんねん」
………え、こんなのがシリウス様だって? 何てだらしないお姿なんだ。
今日から“様”をつけるのは止めよう。
シリウス「まぁ言うてまだ時間はあるし、僕は君を助けるつもりや。次、憑く奴探すのめんどいしな。ほな自己紹介といこか」
シリウスは一方的に自己紹介を始めようとしているけど…。とりあえず、その姿やめて欲しいね。
実体はないということは、なりたい姿になれるということ?
もしそうなら、ぜひ小柄でムッチリした可愛い女の子に……じゃなくて別の姿になってほしいね。
シリウス「僕は君に憑いてる神。名前って概念、こっちにないんやけど。まぁせっかく呼んでくれてるしシリウスで。今、関西弁に興味あって勉強中…。でも、やっぱり慣れないから普通に話すね」
彼は自己紹介の途中で、関西弁から標準語に切り替えた。
素晴らしい切り替えの速さだね。人間ならいきなりアクセントを変えるなんて不可能だろう。
まさに、これが神の力といったところか…。
こんな姿でも神は神だ。しっかりリスペクトしないとね。ここは僕も名乗るべきだ。
「僕は、日下部 雅。血液型は……」
シリウス「いや、ある程度わかるから言わなくていいよ。それにそこまで君に興味ないしね。黙って僕の話を聞いてほしい」
何だろう……話し方変わってから煽り性能高くなってる気がするんだけど…。
人の話は最後まで聞きなさいって神様の世界では習わないのかい?
1発、放屁を喰らわせようか? いや、これは彼自身の力。恐らく効かないだろうね。
シリウス「君を生き返らせる前にちょっと身体を借りたいけど、良いかな?」
いや、何されるかわからないから嫌なんだけど…。彼は人の身体乗っ取って、犯罪とかしそうな気がする。
「それは理由によるね。なぜかな?」
僕の問いに、シリウスは両手に腰を当てて得意気に答えた。
シリウス「あいつ……猿渡って奴を倒すためさ」
彼が言うには、やはり猿渡も神憑らしく、強大な能力を使えるらしい。
彼に憑いてる神は何と2体だ。正確な数え方は2柱。
“音に関わる神”と“階級に関わる神”が彼に憑いている。
ここで“関わる”と言ったのは、同じ音や階級の神にも色々いて各々、位というものがあるからだ。
“音を創った神”、“階級を創った神”なども別にいて、何かを創造した神はその分野の最上位に位置する。
こっちで言う、社長や部長、係長みたいなものだとシリウスは言っていた。
でも、対人間に力を使う際は、憑いている神の位はほぼ関係なく効きやすさや脅威の度合いによってその効果は変わる。
そして、同じ分野の神でも、その人の持つ性質によって能力は変わってくるらしいね。
「じゃあ、君はオナラの神ってこと?」
僕は最後まで話を聞いてから、率直な疑問を彼に投げかける。
シリウス「いや…、僕は力の神だ。君には手違いがあった」
本来、神が人に憑く際は、自身の力を人間の全身に注ぎ込むらしいんだけど…。
僕の場合は訳あって…、量が足りなくてお尻にしか力を注げなかったらしい。
普通、神憑の力は無限に使える。羽柴先生の紫死骸閃や猿渡の能力も全て無限にね。
だけど、僕だけは使えば使うほど身体に負荷がかかるんだ。お尻にしか注げなくて未完全だからだと彼は言う。
「なんでミスったんだい?」
シリウス「途中で邪魔が入ったんだ。この話はまた今度。今はそこまで話す余裕はないからね」
彼はそう言って、話を戻した。
さっき言っていた神の位の話。対人間に使う際は、大して位の大小は影響しない。
けれど、対神に関しては別だ。
基本的に位の低い方が不利で、大きな差があると全く効果を受けつけないなんてこともありえるらしい。
お尻にしか力を注がれていない僕は、2柱から完全に力を与えられた猿渡には太刀打ちできないだろう。
シリウス「だけど僕が君の身体を借りて、直接闘うなら話は別だ。幸い、奴に憑いている神の位は両方とも僕より低い。それに、“神の力を使う人間”と“自身の力を使う神”。どっちが勝つと思う?」
どう考えても神自身だろうね。ミスらない限りは…。君はどこか頼りない気がするから。
僕の命と、無理矢理従わされている僕の仲間を彼は助けてくれるというわけだ。
この話に乗らない手はない。
「お願いするよ、シリウス。どうか僕の仲間を助けてくれ!」
シリウス「任せてくれ、秒で終わらせる。何か質問はあるかい?」
彼はずっと一方的に喋っていた。ようやく僕のターンが回ってきたようだね。
ふっふっふ…。質問ならたんまりあるんだけど、時間もなさそうだし少しにしてあげるよ。
僕が聞きたいことは3つ。
「どうして、君たちは僕ら人間に憑こうとするのか。僕の死因は? そして、君は………女の子にもなれるのかい?」
シリウス「ど、貪欲だね……3つも…」
僕の質問責めに戸惑うシリウス。
むしろ、3つに絞ったんだ。感謝してほしいね。
彼は1つ目の質問に対して、小さく溜め息をついてどこか悲しげな笑みを零した。
シリウス「まず、1つ目…。まぁ、色々あってね…。あっちにいたくない神もいるんだよ。上から嫌がらせを受けたりとかね。後、単純にサボりたいとか」
そうか……向こうも大変なんだね。こっちで言うパワハラみたいなものかな。
後、サボりたいっていうのは……いわゆるニートってことかい?
シリウス「で、こっちに逃げてくるわけなんだけど…。それだけだと連れ戻しに来るから人間に自分の力を全部注ぐんだ。そうすれば、僕らはその人間が生きている間、力を失う。連れ戻しても何もできないから意味がない。かといって、力を勝手に注がれた人間を殺すわけにもいかないからね」
なるほど、よくわかったよ…。
僕のお尻は、君の“働きたくない”という身勝手な都合でこうなったわけだ。
後、気になるのは羽柴先生の言っていた神憑が呼び寄せるとされる災い。
彼は何か知っているだろうか?
「君たちに取り憑かれた人間は不幸を呼び寄せるって言われてるんだけど、心当たりはあるかい?」
シリウスは少し考えて、確信を持てない様子で答える。
シリウス「昔なら上がわざとそうして、逃げた神に罪悪感を与えて呼び戻したりとかしていたかもね。今はそんな過激なことはタブーになってるからしてないけど」
神憑の存在と近くで起こる災いは、関係ないということか。
これは羽柴先生に伝えたいね。でないと、どこかでまた神憑を殺しそうだから…。
1つ目の質問はここで終わり。
彼は2つ目の質問、僕の死因についてあっさりと答えた。
シリウス「2つ目は君の死因。毒入りのじゃがいもを食べたからだよ?」
慶…、君と僕の間には再び深い溝が出来てしまったようだ。
テロリストの君……僕を殺そうとした君……。
僕は向こう数十年、君を許すことはないだろうね。
そして、1番気にな……いや、割とノリ的な感じで聞いた3つ目の質問。
彼は不審な目で僕を見ながら答える。
シリウス「一応、なりたいものになれるんだけど…。君のリクエストには基本、応えないようにするよ…」
な、なんだって!? 人のお尻に勝手に力を与えておいて……なんだいその態度は。
僕の要望に少しは応えてほしいものだね!
シリウス「さぁ、そろそろ行ってくる。少し眠っていてくれ」
彼はこれから、僕の身体を借りて猿渡を倒しに行く。
彼の姿が消えると同時に、僕の意識もここで途絶えた。




