帰還 - 鬼塚 琉蓮①
2週間ぶりの学校だ…。ふ、不安だなぁ…。
ハワイから帰省したのはまだ昨日の話。僕は今、学校へ続く田舎道をてくてくと歩いている。
僕の家から学校は超近い。自転車すらいらない徒歩5分くらいの距離だ。
いつもは楽で良いなって思ってるよ? でもさぁ、今日は久しぶりの学校なんだ…。
ま、まだ心の準備が全然できてないんだよ! せめて自転車で30分くらいの猶予がないと僕には覚悟を決めることなんてできない。
嫌だなぁ…。
そんな僕の気持ちとは裏腹にもう校舎が見えてきた。行きたくないけど、僕の足は少しずつ前に進んでいく。
突然の決定だったから、僕が旅行に行くことは一部の友達にしか言ってない。みんな、僕のことなんて忘れてるんじゃないだろうか。
『ハワイ旅行券が2枚当たった。行くぞ琉蓮。明朝に出発だ』
2週間前のお父さんの発言で突然ハワイへ。高校生の僕と40代の父、2人きりの海外旅行。
覚えているのは、透き通った汚れのない海とその水平線に沈む夕陽。
『綺麗だ』
『うん……』
そのとき、ハワイで交わした最初で最後の親子の会話…。
正直、クソ気まずかった…。
いや、確かに海は綺麗だったよ。綺麗だったけれども…。
できれば、家族みんなで行きたかったなぁ。
気まずいけど美しかったハワイ旅行を思い返しているうちに……ついに来てしまった。
僕の前に圧倒的なオーラを放つ巨大な校舎が立ちはだかる。
嫌な汗が流れて、僕は固唾を飲んだ。
行くしかない…。行くしかないんだ…。
ここから逃げると、更に強大なお父さんと闘うことになるだろう。
校舎とお父さん…。強いのはお父さんの方だ。
僕は身に纏う恐怖を振り払い、ガクガクと震える足で校門を跨ぐ。
へっ…、お、校舎なんか、僕のお父さんの足の小指にも及ばない…!
そして、何とか正面玄関をくぐることに成功。
震えて上手く動かせない手で運動靴をロッカーにズボッとぶち込み、上の段にある上靴を引き摺り出すかのように取り出して足元に叩きつけてしまった。
誤解しないでほしい。決して怒っているわけじゃないんだ。緊張で手が震えて加減ができていないだけ…。
登校してくる人から見たら、僕は危なっかしい乱暴な奴に見えているかもしれない。
そんなことを思いながら、僕は上靴にぐりぐりと足を入れた。
雰囲気に慣れてきたのか、だんだんと汗や足の震えが収まってきているけど…。
それでも、まだ身体は重い。上靴に履き替えた僕は、自分の教室に続く階段をゆっくりと上っていった。
自己紹介が遅れてしまったね。
僕の名前は、鬼塚 琉蓮だ。
全く僕には似合わない…。誰にも負けることがない格闘家のような名前だけど、僕はそうじゃない。
身長が低いこと以外、何の特徴もない人間。強いて言うなら、生まれつきちょっと筋肉質な身体くらいか。
マジでこれ以上、言うことがない。
それくらい特徴がない人間だから、忘れ去られても不思議じゃないと思う。
もう教室の前か…。
自分のクラスのドアの前に立った僕は、開けるのを躊躇していた。
僕が学校に来たくない理由。
1つは、久々の登校で不安だから。
そして、もう1つは___
ここで突っ立っていても何も始まらないと思った僕は、意を決して教室のドアを開けた。
そこに広がる光景は、まるで地獄絵図のよう。
怒声や奇声とも取れるような複数の生徒の大声が教室内を反響している。
黒板には暴言や卑猥な絵・言葉などが書き殴られていて、それを見て下品な笑いを浮かべる生徒たち。
床にはお菓子の袋やジュースの缶などが散乱している。お酒や吸い殻のようなものもある気がするけど…。
そう…、僕が嫌なもう1つの理由。
___このクラスは荒れているんだ。
なんで、こんな偏ったクラス編成をしたのか疑問に思う。
とは言ってもみんながみんな、荒れている訳じゃない。中には普通の人もいるけど、僕と同じように何も言えないでいる。
そして、一通り見渡して気づいたんだけど…。
文月くんが…………いない?
なんでだろう? もしかして、ずっと休んでる?
まさか………イジメがあったのか?
彼は端正な顔立ちをしているから、嫉妬されて虐められたのかもしれない。
このクラスなら充分にありえる。いや、こんな状態で今までイジメが起こらなかった方がおかしいんだ。
どうしよう…。彼はこのクラスで唯一の友人だった。
僕にとって彼は、捨てられたゴミや廃棄物で汚染された大地に咲く一輪の美しき花。
この教室の最後の希望が潰えてしまった。
君がいなければ、僕は………僕は…………この教室で……………
ぼっちじゃねぇか、クソヤロー。
他の教室にいるだろって? いるけど、クソ遠いんだよ。行って帰ってくるだけで10分しかない休み時間はほぼ終わってしまう。
…………。
冷静になって僕ははっとした。
もし、イジメを受けて来れなくなったのなら、1番辛いのは文月くんだ。
これからぼっちで学校生活を送る僕より、イジメられて来たくても来られなくなった彼の方がよっぽど苦しいはずだ。
僕は何て最低な奴なんだ。先生が来たら彼について聞いてみよう。ただ、風邪をひいて休んでいるだけかもしれないし。
もし、イジメがあったんなら僕が仕返しを…!
いや……、僕にできるはずがないか。
そう思うと同時に、両手の拳の力が緩む。
「おはよう。君、ここの教室? 入らないの?」
そして、すぐ後ろから聞き覚えのない声がして僕は振り返った。
いつの間にか僕の後ろにいた彼は、とても爽やかな印象のある人だ。
制服をぴっしりと着こなしていて、髪の毛も程よい長さ。背筋もまっすぐ伸びていて優等生なのは間違いない。
僕のクラスの人たちとは正反対だ。
「あぁ…ごめん。邪魔だったね」
僕は割と長い間、教室の前で立ち尽くしていたみたいだ。
「いや、大丈夫だよ。入りづらい気持ちはわかる」
僕の返事に対して、彼は穏やかな笑顔で首を横に振りながら、握手を求めるかのように手を差し伸べてきた。
「僕は、景川 慧真。知ってるかもしれないけど生徒会副会長をやっている。君は?」
あぁ、確かに生徒会の人って感じがする。こんな人たちのいるクラスが良かったな。
「僕は、鬼塚 琉蓮。全然それっぽくないけど…。よろしく!」
彼の自己紹介に対し、僕も暗い声で名前を名乗る。名前の勇ましさと自分の風貌や人柄が伴ってないから普通に恥ずかしい。
だけど、彼は穏やかな表情を崩さず強く頷いた。
景川「良い名前だ! そんなことはない。琉蓮、君からは無限の力を感じる」
あぁ、なんていい人なんだ。こんな僕に気を遣ってお世辞を言ってくれるなんて。
お世辞ってわかってても嬉しいよ。
景川「訳あって今日からこのクラスで授業を受けることになった。今日からクラスメイトだ、よろしくな!」
ありがたいお世辞に続けて、彼はそう言った。
どうやら奇跡が起きたみたいだ。
あぁ、この世に神様がいるのならお礼を言いたい! 彼は、神様が僕に与えてくれた文月くん2号に違いない。
この荒れ果てた大地に再び一輪の花が咲いたんだ。
「よろしく、景川くん!」
僕は差し出された景川の手にそっと触れるような形で握手を交わした。
その瞬間、彼の顔色は今までとは打って変わる。彼は細めた目で僕のクラスを見ながら、優しく微笑んでいた。
景川「さて、このクラスをより良くしていこうか」




