歴史 - 水瀬 友紀③
僕は今、職員室に連行されている。全身から威圧を放つ村川先生の後をついていってる感じだ。
あぁ、最悪だ。なんでドアの前に? 僕を待ち伏せていたのか?
まさか、逃げるのわかっていた?
そもそも、これから説教される理由がわからない。さっき煽ったこと以外で心当たりがないんだ。
連行されているとは言っても腕を掴まれたりしているわけじゃない。
逃げようと思えば逃げられる。
怒られるような悪いことはしていないわけだし逃げてもいいんじゃないか?
運動は得意じゃないし、足だって特別速いわけでもない。でも、中年のおっさんには負けないだろう。
僕は村川先生の動きに注意を払いながら静かに振り返る。
バレてないのを確認して全力で走って逃げようとしたとき、こちらに歩いてきている1人の先生と目が合った。
優しい瞳、少し自信のなさそうな挙動。そして何故かサングラスを頭の上に掛けている。
彼は、小林先生。この学校……いや、この国の先生の中で1番優しい先生と言っても過言じゃない。
この学校の生徒みんなに親しまれていて“こばちゃん”と呼ばれている。
優しすぎて少し頼りない気もするけど、少しくらい弱さや隙を見せてくれたほうが安心したり心を開きやすかったりするものだ。
その先生が僕に対して、首を横に振ったんだ。僕が逃げようとしているのを察したのだろう。
なるほど、本当に優しい先生だ。
『逃げずに説教を受けたほうがいい。今逃げると明日、今日よりも更に恐い思いをするよ』
そう言ってくれてるような気がした。
僕は踵を返し、少し離れた村川先生に早足で着いていく。
覚悟はできた。僕は正面から恐怖を受けとめ、胸を張って家に帰るんだ。
あ、あれは……。
今度は前から辻本先生が歩いてきて、僕らとすれ違う。
一瞬、目が合った気がしたけど何かを察したのかすぐに先生は正面を向いた。きっと先生も村川先生のことが恐いんだろう。
辻本「おや? 小林先生、首元どうされました?」
すれ違ってすぐに、辻本先生の声が後ろから聞こえてきた。
小林「いやぁ、ちょっと寝違えたかもしれないです……。結構痛くて……」
あぁ、やっぱり帰りたい。
先生は僕に対して首を振っていたんじゃない。ただ、寝違えて違和感があっただけだったんだ。
結局、僕は職員室に連れられ、村川先生のデスクの前に座らされた。
どっしりと自分の席に腰を掛けた先生は僕に尋問を始める。
村川「お前、なんで呼ばれたかわかるか?」
あ、関西弁じゃない。これでも恐いけど、まだ返事はできる。
「いえ、見当つかないです」
村川「お前、嘘ついてんちゃうんか? 自覚あるやろ」
謝ることしかできなくなる最恐の関西弁で一気に畳みかけてきた。
僕の言い分を聞いてくれるのかと思ったけど、どうやら違うらしい。
「はい、すみません」
村川先生の関西弁の前では謝ること以外は許されない。
僕は必死に頭を下げる。
村川「謝ったっちゅうことはわかってんねんな?」
「はい、すみません」
先生だって長年の経験でわかっているはずだ。自分が関西弁を使えば生徒がこうなることを。
僕の身体は恐怖で震え、ダラダラと汗を流し続けた。
村川「怒らへんから自分で何したか言うてみ」
「はい、すみません」
先生……いや、この人がしているのは説教や叱責じゃない。
ただただ重圧をかけ続け、思考を奪い屈服させる。
村川「あ? いや、自分で言えって言うてんねん」
こんなこと先生のすることじゃない。許せない…。
「はい、すみません」
そうは思っても反抗することができず、頭を下げ続けるしかなかった。
しかし……、
村川「お前、舐めてるやろ」
「はい、すみま……」
このやり取りがエンドレスに続こうとしていたとき、村川先生の肩に手が置かれた。
世界最恐の関西弁を断ち切ってくれたのは吉波高校の校長先生。
とても痩せ細っていて心配になる細長い体型をした60歳前後の人。年相応にところどころ白髪が混じっている。
この人の目も小林先生と同じで優しい感じ。
校長先生は微笑みながら、おおらかな口調で村川先生を宥めた。
校長「村川先生、彼はふざけているのではありませんよ。先生の関西弁に恐がっているのです。話し方を変えてみてはどうでしょうか」
それを聞いた村川先生は、はっとした表情になる。
尋問みたいな感じであえて使っているのかと思っていたんだけど、自覚なかったのか。
村川「水瀬、それはすまなかった。先生は怖がらせる気はなかった。ただ自分で気づいて反省してほしかったんだ。ほら、怒らないから言ってごらん?」
そういうことだったのか。最恐の関西弁使わなければ、普通に良い先生じゃん。
でも、そんな引き攣った笑顔で言われても…。これはこれで怖いんだけど。
言ってごらんって……小学生じゃないんだからさ。
村川先生が関西弁を止めたことで、僕は息苦しさから解放された。
「あぁ、やっと話せる。いや、本当にわからないんです。なんで呼びだされたか」
でも、こういうのは自覚できたからと言っていきなり直るものじゃない。
僕が答えると、先生は背中を丸めて頭を抱え、黒目は大きく揺れ始めた。
村川「………。おま、君は……きみ…………うぅ、キ……ミ……?」
先生の心の中で標準語と関西弁が戦っているんだろうか?
その戦いに決着がついたのか、先生は頭をスッと上げて僕を睨みつけた。
村川「お前、儂を舐めとんのか?」
ほら、言わんこっちゃない。
すぐに直ったら苦労しないよ。勝ったのはやっぱり関西弁の方だった。
「はい、すみません」
校長「こらこら」
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村川「この写真、見たらわかるか?」
村川先生は1枚の写真をデスクの引き出しから取りだして僕に見せてきた。
その写真に写っていたのは見覚えのあるボロボロの軽トラックだ。
肝心なことを忘れていた。この軽トラを持ち主の許可なく勝手に運転して壊してしまったことを…。
鬼ごっこが終わったら元の場所に返すつもりだったんだ。理由はどうであれ持ち主に謝らないと。
呼び出された理由がこれなら、説教されても文句は言えない。警察に事情を説明することとや、被害届を出すことを忘れた僕にも非がある。
校長「水瀬くん、僕も君に話があるんだ。帰るの遅くなっちゃうけど、どうしても聞いてほしい。村川先生の話が終わったら校長室に来てください」
後ろで腕を組み、柔らかい表情で校長先生はそう言う。
校長先生も僕に話が? でも、この様子だと説教じゃなさそうだな。
「わかりました」
僕が軽く頷くと、校長先生はニコリと微笑み職員室を出ていった。
職員室のドアが閉まるのを確認してから、僕は村川先生に向き直る。
軽トラのことについて、先生には一部始終、正直に話した。
「……ということがあったんです。とにかく持ち主に謝らないと…。誰かわかりますか?」
村川先生は大きなため息をつき、少し間を置いて答える。
村川「あれ、儂の愛車や」
何……だと……? こ、こ、殺される…。
「でも、あんなところに置いてたら捨てられてるようにしか見えないですよ!」
予想外の返事に僕は取り乱し、思わず世界最恐の村川先生に言い返してしまう。
思っていたより懐が深いのか、先生は眉を少しひそめただけで怒鳴ってくることはなかった。
村川「いや、近くで釣りしててん。けど、釣り針が何か重たいものに引っかかってそのまま儂ごと引きずり込まれて流されたんや。惜しかった、あれは絶対大物やった。ワンチャン、ワニやったんちゃうかって思ってる」
目を見開き、身振り手振りで話してくれてるけど……。
それ多分、僕が水圧で故障させた慶の鬼だと思う。ワニと勘違いする気持ちは何となくわかるけど。
てか、これだけ聞いてると村川先生の関西弁にも慣れてきたな。
まだ身体にビリビリ来るものがあるけど、普通に話せるようになってきた。
村川「何かいきなり臨時休校になって久しぶりに釣りにでも行くかってなってこのザマや。後でうちの学校の生徒がテロやったて聞いてビックリしたわ」
鬼ごっこで生徒が人質になってることを知らなかったのか。まぁ、無理はない。全く報道されてないんだから。
鬼ごっこ初日に出勤してなかった先生たちは知らなかったのだろう。
「本当に申し訳ないです。テロに巻き込まれていたとは言っても許可なく持ちだして壊してしまったのは事実です」
村川「いや、ええねん」
頭を深く下げて謝った僕に対し、先生は首を大きくゆっくりと横に振る。
村川「もうボロボロやったからな。ちょうど買いかえよう思ってたんや。お前らが無事だったんならそれでええ。お前には反省してほしかっただけなんや」
ずっと怖いとしか思ってなかったけど、根は生徒想いな先生なのかな。
てっきり莫大な賠償金とかを請求してくると思った。
自分の車を壊されて、感情的にならずに相手を思いやれる人って中々いないと思う。
説教の内容はそれだけだったみたいで、話が終わると僕はすんなり解放された。説教長時間コースは杞憂に終わったんだ。
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村川先生の説教が終わって僕は校長室に向かった。
思ったより長くはならなかったけど、もう窓に夕陽が差してくる時間帯だ。
コンコンコン
「失礼します」
3回ノックして挨拶をしながらドアを開ける。開かれたドアの先には、少し真剣な顔をしている校長先生が手を組んで座っていた。
校長「来てくれてありがとう。村川先生との話の後で疲れてると思うんだけど少し聞いてほしい。水瀬くんに頼みがあるんだ」
頼み? 学校行事とかかな? あまり引き受けたことなかったけど、今年はそういうのにも積極的に参加するのも良いかもしれない。
内申点アップのために…。課外活動をしていれば大学受験も有利になるだろうから。
僕は胸を拳でどんと叩いて勢いに任せて返事をしてしまった。
「僕で良ければ引き受けますよ! 何でもおっしゃってください」
先生は真剣な顔のまま、眉1つ動かさない。
校長「自信のある返事だね。先生は心強いよ。実はね………」
校長先生の長いお話マンツーマンバージョンが終わり、僕は校長室を後にした。
村川先生の説教なんて比じゃないくらい長引いたな…。
校長室に入る前に差していた夕陽はどこにもなく、学校は消灯時間を迎えて校内は真っ暗になっている。
それに、何が学校行事だって? 校長先生が僕に頼んだことは、そんな生易しいものではなかった。
この学校、思っていたよりヤバい状況にある。
引き受けたくないとか面倒くさいとか言ってる場合じゃない。
一刻も早く探さないと……。
____彼らのような能力を持つ人たちを。
今日はみんな帰ってしまっている。明日からだ。
校長室を出て階段を降り、下駄箱のある正面玄関へ。
……ん? 暗くて見えづらいけど誰かいる?
薄暗い中よく目を凝らすと、下駄箱に腕を組んでもたれかかっている人影が見えた。
現在、夜の8時前後。こんな時間に彼は何をしているんだろう?
もしかして、僕に用があるのか?
その人影は僕に気づいたのか、下駄箱にもたれるのを止めてこちらに身体を向けた。
外も暗くて学校の電気もほとんど消えている。この距離では誰かわからない。
??「よぅ、水瀬。校長と何を話してた?」
この声は…。
確か慶といつも連んでいた皇尚人か?
皇「機密ではないんだろぉ?」
彼はポケットに手を入れ、ニヤニヤしながらこちらに歩いてきた。
僕と彼はあまり面識がないため、敵か味方かわからず反射的に後ずさる。
「機密ではないけど、みんなを不安にするからあまり言いふらさないようにと言われてる」
彼は警戒されているのを悟ったのかこちらへの歩みを止めた。
皇「まぁ、だいたい察しはつくけどな。協力するぜ。良い戦力になる奴を知っている」




