雲泥万里 - 水瀬 友紀㊿
ーー
姫崎「すぅーっ…………はぁーー…………」
例を見ない最強格の神憑、興禅立休を前に深く呼吸する姫崎雛。
彼女は“気”という概念を軸に戦う鬼炎拳の使い手だ。
先の呼吸は、自身の“気”を極限にまで研ぎ澄ませるためのもの。
深手を負った友人を守るべく、彼女は興禅に向かって駆け出した。
ーー
凛と立つ興禅に対し、荒々しい覇気を纏って奴に迫る雛さん。
彼女の殺意や怒りが、この空間に浮かび上がった映像越しにも伝わってくる。
剥き出しの殺意に、直線的な動作。
武術を知らない僕でもわかる。彼女はただ真っ直ぐ走って奴を殴ろうとしているんだ。
ダメだ、雛さん。わかりやすい動作、それは1番やっちゃいけない。
奴は指1本動かすことなく能力を発動させる。奴が辺りを光らせたら最後…。
読まれやすい動き、直線的なコース。
荒々しく迫る雛さんに対し、微動だにしない興禅。
雛さんの身体を貫く一筋の光が、映像を白く包み込んだ。
音も動きもなくただただ眩い静かな攻撃──。
何処か品のあるその攻撃は、吉波踊りを破壊し人々を血祭りに上げたもの。
心は絶望の色で染まる。
僕は雛さんの死を悟った。
だけど、なんでだろう。心の何処かでは彼女は生きていると思っている。
“思いたい”のではなくそう感じている。
根拠はない。だけど雛さんは強い。
そして、辺りが光に包まれる瞬間…。
バキッ!
映像が僅かに揺らいだんだ。
映像越しに響く鈍い音と同時に晴れる光景。
雛さんの拳は興禅の頬にめり込んでいた。
後方に大きく吹き飛んだ興禅の身体は、死体の上に転がる。
興禅『ズレた…?』
奴はぼそっと呟きながらうつ伏せに倒れた身体を両手で支えて起こそうとするけど…。
間髪入れずに間合いを詰めた雛さんがそれを許さない。
起き上がろうとする興禅の坊主頭を鷲掴みにした彼女は、死体の隙間に見えるコンクリートの地面に奴の頭を叩きつけた。
ドガ──!
一度とは言わず二度、三度……奴に対する怒りのままに。
しかし…。
姫崎『…………!』
何かを察した雛さんは飛び退いて距離をとるも…。
グシャ…
ほとんど同じタイミングで光る一筋の閃光が彼女の肩を抉った。
姫崎『あ゛ぁっ……!』
抉れた肩を押さえて呻る雛さん。
そして、彼女が地面に足を着いたと同時に更なる幾本の閃光が奔る。
今度は彼女の左の脇腹、右の脹ら脛、そして頬が抉られた。
正円の型でくり抜かれたかのように…。
興禅立休、あの閃光は全部奴の攻撃だ。
だけど、奴は顔面が血塗れで倒れたまま動いていない。
慶の言っていたことを改めて理解した。
奴は能力の発動に特定の動作を必要としない。
姫崎『う゛ぅっ……!』
激痛に堪えるために歯を食いしばる雛さん。
彼女から滴る血が薄黒い死体を鮮やかな赤に染める。
興禅『おかしい…。何かがチガウ…』
奴も今のでかなりのダメージを負っているはず。震える両手で身体を起こそうとしているけど上手く立ち上がれないでいる。
姫崎『う゛あ゛あ゛ぁぁぁ……!』
そんな奴に対し、雛さんは雄叫びを上げながら駆け出した。
興禅『うぅ…、上手く動かせない』
起き上がることはできず、顔を上げる興禅。目は瞑ったままだけど、傷だらけになった顔は雛さんの方に向いている。
雛さんを認識しているのは間違いない。
「ダメだ…! 雛さん!」
気づけば映像に向かって叫んでいた。
奴はどんな体勢、どんな状態からでも能力を使える。閃光による攻撃、その速さも光と同等と考えて良いだろう。
とどめを刺すチャンスだと思っているのならそれは違う。恐らく相手を認識できていれば、たとえ満身創痍でも光を繰り出せる。
映像越しに発した声が雛さんに届く訳もなく、彼女は顔を上げた興禅の目の前で、足を真上に振り上げながら跳び上がった。
浮いた彼女に対し放たれる幾本の閃光。
どんなに身体能力が高くても空中ではあれを避けられない。
だけど、また揺らいだ。
今度はさっきよりも大きく…。
『人間には、彼女が跳んだように見えますか?』
人工知能のFUMIZUKIが無機質な声で疑問を口にする。
質問の意図がわからない。見えるも何も彼女は跳んで光に射貫かれた。
それが実際の映像だ。
僕と同じくわからなかったのか、誰も彼の問いに答えない。それどころじゃないってのもある。
興禅『ん…? 死んだ?』
誰も話さない中、FUMIZUKIは続けてこう言った。
『彼女はいま跳びました』
その無機質な声と共に、揺らいでいた映像が鮮明になる。
足を真上に振り上げて、興禅を睨み下ろす雛さん。
傷は増えていない。今の攻撃を躱したのか? どうやって?
姫崎『気功崩壊・地獄落とし』
ドゴオォォ──!
映像が鮮明になった瞬間、雛さんは踵を勢い良く興禅の脳天に振り下ろした。
コンクリートの地面には奴の頭を中心に亀裂が入り、心なしか映像が揺れたように感じた。
興禅に起き上がる気配はない。
地面が割れるほどの大技が完全に入った。生身の人間なら死んでもおかしくないし、少なくとも失神はしているはず。
そういうレベルの威力だ。
倒したのか…? あんな奴を……たった1人で……?
ほっとした自分が情けない。
考えたり助けに行く猶予もなく…、ただ安全なこの場所で僕は一部始終を見届けることしかできなかった。
獅子王「た、倒した…?」
日下部「…………みたいだね」
驚きと安堵、その両方が2人の表情からわかる。
新庄「これで……終わったのか? あの子はいったい…」
それは他のみんなも同じだ。
だけど、安心するのはまだ早い。
「慶、2人とも満身創痍だ。早く治療しないと」
文月「そうだな。ひとまず2人をこちらに…」
スマホを操作し始める慶。
もう脅威は去ったんだ。
『ひ、雛……ごめんね。私のせいで……』
姫崎『うちは……大丈夫………。自分の心配だけ………すれば良いと思う』
倒れた興禅に背中に向けて、負傷した雛さんは謝る友達にそう言った。
ふくらはぎから血を流す足を引き摺りながら雛さんは、彼女の元へ向かう。
2人とも限界だ。憔悴しきった顔が物語っている。
文月「“RealWorld”始動。2人をこちらに…」
慶の言葉を遮るかのように、映像が光に包まれた。
そして、嫌というほど鮮明な映像が浮かび上がってくる。
『い、嫌…』
身体中、穴だらけになった雛さん。全身から血が噴水のように流れ出す。
姫崎『“気”が……ゴポッ』
口から大量の血が漏れ出す彼女は、絶望し涙を流す友達の前で倒れた。
“脅威は去った”だって?
認識が甘かった。
生身だろうが何だろうが、奴は強さカンストの神憑だ。
興禅『ん? 普通に当たったぞ。この女、よくわかんねぇなぁ』
平然と起き上がる興禅。
あれだけ殴ったのに、顔の傷が治ってる…。
文月「クソッ……クソッ……!!」
スマホを持つ慶の手は震えている。
その手がぼやけて見えるのは、涙が止まらないから。
「慶…、頼む……あいつを……殺させ………」
文月「“RealWorld”始動…! 2人をこちらに…、転送する…!」
彼の涙ぐんだような声が、この空間に反響した。
スマホを強くタップする慶。
映像に映る雛さんと友達はすっと消えて、真っ暗なこの空間に現れた。
錆びた鉄のような匂いが鼻をつんと刺激する。
文月「姫崎っ…!」
雛さんに駆け寄る慶の目には涙が浮かんでいた。
そしてうつ伏せに倒れた彼女の身体を上に向け、注射器の針を首元に通し赤い液体を投与する。
文月「水瀬、彼女にも万能薬を…! 針は何処に刺しても良い」
僕は彼に言われるままに注射器を受け取って、雛さんの友達の元へ。
「うっ…」
身体に複数の穴が空いていて息が浅い。
何も考えず……いや、何も考えないように……僕は彼女の肩に注射針を突き立てて赤い液体を投与した。
徐々に塞がっていく空いた穴、落ち着いた呼吸音。
彼女の身体が快復に向かっているのがわかる。慶の薬がなければ、こちらに転送するのが遅れていたら、命を落としていたことも…。
「うぅ……ここは……」
意識を取り戻した彼女は横になったまま辺りを見渡した。
「ごめんなさい…」
そんな彼女に、僕は謝っていた。
助けに行けなかった不甲斐なさ、痛々しい彼女の容態から目を背けそうになったことへの罪悪感が相まって…。
「文月くんの………友達? 痛くない……治ってる……。助けてくれたの? 超能力?」
まだ全快ってわけじゃないのか、雛さんの友達は弱々しい声でそう言ってニコリと微笑んだ。
違う…、違うよ。
僕は誰も助けてなんかない。
僕が…、僕が気を抜いてたばかりに皆を死なせてしまったんだ。
助けに行くのを躊躇している間に、生きていたあの人も殺された。
助けたんじゃない。僕の優柔不断がみんなを殺したんだ。
「僕は何もしてないよ…。何もできずに大勢が死んだんだ…」
微笑む彼女の前で、僕は熱くなった目頭を手で覆った。
「でも、私と雛は生きてる。ありがとう」
温かい言葉が胸に突き刺さる。
こんな優しい人までも危うく死なせてしまうところだったのか。
「…………」
戦わなくちゃ…。
たとえ手足が吹き飛んでも、地べたを這いずり奴を仕留める。
もうこれ以上は殺させない。
「ありがとう」
僕は彼女に礼を言って、慶と雛さんが居る方へ振り向いた。
姫崎「すう゛ぅぅぅ!! すう゛ぅぅぅ!!」
文月「姫崎、どうした!? まさか副反応か?!」
え、いったい何を…?
仰向けに倒れたまま、目を見開きタコみたいな口で慶の胸ぐらを掴んでいる雛さん。
ドスの利いた低い声で独特な叫び声を上げながら、頑張って上体を起こそうとしてるように見える。
一言で言えば、異様な光景。
傷は塞がってるみたいだけど、雛さんの挙動がおかしい。
これは万能薬の副反応なのか…?
ーー
希釈している万能薬を投与された姫崎雛が起こした異常行動は、副反応によるものではない。
快復し意識が戻った彼女は、傷が塞がったことを知らずに死を悟っていた。
直に死を迎えるといった状況下で自身を覗き込む者が居るかと思えば、それは思いを寄せる文月慶ではないか。
姫崎(文月が満身創痍のうちを見て泣いとる?)
潤う彼の目を見て、彼女は思った。
やはり自分は死ぬのだと。
姫崎(あかん、死ぬ前に告白や…! 後どうせ死ぬんやからチューもしとけ!)
姫崎雛は最期の力を振り絞り(そのつもり)、文月の胸ぐらを掴んで自身の元へ引き寄せようと試みた。
告白と口吻。
刹那の時間で同時にそれらを遂行しようとした彼女は──。
姫崎「すう゛ぅぅぅ!! すう゛ぅぅぅ!!」
こうなった。
文月「姫崎、どうした!? まさか副反応か?!」
姫崎(“す”は言うた! 後は“き”だけ…!)
ただただ副反応を懸念している文月に、姫崎の好意が伝わるのはかなり先の話になるだろう。
ーー
姫崎「すう゛ぅぅぅ!! すう゛ぅぅぅ!!」
雛さんの独特な叫びが止まらない。
まずい、こんな時に副反応が…。
僕が見たのはもっと強烈なやつだったけど…。雛さんはただ発作を起こしているって感じだ。
そして…。
「ひ、雛…! 生きてるよ! 私たち助けてもらったの!」
姫崎「すっ…!」
彼女の呼びかけで、何か止まった…。
姫崎「生きとる? ホンマや、傷治っとる」
仰向けに寝たまま自身の身体を触り、驚嘆の声を上げる雛さん。
文月「大丈夫か? 具合が悪いなら言ってくれ」
姫崎「いや…、さっきのはナシで…。治療したのなら先に言ってほしい」
身を案じている慶に対し、彼女はばつが悪そうにそう言う。
パニックにでもなったのかな?
無理もない。
転がる死体の中で奴とやり合ったんだ。
「慶、戦うよ。もう四の五の言ってはいられない。奴を止めないと…」
僕は慶に外へ出すよう再び提案した。
文月「見てわかっただろ。負けるぞ、もっと悲惨に…。気づけば穴が空いている」
日下部「だからと言って籠もることもできなくなった。残されたのは究極の2択だよ。空間でやるか現実でやるかのね」
日下部の言葉に、慶は黙り込んだ。
新庄「出せよ、テロリスト。奴はぶっ飛ばさなきゃならねぇ」
姫崎「うちも、もう1回…。次も仕留めるから」
このまま隠れていられないのは慶もわかっている。
琉蓮を見つけてこっちに来てもらう前に、奴がここに気づく可能性も充分にある。
問題は、奴を相手にどう戦うか。
慶が俯いて黙り込んでいるのは、きっと勝つための作戦を考えているから。
獅子王「行くしかない……か」
朧月「うん…………」
的場「じ、銃があれば、あんな雑魚余裕じゃ」
戦う意志を口にする“BREAKERZ”。
心の底にある恐怖を殺して覚悟を決めるんだ。
それでも沈黙を貫く慶。
新庄「おい、何とか言ったら…」
『不意打ちならば』
無機質な音声が、痺れを切らした新庄の言葉を遮る。
姫崎「むっ、何やつ?」
「え、なになに?」
突然聞こえた聞き覚えのない声に戸惑う彼女ら。
人工知能の“FUMIZUKI”。
彼はこう続けた。
『不意打ちならば勝機はあると。文月はそう言いました』
文月「不可能だとも言ったぞ。奴には死角がない。話は最後までインプットしろ」
FUMIZUKIの発言に、呆れた顔で溜め息を吐く慶。
『話も先の戦闘も漏れなくインプットしているつもりです。完全な不意打ちが決まれば殺せるかと』
文月「だから、その不意打ちが…」
慶はそこまで言って、顔をぱっと上げた。
文月「あぁ、決まればな」
なんだ? 何か良い作戦を思いついたのか?
彼は戦う覚悟を決めた僕らにこう言った。
文月「行きたい奴は全員行け。やりたいように戦え。ただし、即死は絶対に許さない」




