吉波踊り - 水瀬 友紀㊽
笛、三味線に平太鼓。
これらの楽器で演奏される吉波踊りの音頭と、盛り上がる大勢の人の声で祭りの会場は賑わっていた。
僕らもその大勢の人の中に居る。
吉波踊り、お盆に僕らが住む県で開催される一大イベント。
この日だけ、祭りの会場となるこの場所は大都会に変貌する。というのも、人の数が尋常じゃないんだ。
県内外問わず人気のある盆踊り。色んな所から多くの人がこの場に集まってくる。
普段は寂れている商店街、通行止めの二車線の国道にそれを跨ぐ歩道橋。どこを見ても人で埋め尽くされている。
剣崎「たこ焼きは……たこ焼きの屋台は何処であるか?」
日下部「これだけ混み合っていると何も見えないね。だけど大丈夫、その内見つかるさ」
人混みに揉まれながらも僕らは前に進んでいた。
これだけ溢れていちゃ、定番の屋台を見つけるのも一苦労だ。
獅子王「都会だ、人が前に進まないタイプの…」
“祭りの時だけ大都会になる”。
そう言ったのは陽だった。
「前に進まないタイプ?」
獅子王「都会に住んでいる人はこういうのに慣れてるんだ。だから混み合っていても、皆がスムーズに動くから割とすいすい行けるんだけど。たぶん慣れてない地元の人たちが足を止めてる。まぁゆっくり回りたいっていうのもあるのかもしれないけど」
そう聞いた僕に、彼はすらっと答えた。
確かにいつもこんな感じなら、みんな阿吽の呼吸で避けたり譲ったりできるようになるのかな。
文月「こんな騒々しい所をゆっくり回りたい……か。僕は今すぐにでも帰りたいんだが」
特別な刑務所で過ごしている慶が、不機嫌そうに愚痴を零した。
彼は祭りの会場に来た時から、ずっと帰りたそうにしている。
刑務所に収監されているとはいっても、最近は監視が緩くなったのか通学や帰省、外出とかも許可されているらしい。
高校生最後の夏だし、せっかくならと思って慶も誘ったんだ。
文月「もう良いか? そろそろ帰りたいんだが」
吉波踊りを見に来て1時間くらいかな。彼は同じ事をロボットのように繰り返している。
「まだ1時間くらいしか経ってないよ」
文月「“1時間も”の間違いだろ」
とにかく早く帰りたいみたいだ。
まぁ、僕も祭りとかそういうイベントがめちゃくちゃ好きかと言われるとそうでもないんだけど。
さっきも言ったように高校生最後の夏だから、思い出として皆と行きたいなと思ったんだ。
日下部や怜はそこそこ楽しんでいる。
陽も気になる屋台を見かけたら並んで買ったり、道端で色んな会社やグループがやっている吉波踊りを見に行ったり、結構自由に動いている感じだ。
彼らとは対照的に、終始機嫌の悪そうな慶とあともう1人は…。
新庄「あぁぁ!! クソッ!! ミスったあぁ!」
金髪で不良っぽい雰囲気の新庄。彼はスマホを片手に頭を抱えて夜空を見上げた。
彼はどうやっても黒に染まらない金髪のせいで、結局1年くらい停学になっている。
金髪で停学中なんて聞くととても素行の悪い不良生徒なのかって思うけど、新庄は優しくて情に厚い人だよ。
彼にも声を掛けたら二つ返事で来てくれたんだけど、会場に着いてからずっと自分のスマホでゲームをしている。
「新庄、ぶつかるよ」
新庄「悪い、剣崎! 話は後にしてくれ!」
名前は間違えられたまんま。学校で話さないから、なかなか覚えられないんだろう。
みんな、それぞれ違う楽しみ方をしている。あ…、1人を除いて。
集まってはいるけど、まとまってはいない。
何かまさに“BREAKERZ”って感じがする。
僕はというと…、楽しんではいるよ。
だけど今は8月半ば、夏休みも後半に差し掛かっている。まだ終わっていない宿題が脳裏にチラつくんだ。
終わるかな? いや、終わらせないと。
夏休みが終わればいよいよ大学受験も現実味を帯びてくる。
みんなと屋台を回って吉波踊りを見て楽しい気持ち。
全員とは行かなかったけど怜たちが来てくれて嬉しい気持ち。
宿題や進路に対して焦る気持ち。
そして…。
高校生活ももうすぐ終わる。
進学したり就職したり、県外に行ったり…。
みんなバラバラになるのかな。
そんな風に考えてしまって、切ない気持ち。
色んな気持ちが、喧騒や吉波踊りの音頭に呑まれていく。
県内最大のイベントと言っても過言ではない吉波踊り。
県民全員がとは行かなくてもほとんどの人が、ここに足を運ぶだろう。
もちろん、吉波高校の生徒たちも。
琉蓮も家族と来るって言ってたし。
日下部「あぁ、残念。ここは有料席みたいだね。事前に予約してチケットを買わないとダメみたいだ」
事前予約必須の有料席、桟敷席って言うらしい。
道端で踊っている人たちとは別の、本格的なプロのグループ。
彼らプロの踊りが見える席。
大きな公道の両端に設けられた華やかな桟敷席から、その道で踊るプロの吉波踊りを観覧する。
確かそんな感じだった。
子どもの頃、両親と一緒に桟敷席で見た覚えがあるんだ。
「君たち、高校生?」
桟敷席の入口前で居ると、警備員のおじさんが声を掛けてきた。
日下部「はい。予約しないといけないの知らなくて…」
「空いてる席もあるし、こっそり入って見ても良いよ。おじさんが通したっていうのは内緒ね」
残念そうに答える日下部に、おじさんはにっこりと笑ってそう言った。
日下部「あ、ありがとうございます! みんな、見ても良いってさ!」
おじさんに目いっぱい頭を下げる日下部。
おじさんの厚意もあって、僕らは桟敷席で踊りを見れることになった。
階段を上り、桟敷席に着く僕たち。
見晴らしの良い特等席から見えるプロの吉波踊りの迫力に、僕らは惹きつけられた。
伝統芸能に興味があるのかというとそうではない。だけど、直感的に思ったんだ。
“キレイだ”って。
新庄も慶も、この時ばかりはじっと彼らの踊りを眺めていた。
__________________
文月「まだ帰らないのか? 君たち普通の高校生とは違って、僕はやることが山ほどあるんだ」
桟敷席から降りて開口一番、彼は皮肉たっぷりにそう言ってきた。
吉波踊りの夜はまだまだ続く。
“阿呆な人間たちは力尽きるまで踊り続ける。そして端から見る人間も同じく阿呆の集まり、その踊りが終わるまではしゃぎ回る。それは何故? 何のために身を削って踊り続けるのか。誰が考えても答えは見つからない。人間は皆、例外なく畏まった阿呆な動物だからだ。ならばいっそ老若男女もろども踊り狂おうではないか。真理を追う阿呆は馬鹿を見る。阿呆は阿呆なりに面白おかしく死ぬまで踊っていれば良い”。
これが吉波踊りのルーツ。
このルーツに従って、彼らはお盆の間、昼夜問わず休みなく踊り続けるんだ。
まぁシフト制とかで交代しているとは思うけど、僕らの夏祭りはお盆の間、24時間営業ってわけ。
だからといって、僕らも朝まで居る気はない。頃合いを見て帰ろうと思っている。
スマホの時計はちょうど22時を指している。
慶じゃないけど、そろそろ帰ろうか。あんまり遅くなると母さんも心配すると思うし。
「確かに、もう結構遅いかも。そろそろ帰ろうか。終電逃したらまずいし」
“終電”…。自分で言ってて思うけど、こんな単語まさに今の時期にしか使わないと思う。
僕らは今日、1日数本しか出ない汽車に乗ってここまで来た。
電車が全く普及していないのは、うちの県くらいだろう。
“汽車”というのはたぶん方言だと思う。実際に走っているのはディーゼル車だ。
その“汽車”を1本逃すと1時間遅れは覚悟しないといけない。
獅子王「確かに。そろそろ帰ろっか」
日下部「一通りは回ったしね。後はこの人だかりを上手く掻い潜れるかどうか…」
新庄「何だかんだ、楽しかったな!」
みんな差はあれど、吉波踊りに満足しているみたいだ。
やっぱり来て良かった。
楽しそうなみんなの表情も相まって、僕は改めてそう思う。
帰ったら宿題だ…。いや、その前にちゃんと乗り間違えずに家に帰らないといけない。
そもそも乗れるかな?
いつもはガラガラだけど、行きは吉波踊り目当ての人たちで詰め詰めの満員だった。
帰りも同じようにたくさんの人が乗るんじゃないか?
「よし、帰ろう。えっと…、駅は確か…」
文月「はぁ……こっちだ。早く帰るぞ」
満員の汽車にちゃんと乗れるのかという不安を胸に駅を探そうとしていると、慶が溜め息混じりにそう言って、人混みを掻き分けながらスタスタと歩いて行った。
彼に続くように僕らも着いていく。
この時感じていた僕の不安、それは“ちゃんと家に帰れる”かという些細なものだった。
吉波踊りは僕が生まれるずっと前から毎年開催されている伝統芸能だ。
中止せざるを得ない大事故や事件が起こったなんて話、今まで一度も聞いたことがない。
だから…。
警戒なんてしていなかった。
するべきだったと言われればそうなんだろう。
だけど…。
高校生最後の夏休み。
良い思い出になればと思って、此処に来ただけなんだ。敵を迎え撃つために来たわけじゃない。
それに、あれは…。
警戒していたら防げたものだったのか…?
「フヒヒ……」
急ぎ足の慶を焦り気味に追いかけている最中…、会場は一瞬にして眩い閃光に包まれた。
“ピカドン”。
つい最近、道徳の授業で聞いた言葉。
昔、原子爆弾を落とされて生き残った人たちがそう呼んだんだ。
閃光を目の当たりにして、その言葉が脳裏に浮かぶ。
ただただ眩しかった閃光に暗い赤が混ざったように見えたのはほんの一瞬。
僕の頭は目の前に広がる光景を理解しようとしているけど、思考が追いつかない。
ドス黒い血の海、転がる無数の死体。
この最悪な光景をなんと表すのが適切なのだろうか。
この一瞬で全滅したのか、賑やかな声や音楽はいっさい聞こえてこない。
辺り一帯そこら中でグチャグチャになった大勢の死体を見て、僕はただただ絶望するしかなかった。
遅れてやって来る腹部の激痛。
腹に空いた正円の穴から血液と共に桃色の腸が零れる。
運が………良かった……のか?
周りは即死と考えたら…。
嫌だ………死にたくない…………。
倒れる直前、朦朧とする意識の中で僕は視た。
夜闇で異彩を放つ金糸雀色の浴衣。
「フフヒヒ…………フヒャハハハハァ♪」
そこら中に転がる無惨な死体の真ん中で、目を瞑ったまま嬉々として嗤う坊主頭の高校生を──。




