最期の夢 - 興禅 立休①
どうしてこんなことになったんだろう?
病院のベッドに寝かされてから何年経った? 最後に目を開けたのはいつだったっけ。
『普通に暮らしてたらもう高校生』
お見舞いに来た母さんがそう言っていた。
世間は夏休みの中盤、ちょうどお盆に差し掛かる頃。この時期が来ると、僕はあの時のことを思い返す。
ちょうどこの時期、炎天下でやる野球部の練習は想像を絶するものだった。
僕の名前は、興禅 立休。
野球部の坊主頭は一定の層からの定評がある。触りたい人は触りたいらしい。
まるっとした頭に丸い目、それが時折かわいいと言われる由縁なのだろうか。
親戚のおばちゃんに言われるならまだわかるけど、同級生の女の子に言われると何とも言えない気持ちになる。
一応、背の順では真ん中より後ろ寄りなんだけど。
すきっ歯なのも原因なのかな…? それがコンプレックスで大笑いをするのは避けていた。
かわいいと言われがちな僕だけど、県内ではまぁまぁ強い野球部に入っている。
強い分、練習は凄く厳しい。
僕なりに毎日頑張っていたつもりだったよ。必死に着いていこうとしていたし、レギュラーを勝ち取る気でもいた。
「立休、君はいつになったらちゃんとやるんだ?」
夏休みの中頃、炎天下の練習で言われた言葉。
「レギュラー張ってる先輩たちはもっとやってる! この程度でバテるんじゃない」
こちらに返事をする間も与えず、彼は僕の練習態度を否定した。
真面目で努力家で、正義感の強い友達だった。いや…、友達だったのか?
彼がどう思っているかはわからないけど、少なくとも僕は嫌いだった。
僕は僕なりに頑張っている。着いていこうと必死にやっている。
でも、彼はそんな僕を毎日のように否定してくるんだ…!
彼は真っ当なことを言っている。そう思ってたから今まで言い返さずにいたけど…。
「うる……さい」
「え…、あ……ごめ」
「黙れって言ってんだよ!!」
激昂した僕は、まだ何かを言おうとしている彼に飛びかかった。
このあとに起こること…。
今は不慮の事故だったと思っている。
咄嗟に避けようとした彼の足に、僕の足が引っかかって…。
ドサッ
僕は頭から転倒した。
意識はあった。特に痛みもなく…。
だから、普通に起き上がろうとした。
でも…。
“身体が……動かない”。
辺りがどんどん騒がしくなってくる。
遠くの方から救急車の音が聞こえて、気づいたら僕は病院のベッドの上に居た。
よく思えば、目を開けていたのはこの日が最後だったな。
『遷延性意識障害です』
数日経っても動けないままの僕と、そんな僕を見下ろしている母さんと父さんに医師はそう告げた。
いわゆる植物状態ってやつ。
死ぬまでずっとこのままらしい。
回復する見込みはないんだって。
辛いよ、怖いよ。
だけどこんな状態じゃ涙も流せない。
泣けないのは……動けないのは……不幸中の幸い? 目いっぱい泣けたなら、もっと感情が溢れてもっと辛くなるのかな?
今の法律じゃ安楽死は禁止されている。
僕から“死にたい”という気持ちが確認できたとしても出来ないみたいなんだ。
だから、自然に死ぬまでこのまま。
いつ死ぬんだろう? 早死にすることはないだろう。だって、ここ病院なんだから。
罹ったら死んでしまいそうな癌でさえ、早期発見なら治ってしまう。
植物状態になった日から今日に至るまでの数年間は、ほんとに長かった。
まだ高校生なんだ。
これがあと数十年も続く。
植物状態になんてなるもんじゃない。
植物人間に意識があるなんて、思ってもみなかった。
目を瞑っていても身体は動かせなくても、ずっと……全部わかるんだ。
こうなってから意識が飛んだことは1度もない。
何が辛いかって?
“死ぬまでが長い”のなんてかわいいものだよ。
ちょくちょくお見舞いに来てくれる家族や親戚、友達の顔を見るのが辛いんだ。
両親はいつも僕の前で喧嘩している。離婚の話が出たのはつい最近のこと。
毎度のことのように泣いている親戚のおばちゃん。
暗い顔で一言も話さない元チームメイトたち。
なんで、みんなそんな顔をするの?
僕だったら、子どもの前で喧嘩なんてしないよ。
僕だったら、本人の前で泣くのを我慢して笑顔を見せるよ。
僕だったら、明るく振る舞うよ。学校や部活で起こった楽しい話を聞かせるよ。
それが出来ないなら来ないでよ。
義務感だけでお見舞いに来てるなら来ないでよ!
はぁ……ほんとに……。
みんな、僕だったら良いのに。
ふと、そう思った。
みんなが僕だったら戦争なんてしない。
みんなが僕だったらイジメなんて起こらない。
僕がこんな気持ちになることもない。
みんな、僕だったら……僕だったら……。
そんな想いは日を重ねるごとに強くなっていった。
そして今日、世間は盆休み。学生だけじゃなく、大人も休みなんじゃないだろうか?
僕は、夢を見たんだ。
晴れた夜空の下、賑やかな夏祭り。僕は友達と笑いながら屋台を回っていた。
でも、友達はみんな知らない人だ。現実では知らない人が友達や家族として出てくる、なんてのは夢の中では割とあること。
久しぶりに歩いて皆とはしゃいだ。
楽しかった。嬉しかった。
だけど夢の最後、楽しむ僕とは対照的に彼らは泣いていたんだ。
「なんで…、君たちも…。そんな顔しないでよ! 笑っていてよ!」
凄く悲しい気持ちになったところで夢は終わる。
そして、夢が終わった後に気づいた。
僕は今、植物状態だ。身体は常に眠ってるような状態のまま、意識がずっとあって思考していると言ったら良いのかな?
逆に言えば、僕の意識が眠ることはないんだ。
だとすれば、今のは夢ではなく単なる空想なんじゃないのか?
いつかまた、みんなと笑い合える日が来ればと…。そんな情景を思い描くことは何度もあった。
それを夢だと感じたのは今回が初めてだ。
理由はわからない。
でも、嬉しかった。楽しかった。
彼らにまた会えると良いな。
あぁ…、なんだろう。
おかしいな。
何だか、眠くなってきた。
ーー
数年ぶりに眠気を感じた興禅 立休。
その感覚を不思議に思いつつも、彼は深い眠りについた。
ゴト……ゴロゴロ………。
胴体から切り離され床を転がる彼の生首。
白いシーツは瞬く間に紅の色へと染まっていく。
今宵、興禅立休は眠りについたのではない。
夢を見たこの日、彼はある男に命を奪われたのだ。
ーー




