チーム対抗リレー - 水瀬 友紀㊻
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【気功靭脚】
国内最強の武術が一つ、鬼炎拳の基本技。
独自の呼吸法により精神統一をすることで、自らの脚に備わる“気”を高める。
まさに記された字の如く、精神統一により高められた“気”によって、技を使った者の脚は強靱なものとなる。
本来、組手などにおいて強い蹴りを繰り出す必要がある場合に使う技であるが…。
バトンを片手に前を見据える姫崎 雛。
呼吸を整えた彼女は勢い良く地面を蹴り出した。
ーー
姫崎「鬼炎拳・気功靭脚」
ダッ…!
技名のようなものを静かに呟いた雛さんは、地面を蹴り飛ばした。
姫崎「ふんふんふんふんふんふんふんふんっ!!」
クールに呟いた技名とは対照的に荒々しい鼻息を漏らしながら、高速にトラックを駆け抜ける。
高速って言ったけど、速さ的には……そうだな。
まず…。
姫崎「ふんふんふんふんふんふんふんふんっ!!」
タタタタタタタ…!
人間が出して良い速さじゃない。
自分の足音を置き去りにしているように感じるのは錯覚だろうか?
話で聞いた犯則瞬足の京極や怜の滑走よりは遅いのかもしれないけど。
それでも…。
雛さんの前を走っている他の組の5人。いま最前線にいるのは紫組。
走りのフォームが素人目に見てもわかるほど整っている。そして、かなり速い。
たぶん彼は陸上部だ。
そんな最前線を走っている彼に、他の人を一瞬にして抜き去って2、3秒ほどで追いついた。
同時に不思議なことが起こる。
「あ、あれ? なんだこれ?」
「足に力が…」
紫組の陸上部を含めた5人は、雛さんに追い抜かれた瞬間へなへなと足から崩れ落ちたんだ。
「な、何だよこれ?」
「足が動かない?!」
そして、立ち上がれない自分自身に驚きを隠せないでいる。
姫崎「ふんふんふん……ふんっ!」
バシ…!
動けなくなった彼らを置いて、雛さんはトラック上で待っていた赤組の女子にバトンを渡した。
姫崎「これで1周遅れ。今のうちにもう1周取り返すんや」
「え…、あ、うん!」
立てずにいる他のチームの人らに戸惑っている様子の彼女。それでも雛さんの言葉に強く頷いて、このチャンスを逃さないようすぐさま走り出す。
姫崎「あいつら、20秒くらいは立てんはず…。それだけあったら取り返せると思う」
1周走って帰ってきた雛さんは、涼しい顔でぼそっと呟いた。
あれだけ速く走って、全く息が乱れていない。やっぱりただ者じゃない。
敵が来たらぜひ協力してほしいところだ。
「キャーーー!! 雛さまあぁぁ~~!!」
「何か知らんけど他の奴らがしゃがみ込んで、実質雛さん1人で2周遅れを取り返したぞおぉ!!」
彼女が琉蓮からバトンを受け取ってから、この黄色い歓声はますます大きくなっている。
「雛ちゃん、なんであんなに速いの?!」
「てか、なんでみんな倒れたんだ? もしや、雛さんが何かを?!」
姫崎「うっ…! はっ…! ほっ…! それは破門なるから秘密ッ!」
怒濤の質問攻めに動揺したのか、変な構えを取りながら上ずった声で答える雛さん。
破門になる…。武術のようなものを使ったのかな? それで、みんなを止めた?
「とりあえず、ブレイカーズの尻拭いご苦労さまです!」
「おい、やめろって」
ちゃらけた様子の男子が雛さんに敬礼し、それをもう1人の男子が制止する。
松坂先生と校舎に戻っていく琉蓮に、彼らの言葉が届いたかはわからない。
だけど、とぼとぼと歩く彼の背中はとても辛そうだった。
聞こえていないことを祈るばかりだ。
琉蓮は勝つために頑張っていた。やる気がないわけでも、足を引っ張ろうとしたわけでもないんだ。
ただ緊張から失敗しただけ。
そこをわかってあげてほしい。
綱引きのロープが切れるなんて、僕からしてみれば可愛すぎる失敗だよ。
赤組の2周遅れは雛さん1人で取り戻した。
雲龍校長と男虎先生による壮大ないざこざに巻き込まれた黄組と緑組もいつの間にか巻き返している。
チームごとに若干の差はついているものの、普通のリレーと変わらない互角の状況を見て僕はほっと息を吐いた。
琉蓮が立ち尽くした時はどうなるかと思ったけど、特質か何か持ってそうな雛さんが何とかしてくれた。
他のみんなはきっとちゃんと走ってくれるだろう。彼は綱引きの一件でナーバスになっていただけだ。
ほんとに不運だったと思う。あそこで勝っていたら、琉蓮だってちゃんと走れたはずなんだ。
体育祭が終われば、やらかした“BREAKERZ”に対する恨みつらみも自然と消えていく。
これ以上、何もなければ大丈夫!
何もなければ…!
淡々と、そして真剣な表情でバトンを渡していく3年生。
彼らのように僕らもただ走るだけなんだ。バトンを受け取って走って、次の人にバトンを渡すだけ。
何回も言うけど、走るなんて僕らには造作もない。神憑や“EvilRoid”と戦って生きのびる方が遙かに難しいんだから。
心配する必要はないはずなのに、この胸騒ぎはいったい何なんだ?
ザッ…
ついにやって来た。
“BREAKERZ”の出番が。
琉蓮の次にトラックに立ったのは…。
皇「ただでは終わらねぇ♪」
いつもと変わらない狂気的な笑顔を浮かべた紫組の皇。含みのあるセリフを言って、彼はバトンを受け取った。
まさかとは思うけど…。
バトンを受け取って走り出した皇は…。
皇「お~とっと~♪ 足がぁもつれてぇ~♪ ドサァ~~♪」
2、3歩走ったところで雪の上を滑るペンギンのように華麗に腹から地面に滑り込んだ。
樹神「あんさん、ブツは確かに頂きマンモス!」
その直後に、バトンを受け取って走り出す緑組の樹神。
彼は少し前で滑り込んだ皇に気づかず…。
トン…
樹神「って、あぁ~~~れえぇ~~~~!!」
盛大に躓いて転がり込んだ。
…………。
何てことをしてくれたんだ。
皇「これはこれはぁ♪ “BREAKERZ”の神である俺がとんだ失態をしちまったぜぇ!」
言わなくていいそんなこと。
さっと立ち上がって走ったらワンチャンバレないだろ。
皇「そして俺様に躓くは、“緑の災害”の異名を持つ“BREAKERZ”最大の巨大樹こと樹神寛海さんではありませんかぁ♪」
懇切丁寧な解説してないで、走ってくれ! 皇、さっきのことと言い何がしたいんだ!?
「ふざけんなっ! またブレイカーズじゃねぇか!」
「おい、走りやがれ! 公害アフロ!!」
一難去ってまた一難。今度は紫組と緑組の生徒たちが怒り始めた。
僕も叫びたい。
“何てことをしてくれたんだ”と。
琉蓮は仕方ない。だけど皇、君はわざとだろ。
何のために僕たちを…、自分たちを貶める?
そして、早く立って走ってくれ。
1周や2周遅れじゃ済まなくなる。
それ以上は能力を使ったとしても…。
紫組と緑組の怒声。
チャンスだと言わんばかりに1周してバトンを渡そうとする他のチームの生徒たち。
皇「ヒャハ♪」
何もせずただただ体育座りをして見ている僕と、腹ばいの状態でニヤける皇の視線がかち合った。
かち合ったというより、向こうが僕を見てきた。
わざと転けたのは、僕への当てつけだと言いたいのか? 君は僕に何をさせたいんだ?
樹神「皇はん、こんなとこで寝てたら危ないだろぉ!」
文句を言いながら立ち上がる樹神。
同時に、他チームの生徒が1周してきて次の生徒にバトンを渡す。
これで緑組と紫組は1周遅れ。
立ち上がって走り出す時間を考えたら1周半から2周分の遅れをとるようなものか。
だけど、それは他のチームのランナーが全員まともに走ればの話だった。
そんなの当たり前の前提だと思うだろう。
だけど、バトンを受け取ってすぐさま走り出したのは赤組と黄組の生徒だけ。
青組と橙組は…。
獅子王「僕、ちゃんとやります! ゴリラになってチームのために走ります! 見てて下さい! 不良の番長、西さん!」
橙組のランナーは、生徒会長の陽。
震えた声でゴリラになると宣言し太陽を見上げた。
獅子王「唖毅羅アァ───!!」
そして、怯えた表情のまま名前を叫びゴリラに変身する。
「お、ついに…! 使うのか?」
「ブレイカーズが俺たちのために?」
「いや、不良に脅されたんだろ」
「マジかよ…、ビビってるだけかよ…」
橙組の生徒の冷めた声が微かに聞こえてくる。
うん、確かに不良に屈して欲しくはなかった。僕が言えたことじゃないけど、不良が怖いのはわかるけど。
生徒会長である君が不良に屈したら、この学校の治安はどうなるんだ?
唖毅羅「ホッ! ホッ! 僕ばぢゃん゛ど走る゛。後が怖い゛がら゛」
ゴリラの姿でスタートダッシュの構えをとる陽。心なしか黒い体毛が逆立っているような…。
恐らく人間の状態よりは速いと思われる。変身している間に走っていった赤組、黄組の生徒をぶち抜くのだろうか?
いや、一瞬にして追い抜くのは間違いない。前を見据える彼の真剣な目がそう物語っている。
ゴリラになった動機が不純でも良い。
ビビっていると軽蔑されていても良い。
それを覆すほどの圧倒的な強さを唖毅羅は持っている。
追い上げろ、ぶち抜け!
圧倒的力を見せつけて、“BREAKERZ”の失態を帳消しにするんだ!
「行っけええぇぇぇぇ!! 唖毅羅ああぁぁぁぁぁ!!」
唖毅羅「ホオ゛ォォーー!」
思わず上がった僕の掛け声に呼応するかのように、陽は咆哮をグラウンドに轟かせた。
そして、目いっぱいの力を込めた後ろ脚をバネに地面を蹴り出そうとした時…。
皇「ほい、バナナ♪」
唖毅羅「ウホッ♡」
皇は寝転がったままポケットからバナナを取り出した。
スーパーで売っている至って普通のバナナだ。5本くらい連なってるやつ。
唖毅羅は走るのをやめ、目をハートにしてバナナを見つめている。
皇「お前の大好物だよなぁ、このバナナ乞食ゴリラ♪」
皇はゆっくりと起き上がりながらそう嗤った。
唖毅羅「ホッ! ホッ! バナナ! バナナ!」
今すぐ食べたいと言わんばかりの顔で、彼の周りをくるくると回る大きなゴリラ。
皇「ほら、取ってこ~い!」
唖毅羅「ホオオォォォン!!」
皇が思い切りトラックの外に投げると、ゴリラの陽は本能的にバナナを追いかけていった。
不良たちのイカツい怒声もどこ吹く風と言わんばかりに…。
まともに走り出したのは赤組と黄組。
橙組は陽がバナナに囚われた。
そして、僕ら青組も…。
彼もほぼ同時にバトンを受け取ったんだけど、走り出すことはなかった。
バトンを受け取った瞬間、彼は僕に向かって悍ましい笑顔を見せてこう言ったんだ。
志鎌「すーっ……さて、惨憺たる復讐の続きと行こうか」
全体的に主張のない薄く青白い顔に華奢な体型、志鎌緑夢。
通称、グリムのぐっさん。
球技大会で彼とはひと悶着あった。
僕的には彼が大げさなだけだと思っているんだけど。
僕が踵にちょこんとボールを当てたこと、まだ根に持っているのかな?
凄く壮大なことを言った彼だけど、ただバトンを受け取った後、ゆっくりとこちらを見てニヤニヤしながらトラックを歩いているだけだった。
いや、言葉の割に大したことないってだけで1週分歩かれるとかなり困るんだけど…。
まぁ陽の方が目立ってたし、あまり気にしてなかったよ。
気にしてなかったけど…! 普通に考えたら何周遅れになる? かなりヤバくないか?
「ぐ、グリムのぐっさん…! あの時のことは謝るよ! 痛かったなら謝るよ! だから普通に走ってくれないか?」
僕は優雅に歩くグリムのぐっさんに、そう語りかけた。
すると、彼は僕の言葉を待っていたと言わんばかりに悍ましく笑う。
志鎌「すーっ、僕は“BREAKERZ”にイジめられました。踵にバ……ボ? バールをぶつけられとても痛かったです。僕はその復讐としてトラックを歩いて1周します。青組の皆さん、何周遅れになるかな? 全部“BREAKERZ”のせいなんだな」
怒声に歓声、全てが静まり返った。
「バール? バールってあの工具の?」
「え、あれで殴ったの?」
まだ怒鳴られている方がマシだ。
冷たい視線が僕らを襲う。
グリムのぐっさん…、もしや緊張してた?
肝心なとこ、噛まないでくれよ! バールとボールじゃ大違いにもほどがある!
「グリムのぐっさん! 噛んじゃいけないところを噛んだらダメだ! そして、頼むから走ってくれ! 後でいくらでも謝る! 球技大会の時からそう言ってる! 走るんだ、ぐっさああぁぁぁぁん!!」
冷たい視線に耐えきれなくなった僕は、思わず手を伸ばしそう叫んでいた。
日下部「獅子王、バナナは後にしないかい? 今はリレー中だよ」
唖毅羅「ホッ…!」
一方、トラックから大きく外れた陽は日下部に諭されていた。
唖毅羅「ごめ゛ん゛…! ごめ゛ん゛よ゛ぉ…!」
日下部「大丈夫、大丈夫さ。人もゴリラも生きていたら必ず失敗する」
唖毅羅「僕ばダメ゛な゛ゴリ゛ラ゛だ!」
涙目になって拙い言葉で話すゴリラの陽に対し、日下部は穏やかに微笑んでいた。
日下部「君は素晴らしいゴリラだよ。バナナのことは一旦忘れると良いさ。ゴリラは皆、バナナが大好きなんだ。人類がラーメンを愛するように、ゴリラもただただバナナが大好きなんだ」
“バナナが大好き”。
その一言が彼を立ち直らせたのかもしれない。
涙を拭った唖毅羅は、周回遅れは取り戻せないものの、軽々と1周しバトンを次の人に渡してみせた。
橙組は戦線に復帰。
紫組、緑組の皇と樹神もいつの間にか走っていたのか列に戻っていた。
後は僕ら青組、グリムのぐっさんのウォーキングをどうにかしないといけない。
奇しくもグリムのぐっさんの次は僕が走ることになっている。
もう何周遅れだ? 3、4周じゃ下らないんじゃないのか?
周りが懸命に走る中、彼は優雅に歩いてくる。
青組の皆は他のチームと違って、歓声や怒声を上げない。ただただバトンを待つ僕に対して冷たい視線を向けている。
さすがに遅れすぎた。
もう諦めているのかもしれない。
もしくはバールで足を殴ったことになっている僕らへの軽蔑か。
まぁ、その両方って所だろう。
今日、僕らの評判は地に落ちた。
そう言っても過言ではない。
皇、彼はわざとそれに加担した。何を考えているんだ?
僕らへの批判が募れば、それを口実に御影教頭がまた自警部を廃部にしようとしてくるかもしれない。
批判を募ることにメリットはないはずだ。
『ちょっとは面白くなりそうだろぉ?』
『舐められるってのは良くないと思うぜぇ?』
プログラム5番“異能闘技”。
怜と日下部の対戦前に言ってきた皇の言葉が頭を過る。
そう言われる直前、僕はジャンケンで済ませようとする彼らの戦い“全く面白味がない”と思ったんだ。
自分でもよくわからない。
ド派手な戦いを見たいと思ったのか、自分たちの力を見せつけたいと思ったのか。
皇の言動もわからない。いや、彼はいつも何を考えているかわからないんだけど。
ただこれだけは言える。
皇は、僕らに能力を使って欲しいんだ。
そして、いま僕ら“BREAKERZ”が置かれているこの状況…。
青組から僕への冷たい視線に、他チームの僕らに対する罵声。
そして、リレーで足を引っ張っているのはみんな“BREAKERZ”だ。
あ、グリムのぐっさんは違うけど。
挙げ句の果てに、僕の属する青組は取り返しのつかないレベルの周回遅れとなった。
仮に…、ほんと仮にだけど。
僕らの悪評を払拭してこの状況を打破するには、残った皆が能力をフルで使わないといけない。
志鎌「すーっ、お待たせ」
グリムのぐっさん、優雅に歩いて僕が待つトラックのスタート地点に戻ってくる。
志鎌「僕の良心のせいで、“惨憺たる”とまでは行かない復讐になってしまったね。バトンを借りパクすれば青組のリレーは永遠に終わらない。そこまでやってようやく完遂できる復讐だった。すーっ、どういうことかって? 今回で完遂しなかった。僕の凄惨たる復讐はまだ続くということだよ」
嫌みったらしくそう言ってバトンを渡してくるグリムのぐっさん。
「ありがとう、グリムのぐっさん」
志鎌「…………ん?」
そんな彼に、僕は静かに感謝を告げた。
「勝っている状況で差をつけるより、圧倒的に負けている時に追い上げる方がより目立てるからね」
目を瞑り背中に意識を向ける。
ヒューーーー……
吹き抜ける風の音。
楽しそうな声に聞こえるのは僕だけだろうか?
背中に生えた風の翼が羽ばたき、僕を上に持ち上げる。そんなイメージを思い描くと、身体が宙に浮くのを感じた。
「な、なんだ?」
「浮いてるぞ?」
ザワつく生徒たちの声が聞こえて、僕はゆっくりと目を開ける。
赤とか青とか関係なく、皆がこちらを見ていた。
そして、いつになくニヤけている皇が自然と目に入る。
君が何を考えているのかはわからない。
乗ってあげるよ、僕らのリーダー。
琉蓮、怜、日下部、樹神、陽。
君たちの失敗なんて、みんな忘れる。
みんな、僕しか見なくなる。
致命的に遅れている青組を、僕が今から勝たせるから…!
若干の緊張を感じながら、僕は大きく一呼吸してこう言った。
「風の理…、ウインド・ウイング」




