唾液剣士 vs 放屁師 - 水瀬 友紀㊸
ヒューーー……
見つめ合ったまま動かない怜と日下部。
吹き抜ける風の音が彼らを際立たせる。
唾液の特質持ちと、オナラの異能を持つ神憑のマッチアップ。
2人は正面から真っ向に打ち合うのか。
その可能性は限りなく低い。
怜にとって、自身の特質は異能力なんかじゃなくただのコンプレックスに過ぎない。
大量に分泌される唾液をコントロールできず、嫌がられた過去もあると言う。
怜の本当の特質を知っているのは学校の中でもほんの一握りだ。
ほとんどの生徒は、彼を身体能力が高い剣士だと思っているだろう。
いや、このあまり期待されてなさそうな視線は…。下手したら、ただのオタクとしか思われていないのかも。
こんな大勢の前で、コンプレックスを曝け出すなんてことまずしないと思う。
ましてやただの体育祭のいち競技。殺意のある敵ならともかく、相手は気心の知れた友達だ。
そして、放屁師の日下部。
理由は違えど、彼も大勢の前で力を見せることを好まない。彼というより、彼に憑いている神“シリウス”が…。
シリウスは神の力を行使し目立つことを避けている。
お互い皆の前で能力を使わないという意向では一致しているように思える。
剣崎「日下部氏、私は君と戦いたくはない」
日下部「僕もさ、剣崎。シリウスが断固反対している。こんな茶番で目立つなんて以ての外だってね」
現に、戦わないという方向で話は進んでいるみたいだし。
でも、試合自体はどちらかが負けないと終わらない。ジャンケンとかどっちかが勝利を譲るとかして無難に終わるだろう。
1年生、2年生の部で何度も見たものと同じ。ほとんどがジャンケンで決まっていた。
シンプルかつ平和で安全な…、全く面白味のないジャンケンでの決着。
剣崎「同意見で安心した。持つべきは、志を同じくする友であるな」
日下部「僕もホッとしているさ。“BREAKERZ”の主力である君と僕が戦えば惨事は必至。この勝負、戦わずして終わらせないとね」
納得したように深く頷く怜と、穏やかな雰囲気で微笑む日下部。
“全く面白味がない”?
僕は今、そう思ったのか?
面白味のある勝負って何だ。お互い異能を全力で使って潰し合う。
そんな危険な戦いが見たいと、僕はいま望んだのか…?
それとも、見せつけたいと思った? 大して期待していなさそうな、何もわかってない生徒たちに僕らの本領を…。
どっちにしても、そんなことを考えるのは最低だろ。
無難に終わらせようとする2人を見て心の底から安心したなら、“面白味のない”なんて言葉は出てこないはずだ。
剣崎「では…」
怜は右手をグーにして自身の顔の近くまで持って行く。
あぁ、公平かつ安全にジャンケンで終わらせるつもりだ。
それが正しい。僕は間違っている。
2人が僕の気持ちを知ったらがっかりするだろう。僕自身もそんな思いが過ってしまったことにモヤッとしたから。
お互いに快くジャンケンをするものだと、僕は思っていた。
グーを作った怜に対して、日下部が顔を歪めるまでは。
ほんの一瞬だったけど、彼はジャンケンを嫌がるような顔をしたんだ。
サッ!
剣崎「では日下部氏、先に外へ出てくれ給え」
そして、怜は一方的にパーを出してそう言った。
いや、パーじゃない。あれは、手の平を向けて丁重に円の外を指しているだけ。
剣崎「私は今、足が痺れて動けないのである。後ほど私も外へ出よう」
確かに足が痺れていたら歩けないとは思うけど、立ったままの状態で痺れるなんてことある?
でも、真面目な怜がそんな嘘を吐くだろうか。
日下部「あぁ、ジャンケンじゃないんだね」
日下部は何処か安心したような表情を浮かべていた。
怜の言うとおりに、先に円の外へ出るのかな。
ルール的には先に出た方が負けになる。あまり勝ち負けは気にしてないのかもしれないけど…。
橙組には怖い不良がいるから、ここは公平に勝敗を決めた方が…。自分から降参なんてしたら何をされるかわかったもんじゃない。
かと言って、青組も熱狂的な人が多いから怜も降参はしない方が良いだろう。
日下部「実は僕もちょうど今、持病のイボ痔が痛くてね。歩行困難な状態なんだ。足の痺れが治ったら先に出ると良いよ。僕もゆっくり、君の後で出るからさ」
足が痺れた怜に、日下部はイボ痔だと返す。
剣崎「日下部氏、君が紳士なのは重々承知だが…。私を待てば日が暮れることになろう」
日下部「足の痺れは数分で治まるだろうけど、僕のイボ痔は全治数ヶ月だ。僕を待てば季節が変わる」
自分の状態や病気について語り合う2人の表情がだんだんと険しくなってくる。
もしかして、2人とも自分が先に外へ出る気はない? 戦いこそしないものの、お互い負けたくはないのか?
そういえば、2人は一度言い合いから決闘にまでなりかけたことがあったっけ。何が原因だったのかはよくわからないけど。
あの時から、あるいはそれよりずっと前から彼らの間にはライバル意識のようなものが芽生えていたのかもしれない。
剣崎「もう一度言おう。日下部氏、私は君と戦いたくない。君はモテる。汗ばんだ体操服姿でも尚、お洒落なオーラが滲み出ている」
日下部「君だって、真っ白な美しい肌をしているじゃないか。僕には無いものを生まれつき持っている」
険しい顔のまま急に褒め合い始める怜と日下部。
剣崎「だから…」
日下部「だから…!」
剣崎•日下部「「君が外に出てくれないか(な)!!」」
お互いの敬意とプライドが入り混じったよくわからない会話がグラウンドに響く。
「なんだ、あいつら?」
「早くジャンケンしろよ」
試合開始のピストルが鳴ってから数分、全く進展のない対決に他の生徒たちはぶつぶつと文句を言い始めた。
そうだ、もうジャンケンで良い。
ライバル意識があるのは良いことだけど、そういうのはもっと別のところで出してくれ。
“面白味がない”なんて思ったのはほんの一瞬だけだった。
今はただ2人が心配だ。
怜が腰に着けている2本の刀は恐らく本物。
本気でやり合ったら、マジでただじゃすまない。
「あのなぁ~…」
気怠そうな声が僕の背後から聞こえた。
紫色のハチマキを巻いた彼は、頭をボリボリと掻きながら、僕の隣を通って2人の元へ歩いて行く。
「負けたくねぇと思ってる奴に、“負けてください”ってのは無理があるだろぉ?」
ちょうど白い円の線上に立った彼は、呆れた様子で2人に告げる。
剣崎「君は…」
日下部「今日居たんだね」
確かに今日初めて見た。
自警部の部長で狂気的な笑顔が特徴の皇尚人。
紫組だったのか。
今までサボっていたのか?
タッタッタ
背後から聞こえてくる小刻みな足音。
不知火「僕も居るよ!」
不死身の不知火が前に出た皇の元へ駆け寄る。
同じく紫組みたいだ。
2人は近くにやって来た不知火に対し、若干顔を引き攣らせた。
皇「お前らが不甲斐ないせいで表に顔出せねぇよ♪」
“居たのか”という日下部の発言に対し、煽るような口調で返す皇。
どうやら彼は平常運転みたいだ。
“不甲斐ない”か…。それは、綱引きで負けた琉蓮や何もしていない僕らのことも言っているのかな。
皇「両方負けたくねぇなら、決闘しかねぇよな?」
皇は笑顔を崩さず、2人にそう問いかける。
きっと退屈だったんだろう。何も起こらない普通の体育祭を見るのは。
全く活躍しない僕らに対する不満もあるかもしれない。“期待外れ”だの“大したことない”だの、ヒソヒソ言われているのもわかっているよ。
悔しいしムカッとするけど、だからといって能力を見せつけるのは違うんだ。
剣崎「しかしだ皇氏…。私が本気を出せば日下部氏は間違いなく死に至るであろう」
日下部「皇、僕らを唆すような真似はいけないよ。剣崎を…、大切な仲間を失ってしまう」
2人は哀しそうな表情を浮かべて真逆のことを言った。
お互いに、自分が相手を死なせてしまうと憂いているようだ。
彼らの言い分には答えず、皇はこちらに振り返り僕ら観衆にこう問いかけた。
皇「お前ら、こいつらを覚えてないのかぁ? 殺し合いの決闘寸前だった超能力者だぜぇ♪」
両手を広げて得意気に語った彼を見て、生徒たちは静まり返る。
白けた様子で見つめる人、怪訝な顔をして首を傾げる人。
そして…。
「あ……!」
何かを思い出したかのように声を上げて、2人を指さす生徒が十数名。
「あいつら、前に言ってた超能力者だ」
彼らは恐らく、怜と日下部が一触即発の言い合いになったあの時、近くに居た人たちだ。
「じゃあ“BREAKERZ”なのか?」
「緑の災害とか黒いデカいのと関係あるやつ?」
「あれは別の奴だろ」
その人たちが起こしたザワつきは次第に大きくなり、生徒全体に伝播した。
皇は“決闘コール”で周りの人を煽って場を盛り上げていたよな。
今回も同じ事をしようとしている?
皇「思い出してくれて良かったぜ。あの時はクソの文月に水を差されたからなぁ。決闘は今日までお預けになっちまってたってことだ」
ぶつぶつと聞こえてきていた文句やぼやきが、期待の声に変わっていく。
まずい…、これ以上盛り上がってしまうと…。
剣崎「皇氏…! よしてくれ…!」
日下部「そうだね、この雰囲気は…。ジャンケンどころの話じゃなくなる」
怜と日下部が後に退けなくなってしまう!
皇、君はちゃんと考えているのか? どちらかが死ぬかもしれないんだぞ。
皇「さて、2ヶ月越しの応援コールだぁ♪ 身を賭して戦うこいつらにエールを送れ! 決闘♪ 決闘♪」
彼らに有無を言わさず、大げさに手拍子を始めてコールを始める皇。
「「「決闘!! 決闘!!」」」
彼に便乗するほとんどの生徒たち。
止めないと、ほんとにヤバいことになる。でも、どうやって…?
手拍子は瞬く間に大きくなっていく。
皇が作り上げたこの決闘ムードはもう壊せない。
怜と日下部はお互いに見つめ合い辛そうな顔をした。
多分どっちも同じ事を考えている…。自分が相手を手に掛けてしまうと。
「「「決闘!! 決闘!!」」」
ワアァ────!!
熱狂的な歓声が轟く中、皇は2人に手を振ってこちらに戻ってくる。
そして、僕の肩に手を置いて嗤いながらこう囁いた。
皇「ちょっとは面白くなりそうだろぉ?」
「…………! 何を言っているんだ!」
図星を突かれたような気持ちになった僕は、思わず彼の手を強く叩いてしまう。
「なんでこんなことを…! 2人とも無事じゃすまないぞ! 平和に終わると思ってたのに…!」
僕が素直な気持ちや疑問をぶつけると、皇はいつになく神妙な面持ちでこう答えた。
皇「平和か、そりゃ結構なことだ。わざわざ力を誇示する必要はねぇ。だがなぁ、舐められるってのは良くないと思うぜぇ?」
舐められるって…、誰に?
西とかの不良に? 僕らを見ている多くの生徒に?
そういう人に舐められても別に何も…。
まぁ自警部の支持率が下がれば、御影教頭が何かと理由を付けて廃部に追い込もうとしてきそうではあるけど。
それ以外のデメリットって…。
ただ単に、リーダーである皇のプライドが許さないだけなんじゃないのか?
彼の考えはいつだって読めない。
剣崎「やむを得ない……か」
周りが盛り上がる中、怜はぽつりとそう呟き、1本の刀の柄を握り居合いのような構えをとった。
剣崎「日下部氏。私は君を信じ、そして願おう。この技で君が死なないことを」
日下部「見栄えのために全力で掛かっておいで。大丈夫、神にでも誓うさ。何があろうと、僕は君を絶対に死なせないとね…!」
構えた怜に対し、日下部はゆっくりと両手を広げる。
何処か噛み合っていない2人の会話。
「やれえぇぇぇ!! 色白おぉ!! 橙野郎をぶっ殺せええぇぇぇ!!」
「わかってるな? 負けたらヤキだぞ!」
青組の狂気的な声援と、橙組の怖いヤンキーぽい声援が交差する。
真剣に睨み合う2人。
ダッ!
先に仕掛けたのは怜だった。
それはほんの一瞬の出来事。
唾液を使ったのか、自前の脚力なのかはわからない。
居合いの構えのまま地面を蹴ったと思った矢先、彼は日下部の目の前にいて鞘から刀を抜いていた。
日下部は両手を広げて前を見たまま動かない。きっと目で追えてないんだ。
そして、怜は自身の先制に全く反応できなかった日下部に対し…。
剣崎「尾蛇剣舞・刻裂真剣」
あの剣技を繰り出した。
日下部の首元に刃がめり込んだのが見えた瞬間、彼の身体は小さな数多の肉片となって辺りに飛び散った。
大量の返り血を浴びた怜の体操服は真っ赤に染まる。
日下部だった肉塊や血を浴びたのは彼に限らない。
円の近くで見ていた何人かの生徒たちも血を浴びることとなった。
静まり返った熱狂的な歓声は少しの間を置いて、恐怖の悲鳴に変わる。
刻裂真剣…、相手を粉々に切り刻む剣技だけど。
動きが速すぎて、僕には最初のひと太刀しか視えなかった。
ていうか…、殺しちゃダメだろ。
パニクって四方に逃げ出そうとする生徒たちが居る中、僕はあまりのショックに膝から崩れ落ちた。
嘘だ……嘘だ……。怜が日下部を殺してしまった。
不知火「アハハハ♪ パニック、パニックゥ~♪」
怜の近くで無邪気にはしゃぐ不知火が皆の恐怖をより増長させている。
皇「お前もパンピーも良いリアクションしてやがるぜ♪」
皇に不知火…、君たちはイカれてしまったのか…?
青組の怜と橙組の日下部による異能闘技初の能力者対決。
それは、生徒たちの恐怖に染まった悲鳴で幕を開けた。




