綱引き - 鬼塚 琉蓮⑩
生徒用のテントとブルーシート。
そこに置かれたたくさんの荷物。
「おい、あれ…? あいつじゃね?」
「マジか、早速出るのかよ」
綱引きに出場しない人たちは、ブルーシートの上で寛いでいてヒソヒソと何かを話している。
自意識過剰だろうか。
みんな、僕を見ている気がするんだけど。
美澄「では、綱引きの流れを説明しますね。予行演習と同じくトーナメント形式で…」
司会席に集まった僕たちに説明を始める生徒会副会長の美澄さん。
ちゃんと聞かなくても大体はわかる。予行演習でやってるから。
背後のテントから聞こえてくるヒソヒソ話と、妙な視線…。
もう綱引きどころじゃない。また学校を休んでニートになりたいよ、お父さん。
体育祭の大まかなルール。どこの学校も似たり寄ったりな気はするけど、一応説明しておくね。
綱引きとか玉入れとか、各種目で競い合ってチームで優勝を目指すっていうのが体育祭のメインになる。
そう、チームで優勝を目指すんだよ。僕みたいな運動音痴が足を引っ張ると、それは叶わない。
白い目で見られて後ろ指を指される。僕にとって体育祭はそういうものなんだ。
チームは赤組、青組、黄組、紫組、緑組、橙組の6つ。
6チームに全校生徒をランダムに振り分ける。学年ごとの人数は均一になるようにしているみたいだけど。
ぱっと見でわかるように、皆はチームの色のハチマキを巻いている。
いくつか競技があるんだけど、全部出ないといけないわけじゃない。
参加必須な種目を除いて、最低1つ出場すれば良いんだ。
その種目は自分で希望するか、同じチームの人の推薦で決まる。
綱引きを希望したのかって? ううん、勝手に決められていたんだ。たぶん文句言わない……いや、気弱で文句言えないって思われたんだろう。
まぁしばらく休んでいたのもあるし。
ちなみに、僕のチームは赤組だ。肉食っぽい色で怖いけど、優勝とか体育祭に対してあんまり興味がない人たちであることを願おう。
美澄「説明は以上です。早速始めるので、1年生の青組と緑組は準備してください」
丁寧な説明を終える美澄さん。
まずい、全然聞いてなかった。
最初は青組と緑組がするのかな。しかも1年生の試合、僕らの出番はまだまだ先になりそうだ。
実際3年生の出番まで結構待ったと思う。
その間、僕は妙な視線を浴び続けていた。
この世のものとは思えない奇声を上げながら逃げてしまいたい。そんな衝動をずっと抑えていたよ。
「静かな食卓……静かな食卓……シズカナショクタク……」
正気を保っていられるのはこのお呪いのお陰だ。
獅子王「鬼塚くん、大丈夫?」
口から漏れているお呪いが気になったのだろうか。
橙色のハチマキをした獅子王くんが心配そうな顔で声を掛けてきた。
「大丈夫…、大丈夫だよ。ちょっと周りの目が怖くて…」
彼は優しい人だ。万物を包み込む包容力、まさしく生徒会長の器。
こんなミジンコ以下の存在価値しかない僕にさえ気に掛けてくれるんだ。
獅子王「そっか。ずっと休んでたんだし、無理しないでね」
優しく穏やかに笑った獅子王くんは、ピンと伸びた綱引きロープの所へ向かう。
そんな彼に橙組の人たちも続いた。
次からいよいよ3年生の試合だ。
1回戦の第1試合は橙組と黄組のマッチアップ。
その次が紫組と緑組。
そして最後に、僕ら赤組と青組の試合が待っている。
綱引きは学年ごとのトーナメント形式で行われる。綱引きの決勝を制し1位を取ったチームがより多くの勝ち点を得られるって感じだろう。
点数とか詳しいことは、たぶん体育祭実行委員の人とかが知ってるのかな。
美澄「それでは、3年生黄組と橙組の試合を行います」
美澄さんの声がスピーカーを通じて反響する。
黄組と橙組の生徒によって持ち上げられる綱引きロープ。
そして、ロープのちょうど真ん中に立ってピストルを構える松坂先生。
松坂「よーい…!」
パン!
ピストルの鋭い空砲と共に、両者一気に引っ張り合う。
その中には獅子王くんも混ざっているけど…。
特質は使わないのかな? 太陽を見てゴリラになる気配はない。
普通の姿で綱引きを頑張っている。
ゴリラになる余裕がないとか? いや、始まる前にゴリラ化できたよね。
ゴリラで勝負する気はきっとなかったんだろう。
姫咲「両チーム1歩も譲りません! 頑張って!」
司会席で実況をしているのは、生徒会副会長かつ体育祭委員の姫咲さん。
活き活きとした声がグラウンドに反響する。司会とか幹事とかそういうの得意なのかな?
陽キャラって感じだ。僕とは真逆の位置にいる輝かしい存在。
陸上部のエースだっけ? 元副会長の京極って人が問題を起こして少年院送りになった後、あの人が副会長をやってるっぽい。
凄いな、みんな凄いよ。
姫咲さんが宇宙で煌めく一番星だとすれば、僕はそこらへんに浮遊している根暗な原子……いや素粒子みたいなもんだ。
って素粒子に失礼か……ハハッ。
あの人の実況通り、両チームとも互角の試合を見せていた。
そして…。
パン!
均衡が破れてついに決着がつく。
勝ったのは…。
姫咲「勝者……、黄組! 黄組です!」
最後までどっちが勝つのかわからなかった。獅子王くんのチームは惜しくも負けてしまったんだ。
まぁ獅子王くん自身、あんまり悔しそうな感じはなさそうだけど。普通に頑張って普通に負けたって感じかな。
同じような流れで続く紫組と緑組の試合。
パン!
姫咲「勝者……、紫組! 紫組です!」
こちらもほぼ互角の勝負を見せた末に、紫組が1回戦突破を決めた。
ついに…、ついにやってきてしまった。
1回戦第3試合、赤組と青組の対決が。
「静かな食卓静かな食卓しずかなしょくたくしずかなしょくたくシズカナショクタクシズカナショクタク……」
大丈夫、大丈夫だよ。
思ったより僕は落ち着いている。
獅子王くんだってゴリラにならず普通にやっていたじゃないか。
僕も普通にやれば良い。いや、僕の普通でやったら地球が壊れちゃう…。
皆の普通を意識して…。客観視、俯瞰……大衆的普通って何なんだろう。
美澄「1回戦も最後の試合となりました。赤組と青組の皆さんはロープの前に集まってください」
スピーカーを通じて反響する美澄さんの言葉が、僕の心拍数を爆上げする。
大丈夫、大丈夫。これは予想の範疇だよ。発表会とかそういう注目される場で上がってしまうのはいつものことじゃないか。
全部、ゼンブ大丈夫。
“静かな食卓”、“自信と不安の共存”をこの胸に…。
ドン!
そう思った僕は拳で自分の胸を叩いた。
うっ…、ちょっと強すぎた。
心臓裂けるかと思ったよ。
赤いハチマキを巻いた皆に着いて、僕は綱引きロープの元へ向かう。
少しずつ冷静になってきた。もう好奇な視線も気にならない。
僕の力が見たい。興味を持ってくれるのは恥ずかしいけど嬉しいよ。
今まで誰からも注目なんてされたことがなかったからね。
だけど、僕の特質は皆を守る時に使いたいんだ。力を誇示するために使うなんて横暴なことはしたくない。
「あ、鬼塚くんは1番前で!」
「頼んだよ! っていうか俺らサボってても良い?」
知らない赤組の人たちが明るい笑顔を僕に向けてくれた。
そうか、みんな勝ちたいんだ。
よし…。普通にはやるけど、赤組が勝つ方向に持って行こう。赤組が負けそうになったときに少しだけ引っ張るんだ。
真剣にやろうとしている赤組の人たちの気持ちを無下にはできない。
「う、うん…。わかった」
これは絶賛人見知りな僕が絞り出した最上級の返事。彼らの期待を背負って、僕は赤組の先頭に立った。
姫咲「皆さん、これが1回戦の1番の見所です!」
司会席で実況する姫咲さんが意気揚々と語り出す。
…………ん? 何か今までとセリフ違くない?
違和感を覚えた僕は司会席の方に目をやった。
美澄「あ、紫苑ちゃん…。そんな原稿あった…?」
目を輝かせている姫咲さんに対し、困惑したような顔をする美澄さん。
何かこれ…、ヤバい予感がするぞぉ?
皇くんじゃないけど。
彼女は隣にいる美澄さんを無視するかのように実況を進めた。
姫咲「皆さんお察しの通り、赤組にはあの彼が居ます!」
赤組の彼…。
まままままさか僕のことじゃないよね? 僕を晒し上げるなんてことしないよね?
じ、自意識過剰だよ鬼塚ボケ琉蓮。
さっき自分でも言ったじゃないか。僕の存在価値はミジンコ以下、宇宙に漂う根暗な素粒子と比べるのも失礼に値する存在だって。
そんな僕が、全てが輝いている姫咲さんに笑顔で紹介されるなんてこと絶対ないよ!
絶対ないはずさ、大丈夫……大丈夫!
姫咲「“BREAKERZ”最強の漢、球技大会で私たちを救った救世主、そして…」
心当たりありまくりなこと言わないでくれよ…!
“BREAKERZ”最強っていうのは友紀くんや皇くんに言われたことがある。
球技大会、風のドラゴンとか出してくる五十嵐先生と戦ったけど、あれのことを言ってるのかな?
姫咲さん、もうそれ以上喋らないで…!
君が太陽なら僕は素粒子。
放っておいてくれよ!
姫咲「そして…、そして…!」
少し興奮気味に語る姫咲さん。
僕は思わず目を瞑った。
姫咲「体育祭綱引きのディフェンディング•チャンピオン!!」
…………え? 僕のことじゃない?
おい、マジかよ。僕じゃない。
それは僕じゃないぞ!!
去年も一昨年も、僕は綱引きに出場していない。
2年の時は玉入れ、1年の時はリレーでバトンを落として白い目で見られた。
綱引きの前回王者、それは絶対に僕じゃないんだ。
でも、誰のことなんだろう? 赤組に“BREAKERZ”のメンバーなんていないはず。
もしかして、僕が休んでいる間に新しい人が入ったのかな? しかも最強の能力者?!
もう友紀くん、一言言ってくれたら良かったのに。めちゃくちゃ焦ったじゃないか。
そうか、わかったぞ。
この好奇な目は僕に対してじゃなく、新入りの最強“BREAKERZ”に向けられたものだったんだ。
自意識過剰にも程があったよ。
赤組には最強の新入りさんが居るんだ。その人がチームを勝たせてくれる。
もう僕は気負わなくて良いんだ…!
心がとても軽くなった僕は、内から溢れんばかりの希望と共にぱっと目を開いた。
姫咲「その名もぉ~? 鬼塚あぁぁ琉うぅ蓮えええぇぇぇぇん~!!」
ワアァ────────!!
いや、僕じゃねぇかよクソヤロー。
耳を劈くほどに湧き上がる歓声が希望を塵に変え、僕を絶望のどん底に叩き落とした。
何? 綱引きのディフェンディング•チャンピオンって…。誰と間違えてる?
まさか盛り上げるために嘘を言った?
太陽が素粒子を本気で焼き殺しに来るなんて誰が想像するだろうか。
姫咲「人類最強のパワーをとくと御覧ください!」
酷いよ、酷いよ姫咲さん。
貴女のことリスペクトしてたのに…。敬意が殺意に変わりそうだよ…!
美澄「そ、それでは赤組と青組の試合を始めます。位置に着いてください」
困惑しながらも原稿通りにプログラムを進める美澄さん。
持ち上がる綱引きロープ。
“ド派手に蹴散らせ”と言わんばかりの視線が僕に突き刺さる。
そして…。
「鬼塚琉蓮っ!! 俺はお前に屈しない。たとえ此処で死んで地獄に墜ちようとも、お前だけはぶっ倒す! どんな手を使ってても絶対にぃ!!」
青組の先頭の人がもの凄い剣幕でそう言ってきた。
僕、何かしたのかな…? お父さんが昔に何かやらかした? いや、翠蓮か?
赤組の期待と青組の決死の覚悟に挟まれた僕にかかるプレッシャーはハンパなかった。
松坂「よ、よーい…!」
パン!
そんな中、始まった赤組と青組の綱引き対決。
思考がまとまらないまま、僕は片手で軽く綱を握っていた。
「う、動かない」
「クソッ! もっと引っ張れえぇ! 今日が俺たちの命日だぁ!!」
青組の皆が顔を真っ赤にしてロープを引っ張っているけどビクともしない。
「鬼塚くん、こっちに引っ張ってくれないかな? 全然、動かなくて…」
そして、それは赤組の皆も同じだった。
湧き上がる生徒の歓声。
「良いぞ! ぶっ殺せえぇ!!」
「青組諸共ひねり潰せぇ、鬼塚かああぁぁぁ!」
野蛮すぎる声援が僕に届く。
殺せとかひねり潰せって…、これただの綱引きだよね? うちの学校ヤバくないか…?
僕を中心にビクとも動かない綱引きロープ。
考える余裕がある分、少しずつ気持ちも落ち着いてきた。
野蛮な歓声や青組の雄叫び、姫咲さんの意気揚々とした実況。
色んな言葉が飛び交っている。
全部聞いてるとまた冷静さを失ってしまう。だから、聞くべき言葉だけに耳を傾けるんだ。
赤組のみんなの言葉…。
“少しだけ手前に引っ張る”。
その指示だけを聞けば良い。
僕を死んでも倒したい青組の人たち。
ド派手な勝利を求める多くの生徒。
そして、純粋に勝ち上がって優勝したい赤組のみんな。
僕への想いはそれぞれ違うけど、今は赤組の人たちを手伝う!
あの明るい笑顔を裏切る最低な奴にはなりたくない!
手前にロープを引く。
そう決心した矢先のことだった。
ググッ…………ブチッ!
赤組•青組「「うあああぁぁぁぁ!!」」
何かが引き千切れる音がして、みんな僕から離れるように吹き飛んでいった。
一瞬のことで理解が遅れる。
手の中には潰れたロープの屑が。
まさか、僕がロープを千切った?
そうならないように加減はしていたはずなのに、なんで? 緊張で無意識に力んでしまっていた?
あれだけ騒がしかった歓声も静まり返っていた。
まずい、みんな結構吹き飛んだ。怪我とかさせてしまった?
美澄「ロープが真ん中で千切れた…」
姫咲「この場合ってどっちが勝ちなの?」
異例の事態に戸惑う2人。
みんなに“大丈夫?”って声を掛けたいのに、“ごめん”って謝りたいのに身体が動かない。
「2人は下がってなさい。私がジャッジするわ」
そう言って、司会席の後ろから出てきたのは御影教頭。
皆は知らないけど、あの人は政府の人だ。テロリストの本拠地に放り込まれた時は大変だったよ。
彼女はハイヒールでこちらに向かってきて、淡々とこう言った。
御影「ビデオ判定に入ります」
ビデオ判定…、プロのスポーツ選手の試合で使われてる結構ガチな奴じゃん。
政府の方針か何かで体育祭には結構力を入れているのかな? いや、そんなことある…?
僕の前でスマホを取り出した彼女は表情1つ変えずに画面を見つめている。
録画映像を見ているのかな? だとすれば、そのカメラは何処に? それらしきものは見当たらない。
御影「綱引きロープは鬼塚くんが握っている箇所でちょうど千切れているわね。老朽化による破損の可能性は少ない」
淡々と語る御影教頭の言葉に、僕は固唾を飲んだ。
御影「鬼塚くんの力による破損と判断。ジャッジは…、赤組の反則負け。青組の勝利とします」
「そ、そんな…」
吹き飛んだ青組の人たちに腕を向ける教頭先生。
姫咲「ま、まさかのジャイアントキリング!! 青組が下馬評を大きく覆しました!!」
オォ───!!
湧き上がる驚嘆の歓声。
僕のせいだ。
姫咲「青組の決死の覚悟が不屈の矛となり、最強の鬼塚の心臓を貫いたぁ!!」
僕のせいで、赤組が負けた。
ガクッ
罪の意識に耐えきれなくなった僕は、その場で膝から崩れ落ちた。




