気づく者 - 水瀬 友紀㊱
ーー
「これ、おむすびせんべいだよな?」
獅子王陽を模したおむすびせんべい型ホログラム。
席に座り一点を見つめて動かないそれを見下ろし、恰幅の良い坊主頭の彼はそう言った。
彼の名前は、武安 弁慶。
吉波高校の柔道部所属。
体重100キロ超えの大男。
そして、吉波高校一の食いしん坊である。
ーー
聞き間違いかな? そうだと思いたい。
見るからにいっぱい食べそうな彼だけど、陽がおむすびせんべいに見えているのか?
彼はホログラムの陽から一切目を離さない。
まさかとは思うけど、電池切れ…? でも、僕にはちゃんと陽に見えてるし…。
それに電池を入れるところなんて見当たらない。本体はただのおむすびせんべいの袋なんだから。
武安「やっぱり、おむすびせんべいだよな?」
彼は、席に座った陽を見つめながら首を傾げる。
わかってはいたけど、聞き間違いじゃない。
彼には見えているんだ。ホログラムの本体、おむすびせんべいが…。
電池の問題じゃないとしたら何だ?
食いしん坊特有の嗅覚とかあったりするのか? まさか、彼は特質持ち?
そんなことを考えている内に、彼の手がゆっくりと陽のお尻辺りに向かって伸びていく。
陽に触れようとしているんじゃない。
伸ばす手の先にあるのは、椅子の上にぽつんと置かれたおむすびせんべい。
まだ未開封、開けたらどうなるかわからない。そもそも、何をどうやったらおむすびせんべいがホログラムになるんだ?
慶はほんと凄いものを作る。
感心している場合じゃないな。彼を止めないと…。
「ちょっと良いかな?」
僕は声を掛けて、彼の腕を掴んだ。
「陽は今デリケートなんだ。だから今は触れずにそっと……しといて…………ッ!」
力が強い…! 腕を掴んで止めようとしてるけど、全く止まらない。
そして、彼は僕の呼びかけに応えず、おむすびせんべいに手を持っていく。
僕のことは全く眼中にないってことか。
「止まってくれ! 一旦話を聞いてくれ!」
両手で腕を掴んで思い切り後ろに引っ張っても状況は変わらず…。
そりゃそっか。背は同じくらいだけど、体重は下手したら倍以上の差があるんだから。
多分だけど、彼は何かしらの部活をやっている。普段から運動して身体を鍛えてるに違いない。
体格差がある上に運動部でもない僕が、力で勝てるはずがない。
このままだと、彼におむすびせんべいを食べられてしまう。
だから、細心の注意を払って使おう。
ウインドパワーもとい“風の理”を…!
“__風よ”。
僕が一言念じると同時に、空いた教室の窓から軽く風が吹き込んだ。
外からやって来た風は、彼の伸ばした腕を覆い、陽とは反対の方向へ押し返すように流れる。
おむすびせんべいから少しずつ離れていく彼の右腕。
もう僕が手で引っ張る必要はなさそうだ。
そう思った僕は手を離して彼から2、3歩ほど距離をとった。
武安「ただのおむすびせんべい…、だよな?」
彼自身、風の反発のようなものを感じているのだろうか。
ゆっくりと押し返されていく右腕を不思議そうに見つめて首を傾げている。
剣崎「水瀬氏…! 助太刀を…!」
教室に戻ってきた怜は、異変を察したのかこちらに走ってきた。
「大丈夫…! 何とかするから」
そんな彼に対し、僕は手の平を向けて制止する。
手伝おうとしてくれるのはありがたいけど、腕を掴んだり押さえ込んだりするとかなり目立ってしまう。
喧嘩とか取っ組み合いみたいなトラブルだと先生に思われるのはまずい。
校内で問題なんか起こしたら廃部の口実にされる。
風の理は、見えない風を操るもの。
この状況において、目立たず対応できる技だ。
今は昼休み、きっとチャイムが鳴ったら彼も諦めて帰ってくれるだろう。
押し戻される右腕に違和感を感じている様子の彼は、左手もおむすびせんべいに向かって伸ばそうとしている。
残念だけど、もう君は陽に触れない。
“風の理、ウインド・バリア”。
君が思案している間に、陽の周りにバリアを張っておいたから。
陽を球状に囲む分厚い風の壁が君の手を阻む。
武安「…………! 普通のおむすびせんべいじゃない…?」
風の壁に手を触れた彼は、動揺した様子でそう呟いた。
うん、間違ってはないよ。ホログラムを出せるおむすびせんべいだからね。普通じゃないのは確かだ。
てか、この人さっきから“おむすびせんべい”しか言ってなくない?
どんだけ食べたいんだ? お弁当忘れてきたのかな?
「あの…、そっとしといてあげてほしい。陽は今しんどい時期なんだ」
両手がおむすびせんべいに届かずもどかしそうにしている彼に、僕の言葉は届かないみたいだ。
「ちょっと武ちゃん、何やってんの!」
廊下からもう1人、坊主の人が顔を覗かせる。
武ちゃん、おむすびせんべいに捕らわれた彼のことだろう。
2人は友達なのかな。
「お供え物、勝手に食べたらダメだって!」
焦った様子でやって来る坊主の友達。
お供え物…。
陽の机の上に置かれたバナナやお菓子のことを言ってるんだろうけど不謹慎だな。
死んでないから。
彼は恐らく拉致されて、行方不明になってるだけ…。
死んで…………ないよな…?
皇の直感では、陽は無事ってことになってるけど。
ホントに大丈夫だよな? あれから何日か経ってるし、飢えたりしてなければ良いけど…。
武安「頑固なおむすびせんべいよ、良い言葉を教えてやろう」
武ちゃんと呼ばれる彼は、冷静な眼差しで陽を見下ろしそう言った。
良い言葉…。
何だろう、あまり良い予感がしない。
「えーっと…。武ちゃん、おむすびせんべいはなさそうよ? ていうか、あっても食べるな!」
陽の机を見てそう話す武ちゃんの友達。
やっぱり陽のホログラムは正常だ。彼の友達にはおむすびせんべいが見えてない。
逆に言えば、武ちゃんだけが気づいている。どうしてかわからないけど。
ドッ…! ググッ…!
彼が腰を落として踏み込んだ瞬間、風で阻まれていたはずの両腕が前に進み出した。
力ずくでウインド・バリアを突破しようっていうのか?
でも、できないことはない。
五十嵐先生が僕らに使ったウインド・バリア。
皇は拍子良く抜け出せたし、ゴリラ化した陽の必殺パンチみたいな技でも破れた。
もの凄い力が加わればバリアは崩壊するということだ。
だけど、ただ腕っぷしが強い普通の人に破られるものなのか?
そんな脆くはないはずだけど、実際突破されようとしている。
武安「限界を超えないと行けない時、更に上を目指す時。俺たち柔道部はこう言い聞かせてる」
あ、柔道部だったのか。
たかだかおむすびせんべい1袋に対して、“限界を超える”とか“更に上を”とか思わなくて良いよ。
練習でやってくれ。こんなとこで限界を超えないでくれ!
重量級の彼が踏み込むことで軋む床板。
少しずつおむすびせんべいに近付いていく彼の両腕。
少し手荒になるけど、出力を上げないと…!
両腕に風を纏わり付かせ、もっと強く押し返す。
そして、両脚を風で床から少し浮かすんだ。
“__風よ、頼んだぞ!”。
僕のイメージ通りに風は流れる。
少しばかり浮いた両足に、更に強く押し返される両腕。
身体が宙に浮けば踏み込むことはできない。出せる力は激減する。
普通に考えたらこれで充分だろう。
これ以上強くするのは危険だ。
彼が大怪我をするかもしれない。
武安「ウオオォォォ…!」
ドン!
それでも、彼は唸り声を上げながら無理やり踏み込んだ。
ただ事ではないと気づいたのか、集まってきてザワつき始めるギャラリー。
彼が奮闘するせいで、結局目立ってしまっている。
剣崎「これはまずい…! やはり助太刀致す!」
怜は武ちゃんとおむすびせんべいの間に割って入り、限界を超えそうな彼の身体を全力で押し出した。
怜は僕と違って毎日鍛えてる。彼の身体能力なら、圧倒的な体格差を覆すなんてわけないはずだ。
なのに…、踏み込んだ武ちゃんはビクとも動かない。
そして、ついにその時がやって来た。
唸り声を上げながらおむすびせんべいに両手を伸ばす彼は、校内に響き渡らんばかりの声量でこう叫んだんだ。
武安「更なる高みへ! Ultra Alpha!」
何か聞いたことあるぞおぉぉ!?
僕と怜の防衛は虚しく、ウインド・バリアは破られ、おむすびせんべいの袋を開けられてしまった。
彼はおむすびせんべいを1枚手に取り、口に運んでほとんど噛まずに飲み込んだ。
焦燥感を覚える中、陽のホログラムがチラつき始める。
陽…、おむすびせんべい…、陽…、おむすびせんべい。
ギャラリーが集まった中でのこの事態、最悪の中の最悪だ。
「な、何なんだあれは?!」
「え、おむすびせんべい…? え、生徒会長…?」
みんなは大パニックになった。
どうする? どう説明すれば収拾つけられる?
“精神が限界まで不安定になると、ゴリラじゃなくおむすびせんべいに変身してしまうんだ”とか?
ワンチャンあるかもしれないけど、御影教頭の目は誤魔化せないよな。
武安「やっぱり、おむすびせんべいだったな」
周りがパニックになる中、彼は納得したような顔をしてもう1枚おむすびせんべいを食べた。
更にチラつきバグり始めるホログラム。
陽…、ゴリラ…、おむすびせんべい…、陽…、ゴリラ…、おむすびせんべい。
「おぉ! 何だ? 何だ?」
「え、今、会長かじられてなかった?」
「生徒会長とゴリラにおむすびせんべい、いったいどれなんだあぁ?!」
教室内は更にパニックになった。
無理だ、もう収拾つかない。
柔道部がこんなとこで“Ultra Alpha”するから…。
「おい、退け! 野次馬ども!」
馴染みのある声が廊下から聞こえてくる。
人混みの中から、スーパーの袋を持った皇が姿を現した。
若干息の荒い彼はドヤ顔で僕にこう言う。
皇「買ってきてやったぜぇ♪ これでしばらくは安泰だぁ♪」
「えっと…、何それ?」
全く見当がつかず僕がそう聞くと、彼は呆れたような顔をした。
皇「はぁ…、おむすびせんべいに決まってんだろ」
うーん…、まさか…。
いや、そのまさかなのか?
__________________
そのまさかだった。
そんなギャグマンガみたいなことある?
バクっていたホログラムは完全に直ったよ。
皇が買ってきた普通のおむすびせんべいを2枚入れたんだ。
すると、すっかり元通り。精巧な陽のホログラムは、いつも通り席に座ってる。
慶、いったいこれはどんな仕組みなんだ?
あれだけパニクってたギャラリーも皇得意の話術で収拾がついた。
自然と肩の力が抜けてホッと溜め息が出る。
今回は何とかなったけど、誤魔化すのもそろそろ限界だ。
次の手があるなら早く打たないと。
「皇…、そろそろ次の手を…」
武安「あれ? また2枚増えてる。ただのおむすびせんべいじゃないよな?」
背後から聞こえる彼の声に、僕は戦慄した。
武ちゃん、まだいたのか。
彼はどっしりと腰を落とし、両手をおむすびせんべいに持って行く。
もう最初から“Ultra Alpha”してるじゃん。
あの程度の風じゃ止められない。
もういっその事、殺っちゃう?
殺意が沸いた矢先のことだ。
ガスの抜けるような音がすると同時に、武ちゃんは白目を剥き泡を吹いて卒倒した。
日下部「昏倒劇臭屁、指点放射」
いつの間にか黒板近くにいた彼は、人差し指をこちらに向けて立っている。
そして、僕らの方へ向けていた人差し指をくるくると回した後、自分のお尻を指さした。
スポッ…
日下部「うっ…、イボ痔が…」
小声で何か言って、お尻を撫でる日下部。
今の一連の動き…、放った放屁をお尻に戻した…?
ま、まぁとりあえず彼を止めてくれて助かったよ。
日下部「僕が席を外してる間に何かあったようだね」
彼はそう言って、自身の人差し指にふぅっと息を吹きかけた。
松坂「お、お前たち。もうすぐ授業始まるから席着いとけよ~」
黒板近くの開いたドアから、松坂先生が入ってくる。
柔道部が泡を吹いて倒れてるこの状況、どう説明しようか…。
日下部「はい、わかりました」
返事をする日下部の後ろを通る松坂先生。
日下部「…………!」
ボオオオォォォォォン!!
先生がちょうど彼の後ろに来たタイミングで、爆音が教室内に反響する。
その爆音が何なのか理解するのに時間はかからなかった。
武ちゃんと同じように泡を吹いて倒れる松坂先生。
明らかやらかしてしまったといった顔をする日下部。
彼の放屁が暴発したんだ。
日下部「しまった。さっき戻した放屁が暴発してしまったよ。座薬を肛門に挟んでいるような感覚だったんだ」
日下部は1人ぶつぶつと言い訳している。
そして、彼は後ろに振り返り、倒れた松坂先生を見下ろしてこう言った。
日下部「僕の後ろを通るなんて、先生もナンセンスですね。僕のお尻はいつだって臨戦態勢なんだ。さて、次は自習かな?」
チラッと壁の時計を確認した彼は、痛そうな顔をしてお尻を押さえながら摺り足気味に歩き、自分の席へと戻っていった。
日下部「イテテテ……あ、みんな。しばらく黒板付近には近付かない方が良い。僕の放屁が漂ってるからね」
ゆっくりと席に着いた日下部は、教室にいる皆に注意を促す。
まずいな…、また新たな問題が…。
先生に向かって神の力を行使したなんて思われたら、間違いなく廃部だ。
どんどん粗が出てきてる。
「皇、早く次の手を教えてくれ。これ以上誤魔化せないし、陽だって持たないよ」
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
午後の授業開始を知らせる予鈴が、僕の声に被さる。
皇「おっと、授業が始まるぜ♪ 放課後、話ぐらいは聞いてやるよ」
皇はいつものようにニヤリと笑い、教室を出て行った。
“話ぐらいは聞いてやる”って…。
次の手を話す気はないのか?
陽が行方不明になってから結構経ったぞ。
まだ動かないのか?
何を待っているんだ?
彼の考えが全く読めない。
そもそも…、
次の手なんてあるのか?
何も考えていないってことも充分ありえる。
皇に対しての微かな疑念や不安は、僕の中で一気に大きくなった。
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
5限目を知らせる本鈴のチャイム。
焦りや不安、そして少しばかりの苛立ちを抱えた僕を置いて授業が始まった。




