奇策 - 水瀬 友紀㉟
皇「おっ、ヤベぇな♪ 授業に遅れるぜ。また後で連絡するわ!」
“また連絡する”。
あれから土日を挟んで数日、状況は変わってない。
陽は行方不明のままだけど、集団下校作戦もあってかみんな健在だ。
皇は次の作戦を言おうとしない。
全校集会以降、何も話してくれないんだ。
敵に作戦が漏れることを懸念しているんだろうか。もしかして、僕ら身内を疑っている?
まさか、次の手を考えてないなんてことはないよな?
彼の考えは読めない。いきなり面倒くさくなって丸投げしてくる予感もする。
作戦を伝えず決行しないことに、何か狙いや意図があるなら良いんだけど…。
コツコツコツ……
昼休みで教室が賑わう中、どことなく品のある足音が廊下から聞こえてくる。
ドアから顔を覗かせる副会長の美澄さん。
控えめな姿勢な彼女だけど、透き通った白い肌や上品な佇まいから圧倒的な雰囲気を醸し出していた。
そんな彼女は、席に座っているホログラムの陽と僕の元へやって来る。
美澄「水瀬さん…、あれから進展はない感じかな?」
不動で一点を見つめる陽を一瞥してから、彼女はそう言う。
「うん、今は現状維持って感じかな。消える人もいないけど、陽の手かがりも掴めてない。皇からも何もないし…」
陽を心配する美澄さんへの申し訳なさや、彼女の美しすぎる容姿から、僕は思わず目を逸らした。
見た目や性格、品性に才能。全てを兼ね備える彼女を直視するのは難しい。
それに、あまり仲良さそうに話すのは危険だ。
ないとは思うけど万が一、美澄さんを慕う過激派から彼氏と思われたら消されてしまう。
美澄「そうだよね…。そんな簡単にはいかないよね」
そう呟いて俯く彼女の目は、心なしか潤っているように見えた。
陽の席にはたくさんのバナナやお菓子が置かれている。
旅行先でトラウマを負って動かなくなったと思っている皆は、陽を元気づけようとしてくれているんだ。
陽を…、生徒会長を慕う美澄さんや皆の気持ちに早く応えたい。
何より僕自身、彼のことが心配だ。
「一刻も早く陽を見つけるよ。居場所と犯人さえわかれば勝てる。今の僕らや…、琉蓮なら絶対に…!」
僕は拳を握り締め、美澄さんにそう誓った。
こくりと頷く彼女の表情からは不安が窺える。
昼休みは後5分くらい。クラスの皆は教科書を持って廊下へ出て行く。
次の授業は移動教室だ。
鬼塚「友紀くん、そろそろ行かないと…」
皆と同じ教科書を持った琉蓮が、僕の隣に来て小さな声でそう言った。
そして、軽々とホログラムの陽を持ち上げて肩に担ぐ。
元はおむすびせんべいだから誰でも簡単に持ち運べるんだけど、陽の移動係を違和感なくできるのは力持ちの彼だけだ。
「そろそろ行くよ。次、移動教室だから」
美澄「えぇ、私も戻るわ。何かわかったら教えてね」
僕は自分の席から教科書を取り出し、陽を担いだ琉蓮と一緒に教室を出た。
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日下部「起立! 礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
昼休みを挟んで1発目の授業が、日直の日下部の号令と僕らの挨拶によって終了する。
次は…、体育の授業。
外でサッカーやるんだっけ。
移動教室の後の体育は、結構バタバタするんだよな。
すぐ戻って体操服に着替えないと…。
バタつくのは皆も同じだ。
それは、移動教室のたびに陽を運ぶ琉蓮も例外じゃない。
彼は少し焦った様子で陽を持ち上げた。
集団下校やホログラム陽の設置以来、琉蓮には苦労をかけてしまってる。
彼が陽を持ち運ぶのは移動教室に限らない。
陽が行方不明になっていることを知っているのは僕らだけ。
彼の両親にも明かしてないんだ。トラウマでうんともすんとも言わなくなったと、皇が説明した。
下校時には家まで陽を送り届けて、登校する時にまた取りに行く。
更に僕らが行方不明になるのを防ぐため、琉蓮は帰りにみんなを家まで送ってるんだ。
犯人を倒して陽を取り戻すまで、それは毎日続く。
「琉蓮、毎日ありがとう。疲れてない?」
教室で1人残された琉蓮に、僕はそう聞いた。
鬼塚「大丈夫だよ。肩におむすびせんべいを乗せてるようなものだしね」
彼は柔らかい表情でそう答える。
あまり負担にはなってないみたいだ。
遠慮や我慢をしている感じではなさそうだし、ちょっと安心した。
「そっか。でも、しんどかったらいつでも言って」
鬼塚「ゆ、友紀くん……優しいんだね。ふんわりと咲いて舞うたんぽぽのように…」
うるうるとした目でこちらを見てくる琉蓮に若干の気まずさを感じながら、僕は教室を後にした。
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的場「行くんじゃ、素人ども! サッカーはゴール決めてなんぼじゃ!」
6限目、体育の授業。
体育は大体、他クラスと合同だ。
体操服に着替えた僕らはグラウンドに出て、サッカーをやっている。
ホログラムの陽も体操服に着替えて、サッカーコートの真ん中で棒立ち状態。
本当は見学にして、ベンチとか安全な場所に置きたかったんだけど…。
1人ベンチは可哀想だという皆の意見で、参加させなければいけないことになった。
おむすびせんべい型ホログラム、慶が造っただけはある。
おむすびせんべいの袋に手を添えてイメージしたら、制服から体操服姿に変わったんだ。
正直、めっちゃ感動した。
けど、浮かれたらいけない。
体育の授業は超危険だ。
サッカーボールが飛び交うコートのど真ん中に陽は立っている。
つまりホログラムの本体であるおむすびせんべいは、数十人が走る地面に置かれているんだ。
踏まれたら終わる。サッカーボールが当たっても終わる。
一応、みんな気を遣って陽に当たらないよう避けてはいるけど。
絶対に当たらないとは限らない。
サッカーは予測不可能なスポーツだから。
試合終了の笛が鳴るまで、一切の気は抜けない…!
陽に…、おむすびせんべいに集中するんだ。
サッカーは二の次だ。
ボールを追いかけてさえいれば、内申点には響かない。
なるべく陽から離れないよう、ボールが飛んできたらすぐ対応できる距離に…。
みんな同じように考えていると、僕は思っていた。
サッカーを楽しむことよりも、おむすびせんべいを守ることが最優先だって。
的場「俺らのチーム、負けとるぞおぉ! もっとゴールを決めるんじゃあああぁぁぁぁ!!」
自陣のゴール付近から大きく山なりにボールを蹴る的場。
彼を含めたサッカー部たちは、かなり熱が入っていた。
それに伴って、試合は激化していく。
練習に限らず体育のサッカーも変わらず真剣、それがうちのサッカー部ってとこか。
参ったな、真剣勝負は陽がいないチームとやって欲しい。
藤原「マジかよ。あのキック精度…。あいつの右足、まだ治ってないはず…」
サッカー部キャプテンの藤原は、こっちのチームにいる。
球技大会での一件で、あまり良い印象はないけど…。
藤原「怪我人に負けるわけにはいかない…!」
的場に蹴り上げられたボールが、僕らの陣地に降ってくる。
彼の味方の足元にドンピシャだ。
てきとうに遠くへ蹴り飛ばしたんじゃない。寸分の狂いもない正確無比なロングパス。
それを…、
藤原「ふんっ…!」
藤原が足を目いっぱい伸ばしボールを奪取した。
彼は鉄壁のディフェンダーだ。
攻撃の的場と、守備の藤原のマッチアップ。
熱くなるのはわかるし勝利の行方も気になるけど、激戦のど真ん中に佇むおむすびせんべいが心配でならない!
藤原はボールを奪ってドリブルを始めた。
素人は相手にならないのか、巧みなボール運びで次々と躱していく。
ディフェンダーでもこんなにドリブル上手いのか。サッカー部って凄いな。
感心していたのも束の間、向かってくる敵を抜き去った藤原は、最後の砦となる的場へ向かっていった。
的場を躱せば、後はキーパーだけ。
この勝負、どうなるか。球技大会の決勝で戦ったから何となくわかる。
藤原は勝ちへのこだわりが強く、勝つためにはあまり手段を選ばない。
そして、的場の右足が完治していないことを知っている。
そんな彼が取る選択は…、
ダンッ!
スピードで振り切る強引な縦突破。
的場は右足を踏み込みきれず、藤原の全速力に着いて来れない。
後は、キーパーとの1vs1。
キーパーはサッカー部じゃなく素人だ。
彼はゴールを確信したかのような顔をして、右足を振り抜いた。
シュートコースは完璧、威力も充分。
多分、サッカー部のキーパーでも弾道を読んでないと止められないだろう。
僕がキーパーだったら、そもそも避けてる。
ただの素人じゃ絶対に無理だ。
だけど、特質があったら話は変わる。
藤原が右足を振り抜いたと同時に、キーパーはボールの軌道を追うかのように跳び上がった。
常人離れしたジャンプによって、完璧なコースに吸い込まれていくボールをいとも簡単にキャッチする。
そして、落下時に受け身をとって起き上がった彼はこう言った。
剣崎「済まぬな、藤原氏。その完璧なシュートも、私には視えている」
相手が悪すぎる。
順番が回ってきてキーパーをしているのは、オタ芸と格ゲーで身体能力と動体視力を鍛え上げている怜だったんだ。
彼の特質は一応、“多彩な唾液の分泌”なんだけど…。
あの身体能力と動体視力も、特質に入るのかな?
藤原「嘘だろ…? ていうか、サッカー部来いよ」
動揺しながらもサッカー部に勧誘する藤原。
怜をキーパーとして迎えれば、絶対的な戦力アップになると思ったんだろう。
剣崎「申し訳ないが、その要望には応えられない。日々の鍛錬、オタ芸や推し活、早朝の自警部活動などによって、私のスケジュールは埋め尽くされているのだ。その上、私達はいま重大な事件に関わ……何でもない」
誘いを長く丁寧に断った怜。
一瞬、陽が行方不明になってること言いかけたよな?
焦るから止めてくれ。
的場「ヘイ、剣崎! 足元じゃ!」
怜は的場の指示通り、彼の足元に向かってボールを転がした。
的場「行くぞ! 反撃じゃああぁぁぁ!!」
ドン!
またも山なりにボールを蹴り上げる的場。
そして、今度は真っ直ぐ僕らの陣地に向かって走り出した。
的場「京極うぅ! お前じゃあぁ!」
京極「ん、俺…?」
不意に呼ばれた京極は自身を指さし、首を傾げる。
彼は僕と同じことを考えているに違いない。
僕と京極は、ホログラムの陽の近くに立っている。
彼だけは、おむすびせんべいの安全を第一に考えてくれてるんだ。
そんな彼の足元に向かって、的場が蹴ったサッカーボールが降ってくる。
的場「ワンツーじゃ! 俺の足元に落とすんじゃ!」
そう叫びながらこちらの陣地へと駆け上がる的場。
京極「お、おう…。わかった…」
的場がコートの中央までやって来たと同時に、京極の足元にボールが届く。
京極はほんの少し足を動かして、走る的場にパスを送った。
的場は、ドンピシャの位置とタイミングになるよう調整して蹴っていたのか?
シュートだけじゃない。
彼はサッカーと射的に関して、完全なコントロールを可能にする。
京極が足を少し動かしただけで、的場の思考は実現されたとも考えられる。
京極「何か……凄いな……」
ワンツーパスを出した彼自身も、どこか的場の特質の凄さを感じ取ったみたいだ。
的場「退くんじゃ、素人ども!」
藤原にも引けを取らないドリブルで、僕のチームメイトを抜き去っていく。
そして、キーパーとの1vs1。
これはある意味、因縁の対決か。
日下部「ふふっ、今回は少し工夫するよ。以前のやり方では、足がピキッてしまうからね。さぁ、再度手合わせ願おうか」
ニヤリと笑いながら普通のキーパーのように構える日下部。
背中を向けていない。
臨戦態勢じゃないのか?
工夫ってどんな? もしかして、普通にキーパーするつもり? 飛んだらイボ痔、ヤバいんじゃない?
でも、笑っている辺り止められる自信はあるみたいだ。
再戦を嬉しそうに笑う日下部に対し、的場は左足を振り上げた。
そして、彼は小さくこう言う。
的場「へっ…、嫌じゃ」
誰もがシュートを打つと思っただろう。
的場はシュートを打つ体勢から、パスを選択した。
日下部「パス…?」
左足のインサイド (足の内側) で蹴ったボールは真横に転がり…、
ダンッ!
ゴール前に走り込んだ京極の足元へ。
日下部「しまった! そっちに放屁が間に合わない…!」
為す術なくボールを見送る日下部に対し、京極は冷静にボールをゴールへと押し込んだ。
的場「よっしゃー! 同点じゃああぁぁぁ!! ナイッシュー! 逆転行くぞ!」
京極「お、おう。凄いな、的場くん」
的場は京極に駆け寄り、勢い良くハイタッチをする。
確かに的場は凄い。
最終的に点を決めたのは京極だけど、的場1人でゴールまでの過程を組み立てていた。
だけど、ゴールを決めた京極もめちゃくちゃ速くないか?
ワンツーパスを出すまで…、いや的場がドリブルで全員躱すまでは、僕の近くにいたはずだ。
陸上部、速すぎるって…。
日下部「それは卑怯じゃないかい? こちらが準備できていないところを突くなんて…」
的場「サッカーってそういうもんじゃろ。相手の準備待っとったら、一生点入らんわ」
日下部と的場が言い合う中、京極は小走りで陽の元へ帰ってきた。
「ナイッシュー。足、めっちゃ速いんだね」
京極「え、あ…、あぁ。まぁ陸上やってるからな」
感心した僕の言葉に対し、京極は額の汗を拭いながらそう言う。
日下部「次は打って来なよ。君も僕の放屁に止められたままじゃ悔しいだろ?」
的場「おう、最後は俺のシュートで勝ったるわ」
日下部の挑発っぽい発言に、的場は背中を向けたまま冷静にそう返した。
そして、このサッカーのルールは体育仕様。コートも普通のサッカーの試合の半分くらいしかない。
本来点が入ったら真ん中からのスタートなんだけど、今回は僕らのゴールキックからの再開だ。
ゴール前に置かれたボールに触れたのは、同じチームの朧月くん。
どうやら彼もスイッチが入ったみたいだ。
日下部も朧月くんも大丈夫? 後で神に怒られたりしない?
右足でボールを踏みつけた彼は今にも消え入りそうな声でこう言った。
朧月「落とすよ」
“落とす”。
恐い雰囲気を持つ彼が言うと、色んな意味に聞こえる。
自陣のゴール前からボールと共に忽然と消える朧月くん。
急にいなくなったことで軽くザワつくコート内。
姿を現すまでにそう時間はかからなかった。
相手チームのゴール前、藤原の目の前に、ボールを踏み付けた状態で彼は登場する。
“落とす”というのは、さっき的場が京極に言ったものと同じ意味だろう。
サッカーでワンツーパスの際によく使われる言葉、“落とし”。
朧月くんがどう思っているかはわからない。
でも僕にとって、藤原の前に現れた彼の一連のプレーはこう見えた。
“時空を超えたポストプレー”。
朧月くんによって、藤原の前にボールがセットされる。
彼の持つ雰囲気や急に現れたことに対して顔を引き攣らせる藤原。
中々動けずにはいるけど、彼は完全なフリーだ。的場も前線から戻れていない。
キーパー怜との直接対決。しかも、さっきより近く狙えるコースも多い。
そして、体育のサッカーにオフサイドはない。
勝ちに拘る藤原の執念と言えるだろうか。
彼は自分の中の動揺や恐怖を振り払い、目の前のボールをゴールに向かって蹴り上げた。
至近距離から放たれる完璧なコースに申し分ない威力のシュート。
それでも…、
バシッ
怜は超反応で跳び上がり、クロスバーにぶら下がりながら片手でボールをキャッチした。
剣崎「朧月氏に藤原氏。見事な連携だが、ギリ視えたであるぞ」
額に汗を滲ませながらそう話す怜。
余裕で止められたわけじゃないみたいだ。
藤原「クソッ、何なんだよこいつ!」
悔しがる藤原を前に、怜はクロスバーから手を離し着地する。
的場「剣崎いぃ! こっちじゃ! パントキックじゃ!」
僕らのゴール付近で手を上げながらそう叫ぶ的場。
怜はこくりと頷き、ボールを手でふわりと上げる。
そして、ゆっくりと落ちてくるボールに向かって足を振り上げるも…、
スカッ…
盛大な空振り。
ファインプレーの後だからパントキックくらいできそうに思えるけど、怜はサッカー超初心者だ。
そして、変に空振ったせいかボールには逆回転がかかり、自分のゴールへと転がっていく。
剣崎「あ゛ぁっ…!」
的場「ノオオオオォォォォン!」
まさかのチャンス到来だ。
藤原は確実に押し込もうと、ゴールへ転がるボールに向かって走り出した。
体育のサッカーとは思えないこの激戦はもうすぐ終わる。
最後は何か呆気ないけど…。時間的に僕や陽のチームの試合は、これで終わりだ。
無事おむすびせんべいを守れたことにホッとしているよ。
藤原がゴールに押し込んで終わり、多分みんなそう思ってた。
ザッ!
京極がゴール前に現れて、ボールを蹴り出すまでは…。
…………。
マジかよ。速すぎるだろ、陸上部…!
的場「な…、ナイスじゃ! 京極、後は任せとけ!」
彼の速さに驚きながらも、的場は落下点まで走りボールを足元に収める。
そして、難なくドリブル突破。
日下部「待ち侘びたよ、的場」
的場と日下部、2回目のマッチアップだ。
的場「お前には左足で充分じゃ!」
彼はそう言いながら、上体を前に倒し左足を地面に対して垂直に振り上げた。
的場「必殺! エイムショット!」
振り上げた左足に思い切り打ち抜かれたボールは、ゴールの右隅へ向かう。
日下部は背中を向けることなく、ゴールの右隅を指さしてこう呟いた。
日下部「宙屁、指点放射」
シューーー!
日下部でお馴染み、ガスが抜けるような音。
彼の足は地面からほんの少しばかり浮いた。目を凝らさないとわからないくらい。
結果は球技大会と同じく、ボールはゴールに入る寸前のところで止まった。
見えない壁か何かに阻まれるように…。
日下部「また僕の勝ちみたいだね」
満足そうに微笑む日下部に対し、的場は悔しそうに歯を食いしばった。
ーー
【指点放射】
肛門から放出した放屁を指先に集め、任意の位置に誘導するテクニック。
少量の放屁で精密なコントロールが可能な為、イボ痔に優しい。
球技大会で全開の宙屁を出しながら踏ん張って足を痛めた日下部が、次はそうならないために考え編み出した技である。
ーー
そして、日下部が指先をクイッとやると、ボールは何かに弾かれたかのように山なりに跳び上がった。
そして、コートの中央にいる僕の方へやって来る。
困ったな、陽に当たりそうなんだけど。
日下部「水瀬、君の力で決めるんだ。僕らが勝利を頂こう。風を操縦できる君ならゴールなんて造作もないだろ?」
あぁ、そういうことか。
これは彼から僕へのラストパスなんだ。
そうだな…、もうすぐ試合が終わる。
白熱していた藤原や的場、他の皆も陽には当たらないよう配慮してくれていたんだろう。
今まで1回もヒヤッとさせられることはなかった。
ほぼ真上の角度から落ちてくるサッカーボール。
最後はゴールで終わらせよう。
引き分けで終わるより、勝った方が気持ちいい。
落ちてくるサッカーボールの横から風を当ててゴールまで運ぶ。
右隅か左隅、どっちでも良い。
強風を扇いでスピードを出せば、普通のキーパーなら止められない。
だけど、相手は怜だ。
必ず反応してボールに触れてくる。
だから、それも計算して…。
手が触れた瞬間に、風でボールの回転を変えてゴールにねじ込む。
トン
目の前に落ちてきてワンバウンドするボール。
僕は、ボールと前方のゴールを見据えてこう言った。
「風の理…、エア・ウインド!」
集約した風に押され、ボールはゴールに向かって加速する。
僕が狙ったのは、ゴールの左隅より少し真ん中寄りのところ。
かなりのスピードだと思うけど、怜は当たり前かのように反応した。
涼しい顔で跳び上がってボールに手を伸ばす怜。
彼の右手にボールが触れる。
今だ…!
風でボールを左に回転させる!
怜「何だ…、この回転は?!」
怜の右手を転がり、ボールはゴールの左隅へ。
それが僕の作戦だ。最初に真ん中寄りを狙ったのはそのため。
怜はもう跳んでいる。
どんなに身体能力が高く動体視力が良くても、もう対応はできない。
怜「まさかの急回転、このままでは…! 否、指先の力で押し出すのだ! ふううぅぅぅんっ…!」
ゴンッ
マジか…! 指先だけでボールを押し出した?
怜の踏ん張りのせいか、ボールは僕が思ったよりも左に逸れてポストに弾かれた。
もう多彩な唾液より身体能力が凄いよ、あの人。
村川「はい、男子は終了! 後片付けきっちりやるように。最近の子は神とかトク…?とか憑いてて凄いねんな…」
ちょうどここで試合は終了し、残りの時間は後片付けに充てられた。
五十嵐先生がいない今、最恐の村川先生が代理で体育の授業をしている。
僕らが慣れたってのもあるかもしれないけど、何か疲れてるのかあまり前のような恐さがない。
おむすびせんべいに何もなくて良かった。
後は片付けて制服に着替えたら終わりだ。
そう思っていた矢先だった。
トントン……
隣のコートからボールが転がってくる。
あまり気にしていなかったけど、隣は女子がサッカーやっていたな。
僕は深く考えずにボールを拾い上げた。
「ふんふんふんふんふん…!」
荒い鼻息のような音を発しながら、1人の女の子がこちらにやって来る。
背は女子の中でも低い方、細身な割にがっちりとした腕が印象的。
髪型は短めの姫カットってやつかな?
両手をグーにしてぶんぶん振りながら走ってくる彼女を見て、僕は何か男勝りな人なのかなという印象を受けた。
「あ、ごめん。ボールかな? そっちはまだ試合ち…」
「ふんっ!」
急な出来事で何が起こったのかわからない。
僕は確か、鼻息が荒い彼女にボールを渡そうとした。
みぞおちに激しい痛み、気づけば僕の身体は宙を舞っていた。
まずい…、このまま行ったら陽に当たる。
おむすびせんべいが僕のお尻で潰れる。
ドン!
そんな僕の身体を押してくれたのは、速すぎる陸上部キャプテン、京極だった。
「グハッ!」
地面を背中に打ち付けた僕の口から、自然と声が漏れる。
みぞおちがマジで痛い。ピンポイントで殴られたかのような痛みだ。
僕はゆっくりと上体を起こして、辺りを確認する。
京極「はぁ…、はぁ…。ちょっと君…、危ないよ。いきなり頭から腹に突っ込むなんて。何考えてるんだ?」
額に汗を滲ませた京極は、ボールを持って戻ろうとする彼女にそう聞いていた。
頭から腹に…。僕のみぞおちに彼女の姫カットがめり込んだってこと?
そりゃ痛いわ…。
でも、吹っ飛んだんだよな?
頭突きで吹っ飛ぶことってあるのか?
パキケファロサウルスじゃあるまいし。
京極の問いに対し、彼女は振り返ってこう言う。
「今うちらのチームは負けてる。相手チームはうちの嫌いなロベリアいる。興奮して頭突きすることがあっても仕方ないと思う」
口を尖らせて説明する彼女だけど、吹っ飛ばして悪いとは思ってなさそうだ。
「ちょっと雛~! 何してんの~!」
「授業終わったよ! 片付けしないと!」
雛と呼ばれた彼女の後ろから、3人の女子がやって来る。
彼女の友達かな?
雛「説明してた。うちが頭突き喰らわした理由」
「え、ほんと何してんの?」
雛「仕方のないこと」
微妙に会話かみ合ってないよな。
いつもこんな感じなんだろうか。
「ごめんなさい。何か頭突き…、したとか…」
1人の女子が僕に謝ってきた。
「あ、あぁ、大丈夫だよ。ぶつかったって感じで、多分わざとじゃないと思うし」
「良かった。あの子、悪い子ではないんですけど…」
ホッとした表情を見せる彼女。
まぁ、みぞおち痛いっちゃ痛いんだけどね。
雛という女子は3人の友達と何かを言い合いながら、女子のコートへ戻っていった。
体育の授業が終わり、僕らは制服に着替えて教室へ。
放課後は集団下校を徹底。
ホログラムの陽の元となるおむすびせんべいが壊れないよう、少しばかりの注意を払う毎日。
誰も行方不明になることはなく、本物の陽も戻ってこない。
何の変化や進展もなく、ただただ時間が過ぎていった。
そして、ある日のこと。
ついに誤魔化しが利かなくなる。
恰幅の良い坊主の男子生徒が、席に座ったホログラムの陽をじっと見つめてこう言ったんだ。
「これ、おむすびせんべいだよな?」
ついに気づく者が現れた。




