西の旅2日目 - 水瀬 友紀㉗
『発車致します。扉閉まりますので、ご注意ください』
注意を促すアナウンスが流れて、新幹線の扉が閉まる。
安堵した僕は、軽く息を吐きながら自分の席に着いた。
ここに戻ってこれたんだ。
色々あって遅くなったけど、みんな無事に帰れる。
扉が閉まった新幹線は、相変わらずのもの凄いスピードで走り出した。
窓から見える景色は真っ暗だ。
席に着いた他の皆もほっとしているだろう。
まぁリラックスできているかといったら、微妙だけど…。
みんな、本当に色々あったから。
新庄「大丈夫だ、凌。そして…、誰だっけ? よくわかんねぇけど、お前も大丈夫だ。帰れるぞ」
通路を挟んで向かい側の席に座っている新庄は、前に座っている的場と琉蓮に話しかけていた。
衰弱した雰囲気の2人は、遭難して救助された人みたいに毛布を掛けられている。
的場「うちじゃ。うちに帰れるんじゃ…」
鬼塚「お父さん、ごめんなさい…」
彼らはか弱い声でそう呟いた。
2人も災難だったよな。
的場は都会や田舎すぎる場所の空気が合わず、常に体調が悪かった。
琉蓮は旅行そのものを楽しめなかった挙げ句、最後は迷子に…。
そして、彼のお父さんは未だ壊れかけの熊木駅を支えている。
彼がお父さんに謝っているのは、きっとそのことだ。
新庄「みんな帰れるんだ。俺も財布落としてヤバかったけど、バイトで1億円稼いだから何とかなったぜ。野球ってすげぇよな」
感心した様子でそう語る新庄。
いや、違うから。
新幹線のお金は僕が貸したんじゃないか。
1億円のバイトなんてあるわけないだろ。どこで勘違いをしたんだ?
ていうか、勝手に野球場に入って、停電まで起こして…。
謝るの大変だったんだぞ。
鬼塚「凄いな、新庄くん。今お金持ちってことだよね? 僕の家は僕のせいで借金まみれだよ」
毛布を掛けられている琉蓮は、悲しそうな表情を浮かべてそう言った。
体育館、月、校舎、熊木駅…。
色々と壊してるもんな。
だけど、わざとじゃないし、皆を守るためでもあったんだ。
そこを政府は考えてあげてほしい。
そして、緑のビジネスを成功させた彼もどうやら穏やかではないらしい。
ピリリリリッ…!
新幹線の車内で着信音が鳴り響く。
僕の後ろの席に座っている樹神のスマホだ。
樹神「おい、うるせぇよ! クソママァ! 今新幹線なんだよ! 掛けてくんなよ!」
電話に出た瞬間、彼は怒号を上げる。
その大声もかなり迷惑だと思うんだけど。
お母さんからの電話かな?
樹神「あ、申し訳ございません! うちのクソババアと間違えました。農家のババア……失礼。農家のお客様でございますね?」
どうやら、お母さんじゃなかったらしい。
樹神は背中を丸めて頭をへこへこさせながら、電話の相手に謝罪する。
農家のお客様って、なんだろう?
彼は相手の言い分を聞いているのか、スマホを耳に当てて黙り込んだ。
そして、数秒ほど経ってから、彼はこう答える。
樹神「ええとですね、弊社で取り扱わさせて頂いている巨大ブロッコリー、“武楼虚罹羅”は私めが埋まるのを止めると消える仕様になっておりまして…」
え、これもしかして、ブロッコリーの取引先との電話?
あ、一発屋じゃなかったの? これからも樹神のブロッコリーを通じて関係が続いていくってこと?
陽、君って凄いよ。
もう起業できるじゃん。
樹神は電話の相手に、自身のブロッコリーについての説明を続けた。
樹神「なのでですね、もう一度ブロッコリーを採取したい際は、私めがお客様の畑に出張して埋まるという形になります。その際は再度お見積を取らせて頂きます」
陽も凄いけど、彼も凄い。
こんなにテキパキと喋れたのか。
エンターテイナーとしては三流以下かもしれないけど、彼は一流のセールスマンだ。
樹神「ざっくりとした値段ですか。弊社では金額をパチンコ式で算出しておりまして、大体は777円か、7777円、77777円のどれかになると思います。…………はい、よろしくお願い致します。では、失礼致します」
淡々とした説明を終えて電話を切った樹神は、直後に頭を抱えた。
樹神「もう仕事でパチどころじゃないってぇ!」
樹神、僕は応援するよ。
君のブロッコリー業が波に乗って儲かったら、ご馳走してくれよ。
後、周りの視線が冷たいからもう電話は止めてほしい。
シリウス「みんな賑やかだね。旅行とやらはそれ程までに楽しいものなのかい?」
僕の正面に座っているシリウスが優しく微笑みながらそう言う。
楽しいんじゃなくて、ただ騒がしいだけだと思うけど。
思えば、行きも僕の隣は日下部だったな。
結局、熊木にいる間はシリウスがずっと身体を操ってた。
日下部自身は、旅行のことを覚えてないだろう。
気づいたら旅行から帰ってきていて、部屋のベッドの上みたいな感じになるのかな。
だとしたら、1番可哀想なのは…。
楽しめなかった琉蓮や、終始体調不良だった的場じゃなく、何にも覚えてない日下部なのかもしれない。
でも、めちゃくちゃ有意義で楽しかった旅行かと言われると微妙ではある。
行き当たりばったりなところが多かったし…。
シリウス「それにしてもイボ痔とやらはしぶといね。未だ僕に看過できないレベルの痛覚を与えてくる」
シリウスは1人そう言ってから、お尻を半分浮かして擦り始めた。
頼むから、今ズボンを下ろさないでくれよ。
お尻を出したいなら、トイレに…。
いや、でも…この車両のトイレは…。
「おい! まだかよ! うんこ漏れるって!」
僕は後ろから聞こえてきたこの声を聞いて振り返った。
男性用トイレのドアの前には列ができている。
そして、最前列にいる男の人が怒りながらドアを強く叩いていた。
その後ろに並んでいる人も何かと苦情を述べている。
故障中とかで使えないわけじゃないんだけど。
用を足したいなら、別の車両のトイレに行った方が良いと思う。
今この車両の男性用トイレは、開かずの間になっているんだ。
シリウス「特質最強の鬼塚の頭が激突したっていうのもあると思うけど…。どうやら、イボ痔は放屁を使うたびに痛覚を与えてくるようだ。まさに僕の能力を喰らう病魔。彼のお陰で、僕の力に新たな制限が掛かってしまったよ」
どうやら、お尻が結構痛むらしい。
シリウスは額に手を当てながら、深刻な表情で考えている。
「大丈夫、勝手に治るよ。イボ痔に限らず、病気や風邪とかって重症じゃなかったら大体治るから、そんなに気にしなくても良いと思う。なるべく安静にしてたらきっと治るよ」
僕は、思い悩んでいる様子の彼を励ました。
実際、不治のイボ痔とか致死率100パーセントのイボ痔とか、そんなヤバい奴聞いたことないし。
それに原因もちゃんとわかってる。
持病とかじゃなく、最強の鬼塚家の血を引く琉蓮のお父さんにお尻を叩かれてなっただけだ。
だから、絶対に治ると僕は信じるよ。
治らないと、日下部が可哀想だ。
シリウス「そうかい。知力に長けた君が言うなら信用できるね。安心したよ、水瀬。ありがとう」
シリウスは僕の言葉に対し、安堵したような表情を浮かべて穏やかに笑った。
ほんと色々あったけど、みんなで無事に帰れる。
反省するところはいっぱいあるけど、とりあえず、みんな元気だ。
帰ったら休み明けまでゆっくりしよう。
楽しかったけど、その分疲れたよ。
何だかほっとしたら眠気が…。
ちょっと寝ようかな。
そう思った僕は座席に深く座り込み、目を閉じた。
うっ…! なんだ?
急遽感じた悪寒から、僕は目を開ける。
なんだ、これは…。
車内の空気が変わった?
寒い…、寒い……のか?
よくわからないけど、身体の震えが止まらない。
寒いんじゃない。恐いんだ。
朧月くんから感じる怖さとはまた違う。
死を連想させるかのような根源的な恐怖が僕を支配する。
僕はガタガタと震える身体を動かし、車内を見渡した。
重く冷たい空気。
トイレの前で怒号を上げていた人や小さな声で談笑していた大人の乗客たちは黙り込み、対して母親の腕の中ですやすやと眠っていた赤ん坊は号泣する。
普通、自分の赤ん坊が泣いたらあやそうとするだろう。
だけど、母親は何も言わず、ただその子を守るように背中を丸めて酷く震えていた。
シリウス「僕だけじゃなく、みんな感じているのかい?」
車内の乗客や僕らが震える中、シリウスだけは普段通りの様子で首を傾げた。
何処だ、この根源的恐怖の震源地は…。
1番空気がヤバいところは何処だ。
僕は無限に湧いてくる恐怖を押し殺し、席を立って車内を見回した。
上だ…。この車両の上から重苦しい空気を感じる。
この車両の上に、何かがいる。
でも、何なんだこれは…。
敵なのは間違いない。
明らかに殺意を放っている。
これも特質とか神憑とかの能力なのか…?
上にいる奴を、僕は人間とは思えない。
シリウス「この気配…、人間にもわかるんだね」
圧倒的恐怖が渦巻くこの車内でただ1人、余裕な態度でそう語るシリウス。
いや、余裕どころかどこか嬉しそうな表情を浮かべている。
そんな異彩を放つ彼は、上品に手と足を組み、不敵な笑みを浮かべてこう言った。
シリウス「敵襲だ、先ずはボラギノールを挿れようか」




