西の旅2日目 - 鬼塚 琉蓮⑧
小鳥のさえずりと共に、部屋に朝日が差し込んできた。
全然、寝れなかったよ。
昨日、たくさん泣いて辛かったからかって?
違う、僕は元々環境が変わると眠れない性格なんだ。
小学校の宿泊訓練、中学校の修学旅行、そしてお父さんと2人で行った気まずいハワイ旅行。
どれも、オール確定で目がバッチバチだった。
昨日は色々あったし、めちゃくちゃ泣いた。でも、僕の脳には今、それを思い返すほどの余裕はない。
寝たいのに眠れないこの状態で、僕は今日を過ごさないといけないんだ。
あぁ、頭がむっちゃほわほわする…。
ガサッ
部屋の端っこで横になっている僕の背後から、割と大きめな物音が聞こえた。
もう朝だし、誰か起きたのかな?
あぁ、ついに孤独かつクソ暇な夜から解放されるんだ。
そう思った僕は朝陽と共に希望を持って、ゆっくりと上体を起こした。
「ん、んん~~っ!」
そして、あたかも眠っていたかのように背筋を伸ばしながら声を唸らせる。
誰が1番目に起きたのかな?
友紀くん? それとも、ゴリラの獅子王くん?
もし、新庄くんだったら怖いな。金髪だし、全然話したことないし…。
そういえば、ブロッコリーの樹神くんや陽キャラなのに情緒不安定な的場くんとも話したことがない。
そういう考えが過ってしまった僕は、背伸びをしたまま動けなくなってしまった。
いま起きた人が慣れ親しんだ友紀くんじゃなかったら、僕はどうしたら良いんだ!
背伸びをした状態で固まった僕は、ほわほわした脳みそで思考を巡らせる。
いや、考えなくても頭ではわかっているだろ。
普通に…、
『おはよう! 希望が持てる気持ちの良い朝だね! そういえば、話すの初めてだね! 連絡先交換してなかったね! 交換しようか! 今日から僕たちは友達だ!』
って言えば良いんだろうけど。
人見知りな僕にはハードルが高すぎる。
ていうか、連絡先も何もスマホ持ってないんだよ。
どうすれば良いんだ…。
天井に対して垂直に伸ばしたこの両腕をそっと仕舞い、何事もなかったように横になれば誤魔化せるかな?
「やっと起きたか」
色々と考えて動けなくなっていた僕よりも先に、さっき起きたと思われる人の方から声を掛けてきた。
溜め息混じりに発せられたその言葉を聞いて、僕は少しだけ安心する。
「お、おはよう…」
緊張で低くなった声で挨拶をしながら、僕はゆっくりと振り返った。
彼とは少しだけ接点があるから、新庄くん達よりは話せると思う。
接点があるって言っても、僕は話してないけど…。
剣崎くんに敵と間違えられて斬り殺されそうになったとき、彼は空から舞い降りて来て誤解を解いてくれたんだ。
そんな彼は、部屋の隅に座り込んでいた。
爽やかなオナラ使い、日下部さんだ。
若干だけど、昨日より顔色が悪い気がする。
もしかしてだけど、彼も余所では寝れないタイプなのかな?
「日下部さん、寝れなかったんですか?」
僕が敬語でそう問いかけると、彼は首を大きく横に振る。
同級生なんだけど、雰囲気が大人びてるから一応敬語で…。
シリウス「違うよ、僕はシリウスだ。寝れなかったというより、神に睡眠という概念はないんだ。だから、ずっと眠らず見張っていたよ」
あぁそういえば、しばらく身体を借りるとか言ってたな。僕が熊木駅を壊しかけたせいで…。
“ずっと見張っていた”か。
泣きながら聞いてたから曖昧だけど、嫌な気配がするんだっけ。
敵とかじゃないと良いけど。
「あぁ、シリウスさんですか。じゃあ、寝なくても元気ってことですか?」
僕は率直な疑問をシリウスさんに投げかけた。
神様だから、シリウス様って呼んだ方が良いのかな?
そういえば僕、ほぼ初対面なのに普通に話せてる。神様って話しやすいのか?
ていうか、話せるときと話せない時のあの差は何なんだ。
野淵とかいう生徒を拉致したテロリストとか、殺意満点な五十嵐先生とは大声で話せたのに…。
これって、顔見知り特有の感覚だったりして。
シリウス「まぁ、基本的には大丈夫だけど…。実は昨日からお尻が痛くてね。どうやら、身体に乗り移っている内は痛覚を感じるらしい」
シリウスさんはそう話しながら立ち上がり、フラつきながら自身のお尻を確認する。
いや、大丈夫って。明らか眠そうじゃん。
乗り移ったからといって、日下部さんの身体が神になる訳じゃないと思う。
人間の性質とか感覚が変わらないんだったら、ちゃんと寝てちゃんと食べないとまずいよ。
「シリウスさん、たぶん寝た方が良いと思います。貴方が大丈夫でも日下部さんの身体が…」
ドサッ…
僕が言い終える前に、彼はうつ伏せに倒れ込んだ。
そして、すやすやと寝息を立て始める。
きっと、オールした日下部さんの身体は限界だったんだろう。
てか、羨ましいな。僕も今すぐそんな風に寝たいんだけど。
みんなが起きたのは、シリウスさんが眠ってから数分後のことだった。
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水瀬「みんな、聞いてくれ」
皆が身支度を終えた頃、友紀くんはそう言った。
深刻な顔をした彼に対し、みんなはさっと振り返る。
水瀬「とりあえず、円になって座ってほしい」
僕らにそう指示をする友紀くん。
普段はまとまりのない変わった人たちだけど…。
この真剣な雰囲気を察してか、みんな言われたとおりに輪を作って座り込んだ。
寝落ちしたシリウスさんを除いて…。
そして、友紀くんは1人1人の顔を見回してから低いトーンでこう話し始めた。
水瀬「実は昨日、琉蓮は全く楽しめてないんだ」
この部屋に男たちの響めきが上がり、僕の身体は皆の視線に晒される。
とても眩しいよ。
友紀くん、僕を公開処刑にするなんてヒドいじゃないか。
わざわざ皆を座らせて発表することかな?
ざわつきが止む気配はない。
みんな、僕が楽しめていなかった事実にめっちゃ驚いているみたいだ。
獅子王「そうなのか…? え、でも僕らと一緒にいたじゃないか」
一緒にいるだけで楽しいってのはもはや親友の領域だよ、獅子王くん。
こんな僕を親友と認識してくれてるのは嬉しい…。
ははっ、そんなわけないよな。
僕は、無条件で重たい荷物を四六時中持ってくれる都合の良いパシリだ。
つまり、一緒にいると物理的に楽で楽しいってこと。
だけどね、獅子王くん。
マゾじゃない限り、パシられている方は何も楽しくないんだよ。
新庄「だよな? 映画も見たし、馬も食べたよな? え、馬嫌い?」
金髪の彼は獅子王くんに同意した後、食い気味にそう尋ねてくる。
それは錯覚だよ、新庄くん。
好きか嫌いか以前に、食べてないんだよ。
僕は映画も見てないし、馬串も食べてない。
みんなが映画館から出てくるのをずっと僕は待っていた。
そして、およそ2時間後、ようやく出てきたみんなは、別のチケットを買って再び映画館に入っていったんだ。
僕は新庄くんの質問に対し、答えることはできなかった。
だって、金髪怖いし。
水瀬「新庄、それは違う。琉蓮はただそこにいただけなんだ。ただ、皆の荷物を持っていただけなんだ…!」
若干口調が強まった友紀くんは、悔しそうな顔をしていた。
パシリの気持ちを考えてくれる彼は、やっぱり優しいな。
思わず君にとってかけがえのない友達になりたいなんて、とても烏滸がましいことを考えてしまうよ。
あぁ、これは叶わぬ友情なんだ。
そんなことを考えた僕の胸は熱くなり、目の奥から涙が込み上げてきた。
止まれ、止まってくれ! 僕の汚らわしい涙…!
水瀬「琉蓮、ほんとにごめん!」
多分だけど、優しい彼は僕のクソ汚い涙を見て同情したんだろう。
もの凄い勢いで土下座をして、僕に謝ってくれた。
水瀬「今日は絶対、琉蓮が楽しめる1日にするから!」
畳に頭を着けたままそう話す友紀くん。
そして、彼は頭をさっと上げてから続けてこう言った。
「みんなも協力してくれ! 今日は琉蓮のために盛り上げよう!」
みんなは強く頷いて、友紀くんに同意する。
そ、そんな…。楽しくて愉快な旅行の貴重な1日を僕のために…。
友達の動向を察せなかった僕なんか、ただの荷物持ちで良いのに…。
皆の厚意を断ろうと思った。
だけど、何も言えなかったんだ。
普通に嬉しかったから。僕も本当は旅行を楽しみたかったんだ。
汚らわしい涙は更に溢れて畳を濡らす。
僕は自分の泣き顔を隠すため、顔を両腕に埋めた。
的場「すまないのう、鬼塚」
僕に謝りながらすっと立ち上がる的場くん。
的場「可もなく不可もない空気に曝され、冷静な今やけんわかるじょ。お前は確かに蚊帳の外じゃった。いや、蚊帳の外にお前自身が行ったんじゃ」
普段よりも落ち着いた雰囲気の的場くんの言葉に、僕ははっとする。
彼の言うとおりだ。失敗をした僕に旅行を楽しむ資格はない。
皆の荷物持ちやパシリに徹することで、自分を許したかったんだ。
冷静沈着な的場くんに見抜かれてしまったな。
彼の性格や体調は、田舎や都会の空気の違いによって左右するみたいだ。
浅くてネガティブな僕の考えがバレるなんて恥ずかしいよ。
宿はもう少し田舎にある場所が良かったな。
的場「お前のは失敗とは言わない。じゃけん、堂々とするんじゃ。どっかの大失敗した奴が言っとったわ。旅行は皆が楽しめるものじゃないとダメじゃってな」
普段あまり見ない落ち着いた笑顔で的場くんがそう言うと、皆はこくこくと頷いた。
獅子王「よし! じゃあ、鬼塚くん。昨日の分まで楽しもう。行きたいところがあったら何でも言って。スマホで調べるから」
得意そうにスマホを取り出しながらそう言う獅子王くん。
樹神「こりゃ、パチはまた今度っすわ。今日はゴンちゃんに金突っ込むわ!」
樹神くんは指で輪っかを作りながら、僕に向かってそう言った。
ゴンちゃんって僕のことかな?
なんでゴンちゃんなのかわからないけど、生まれて初めてニックネームで呼ばれて嬉しいよ。
僕には勿体ない名前だ。
友紀くんや的場くん、獅子王くんに樹神くん。
みんな優しいな。心があったかいよ。
新庄「名前、ゴンって言うのか! よろしくな、ゴン! 今日は楽しもうぜ。ボーリング、カラオケ、バッティング、どれが良い?」
あ、君は話しかけないで。怖いから。
せめて黒髪に戻してからにして。
後、僕の名前知らなかったのか。
昨日から友紀くんが何度も琉蓮って言ってたのに。
怖いけど、自己紹介はしといた方が良いよな…。
僕は大きく深呼吸をしてから、新庄くんにこう返す。
「ゴゴゴゴンちゃんじゃないです。ぼぼぼ僕は、鬼塚琉蓮です」
金髪の不良オーラに圧倒されていた僕から出た言葉は、噛み噛みだった。
新庄「ゴゴゴ…、ゴン・チャーン、オニヅカ、リューレーン。え、名前何個あるんだ? 外国人?」
僕の返事に対し、困惑したような顔をしながら指を折って数える新庄くん。
え、なんでそうなるんだ?
新庄「わかったぞ!」
彼はしばらく考えた後、閃いたような顔をしてこう言った。
新庄「ゴゴゴ・ゴン・チャーン・オニヅカ・リューレーンが本名なんだな? 長いからやっぱゴンって呼ぶわ! よろしくな、ゴン!」
もう何でもいいや。
水瀬「じゃあ、とりあえず、ここを出よっか」
少しだけ呆れたような様子でそう言う友紀くん。
たぶん新庄くんは、いつもこんな感じなんだろう。
的場「そうじゃな。じゃけど、1人寝坊助がおるのう」
冷静沈着な的場くんはニヤリと笑い、うつ伏せに倒れて眠っているシリウスさんに目を向ける。
彼の目線は、多彩なオナラを放つテクニカルなお尻を捉えていた。
的場くんが考えていることは何となくわかるよ。
だけど、神様のお尻にイタズラなんて罰当たりなこと絶対しない方が良いと思う。
彼は開いた両手にはーっと息を吹きかけながら、シリウスさんに迫る。
そして、お尻の前に両膝を着いて座り、右手を振り上げてこう言った。
的場「寝坊助には、お尻ぺんぺんの刑じゃ。聞かせてもらおう、君の“ノオォォン”は、何色じゃ?」
バチンッ! バチンッ!
彼のお尻ぺんぺんに容赦なんてない。
高校生級の本気のビンタが2発、シリウスさんのお尻を直撃する。
幸せそうに眠っていたシリウスさんの目は、大きく開かれた。
シリウス「お゛お゛お゛お゛ぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
目を血走らせ、海岸に打ち上げられた大魚のようにのたうち回るシリウスさん。
怪獣かと思わせる神様の咆哮は、僕らの耳を劈いた。
そして…。
ボオオオォォォォォン!!
どうやら、オナラが暴発したみたいだ。
近くにいた的場くんは、彼のオナラの衝撃波に吹き飛ばされて、壁に背中を打ち付けた。
鼻血を流した彼は、壁にもたれかかったまま冷静な口調でこう呟く。
的場「これは、なんてノオオォォンなんじゃ…」
この言葉を最後に、的場くんは気を失った。
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お尻を叩かれたシリウスさんと、オナラの衝撃波に吹き飛ばされた的場くん。
2人が何とか動けるようになったのは、30分くらい後のことだった。
シリウス「痛い、痛いよ…。これが痛覚、これが涙なのかい?」
昨日の僕や友紀くんにも引けを取らないほどの涙を流し、お尻を擦りながら歩き回るシリウスさん。
日下部さんの身体で、人間の感覚を嫌な意味で味わってるみたいだ。
的場「可もなく不可もないこの空気が、俺を冷静かつ聡明にさせるんじょ」
鼻にティッシュを詰めた的場くんは、窓から外の景色を眺めながらそう言う。
誰に言ってるんだろう。
聡明すぎて幽霊でも見えてる?
シリウス「水瀬、人間のお尻が痛い理由わかるかい? わかるなら教えてほしい。この痛覚から解放される方法を…。昨日、臙脂蒙昧屁を使った時から違和感はあったんだ」
シリウスさんの問いかけに対し、友紀くんは少し考えてからこう返した。
水瀬「うーん、よくわからないけど…。イボ痔とかじゃないかな?」
シリウス「イボ痔って何だい? いわゆる“病気”というものかい? “病気”にはどうやって対処するんだい?」
ざっくりと答えた彼に対し、シリウスさんは更に質問を浴びせる。
よっぽどケツが痛いんだろうな。
顎に手を当てて頭を悩ませている様子の友紀くんは、自信がなさそうにこう答えた。
水瀬「痔には…、ボラギノールじゃないかな…?」
なるほどと言いたそうな顔で、何度か頷くシリウスさん。
シリウス「では、そのボラギノールとやらに案内してくれるかい。痛覚の主張が凄まじくて…、苦痛で仕方がない」
水瀬「わかった。じゃあ、まずは薬局に行こう。その後は“琉蓮ツアー”だ! 皆で琉蓮に楽しんでもらうんだ!!」
友紀くんがそう言った後、彼らは円陣を組んで男臭い掛け声を上げた。
円陣を外から見守る僕と、隣にはお尻を押さえたシリウスさん。
何かハミゴ感ハンパないけど、まぁいっか。
旅行2日目、みんなで僕を楽しませる“琉蓮ツアー”が始まった。




