出発 - 水瀬 友紀⑱
ついに、この日がやって来た。
晴れた空が清々しい。
今は、ゴールデンウィークと臨時休校が重なった連休の最中だ。
僕らはスーツケースやリュックを持って、高速バス乗り場に集まっている。
長くなった連休を機会に、みんなで旅行に行くことになった。
3年生になって受験勉強とか大会へ向けた練習とかでそれぞれ忙しいとは思うけど、皆で行けるのはこれが最後になるかもしれない。
進学したり就職したりして、離れ離れになると集まるのは難しくなると思う。
高校生活の思い出を作りたいと思った僕は、皆に旅行の話を持ちかけた。
“BREAKERZ”全員が来るってことはなかったけど、結構な人数になったよ。
日下部「もうすぐバスが来る。みんなチケットは持っているかい?」
ブラウンのニットに紺色のズボン、シンプルな服装を爽やかに着こなしている日下部が皆にそう言う。
彼は旅行の計画や段取り、ホテルやバスの予約を全てしてくれた。
めちゃくちゃ頼りになる存在だ。ていうか、彼が道に迷ったりすると確実に僕らは終わる。
旅行の計画、バスや電車の乗り換えは全部彼に丸投げしてるから。
豪「雅いぃっ! うぅっ…、達者でな! ちゃんと朝食べて昼食べて夜食べて、寝たら起きるんだぞ!」
日下部を車で送ってきた彼のお父さんは、号泣しながらそう話す。
戦争に行く息子を見送るかのような泣きっぷりだ。
めちゃくちゃ心配なんだろうな。
対して、日下部はお父さんに背を向けて完全に無視している。
他の皆もバス乗り場までは親に送ってもらったみたいだ。
僕も母さんに頼んで送ってもらった。
「おう、陽。送ってやったんだから、お土産絶対買ってこいよぉ! 県ごと買ってこ~い」
タバコを2、3本咥えた陽のお父さんが、彼に笑いながらそう言った。
陽気な雰囲気のお父さんだけど、かなりのヘビースモーカーらしい。タバコの濃い煙で顔がよく見えない。
獅子王「はいは~い」
ぶかっとしたグレーのカッターシャツに、ダボタボなブラウンのズボン。
私服姿の陽はスマホを触りながら、遇うように返事をする。
「喰らえ、副流煙っ!」
あまり面白くなかったのか、陽のお父さんは、彼にタバコの煙を吹きかけた。
獅子王「おい、やめろっ! 何するんだ!」
「ハハッ、ガキ臭いから大人の匂い着けてやってんだよ」
咳き込みながら怒る陽に対し、笑いながらそう話すお父さん。
「凌ちん! はい、こっち向いて~♪」
そして、こっちのテンション高めのお母さんは、摺り足気味に歩く的場に手を振りながらカメラを向けていた。
的場のお母さんだ。とても気さくな人で凄く話しやすい。
もう他のお母さんやお父さんとも仲良くなっている。
的場「あぁ、無視じゃ無視。不審者のクソババアが盗撮してきよるわ。こんなん通報案件じゃ」
気まずそうな顔をしている的場は、カメラに背を向けたままそう吐き捨てた。
その次の瞬間だ。
「誰がクソババアじゃあぁぁ!」
バコッ!
お母さんは鬼の形相で、的場のお尻に足の甲で蹴りを入れた。
的場「ノオオオオォォォォン! 右足に響くうぅっ!」
彼特有の叫び声がバス乗り場に木霊する。
そして、的場はこの前怪我をした右足を抑えて地面に倒れ込んだ。
お母さんのあの蹴り方は、格闘技とかじゃなくサッカーに近い。
ボレーシュートを打つかのような体勢から放たれた蹴りは、めちゃくちゃ綺麗なフォームだった。
的場のサッカーの才能は、母親譲りなんだろうか。
的場「虐待じゃ! 傷害罪じゃ!」
右足を抑えて悶えながらお母さんに訴えかける的場。
そんな彼の本日の服装は、半袖半ズボンのスポーツウェア。
てか、めっちゃ目立ってるから恥ずかしい。
「本当に大丈夫、寛海ちゃん? 忘れ物はない? やっぱり初めての県外旅行だからお母さん心配」
ふくよかな体型で優しいオーラが漂っているこの人は、樹神のお母さんだ。
友達だけで行く旅行がとても心配らしく、樹神に延々と問いかけている。
樹神「うん、大丈夫。じゃあ、行ってきます」
上下紺色のジーンズで揃えている彼は、穏やかな口調でそう答えた。
「そう、楽しんできてね。お土産とかは良いからね」
ずっと素直に答えていた樹神に対し、お母さんは優しく微笑む。
そして、少し間が空いた後…。
「本当の本当に大丈夫、寛海ちゃん? 忘れ物はない? うん、やっぱり初めての県外旅行だからお母さん超心配」
優しさと愛情に塗れた地獄のループが始まる。
樹神「大丈夫だって言ってんだろ、クソママァ!! お前はパチンコの金だけ渡せば良いんだ!」
ついに堪忍袋の緒が切れる樹神。
まぁ、何回も同じこと聞かれてるから、イラッとくるのも無理はないよ。
発言がクズすぎてこれだけ聞くとめっちゃ誤解されそうだけど、彼は悪い人じゃない。
“BREAKERZ”のエンターテイナーだ。
“クソババア”じゃなく“クソママ”か。
普段は仲良いんだろうな。
「ごめんなさい、お母さん聞きすぎちゃった」
樹神「埋まるぞ?! あぁ?! 埋まるぞ!?」
“埋める”ではなく“埋まる”と言って脅す樹神。
彼が埋まるとここら一帯はブロッコリーの緑に支配される。
“埋まる”は、彼だけが使える脅し文句だ。
旅行に行くメンバーは、僕を入れて7人。
僕と陽、日下部、的場に樹神。
そして、後2人いるんだけど、バス乗り場には来ていない。
1人は琉蓮だ。
琉蓮も最初はバス乗り場に集まるつもりだったんだけど…。彼のお父さんがそれは危ないと言って、現地まで車で送ることにしたらしい。
琉蓮のお父さんも心配性なのかな?
事故とかを心配したのかもしれないけど、琉蓮は頑丈だから絶対死なないと思う。
ーー
琉蓮の父、鬼塚壮蓮が懸念していたのは息子の身に迫る危険ではない。
息子に関わる友人たち、バスや電車の乗客や運転手。彼らのことを懸念していたのだ。
子どもだけで行く初の旅行に緊張した琉蓮が力加減を誤れば、未曾有の災害が起こりうると壮蓮は危惧していた。
少しでもそのリスクを減らすよう、息子の送迎は自分で行おうと決めたのだ。
ーー
そして、あと1人は単純な遅刻だけど…。
「悪りぃ! 遅れた! でも、バスには間に合ったからセーフだな!」
彼は息を荒げながら、全力ダッシュでこちらに向かってきた。
黒に染まらない長めの金髪、金色のラインが入ったフード付きの黒ジャージ。
右手に金属バットを担いだ彼の名は…。
“BREAKERZ”の番長、新庄 篤史。
万能薬の副反応で意識不明だった彼は、男虎先生同様、3回目の投与で復活したんだ。
回復して元気になったのは喜ばしいことだけど、万能薬を開発した慶自身もわからないことが多いらしい。
究明と改良を重ねていきたいと、彼は言っていた。
「新庄、もしかして走ってきたの?」
僕は肩で荒く息をする新庄にそう問いかける。
新庄「あぁ。オヤジもおかんも忙しくてな。送ってくれなんて頼めねぇよ!」
僕の質問に対し、彼は笑顔でそう答えた。
凄い身体能力だ。僕らの地元からだと、車でも30分以上かかるのに…。
事情も事情もだし、遅刻したことに関して強くは言えないな。
そんなことを考えていると、僕らの乗るバスがやって来た。
日下部「じゃあ、行こうか。行き先やスケジュールは全て僕に任せて良いよ。着いてからのお楽しみということで」
僕らを見てニコリと笑う日下部。
そして、みんなはチケットを運転手に見せて、バスに乗り込んでいく。
「友紀、気をつけてね」
みんなの最後尾にいた僕に、母さんはそう言った。
「うん。じゃ、行ってくるよ」
僕は軽く母さんに手を振ってからバスに乗り込み、日下部の隣に座った。
「で、どこに行くの?」
気になった僕は彼にそう問いかける。
日下部「それは着いてからのお楽しみだと言ったのに、気になるのかい?」
ニヤリと笑いながら僕の表情を窺う日下部。
「1つくらい教えてくれよ」
僕も彼に釣られて笑顔になる。
すると、彼は少し考えてから得意そうにこう言った。
日下部「最終目的地は、東にある夢の国。ウォルトランドさ」




