精神の逃げ場 - 鬼塚 琉蓮⑤
的場『ノ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォォン!!』
的場くんのけたたましい悲鳴がグラウンドに響き渡った。
彼は転んだ僕の頭を、サッカーボールと間違えて蹴ってしまったんだ。
頭が一瞬、真っ白になったよ。この叫び声は普通じゃない。
的場くんにとって、無駄に丈夫な僕の頭は硬すぎたんだ。
酷く腫れた彼の右足、サッカー部や観客席にいたみんなのざわつく声。
『ごめんなさい! 僕が動いたからこんなことに…!』
涙で視界がぼやける中、僕は必死の思いで謝った。
話によると、サッカー部は大会が近かったらしい。的場くんの出場は僕のせいで絶望的だ。
ほんとにごめん……、ほんとにごめん。
ここ数日、僕は調子に乗っていたんだ。
御影先生のお使いという名の“テロ組織一掃作戦”で、完璧な力加減を覚えた僕の頭はお花畑になっていた。
毎日が楽しかった。学校生活ってこんなに光り輝いていたっけ?
友達100人作ろうと思えばできるくらい、僕の顔は明るく希望に満ち溢れていたと思う。
「琉蓮くん、すご~い! ステキーー!」
湧き上がる女の子たちの黄色い歓声。
「おい、あいつを倒せる奴はいないのか!」
そして、闘志溢れる大勢の男子生徒が僕の前に立ちはだかる。
だけど、誰も僕には勝てない。
「クソッ…! こいつ……小指の爪の先で…! 俺たちを…!」
僕の右手の小指の爪を、力強く握る十数人の腕が視界に入る。
彼らは何としてでも、僕に腕相撲で勝ちたいんだろう。
そんな彼らに僕は鼻高々こう言うんだ。
「違うよ。君たちが掴んでいるのは小指の爪じゃない。爪の先に着いている僕の爪垢さ」
あぁ、僕ってマジかっけぇ…。
そんな妄想をしながら登校する毎日は、本当に楽しくて幸せだった。
的場『ノ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォォン!!』
的場くんの悲鳴が蹲った僕の脳内で何度も木霊する。
たった一度の油断とミスで、僕の幸せは消え失せた。
強い力ってカッコいいし皆から好かれるんだろうけど、強すぎる力はマジで最悪だ。
今の僕は超ネガティブ思考。ポジティブでキラキラしていたお花畑からの反動がデカすぎる。
ダイエットでいうところのリバウンドみたいな感じかな。
こういう時は、どうしたら良いんだ?
まだサッカーは続いているんだろうか。
的場『ノ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォォン!!』
永遠に脳内再生される的場くんの絶叫のせいで、何もわからない。
顔を上げたら良いじゃんって思うかもしれないけど、そんな勇気あるわけないだろ。
みんなが蹲った僕を囲ってボロクソに言ってるかもしれない。
文月『鬼塚、あまり気にするな。的場は足を負傷しただけだ』
僕がコートから出て塞ぎ込む直前、文月くんはそう言ってくれた。
彼は僕なんかには勿体ない良い友達だ。
例えるなら、砂漠のど真ん中で気高く咲き誇る一輪の花のよう。
端整な顔立ちと鋭い毒舌は、美しき薔薇の棘を彷彿とさせる。
友人の死 (実は死んでなかったけど) を嘆き悲しむ熱い心臓。
それとは対照的に、目的のためには手段を厭わない冷徹な決断を下す一面もある。
そして、文月くんは天才だ。マジで何でも作る。
そんな彼の唯一の弱点は、僕を友達として置いているところかな。
あぁ、彼のことを考えていると余計にネガティブになってきたよ。
考えれば考えるほど、今は悪い方向に行ってしまう。
こういう時は、誰かに相談したら良いと思うんだけど…。
生憎、今すぐに話せる相手はいない。
数少ない僕の友達“BREAKERZ”のみんなは、決勝戦の最中だ。
てか、僕のこと嫌いになってるかもな。
もう友達とは思われてないかも…。
……………。
あ、そうだ。いつでも話せる奴、いるじゃないか。
あそこに行けばいいんだ。
早速、行ってみよう。
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壮蓮「ちょっと待て。どういうことだ?」
真っ暗な空間の中、ぽつんと突っ立っているお父さんは動揺した様子でそう言った。
「えへ…、来ちゃった」
そんな彼に対し、僕は頭をポリポリと掻きながらそう返す。
ここは、僕だけが来れる精神の逃げ場だ。現実逃避するための場所。
一度ここに来たとき、目の前にいるお父さんの姿をした彼がそう言っていた。
そして、お父さんの姿をした彼もまた僕自身なんだ。
いじけた僕を叱りつけるために僕自身が生み出した存在……らしい。
生み出した自覚はないんだけどね。
壮蓮「いや、自主的に来れる場所ではないはずだが…。お前の潜在意識が自分に渇を入れようとした時のみ、ここへの道は開かれる。休憩がてらに来るような場所ではないぞ、琉蓮」
冷たくそう言って、僕を睨むお父さん。
自分自身を叱りつけるために僕が生み出したのなら、厳格で怖いお父さんの姿をしているのも納得だ。
だけど、正体がわかれば何も怖くない。
見てくれは怖いお父さんだけど、中身はへなちょこの僕なんだ。
「僕のくせに偉そうなこと言うなよ。ちょっとくらい休憩したって良いじゃないか。自主的に来れない場所とか言ってるけど…。だったらセキュリティくらいちゃんとしとけって」
睨みつけてくる彼に対して、僕は平然と言い返した。
すると、彼は眉間を限界までしわを寄せ、厳格すぎるお父さんの顔になる。
本物のお父さんもブチ切れたら、こんな怖い顔になるんだろうか?
壮蓮「おい、俺はお父さんだぞ。お前の人生における全ての決定権は俺にあり、お前に逆らう権利はない。今すぐ現実へ戻れ。さもないと…」
重圧感のある低い声で辛辣な言葉を並べるパチモンのお父さん。
“さもないと殺す”的なことを言って、僕を脅すつもりなんだろ。
流石は僕、ボキャブラリーが幼稚園児以下だ。
壮蓮「さもないと、みんなが……グハアァァッ!」
ドオオオオオォォォォォォン!!
僕はお父さんの姿でイキってる奴の顔を思い切り殴りつけた。
真っ暗な空間の中、遥か遠くへ吹き飛んだ僕のお父さん。
拳がめっちゃじんじんする。パンチってこんなに痛かったっけ?
「僕の分際でお父さんを騙るな! 僕の分際で、偉そうに指図するなよクソヤロー! こっちは辛いんだよ!」
でも、拳の痛みなんて気にならないくらい、僕は憤っていた。
遠くで仰向けに倒れていたお父さんは起き上がり……、
「うっ……!」
気づけば僕の目の前に…!
そして、僕は首を掴まれ、真っ黒な地面に叩きつけられた。
壮蓮「俺の分際で弱音を吐くな。甘ったれるな! “えへ…、来ちゃった”じゃねぇんだよ。お前が中々戦わないせいで、いつも皆が危険に晒されている」
ググッ…
僕の首を掴んだ奴の手に力が入る。
ヤバい、息ができない。視界はぼやけ、意識が遠のきそうだ。
何が精神の逃げ場だって? こんなの修羅場じゃないか。
「ふ………ん………!」
僕は渾身の力を振り絞って、馬乗りになった奴のケツを蹴り上げた。
壮蓮「あひっ?!」
ドオオォォォン!
変な声を上げて、地面を抉りながら転がるお父さん。
僕が酸欠でフラつきながら起き上がると同時に、奴もお尻を押さえながら立ち上がった。
「結果的に誰も死んでない。怪我もみんな治ったから大丈夫だ。入院中の新庄くんだっていつか治ると思うし」
壮蓮「いつもそうとは限らない。今がまさにそうだ…!」
僕の主張に対し、奴はそう述べてこちらに向かってくる。
そんな…、サッカー大会の決勝くらいで大げさな…。
彼は戦わない僕を責めるけど、僕が動いたせいで的場くんは怪我をしたんだ。
「戦って地球や皆を消し飛ばすリスク、戦わないせいで皆が苦戦し怪我をするリスク、どっちがヤバいと思う?」
彼と同じく僕も奴に向かい、全く同じタイミングでお互い大きく跳び上がった。
そして、僕は右手を大きく後ろに引いて、奴の顔を見据える。
向こうも僕と同じ構えをとった。
「ワン・ビ…!」
「琉ちゃん、ママをぶつの?」
僕がお父さんの姿をした奴を殴ろうとした瞬間だった。
「え、お母さん…?」
僕の前に、怯えた表情で涙を流しているお母さんが現れたんだ。
正体はすぐにわかったよ。だけど、一瞬固まった僕の動きは鈍くなる。
ズドンッ!
このヤロー…。
奴はお母さんの姿に変身したまま、僕の脳天に踵落としを喰らわせたんだ。
陰湿なやり口だな。僕らしいや。
頭にズキズキとした痛みを感じながら、僕は黒い地面に落下した。
「ハハッ! 引っかかりやがって…!」
見たこともないゲスい表情でニヤける僕のお母さん。
「戦わないのなら……死ね死ね、バーカバーカ!! このマザコンヤロー!」
らしくなさすぎる暴言を吐きながら、パチモンのお母さんが拳を構えて降ってくる。
そっちがそんなことするなら…。
僕はある姿をイメージしながら、こう言った。
「俺を殺すのか、脳筋兄貴」
壮蓮「なっ、翠蓮…!」
僕の姿を見て動揺したのか、奴の姿はお母さんからお父さんに戻る。
てことは、こいつ……、僕のお父さんがデフォルトなんだな。
ガシッ!
僕はお父さんに戻った奴の首を左手で掴み、右手で思い切り頬を殴りつけた。
奴は再び遠くへ飛んでいく。
あいつにできることは、僕でもできる。
はぁ…、疲れたな。
僕は、疲労からか重たく感じる身体を起こして立ち上がった。
疲れたし殴った手やぶたれたところはじんじんするけど、何かちょっとスッキリした気がする。
お父さんの姿をしたあいつは、僕を叱ったり暴言を吐いたりしていたけど、僕自身もそう思うところはあるんだ。
お父さんの姿をした彼は、弱気な僕を責め、皆のために戦えと促した。
対して、僕は力加減を失敗したときの恐怖や不安に囚われ、戦わない言い訳を常に探している。
両方とも同じ僕なんだ。
力をほぼ完璧にコントロールし、テロリストたちを死なせずに人質を救い出したという経験から得た自信。
ミスって転んでしまい、的場くんに怪我をさせた経験から来る不安。
戦うことへの“自信”と“不安”がちょうど真ん中で喧嘩しているんだ。
壮蓮「気は済んだか?」
ぼーっと突っ立っている僕へ、顔が少し腫れたお父さんが近付いてくる。
「うん…。自分に対して言うのも変だけど、一応謝るよ。殴ってごめん」
パキパキ……
僕が彼に謝ると同時に、この真っ暗な空間に亀裂が入り始めた。
え…、何これ? ここって精神の何とやらだよね。
それに亀裂が入って壊れるってことは、結構ヤバくない? 僕の精神、ぶっ壊れて完全に消滅するってこと…?
パキパキパキパキ…!
そんなことを考えている間にも、亀裂はどんどん広がり大きくなっていく。
「ひ、ひえぇぇぇぇ!! 許してください、琉蓮様! 戦います、何でもします! 貴方の仰せのままにぃ~!」
僕は消えることへの恐怖に震えて、お父さんにしがみついた。
壮蓮「はぁ、だから俺は俺が嫌いなんだよ」
彼は泣きつく僕に対し、手で目を覆って溜め息を吐く。
壮蓮「調子に乗る割にはすぐ不安になるし、“ヒーローになる”とかいう決意もちょっとしたことですぐ揺らぐ。力だけ強い中途半端なぶれぶれ野郎だ」
彼の言ってることは、僕の思いと同じだ。
図星すぎて普通にイラッとくるよ。また喧嘩押っ始めようかな?
ここなら誰も巻き込まないし、全力で殴りあってもちょっと痛いだけで平気だし。
壮蓮「だが、お前はいつもギリギリの所で間に合っている。頼りになるスーパーヒーローではないが、大切な人を守れず嘆き悲しむ孤高のヒーローでもないだろう」
彼は優しく微笑み、続けてこう言った。
壮蓮「ドラマのヒーローは強く逞しく、常に全力で戦って大勢を救うが、大切な人の元へは間に合わず死なせてしまう。お前は逃げ回るくせに必ず間に合うんだ。戦う気がなくても、お前の手から大切な命が零れることはない。だから、彼らはこう言う。俺たちのことを…」
パキッ!
彼がそこまで言うと同時に、真っ黒な空間はガラスのように砕け散った。
そして、見慣れているかつ悲惨な光景が目に飛び込んでくる。
壮蓮「“BREAKERZ”最強の戦力と…」
これは…、いったい…? この光景は現実なのか?
サッカーの決勝戦をしているんじゃなかったっけ?
僕は固唾を飲んで、学校のグラウンドを見渡した。
グラウンドの中央には、もの凄い形相をした五十嵐先生が立っている。
彼の目線の先には、血塗れになって倒れている……男虎先生? いや、雲龍校長か?
全身ズタズタの血塗れで、どちらか判断するのは難しい。
そして、応援席にいるみんなは、絶望した顔で五十嵐先生を見つめている。
中にはしくしくと泣いていたり、絶叫に近い悲鳴を上げているような人もいた。
顔を覆って泣いている友紀くんの近くには、悲しそうな表情を浮かべる朧月くんや樹神くんの姿も…。
奥で倒れているのは皇くんかな? ここからじゃ良く見えない。
後もう1人…、松坂先生らしき人も別の場所で気絶しているようだ。
そして、僕のすぐ前には、体育座りをして顔を埋めて動かない僕自身と文月くんがいた。
彼は動かない僕に向かって、必死に声を掛けている。
僕がここでしょうもない喧嘩をしている時も、ずっと呼んでくれていたのかな?
壮蓮「お前が不動で固まっている間も、時間と状況は前に進んでいる」
僕の隣で同じくグラウンドを見ていたお父さんはそう言った。
いつの間にこうなったんだ。
神憑とかの敵がやって来たんだろうか。
壮蓮「敵は五十嵐先生だ。かなり強く、誰も歯が立たなかった。止められるのは、俺たちだけだ」
五十嵐先生を厳格な表情で見据えるお父さん。
そんな彼は続けて僕にこう言った。
壮蓮「お前はヒーローでもカッコいい奴でもない。だが、俺たちは絶対に間に合う最強の特質持ちだ」
まさか、自分の言葉に勇気づけられるなんて…。
僕ってつくづく好きになれないな。
“絶対に間に合う”か。1人死んでそうだけど…。
壮蓮「行け、鬼塚琉蓮。奴を止めて皆を守れ」
「うん、行ってくる」
僕は彼の言葉に強く頷き、そっと目を閉じた。




