ウインドマスター - 水瀬 友紀⑯
五十嵐「ウインド・メイル、極限全開」
男虎「龍風拳・飄籟双節棍」
拳を握り締める五十嵐と、両手のヌンチャクを高速で回す男虎先生が対峙した。
本気のウインド・メイルによるけたたましい風切り音と、ヌンチャクの回転から発生する重々しい風の音がぶつかり合っている。
お互いに1歩も踏み出さず睨み合う中、先に仕掛けたのは五十嵐だった。
奴は両手の拳を胸の前で交差させ…、
五十嵐「ウインド・バースト!!」
そう叫びながら、一気に腕を大きく広げた。
耳が張り裂けそうな轟音と共に、渦状に捩れる暴風が男虎先生に向かって放たれる。
男虎「ふんっ!」
地面を抉りながら迫る暴風に対し、先生は右手で回していたヌンチャクをそのまま前に突き出した。
ドオオォォォン!!
回転しているヌンチャクと奴が繰り出した暴風がかち合い、衝撃波が発生する。
男虎「う、うおぉぉっ…!」
苦しそうな声を上げる男虎先生と、その後ろでバランスを崩し、腕で顔を覆いながら蹌踉ける慶。
高速で回しているヌンチャクで、奴の攻撃をせき止めようとしているんだろう。
だけど、ヌンチャクを突き出して踏ん張る先生の身体は、少しずつ後ろに下がっていく。
先生が奴の攻撃を止めなければ、慶が巻き込まれて死んでしまう…!
彼の後ろには、蹲って動かない琉蓮と手に怪我を負った慶がいるんだ。
この光景を見ていた僕の心には、不安と希望が入り混じっていた。
風を自在に操るウインドマスターに対峙しているのは、龍風拳という武術の達人だ。
“EvilRoid”のAquaに有利な水中で、奴と打ち合えていた先生がそう簡単にやられるはずがない。
男虎「うお……っりゃあぁ!」
右手のヌンチャクで攻撃を受け止めている男虎先生は、左手で回していたヌンチャクを奴に向かって放り投げた。
投げられたヌンチャクは、高速で回りながらもの凄い速さで五十嵐に迫っていく。
本気のウインド・メイルを展開している奴は、向かってくるヌンチャクを一瞥するものの、対処する気はなさそうだった。
バキッ!
五十嵐「がはっ! バカな…!」
そんな怠慢な奴の頬に、ヌンチャクが命中する。
奴が怯むと同時に風は止み、当たったヌンチャクは軌道が少し逸れて後方に飛んでいった。
攻撃が止んだ瞬間、男虎先生は走り出し、人間離れした速さで奴に迫る。
ウインド・メイルは無敵の鎧じゃない。
それは奴もわかっていたはずだ。
本気のウインド・メイルを纏ったのは、男虎先生がゴリラより強いことを懸念したからだろう。
だけど、先生の力は奴の想定を……いや、本気版ウインドメイルの防御力を上回っていた。
五十嵐「クソッ! シュレッド・ウインド!」
もの凄い足の速さで迫る先生に対し、動揺しながら手を翳す五十嵐。
地面に無数の切れ込みを入れながら進む風の斬撃が男虎先生に襲いかかる。
文月「前方に不可視の攻撃、気をつけろ!」
奴の能力をよく知らない先生に注意を促す慶。
風による攻撃は、普通目では捉えられない。説明を受けたところで対応できるのか?
男虎「忠告サンキューだ! うおりゃああぁぁぁぁ!!」
僕の心配は杞憂だったみたいだ。
先生は走りながら、右手で回し続けるヌンチャクを再び前に突き出した。
金属がぶつかり合うような高い音が連続的に発生する。
きっと風の斬撃をヌンチャクで弾いているんだ。
甲高い音が止んだ後、男虎先生はヌンチャクを奴を狙って投げた。
そして、先生は手ぶらになった状態で奴に迫る。
足はめちゃくちゃ速いんだけど、奴との距離はまだ空いていた。
五十嵐「ええい小賢しい…!」
奴がイラついた様子で手を斜めに払い上げると、突風が一瞬だけ発生し、ヌンチャクの軌道は大きく逸れる。
そして、もう片方の手を男虎先生に翳した。
五十嵐「もう一度、シュレッド……!」
ガンッ!
奴は同じ技を放とうとしていたんだろうけど、それは不発に終わる。
五十嵐「うぅっ…! 後ろ……だと…!」
後ろからの衝撃によろけた奴は、苦しそうな声をあげて後頭部を押さえた。
奴は多分、何を喰らったのかわかっていない。正直、ここから見ていた僕も一瞬意味がわからなかった。
ウインド・バーストとかいう技を放っていた五十嵐に向かって投げた、あのヌンチャク。
あれがブーメランのように返ってきて、奴の後頭部に命中したんだ。
何か龍風拳秘伝の投げ方とかしたんだろうか? 普通ならありえない軌道だ。
脳に響いたのかフラついて隙だらけの五十嵐。
男虎「喰らえ、正義の体罰!」
バキッ!
そんな奴に対し接近した男虎先生は、顎に目がけて拳を打ち抜いた。
本気のウインド・メイルを難なく貫通する強力な右ストレート。
だけど、先生の拳には血が滲んでいる。
どんなに強い力でも、ウインド・メイルによる斬撃は打ち消せないのか。
文月「完全に入ったな。普通なら失神するだろうが…」
後ろへゆっくりと倒れていく五十嵐を見てそう話す慶。
気絶してくれたら、奴との戦いは終わりだ。
だけど、そんな簡単に勝てる相手じゃなかった。
後ろに足を引いて、倒れそうになる自身の身体を支える五十嵐。
バランスが取れずによろめく奴は2、3歩ほど下がりながらこう言った。
五十嵐「ウインド・ウイング…!」
奴はさっと上空に飛び上がり、浮遊する。
ウインド・メイルを貫通したけど、突きの威力は軽減されていて決定打にはならなかったってことか。
ウインド・ウイング…、風の翼。
僕には見えないけど、風で象った翼を背中に生やして空を飛んでいるんだろう。
飛んではこれないと高を括っているのか、五十嵐は腕を組み、余裕の態度で男虎先生を見下ろしている。
そして……、
五十嵐「スラッシュ・ウインド」
奴は下にいる先生に対し、自身の右腕を横に払って次の攻撃を繰り出した。
陽の首を斬った直線的な風の斬撃だ。それが男虎先生に向かっていく。
男虎「龍風拳!」
先生は手首を捩りながら繰り出す龍風拳ならではの突きを真上に放った。
いつものように、先生の前には竜巻が発生する。
五十嵐「チッ…!」
竜巻によって舞った砂塵を前に舌打ちする五十嵐。
恐らく、スラッシュ・ウインドが相殺されたんだろう。
ウインドマスターの能力は、全て風が基になっている。
奴が象った風の斬撃や鎧は、竜巻などの強風によって、形を保てなくなるんだろうか?
五十嵐「竜巻よ、静まれ」
淡々とそう言って、奴は軽く手を払う。
男虎先生が発生させた大きな竜巻は、その一言で収まった。
一瞬勝てるんじゃないかって思ったけど、やっぱり難しそうだ。
男虎先生の竜巻で浮遊している奴を囲み、技が出せなくなったところを叩くという作戦が頭に浮かんだ。
竜巻によって、奴が操る風は乱される。
そうだとしたら、竜巻で囲めば五十嵐のウインドメイルも不安定になるだろう。
そのタイミングで男虎先生が叩けば、勝てると思ったんだけど…。
奴は竜巻をたったの一言で消滅させた。
風なら何でも自在に操れる相手に、竜巻で対抗するのは無理がある。
五十嵐「あいつ、どこに…」
砂の煙で視界が悪い中、奴は見失った男虎先生を探していた。
シュッ…!
五十嵐から見て9時の方向、砂塵の中から回転しながら飛んでくるヌンチャクが現れた。
ガンッ!
奴は左から顔に向かってやって来るヌンチャクに対し、咄嗟に左腕で頭を庇うけど…。
五十嵐「うっ…!」
かなりの衝撃を受けたのか、左肩を押さえて歯を食いしばった。
男虎先生の突きやヌンチャクを前に、ウインドメイルはほとんど意味を成さない。
奴の腕に当たって後方に逸れるヌンチャク。
それと同時に、下から自力で跳んできたと思われる男虎先生が五十嵐に迫った。
五十嵐「お前、飛べるのか?!」
拳を作る男虎先生と、顔を引き攣らせながら右手を突き出す五十嵐。
砂の煙が晴れつつある中、2人は空中で対峙する。
男虎「うおおぉぉぉ!!」
五十嵐「ウインド・バリア…!」
奴は雄叫びを上げる先生の突きに対し、風の壁を形成した。
分厚い風によって、先生の突きは防がれて奴の顔には届かない。
そして、空中で拳を前に振り抜いた男虎先生は隙だらけだ。
五十嵐はここぞと言わんばかりに左手を振りあげ、ぐっと手を握り締めた。
五十嵐「死ね、ブレード・ウイ……」
ガンッ!
とどめを刺そうとした奴の後頭部に、またもヌンチャクが直撃する。
五十嵐「ぐっ! このクソヌンチャクが…!」
苛立ちと痛みで表情が歪む五十嵐。
さっき奴の左腕に当たって後ろに飛んでいったヌンチャクが、いま戻ってきたんだ。
毎回、ブーメランのように戻ってくるヌンチャクが奴を苦しめる。
男虎「おおぉぉぉぉ!!」
五十嵐の気が逸れてウインド・バリアが乱れたのだろうか?
叫び続ける男虎先生の拳は少しずつ前に進み…、
ドンッ!
五十嵐の頬を殴りつけた。
しかし、突きを喰らっても奴は全く動じない。
男虎「痛ああぁぁぁい!」
拳を振り抜いた先生の方が悲痛な声を上げる。
複数の切り傷を負い、血が噴き出す先生の右腕。
風の壁によって勢いを殺された突きじゃ威力が足りない…!
重力に引っ張られゆっくりと落ちていく男虎先生に対し、奴は指を曲げて両手を突き出した。
五十嵐「エア・ウインド! お~~の~~と~~ら~~!!」
奴が叫ぶと同時に突風が発生し、先生の身体は地面に叩きつけられる。
男虎「ぐはっ!」
上空から勢いよく落下し、背中を強打する男虎先生。
受け身、取れないんだっけ? いや、右腕ズタズタになってるし、そんな余裕もないのかもしれない。
先生の体力に限界が来ているのだとしたら…。
男虎「ふんっ!」
そんなことを考えている間に、先生は背中で地面を押して力強く立ち上がった。
まだ大丈夫そうだけど、早く決着つけないとどんどん不利になる。
男虎「うっ…! がはぁっ…!」
え、いったい何が…? 五十嵐は何もしてないのに…。
上空にいる奴を見据えていた男虎先生は、いきなり吐血して血の涙を流した。
そして、片膝を着き、ボタボタと血を落としながら荒く息をする。
文月「万能薬の副反応だ。もう戦えない」
出血が止まらない男虎先生を見据えて、そう告げる慶。
やっぱり接種するべきじゃなかったんだ。
文月「今なら間に合う。早く吉波総合病院へ行って入院して下さい。貴方の走力なら数分程度で着くだろう」
淡々とそう話す彼は、浮かない顔をしている。
男虎先生が奴を倒さないと、後がない状況だから。
男虎「目から赤い涙、こんなことは初めてだ」
先生は慶の発言には答えず、手で目を擦りながら呟いた。
男虎「儂は………儂は………」
わなわなと震えながら、ゆっくりと立ち上がる男虎先生。
そして、浮遊している五十嵐を指さしこう叫んだ。
男虎「儂は血の涙を流す程、怒っている! 生徒たちを手に掛けるお前を、儂は断じて許さない!」
文月「人の話を聞け! 早く病院に行かないと、死んでしまうぞ!」
先生と慶の怒号がグラウンドに木霊する。
僕も先生に死んでほしくない。僕がホイッスルで呼んだから尚更だ。
男虎先生は五十嵐を見据えたままこう語る。
男虎「儂が今病院へ行ったら、お前たちが死ぬ。大丈夫だ。あいつを倒したらすぐ、人間ドックに行ってくる。そして、お墓に帰る!」
頼もしい言葉だけど、本当に大丈夫なのか? 右腕を負傷している上に、万能薬の副反応で血塗れだ。
それに、お墓に帰るって…。死亡フラグ超えて死亡宣言じゃん。
てか、なんで家に帰らないんだろう?
奥さんと喧嘩しているとか?
文月「チッ…、もう勝手にしてくれ。死んでも責任取らないぞ」
慶は舌打ちをして、血塗れの男虎先生から目を逸らした。
五十嵐「お前の死期も近いな。最期に見せてやろう。俺の素晴らしき超必殺技を…」
五十嵐の言葉に、先生は身構える。
奴は開いた右手を空に掲げ、続けてこう言った。
五十嵐「来たれ、ウインド・ドラゴン」
奴の風による攻撃は、全て目に見えないものだった。
だけど、今回の技は違う。
はっきりと見えるんだ。
奴の頭上に現れた巨大な風の龍が…。
あれも風で象られたものなんだろうけど、圧迫感が尋常じゃない。
そして、鮮明に聞こえる不気味な風の音が僕を戦慄させる。
空を覆う鋭利な翼とは別に、大きな鉤爪の生えた手足。長い尾の先端にも同じようなものが着いている。
頭部や胴体、腕などは全体的に細いため、かなりの速度で飛んできても違和感はない。
もの凄い速さで飛び、手足や尾の先端にある鉤爪で相手を切り裂く風の龍といったところだろうか。
男虎「はぁ……はぁ……、灰燼・腥風の構…!」
上空で羽ばたく風の龍に対し、肩で息をしながら龍風拳の構えをとる男虎先生。
もう先生は限界だ。でも、僕は見守ることしかできない。
先生は言ったんだ。必ず戦いに勝って、人間ドックに行くって…。
今はその言葉を信じるしかない…!
五十嵐「奴を引き裂け、ウインド・ドラゴン」
五十嵐が男虎先生を指さすと、鋭い鉤爪を持つウインド・ドラゴンは先生に向かって迫っていった。
男虎「我流奥義…」
対する男虎先生は、両手の指を曲げて、両腕を上下に大きく広げる。
見た目通りもの凄い速さで迫るドラゴン。
瞬く間に接近したドラゴンは、大きく鋭利な鉤爪を構える先生に対して振り下ろした。
男虎「龍牙咬殺!!」
目の錯覚だろうか?
男虎先生は、自身に鉤爪を振り下ろしたウインド・ドラゴンに対して、上下に広げた両腕を思い切り閉じたんだけど…。
先生の両腕は、口を大きく開いた巨大な龍の頭に変化していたんだ。
その龍は、迫ったウインド・ドラゴンの首に噛みついた。
顎の力がかなり強かったのか、咬まれたウインド・ドラゴンの首は反対方向に折れている。
耳を劈くような甲高い音に、僕は思わず耳を塞いだ。
奴の鳴き声なのか、風の音なのかはわからない。
男虎先生は一撃で奴を仕留めたんだけど…。
ザシュッ! ザクッ! ザクッ!
首が折れたウインド・ドラゴンは爆散し、無数の三日月状の斬撃となって先生の身体を切り裂いた。
同時に、巨大な龍の頭も消える。
ズタズタに切られた先生は身体中から血を噴き出し、グレーのジャージを真っ赤に染めた。
「あ………あ…………」
僕は無意識に声を漏らしながら、先生に手を伸ばしていた。
もういつ死んでもおかしくない状態だ。
だけど、男虎先生は倒れることなく、僕や慶、ベンチにいる皆を優しい表情で見渡している。
男虎「すまん、元儂の生徒たち。先生、怒りすぎてしまって身体中の血管が破裂してしまったみたいだ…」
暑苦しい男虎先生が見せる珍しい穏やかな顔に、何人かの生徒は目に涙を含んでいた。
男虎「儂が行くのは人間ドックじゃなく天国だ。不甲斐ない先生ですまないが、お前たち新3年生に頼みがある。奴を倒して……、学校を守ってくれ」
しくしくと泣く皆や顔を伏せる文月を見て、先生は親指を立ててこう言う。
男虎「アイルノットビーバック…」
ドサッ
そう言い終えたと同時に、男虎先生は親指を下にして地面に倒れ込んだ。
グラウンドの砂に滲む先生の赤い血液が僕らに死を伝える。
「せ、先生ぇ……」
僕は両膝から崩れ落ち、目から溢れる涙を顔ごと手で覆った。
今度はもう生き返らない。
先生が最期に言った言葉が、僕にそう思わせるんだ。
“アイルノットビーバック”。
高校で英語を勉強しているから、意味は嫌でもわかってしまう。
“私はもう戻らない”。
文月「だから、病院行けと言ったのに…。クソが…」
変わらず目を伏せたままそう話す慶。
男虎先生が死んだのは僕のせいだ。僕がホイッスルで呼んだから。
僕が呼ばなかったら、先生はお墓の中で穏やかに暮らせたかもしれないのに…!
「先生ええぇぇぇ…!」
罪悪感で押し潰されそうになった僕は、顔を上げて泣き叫んだ。




