ウインドマスター - 水瀬 友紀⑮
ーー
「今日は墓荒らしのお兄ちゃん、いないね!」
「しっ! あの子のことは忘れなさい」
晴れ渡った空の下で、規則正しく並ぶ墓石の前を歩く親子の姿。
仏花を手に持った母親の堅い表情に対し、娘は無垢な笑顔でそう話す。
(ほんとに…。あの子は何だったのかしら。きっと心が荒んでいるのね)
娘の手の引く母親は、男虎勝院の墓を壊していた文月のことを思い返していた。
(確かちょうどここらへんのお墓を…)
娘の歩幅に合わせてゆっくりと歩く彼女は、左側にあるお墓に視線を移す。
まさにドンピシャ。
彼女が見た墓石には、“男虎勝院之墓”と大きく彫られていた。
ガタガタガタガタ…!
「ひっ! 何かしら!?」
彼女が目を向けた瞬間、男虎の墓が激しく揺れ始める。
「ママ、これってしんれーげんしょー?」
揺れ始めた墓に驚きながらも、娘の両肩を優しく引き寄せる母親と、純粋な疑問に首を傾げる娘。
墓石の震動はどんどん激しくなるのに対し、母親は娘を連れてゆっくりと後ろに下がった。
そして……、
男虎「どっっかあああぁぁぁぁん!!」
内側から粉々に砕け散った墓の中から、凄まじい声量を発する男虎勝院が登場する。
「きゃああぁぁぁ!!」
両手にヌンチャクを持ちグレーのジャージを着た彼を前に、母親は娘を抱きかかえたまま尻餅を着いた。
男虎「聞こえたぞおぉ! 儂を呼ぶホイッスルがあぁ!」
「貴方、何やってるんですか! 大の大人がこんなこと…!」
砕けた墓の前で叫ぶ男虎に、彼女は震える声で叱責する。
「ムキムキのユーレイさん!」
対して、娘の方は好意的なようだ。
「警察に通報します! これは犯罪です!」
文月に対してはまだ子どもということで寛容だった彼女だが、今回はスマホを取り出してそう言った。
それに墓が壊されるのを見るのは二度目。目が慣れている分、冷静なんだろう。
男虎「何?! それは困ります! 今捕まったら生徒たちの所へ行けない!」
焦る男虎は少しばかり考える。
スマホを片手に自分を睨んでいる母親と、キラキラとした目で見つめてくる愛嬌のある娘。
男虎「よし、お嬢ちゃん! お菓子やパンをあげよう! だから、お墓を壊したこと秘密にしてくれないか!」
「ちょっと何言ってるんですか! うちの子に変なこと言わないでください!」
暑苦しい口調と笑顔で娘に話す彼に対し、母親は声を荒げた。
「うん、ヒミツにする! ユーレイおじちゃん!」
娘の方は変わらず好意的だ。
男虎「よし、ちょっと待ってな! 儂のお供え物にお菓子の1つや2つ……って何もないし、墓壊れとるやないかい!!」
彼のセルフツッコミに、娘は大きく笑い、母親は呆れた目で背中を見つめる。
男虎「悪いな、お菓子はまだ今度だ。急がないと皆が危ない」
男虎は珍しく落ち着いた口調でそう言いながら振り返り、両手のヌンチャクをくるくると回し始めた。
ヌンチャクの高速回転により、彼の両脇で強い風が発生する。
男虎「待てるかい、お嬢ちゃん?」
「うん! ママに買ってもらうから大丈夫!」
男虎は娘の元気な返事に強く頷いた後、ヌンチャクをより強く回して前方の空を見上げた。
男虎「待っていろ、元儂の生徒たちいいぃぃぃ!!」
ーー
笛を吹いてからまだそんなには経っていない。
陽のお陰でウインド・メイルの弱点はわかったけど…。
奴にダメージを与えられる人がいないんだ。
ただ1人、琉蓮を除いては…。
でも、彼はダメだ。かなり落ち込んでいてずっと塞ぎ込んでいる。
心が不安定な時に、力加減なんて上手くいくはずがない。
でも、五十嵐のウインド・メイルを破るには、ゴリラの陽と同じくらい強い攻撃が必要だ。
そう考えている間にも、五十嵐は意識のない皇の元へ向かっている。
奴を倒せそうなのは貴方しかいないんです。
早く来てください、男虎先生…!
奴はついに、うつ伏せに倒れた皇の前に立ち、笑顔で拳を振り上げた。
ーー この時、五十嵐は確かに聞いた。
“やめろ。手を出すな”。
ーー どういうわけか、彼の身体は異様に強張りどっと汗が噴き出した。
五十嵐「だ、誰だ!」
嬉しそうに拳を振り下ろそうとしていた奴だったけど、いきなり後ろに振り返りそう叫ぶ。
なんだ? 誰も何も言ってないけど…。
額に大量の汗を滲ませながら、辺りを見回す五十嵐。
震える拳に荒い息。どこか怖がっているようにも見える。
今になって、自分がしたことをヤバいって思い始めたのかな?
ブロロロロロ……
五十嵐が周りを警戒する中、上空からヘリコプターのような音が聞こえてきた。
「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
その音よりも遥かに響く大声に、僕は空を見上げる。
先生、来てくれたんですね。
男虎先生は両手に持ったヌンチャクを、頭上でプロペラのように回して飛行していた。
ホイッスルの音、あのお墓まで届いたんだろうか? てか、先生飛べるんだ。武術って凄いんだな。
ドンッ!
先生は上空でヌンチャクを回すのを止めて、慶と琉蓮の前にどっしりと着地した。
男虎「助けに来たぞ! お前たちいぃ!」
グラウンドにいる僕らに目を配りながら、強く叫ぶ男虎先生。
五十嵐は、目立ちまくりな先生に対し目を細める。
男虎「生徒たちに悪さする悪い人はどこだあぁぁ!」
敵は目の前にいるけど、先生は五十嵐のことを知らないから仕方ない。
文月「はぁ…」
そして、すぐ後ろにいた慶は呆れた様子で立ち上がり、怪我をしていない左手でポケットから何かを取り出した。
チクッ……
男虎「痛い!」
慶が真後ろに立つと同時に、先生の身体はぴくりと震える。
な、何をしたんだ?
文月「敵はあいつだ。僕らを殺そうとしている。暑苦しい貴方の武術で奴を仕留めてください」
ムキッ! ムキッ! ボンッ!
敵を知らせる慶と、爆発のような音と共に筋肉が膨張する男虎先生。
マジで何をしたんだ、慶?
元々ムキムキな男虎先生の筋肉が限界突破している…!
文月「念の為、万能薬を投与した。墓穴暮らしで鈍っていた身体も元通りです」
慶はそう言って、赤い液体が入った注射器を仕舞いながら後ろに下がった。
万能薬…、あの赤い液体のことだ。
確か不知火の血を元に、どんな傷や病気でも治せる薬を開発したんだっけ。
でも、あの薬は原因不明の危険な副反応が起きるんじゃないのか?
今、新庄が入院しているのも、万能薬の過剰摂取が原因だと聞いている。
「慶! その薬、大丈夫なのか?」
僕は、彼に届くよう大きめの声で問いかけた。
心配だけど、慶は発明や科学の天才だ。
もしかしたら既に、副反応の原因を突き止めて改良しているのかもしれない。
文月「あぁ、危険だ。それにこいつは2回目。副反応で普通に死ぬかもな」
しかし、慶は期待した僕に向かって冷たく言い放った。
マジかよ…。じゃあ、確実にヤバいじゃん。
2回接種した新庄は、血塗れになったんだろ…?
男虎先生に対して、彼はなんでそんなに辛辣なんだ。元僕らの先生なのに、こいつとか言ってるし…。
文月「万能薬の副反応は危険だが、鬼塚が動かない今、奴を確実に倒すためにはこうするしかない」
男虎「大丈夫だ、プールが上手な生徒くん! 儂の心配はいらない! 元々死ぬ気で先生やっていたからな!」
続けて淡々と話す慶と、僕を勢いよく指さして熱く語る男虎先生。
凍てつく氷のように冷徹な彼と、燃え盛る炎のように暑苦しい先生の意見が一致した。
いや、噛み合ったらダメだって…。
てか、プールが上手な生徒って僕のこと? 間違ってはないけど…。
五十嵐「ウインドマスターの俺を差し置いてまたもペラペラと…。いい加減にしろ!」
無視されて怒った様子の五十嵐は、僕らの会話に割って入る。
実は気長で優しくて繊細な人なのかな。いや、だったら生徒を殺そうとはしないか。
五十嵐「優しい顔も三度までだ。次に話し始めたら、容赦なくぶち殺してやる!」
奴は指を3本立てて、怒鳴り声を上げた。
いや、あんたの顔、開会式からずっと厳格なんだけど。
男虎「それはすまない! 生徒たちとの話に夢中になっていた!」
五十嵐「生徒? お前は誰だ? この学校の先生じゃないだろ?」
素直に謝る男虎先生の発言に対し、五十嵐は首を傾げる。
男虎「儂は、男虎勝院。前にここで保健体育の教師をやっていた。サッカー部の監督もな!」
先生の自己紹介を聞いた奴の表情は、少しばかり柔らかくなった気がした。
まさか、男虎先生…。戦って止めるんじゃなく、打ち解けて諭そうとしている?
五十嵐「奇遇だな! 俺も今、保健体育の担任で、サッカー部の監督をやっている! 今年のワールドカップ、どこを応援する?」
目をキラキラとさせる五十嵐の質問を皮切りに、2人はしばらくサッカーについて熱く語り合っていた。
五十嵐「あれは勝てると思った。先にこっちが2点取ったんだぞ?」
男虎「その前の大会だって期待は大きかったですぞ! なのに、勝てなかった! サッカーは予測不可能なスポーツとはよく言ったものですな! ワッハッハ!!」
2人とも凄く楽しそうに話をしている。
このまま行けば、五十嵐も心を入れ替えてくれるんじゃないのか?
狙ってはないかもしれないけど、男虎先生が言葉で敵と打ち解けるなんて思いもしなかった。
五十嵐「お前とは価値観というか気が合うな!」
男虎「儂も同じことを考えていた! 今年のワールドカップ、一緒に見に行きませんかっ!」
奴との戦いは、これで終わるとみんな思っただろう。
何だか拍子抜けだけど、致命傷を負った人はいない。誰も死なずに済んだんだ。
そう安心した矢先だった。
五十嵐「運命共同体のお前なら、今から俺が言うことわかるだろう」
男虎「おぉ! というとは…、儂と一緒にワールドカップへ…!」
僕も男虎先生と同じことを考えたよ。
会話の成り行きからして、奴はワールドカップの誘いをオッケーしたんだって。
五十嵐は、清々しい顔でこう言った。
五十嵐「共に生徒を虐殺するぞ!」
男虎「ちょっと待ったあぁぁぁ!」
唐突な発言に、動揺して叫ぶ男虎先生。
男虎「一気に価値観ズレましたぞ! 生徒を守る儂と、殺すアナタ!!」
狼狽える先生は、自分と五十嵐を交互に指さして、カタコト気味に強くそう言う。
やっぱり、そう簡単にはいかないか。
五十嵐「聞け、友よ。真っ当な理由があるんだ」
男虎「聞かない! 生徒を殺すための正当な理由など存在しない!」
眉にしわを寄せた男虎先生は、両手に持っているヌンチャクをぐっと握り締めた。
男虎「今すぐ謝れば不問にする! 教師たる者、冗談でもそんなこと言うんじゃない!」
五十嵐「冗談じゃない、本気だ。こいつらは俺たちの大好きなサッカーを愚弄した。死んで当然だろう」
五十嵐の発言に対し、右手のヌンチャクを前に突き出す男虎先生。
奴はいっさい表情を変えることなく話を続ける。
五十嵐「俺だって自分の感情に驚いている。こいつらが憎くて憎くて仕方がないんだ。脳が俺に“殺せ”と命令している」
驚いている…? 自分の感情に?
奴は、元から僕らを殺そうとして潜入してきたんじゃないってこと?
最初は普通の先生だったのか?
文月「これでわかったでしょう。奴は僕らに危害を加える異常者だ。早く倒してくれ」
男虎先生の後ろから奴を見据える慶がそう言った。
「ちょっと待ってくれ! 話し合いで解決するならその方がいい!」
文月「それは無理だろ。変なサッカーをしただけで、人を殺したくなるような奴だぞ。話し合いで済むならとっくに終わっている」
僕の言葉に、彼はすかさずそう返す。
五十嵐「残念だ」
突き出したヌンチャクを下ろさない先生に対して、寂しそうな顔をする五十嵐。
五十嵐「お前には3つの選択肢がある。1つ目は、俺と共に生徒を殺すこと。2つ目は、ここを去り俺の邪魔をしないこと。3つ目は、俺に刃向かって殺されることだ」
3本の指を立ててそう言った奴を見て、男虎先生も辛そうな表情を浮かべた。
だけど、その切ない顔は一瞬で暑苦しくなる。
男虎「儂は生徒を守るっ!! そっちこそ去るんだ。お前は教師失格だ!」
熱い発言にそぐわない束の間の静寂。
五十嵐「そうか…」
奴が小さく呟いたことで、沈黙はすぐに破られる。
五十嵐「ウインド・メイル、極限全開」
奴の怒りのこもった言葉と同時に、けたたましい風切り音が反響した。
その音と共に、奴の足場には絶え間なく無尽の切れ込みが入っていく。
あれはもう自分を守るための鎧じゃない。全身を纏う風の刃だ。
男虎「問題児の文月、下がるんだ!」
先生はちらっと振り返り、後ろに立つ慶に注意を促した。
文月「言われなくても…。奴は風を自在に操る能力で、多様かつ殺傷力の高い攻撃を繰り出してくる。くれぐれも負けないでくれ。貴方で倒せないなら、もう後はない」
蹲った琉蓮の元へ後ずさりながら、彼は五十嵐の能力を説明する。
慶が離れたのを確認した男虎先生は、両手に持っていたヌンチャクを高速で回し始めた。
男虎「龍風拳・飄籟双節棍」




