ウインドマスター - 水瀬 友紀⑪
試合をしていた僕ら自警部と対峙する五十嵐先生。
いや、五十嵐富貴。
彼はもう僕らの知っている先生じゃない。
知っていると言っても、まだここに来て1ヶ月も経ってないし、保健体育の授業以外ではほとんど関わりなかったけど。
ニヤけている皇を除いて、僕らは五十嵐をしっかりと見据えていた。
ハーフウェイラインの手前で綺麗に横並びになっている僕らを、奴は1人1人殺意のこもった目で見ていく。
まずは、何らかの攻撃が繰り出される前に…。
「朧月くん! みんなの避難を…!」
僕は、すぐ前にいる五十嵐から目を離さず彼にそう言った。
みんなとは、特質を持っていないチームメイトやサッカー部員のことだ。
叫び続ける國吉、超ネガティブなぐっさん、めっちゃ大きい岡崎くん。
並んでいた朧月くんが消えると同時に、彼ら3人と藤原率いる部員たちは、観客席に現れた。
國吉「すげえええぇぇぇぇぇ!! 何か視界が変わったあ゛あ゛ぁぁぁ!!」
朧月くんの能力に感動したのか、拳をぐっと握り更に大きな声で叫ぶ國吉。
いや、能力とは思ってないか。不思議体験をしたような感覚かな?
岡崎「俺は瞬間移動した? これがカアサン・ディスコ・ヤリラフィの力?」
岡崎くんは意外にも落ち着いた様子で、自分の両手を見つめながらそう言った。
母さん、ディスコ、やりらふぃ。
何か外国にいそうな神様の名前みたいに聞こえるな。
自分の好きな言葉を並べただけなんだろうけど、“覚醒した”みたいな雰囲気出してるから…。
志鎌「なるほど。あいつの言った超能力は実在していたのか。まぁ、そんなことはどうでもいい。どのみち君達は五十嵐先生に殺される。早速、僕の願いが叶うんだ」
感心しつつ高揚した口調で話すぐっさん。彼はやっぱりネガティブだ。
でも、今の一瞬の出来事で能力に気づいたのは凄い。
凄いっていうより、警戒したほうがいい? 彼に神が憑いたり、特質が発現したりする可能性もゼロじゃないよな。
彼ら3人に釣られて、ベンチにいた皆も超能力のことで騒ぎだした。
そして、僕らの出方を見ているのか、五十嵐は腕を組んだまま動こうとしない。
だけど、いつ殺しにかかってきてもおかしくないんだ。
「陽、あれに変身してベンチにいる皆を守ってくれ!」
五十嵐「みんなか。ざわざわと五月蠅いあいつらのことか」
僕が陽を呼びかけると、彼はそう言いながら、皆のいる方へ手を翳した。
五十嵐「シュレッド・ウインド」
五十嵐がその言葉を発した瞬間、甲高く鋭い風切り音が鳴り響く。
その音の源と思われる見えない何かが、地面に無数の切れ込みを入れながら、皆の方へと迫っていった。
見えない何かの正体。それは、さっき見た彼の能力的に風だと思うけど。
ただの風が地面に深い切れ込みを入れるなんて、普通はありえない。
でも、今は普通かどうかを考えるより、どうやってあれを止めるかだ!
風の斬撃は、もの凄い速さで皆の元へ向かっている。
3人を移動させた朧月くんは、ベンチの方にいるけど丸腰だ。
いったいどうすれば…。
ーー
迫り来る風の斬撃に、ベンチの近くに集まっていた生徒たちは怯えていた。
攻撃自体は見えないが、地面に切れ込みが入っていくのを見て、異常なことが起こっているのはわかるのだろう。
「何あれ…? アタシたち…、死ぬの?」
ロベリア・ブロッサムの1人が不安な表情を浮かべてそう言う。
ふんわりとした口調、ふっくらとした頬に、背中まで伸びたボリュームのある髪。
“沼らせたい”が口癖の彼女の名前は、沼倉 陶香。
「大丈夫よ。私らで何とか…」
不安がる沼倉の前に、他のロベリアの2人が立った。
だが、前に出た2人の表情も引き攣っている。彼女らもまた不安で怯えているのだろう。
「これを止められるとしたら、持ってるウチらだけや…」
面長で短めのハーフアップ (襟足を残し、上半分を括る髪型)、関西弁で話す彼女は、蟻本 美羽瑠。
迫り来る不可視の攻撃に対して向けている手は震えている。
隣で蟻本と同じく、手を前に出している彼女も普段は強気だが…。
(止めないと…。止めないと…!)
焦る彼女の視界は、緊張からか揺らいでいた。
彼女は、姫咲 紫苑。
所謂リス顔で若干カールのかかったショートヘアの姫咲は、ロベリアのリーダー的存在だが…。
姫咲(大丈夫、きっと大丈夫…。いつもの……ように……)
能力持ちと戦ったことなど一切ない彼女の心は、完全に折れてしまっていた。
無慈悲に迫る風の斬撃と、背後から聞こえてくる決勝戦を応援していた生徒たちの悲鳴が、3人の恐怖や緊張を助長させる。
姫咲(で、できない。私のじゃ無理…)
絶望し死を予感した彼女は、一筋の涙を流して目を閉じた。
全てが遮断された真っ暗な視界。
甲高い風切り音が大きくなる中、姫咲は確かに聞いたのだ。
「前を失礼いたす」
丁寧かつ堂々とした男の声を。
堅苦しい生真面目なオタク、剣崎怜が彼女らに背を向けて立っていた。
剣崎(一見、不可視の攻撃。だが、私の動体視力は、格ゲーと日々の鍛錬で鍛え抜かれている。集中力を研ぎ澄まし、目を凝らせば必ずそれは視えるだろう)
彼はそう考えながら、帯刀していた2本の刀を鞘から抜いて前を見据える。
そして、けたたましい風切り音とは対照的に静かにこう呟いた。
剣崎「尾蛇剣舞・斬華繚乱」
ベンチにいる生徒たち、ロベリアの3人、水瀬ら自警部、そして五十嵐富貴。
彼らの目には、剣崎が2本の刀を持って、何もせず突っ立っているように見えていただろう。
あまりに速い剣捌きは、逆に止まって見えるのだ。
甲高く鋭い風切り音は、剣崎を目前にぴたりと止み、迫り来る地面の切れ込みも彼の足元で動きを止めた。
ーー
僕がどうしようかと考えている僅かな間に、五十嵐の攻撃はみんなの前に迫っていた。
彼が今日いなかったら、既にもうみんな死んでいたかもしれない。
怜は、みんなを守った救世主だ。
屋上で見張っていた彼は、靴底に唾液を塗り込み、高速で滑ってここまでやって来た。
多様な唾液を出せる怜の特質は、彼自身のコンプレックスでもある。
皆を守るため、彼は自分のコンプレックスが公になるリスクを背負ったんだ。
姫咲「消えた…? いったい何をしたの?」
涙目になった彼女は、震える声で怜に問いかけた。
正直、僕も彼が何をしたのかわかってない。ただ、刀を抜いただけのようにしか見えなかった。
剣崎「…………加速」
2本の刀を鞘に収めた怜は、彼女の質問には答えず、いつもの滑走で五十嵐に接近する。
そして、2本の刀を鞘ごとしっかり持って、奴の目の前で構えをとった。
剣崎「尾蛇剣舞二刀式・急所打擲」
鞘に収まった2本の刀は、五十嵐のこめかみと鳩尾に向かっていく。
鞘ごしに攻撃しようとしているのは、なるべく怪我をさせないための配慮だ。
当たり前だけど、刀で斬れば人は死ぬ。
高速で滑る唾液滑走に、素早くオタ芸のような動きから繰り出される尾蛇剣舞。
五十嵐は怜の俊敏な動きに反応できていなかった。ずっと怜の方を見ていたのにも関わらず。
まぁ、動きが速い上に初見だから、反応できなくて当然だと思う。
こめかみと鳩尾に迫る鞘を見て、半分は勝ったと思っていた。
もう半分は……、
パキッ!
そんな一筋縄ではいかないだろうと考えていた。
剣崎「うっ…! なぜ折れた?」
怜が振るった2本の刀の鞘と刀身は、粉々に砕け散る。
五十嵐「エア・ウインド! け~~ん~~ざ~~き~~!!」
奴は動揺した怜の一瞬の隙を突いて、手を突き出した。
そして、名前を叫んだ瞬間、突風が発生する。
その突風は、怜の身体を高く吹き飛ばして宙に浮かせた。
五十嵐「良い腕だが、先生には効かない。風の鎧“ウインド・メイル”を纏っているからな」
宙に浮いた怜を見て、嫌な笑みを浮かべる五十嵐。
やっぱり彼は神憑か。風を自在に操る力を持っている。
身に纏うウインド・メイルとかいうのをどうにかしないと、五十嵐は止められない。
五十嵐「素晴らしいアジリティも空中では無意味だ。死ね」
奴は怜に身体を向けたまま、両手を大きく振り上げた。
何らかの技を繰り出そうとしているのは一目瞭然だ。
「や、やめろおぉ!」
怜を助けるため、僕は何も考えずに五十嵐に向かって走り出す。
だけど、何なんだこれは…?
分厚い風に身体が押し返されて、奴にそれ以上近づけない…!
僕に続いて、朧月くんや陽、樹神も奴に止めようとしているけど、同じく風の壁に阻まれていた。
五十嵐「ウインド・バリア。順番を待て。公平にちゃんと殺してやるからな」
左手は怜に、右手は僕らに向けてそう語る五十嵐。
クソッ! 風だったら何でもありかよ!
僕はまた何もできないのか?
朧月「近づけないと…………何も………」
隣に姿を現した朧月くんも、風の壁の前に立ち尽くしている。
樹神「へっ、バリアなんてへっちゃらだ! アフロブレイク! アフロブレェェェェイク!!!」
そして、樹神はそう叫びながら頭を前後に振り始めた。
一見ヘッドバンキングに見えるこの動き。本人はバリアを頭突きで破ろうとしているのかもしれないけど…。
そんな暇があったら、早く地面に埋まってくれ!
五十嵐「スラッシュ・ウインドX!!」
奴は為す術がない僕たちを尻目に、再び大きく両手を振り上げた。
そして、腕を交差させてアルファベットのXを描くように振り下ろす。
技の名前的に、Xの形をした斬撃が怜に向かっているんだろうけど。
今度は空中に放たれたから完全に見えない上に、音もいっさい聞こえない。
不発だったと願いたいけど、そんな都合の良いことはないだろう。
怜、死ぬのか?
嫌だ…、やめてくれ。彼は堅苦しくて回りくどいけど、良い友達だ!
僕は思わず、空中に高く飛ばされた彼に向かって手を伸ばした。
皇「ヒャハハッ♪ すげぇ面してんなぁ♪」
そんな僕を見て、狂気的に笑う皇。僕は彼を睨みつけた。
いつもなら許せるけど…、なんで笑っていられるんだ?
友達が……仲間が死ぬかもしれないのに。
彼は僕らが五十嵐を止めようとした時も、ただニヤニヤと笑って何もしなかった。
君はこんな状況でも、自警部を復活させることしか考えてないっていうのか…?
皇「そんな怖い顔してねぇで、友達なら信じてやれよ」
一瞬で真剣な表情になる皇。
真剣な表情のまま、彼はこちらにやって来て、またすぐにニヤつき始めた。
皇「お前は見てないだろうが、あいつは空でも充分やれるぜぇ♪」
彼の言葉を聞いて、僕は怜の方へ視線を移す。
怜は空中で突風に曝されながらも、しっかりと居合のような構えをとっていた。
刀身が砕けてほとんど鍔しかない刀を握り締めて、前方を……風を見据えている?
五十嵐「まさか……」
変わらずバリアを張ったまま、怜を見上げる五十嵐はぽつりと呟いた。
奴の言う“まさか”は実現するだろう。
若干笑った怜が何かを呟いている。
遠くて何を言っているのかは聞き取れないけど、口の動きからしてこう言っていた。
“視えた”って。
剣崎「尾蛇剣舞翔式・旋刃流転斬」
怜は空中で軽々と身を捻り、柔軟に回転しながら虚空に刀を振るった。
五十嵐「ありえない」
五十嵐は、元の構えに戻って地面に着地した彼に対しそう言う。
完全に見えず聞こえない攻撃を、怜は刀身がほとんどない刀で捌いたんだ。
人間じゃない。君はいったいどんなトレーニングをしているんだ?
てか、あんな高い所から受け身も取らずに着地して、足は大丈夫なのか?
五十嵐が技を出すのを止めたのか、突風ごと斬ったのかはわからないけど風は止んでいた。
だけど、僕らを阻む分厚い風は消えてない。
五十嵐「しぶといゴキブリ共め。潔く俺に命を差し出せば良いものを」
スムーズに僕らを殺せないからか、イラだった様子で愚痴を零す五十嵐。
文月「ふっ…、ゴキブリか」
そんな奴に対し、ずっと僕らをベンチから見ていた慶が笑みを浮かべて立ち上がった。
テロリストとして名が知れていることもあってか、ベンチにいるみんなは彼に注目する。
文月「随分と秀逸な例えだな、なりきりサッカー選手の五十嵐。その練習着はプロを気取っているつもりか?」
慶は奴に悪態をつきながら、グラウンドに足を踏み入れた。
彼の発言に、五十嵐は眉をひそめる。
慶の行動は、何か考えた上でのことなんだろうけど…。相手は殺意を持った神憑だ。
慎重に動いてほしい。
彼は自分を睨みつける五十嵐に話を続けた。
文月「昨年、一部からゴキブリと誤認された人型の機械が吉波高校を襲った。政府を恨んでいたテロリストの仕業だ。頑丈な装甲を前に生徒たちは為す術なく捕まった。頑丈な上に初速も時速30キロと機敏で奴らに隙はなく、当時逃げ切れた特質持ちや、とある霊長類も戦うとなると歯が立たなかった」
慶は懐かしくてビックリした去年の話をしながら、ゆっくりと五十嵐に近付いていく。
今となっては良い思い出だ……じゃなくて、なんで今その話をしてるんだ?
後、良い思い出にはなってない。普通に怖かったし、その後大変だったし…。
文月「だが、1人の神憑が現れ、テロリストの計画に終止符を打ったんだ。今はクソみたいな理由で足を痛めて、保健室にいるがな…。そして、生徒の間では、警察にチクったゴリラが救世主として崇められた」
そうだ。あの時、ゴリラの陽だけが人気者になったんだ。
いや、厳密に言うと、“陽のゴリラ”か。
五十嵐「いったい何の話をしている?」
五十嵐は、慶を睨みつけたまま問いかける。
僕も同じ気持ちだ。なんで今、その話を始めたのかわからない。
慶は僕らを指さしてこう言った。
文月「奴ら“BREAKERZ”の話をしている。無敵のマシンと戦い、凶悪なテロリストを止めたのは彼らだ。そして、僕はその凶悪なテロリストだ。言っておくが、マシンの設計にゴキブリは関係ない。たまたま形が似ただけだ」
もしかして、“ゴキブリ”という言葉が気になったのか? あの鬼とゴキブリは関係ないってことを言いたかっただけ…?
五十嵐「下らない妄想だ。お前は今から殺される。どうせ喋るなら遺言にしておけ」
文月「ふっ、お前は最近来たから知らないだろ。このことは政府が隠蔽して報道されなかったからな」
五十嵐の発言に対して、慶は鼻で笑う。
文月「お前は自分が有利だと、勘違いしているようだから教えてやる。奴らはお前を殺してしまわないように手加減しているんだ」
五十嵐「はははっ! こいつ…!」
今度は五十嵐が、怒りを含んだ声で大きく笑った。
五十嵐「命乞いは素直な方が良いぞおぉ! お前の言葉にはイライラする! 楽に死にたかったら土下座しろ!」
まずいな、かなり怒っている。とりあえず、謝っといたほうが良いんじゃ…。
暴走して技出しまくられたら大変だ。
でも、加減していないと言ったら嘘になる。
怜は奴に攻撃した時、刀を鞘に仕舞っていた。
あの勢いで斬ってしまったら、確実に死んでしまうから。鞘で殴れば大して怪我もせず、気絶を狙えるという判断だろう。
僕も五十嵐を殺そうとは思ってないし、そもそも人を殺す勇気なんてない。
だから、みんな無意識に手加減はしていると思う。
文月「事なかれ主義な“BREAKERZ”にとって、殺意のある雑魚の対応が1番面倒なんだ。だが、僕は違う。凶悪なテロリストだ。ここに百万体の鬼を寄越し、お前を殺させる」
慶は勝ち誇ったかのように、そして冷徹に言い放った。
あの鬼を百万体だって…? それに、僕らに差し向けた鬼はきっと加減していただろう。
残忍な本気モードを僕らは知らない。
いったいどうしたんだ? あの時の慶に戻るのか?
いや、人を殺すならあの時以上だ。
でも、待てよ。これは脅すためのハッタリかもしれない。
文月「それが嫌なら……」
僕は彼の言葉にホッとした。
“殺されたくなければ去れ”。
多分、そんなことを言おうとしているんだろう。
冷静に考えたら百万体なんて、すぐに用意できるわけが……、
樹神「何言っとんですか、親分! ゴキブリ百万体とか、わい死んでまうがな!」
標準語訛りのエセ関西弁で大声を上げながら、何故か僕の二の腕を叩く樹神。
剣崎「ふ、文月氏! 何があったのだ! また乱心か? 話を聞こう。解決方法も考えよう。心の闇を、友人である私に打ち明けるのだ!」
ノリでツッコんでいる樹神とは対照的に、怜はめっちゃ真剣だ。
彼は距離が離れている慶に、大声でそう呼びかけた。
文月「お前ら、黙れ。いま良いところだったんだぞ」
そう言って、彼は目を細める。
皇「あぁ、自警部あるあるな。こいつら肝心な所で水差して来るぜ…。特にゴリラがな」
獅子王「え、僕が? いや、ゴリラ違いか」
近くにいた陽や皇が、緊張感のない会話を始めた。
何この雰囲気…、釣られてほんわかしそうになるんだけど。
不知火「ねぇ、剣崎はなんで怒ってるの? 人を殺したらいけないの?」
どさくさに紛れて恐い発言をする不知火に、僕は鳥肌が立つのを感じる。
彼は道徳の授業、全部サボってきたのか?
皇「俺は空気を読んで黙っててやったのに。こいつらがぶち壊すから意味ねぇよなぁ♪」
恩着せがましくそう話す皇に、慶は顔をしかめた。
文月「お前に空気を読まれても癪でしかないな。決めた、百万体の鬼はお前の家に送り込もう。お前が僕の校章を差し出すまで家を包囲してやる」
五十嵐をそっちのけで、彼らの話は少しずつズレていく。
あの銃火器が効かない鬼百万体を、校章を取り立てるために使うのか。
なんて贅沢なんだ。下手したら軍の武器すら効かない奴らなんだろ?
五十嵐「こいつら…! ウインドマスターの俺を差し置いて…! 憎い、恨めしい、殺してやるうぅ…!」
怒った五十嵐は、どこか苦しそうな表情を浮かべながらそう叫んだ。
わかるよ、存在を無視されるのって1番辛いよね……ってそうじゃない。
切り替えろ。もうほんわかしたお喋りタイムは終わりだ。
集中しないと、みんな死ぬ。
皇「ほら、言ってやれよ。お前の言いたかった決めセリフをな♪」
文月「チッ…! お前が僕の見せ場を作ったとでも言いたいのか」
しめたと言わんばかりに笑う皇に対し、慶は舌打ちをした。
五十嵐の怒りに呼応するかのように、風は強まりヒューヒューと唸り始める。
文月「あぁ、言ってやろう。よく聞け、五十嵐」
彼は一呼吸置いてから、こう告げた。
文月「殺されたくなければ家に帰れ。二度と僕らに関わらないと誓えば見逃してやる。大人しく家に帰り、今後も生きていられることに泣きながら感謝でもするんだな」
慶の狙いは多分、五十嵐を怒らせて自分に矛先を向けることだ。
だけど、彼は丸腰。煽って怒らせるまでは良いけど、その後何をする気なんだ?
ごおおおぉぉぉぉ!!
またこの風だ…!
立つことすら困難な強風が辺りに吹き荒れ、僕らは地面に手を着いた。
立っていられないのは慶も例外じゃない。
慶、本当に大丈夫なのか?
ごおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!
更に風が強くなる中、五十嵐は、指を少し曲げた両手を彼に向けて名前を叫んだ。
五十嵐「エア・ウインド! ふ~~づ~~き~~!!」
強風に対して顔を覆う慶の身体は宙に浮き、五十嵐の元へ引き寄せられる。
全然ダメじゃないか! このままじゃやられる…!
自分の元へやって来る彼に対し、奴は拳を作った。
五十嵐「ウインド・ナックルU3!!」
ドオオォォォンッ!
風で引き寄せられた慶の頬を狙って、拳を振り抜く五十嵐。
その瞬間、凄まじい音と共に爆風が起こり、砂煙が舞って2人とも見えなくなった。
こんなの絶対死んでるよ。松坂先生を殴った時と威力が全然違うじゃん。
「慶、何もできなくてごめん。水が言うこと聞いてくれないから…」
申し訳ないと思う僕の目からは、自然と涙が零れた。
でも、君は悪いこともした。その因果が今、巡ってきたのかもしれないな。
そう考えて、僕が悪いんじゃないと思いたい。
砂の煙が少しずつ晴れていく。
そこには、血の着いた拳を茫然と見つめている五十嵐しかいなかった。
きっと慶は、本気の風パンチで粉々になったんだ。
アルティメットとか言ってたもんな。めっちゃ本気のパンチなんだろう。
五十嵐「躱された…?」
僕の聞き間違いだろうか?
驚いているような表情をしている五十嵐は、自分の震える拳から背後へと目線を移した。
そこはまだ砂の煙が舞っていて、よく見えない。
だけど、僕の聞き間違いじゃなかったら、彼は…。
文月「“死なせてしまった”みたいな謝り方はやめろ。勝手に殺すな、水瀬」
慶は生きていたんだ。
砂煙は完全に晴れて、彼は姿を現した。
だけど、額と浅く切れた頬からは血が流れている。
「慶……、血………血が……!」
文月「安心しろ。擦っただけだ。想定以上の攻撃範囲だった。突きに能力を乗せるのも、視野に入れておくべきだったか」
身体が震える僕に対し、彼は淡々とそう言って額の血を腕で拭った。
五十嵐「ありえない。お前も空中で…」
文月「素人の突きを僕が貰うわけないだろ」
動揺を隠せない五十嵐に対し、落ち着いた様子で彼はそう言う。
文月「言っただろ。こっちは手加減していると。お前は本気なのかもしれないが、こちらはお遊びだ」
悔しさからか歯を食いしばる五十嵐。
冷静に見て、奴は強いと思う。
ぱっと見、相手が格下に見えるのは慶が落ち着き払っているからだ。
奴が強いことは多分、慶もわかっている。わかった上で、何か狙いがあるんだろう。
精神面に関して言えば、今はこっちのペースだ。
「かっけぇ…。あれ躱したぞ! 超能力か?」
「かっこいいのは当たり前だ。文月さんだぞ」
沼倉「あの人、冴えないけどイケメンだわ。ぶれいかーずは光る原石が多そうね」
怯えていたベンチの人たちも、善戦している僕らに希望を持ち始めた。
蟻本「こっちにまた攻撃来るかもしれやんし、油断したらあかん」
気の抜けた発言に対して、ロベリアの1人が注意する。
沼倉「えぇ、ほとんどこっちが勝ってるでしょ?」
蟻本「いや、まだわからへんよ。まだお互い出し切ってへんもん」
姫咲「そうね、次の一手がどうなるか…」
ロベリアは1人を除いて、勝てるというムードに呑まれず、冷静かつ賢明に僕らの戦いを見ている。
もし彼女らが特質持ちで、今後協力してくれたら、心強い味方になってくれるだろう。
皇「チッ…、“BREAKERZ”の方が広まったか。面倒だが、後で一緒のようなもんだと説明するしかねぇか」
思惑からズレて舌打ちをする皇。彼的には、自警部の方を宣伝したかったんだろう。
五十嵐「クソガキ共がギャーギャー騒ぎやがって!」
五十嵐が両手をぐっと握ると同時に、また風が強くなる。
慶が何を考えているのかはわからない。
いや、彼が攻撃を躱すことすら予想できなかった僕に、わかるはずがなかったんだ。
文月「これを使うのは小学生以来か。まぁ、素人相手には事足りるだろうが」
彼が次に取った行動も、僕が予想できる範疇を超えていた。
手は両方開いた状態で、右手は下に向けてお腹の前辺りに添える。
そして、左手は斜めの角度で、心臓を守るように左胸の前に添えた。
この構えを僕は見たことがある。琉蓮がリングの上で戦ったあの時だ。
憤る五十嵐と対峙した慶は、何かの武術のような構えをとってこう言った。
文月「妖瀧拳。錯綜・泡沫の構」




