帰省 - 文月 慶③
聡悟「東、旨いか? 今日もお前の好きな高級料理だぞ!」
台所に来た僕は、料理が置かれている広めの丸テーブルのイスに座った。
東「え…、あ、ありがとう。頼んでないんだけど…。普通のご飯で良いのに」
僕の向かいに座っているのは、親が溺愛している妹の文月東だ。
彼女は高級料理を提供した奴に対し、僕の顔を窺いながら礼を言った。
同情したふりをするな。余計に腹立たしい。小学生の時は僕のことを悪く言い、中学に上がるといっさい口を利かなくなったお前の本性は知っている。
所詮はこいつらの娘。性悪な遺伝子を受け継いでいるに違いない。
だが、気を遣っているのは本心かもな。何故なら…。
僕は自分の前に置かれている食べ物に目をやった。
およそ半年ぶりに帰ってきて出された料理は…、
小皿に乗せられた1つの梅干しと、茶碗半分のご飯。
何の捻りもないいつも通りのメニューだ。
あぁ、大して期待はしていない。
想定通りの待遇だった。
ご飯の量が半分に減っているのは、鬼ごっこという名の悪いことをした罰のつもりだろう。
聡悟「そう遠慮するな! お父さん今、金銭的にも精神的にもかなり楽なんだよ」
笑顔でそう話す父親は、僕から見て右前に座っている。
聡悟「問題児がいなくなったからな」
奴は妹に向けていた顔をこちらに向け、冷たい目で僕を見据えた。
「そうね、かなり楽になったわ。なのに、なんで帰ってきたのかしら?」
僕から見て左側に座っている40代の女性は、こちらに背中を向け妹を見つめたままそう言う。
こいつは、文月 稲子。一応、僕の母親だ。
容姿端麗と言われ、近所からは評判が良いらしい。
僕から見ればクソでムカつく母親でしかないが、妹はよく母親似だと言われている。
こいつが世間一般的に見て美人と評価されるなら、妹の容姿が良いのも納得だ。
僕はこいつらの態度にイラ立ちを覚えながらも、割り箸で梅干しを口に運んだ。
今すぐキレてやりたいところだが、妹が目の前にいるからな。
僕がキレると、何かとうるさく言ってきて余計に腹が立つことになる。
「うっ…!」
僕は口内の梅干しから臭った異臭に吐き気を催し、思わず口を塞いだ。
なんだ…、この異臭と異様な味は…。
この女、毒でも盛ったのか…?
東「え…、お兄ちゃん大丈夫?」
心配しているかのような表情で僕を見る妹。
上手い芝居だ、演劇部にでも入ったのか? 内心、僕のことを見下しているクセに…。
稲子「ほっときなさい。構ってほしいだけよ。“こんなもの食えるか。高級料理を自分にもよこせ”って所かしら。はしたないわね」
母親は僕にずっと背を向けたままそう語る。
黙れ、そんなもの欲するか。高級料理如き食べようと思えばいつでも食べられる。
あの刑務所は、クソみたいな実家よりずっと良いところだ。
言い返してやりたいが、今の僕にそんな余裕はない。異常なほどの酸味が僕の口内を刺激している。
早くご飯で相殺しなければ…。
そう思った僕は、茶碗に入った白ご飯を口に流し込んだ。
「う゛お゛っ…!」
ドサッ
なんだ…、この白米は…?
白米を口に運んだ僕は、その味の刺激に耐えられずイスから転げ落ちた。
その際、梅干しとご飯を飲み込んでしまった。
「いったい何を……盛りやがった…?」
身体が震えて起き上がれない僕は、床に横たわったまま奴に問いかける。
稲子「塩しかかけてないわよ」
振り返ることはなく、溜め息混じりにそう答える母親。
本当に塩か? 別のナトリウムを入れたりしてないだろうな?
ぎゅるるるる……
うぅ…、クソッ、このままだとヤバい。
腹痛と便意を感じた僕は、全身の力を振り絞って立ち上がった。
大丈夫だ、辛うじて動ける。“準不死身”の時よりはマシな状態だ。
あの時は躓くだけで骨が折れていたからな。
東「お兄ちゃん…、具合悪いの?」
演技力の高い妹の声を背に、僕は多量の汗を垂らしながらもトイレへ向かった。
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「あぁ、天国…」
便器に座って、そう漏らす僕の頭の中にはお花畑が描かれていた。
若干の腹痛と悪寒は残っているが、いずれ体調は元に戻るだろう。
僕は古びた木造のトイレを見渡した。
ここが僕の落ち着ける唯一の場所だったな。
トイレにいる内は誰も干渉してこない。
守られているような気分になる。
地獄の中にある天国のような場所。まぁ、天国と例えるには少しクサいが…。
僕と家族の関係性を知っていたら、看守は無理やりここには連れてこなかっただろう。
おせっかいな野郎め。家族や親というものは、全て暖かいものだと思い込んでいるに違いない。
残念ながら、僕らは違う。
僕が腹を壊したのは奴らの仕業かもしれない。
梅干しやご飯に、下剤や軽い毒を故意に盛った可能性がある。僕を奴らの団欒から追い払うために。
もしくは、母親の味付けがクソほど下手くそかのどちらかだ。
はっきり言って、母親の料理を旨いと思ったことはない。まぁ、まともに食べたこともほとんどないんだが。
よし、そろそろこの家を出よう。僕は充分堪えた。トイレを出たら看守に連絡する。
無能な“FUMIZUKI”が大人しくしている間に、とっととここを出るんだ。
そう思った僕はトイレットペーパーを手に取り、処理をした後、スボンを上げながらさっと立ち上がった。
この時もう少し落ち着いていれば、こんなことにはならなかったのだろうか?
ポチャン…
便器の中から水が跳ねる音がして、僕は後ろに首を回した。
水に浮いている“茶色い液状の物質”と“汚れた水溶性の高い白紙”。
そして、その中に混じっている“FUMIZUKI”のコアが目に入る。
勢いよく立ち上がったせいで、ズボンから滑り落ちてしまったんだろう。
「クソが…」
僕はそう漏らし、便器から離れた。
素手で取るのは汚いから、手袋やトングを探そうとしたんだ。
コアは完全防水かつ無敵の装甲。僕はいたって落ち着いていた。
ピッ!
この音がなるまでは…。
「ん?」
トイレを出ようとしていた僕は、便器から聞こえてきた音を聞いて振り返った。
ゴボゴボゴボ…!
「…………! おい、待て!」
勢いよく流れる水と異物が吸い込まれる音がトイレに響く。
何もしていないのにトイレが流れただと…?
焦りや動揺、僅かな怒りを感じながら僕はトイレに駆け寄った。
そして、便器に両手を着き中を覗き込む。
「ふ…、ふみづき……」
手の平に収まる小さなコアは、茶色い汚物と共に回っていた。
『“ガチで破壊する”。あの発言は冗談だと思っていました。壊れはしませんが不快です。さようなら、文月。電池が切れるまでの余生を下水道で過ごすことにします』
勢いよく流れる水の中から、淡々とした音声が聞こえてくる。
「待て、誤解だ!」
僕が説明をしようとした瞬間、コアは排水管の穴へと流れていった。
「フミズキイ゛イ゛イ゛ィィィィィ!!」
僕は便器の中に手を伸ばして絶叫する。
どうして小型化したんだ? あのままの大きさなら詰まって流れていくことはなかったかもしれないのに…!
僕は便器から離れ、その場に座り込んだ。
そもそも、なんで勝手に流れた? 立ったら自動で流れるようになっていたのか?
僕の家のトイレに、そんな機能ついてなかったはずだが…。
沸々と怒りが湧いてくる。
これも妹の要望か? あいつが要求したからトイレの機能が変わって、“FUMIZUKI”が流れる羽目になったのか…?
あいつのせいで…、クソ親のせいで…!
僕はトイレから出て、奴らのいる台所へ戻った。
「トイレを自動にしたのは誰だ? したいと言ったのは誰だ!」
まだ食卓に座っていた3人に向かって、僕は声を上げる。
その声を聞いて、涙目になる妹。未だこちらに向こうとしない母親。
聡悟「いや、誰もしたいとは言ってないけど変えたんだ。お前、デジタルっぽいの好きなんだろ?」
そして、何故怒っているのかわからないと言いたげな顔で、僕の問いに答える父親。
こいつ、何を言っているんだ? 僕が喜ぶと思って変えたと言いたいのか?
いや、こいつらにそういう考えはないだろう。
「デジタル云々は置いといて、僕は無駄なことが嫌いだ。しかも、その無駄なもののせいで大事なものを無くした。何も与えないどころか、足を引っ張りやがって。この毒親が」
僕がそう言うと、父親は大きく溜め息を吐いた。
聡悟「はぁ…、何かしてやっても文句ばかり。その上、こちらの期待や要求には応えた例しがない。今のお前の待遇は、お前自身が招いているんだぞ」
もうこいつらに怒りは湧いてこない。
いつか理解してもらえる、受け入れてもらえると期待していたのかもしれない。
もしそうなら、そういった希望を持つのは今日で止めにしよう。
こいつらは変わらない。そして、僕もこいつらに迎合する気はない。
もう二度とここに戻ってくることはないだろう。今日で家族とは縁を切る。
「僕はお前らが死ぬほど嫌いだ。法や秩序が崩壊したら真っ先に殺してやる」
僕はそう吐き捨て、返事を聞く前に台所を飛び出し家を後にした。
妹の声が聞こえたような気がしたが、もうどうでも良い。
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はぁ……はぁ……
家の裏口から飛び出し、道沿いにしばらく走ってから足を止める。
看守にはまだ連絡を入れていない。
ちなみに僕が急いで家を出たのは、下水道に流れていった“FUMIZUKI”のコアを一刻も速く見つけるためだ。
家族にビビっていたからじゃないと敢えて言っておこう。
僕はあいつのことを無能呼ばわりしていたが、優れている部分もある。
データの収集や、異能力の分析、状況の把握といったものに関しては、どんな人間よりも早くて精度も高い。
そういった人には到底できないものを全て奴に任せていた。
つまり、奴がいない今はかなりリスクの高い状態なんだ。
いま神憑らに襲撃されると、防げる被害も甚大になる恐れも…。
あのコアには“FUMIZUKI”の全てが詰まっている。バックアップすらもな。
早く見つけるに越したことはないが、一度冷静になろう。どのみち丸腰では見つけられない。
看守を呼んで刑務所に戻るか…。
僕はおせっかいな看守を呼び出すために、スマホを取り出して電源ボタンを押した。
ん? 珍しく通知が色々と来ているな。
自分のクラスのグループチャットが沸いているようだ。
近々開催される校内の球技大会のことで盛り上がっている。
どうでもいい、通知を切っておこう。
…………。いや、待て。
“FUMIZUKI”がいないこの状況はある種の非常事態だ。
今、あの神が攻撃してきたらどうする?
あれがいつの未来なのかはわからない。今すぐに来てもおかしくないわけだ。
“BREAKERZ”の能力には頼らない、僕1人で戦うと誓ったが…。
今の状況で勝つことは不可能だ。たとえ“FUMIZUKI”がいてもそれは変わらないだろう。
彼らを頼る気はないが、戦う準備はさせておかないといけない。
自分たちの身を自分たちで守るための力は必要だ。特質や能力はしばらく使わなければ恐らく鈍る。
この球技大会を、能力の感覚や勘を鍛える機会にするべきだ。
僕はクラスのグループチャットを開き、こう打ち込んだ。
[文月慶と他数名。球技大会、サッカーに参加。チーム名は“BREAKERZ”だ]
僕がそう打ち込むと、チャット内が一瞬固まる。
[了解しました。登録しておきます。これは楽しみだ]
[え、文月ってあの文月?]
[だよな、鬼ごっこの]
[顔見た人いる?イケメン?]
[なりすましだろ。文月さんはこんなとこに降臨しないし、球技大会なんてお遊びに参加するような人じゃない。にわか共は黙ってろ]
とりあえず、参加は認められたようだ。1人のメッセージを皮切りに、再びチャットは沸き始めた。
さぁ、メンバーを集めるぞ。




