帰省 - 文月 慶②
「ご飯ができるまで、部屋で大人しくしといてくれ」
痩せ細った背の高い父親は、弱々しく僕にそう言った。
いつも何かに怯えているような態度がいけ好かない。
文月 聡悟。こいつの名前だ。
一応、この国の軍人として働いているが…。平和な国の軍隊はこんな貧相な奴でも務まるのか。
「そうしてほしいなら、僕の気分を害さないことだ」
僕は弱気な父親に、いつものように言い返した。
いつもとは言っても、もう半年以上ここには来てないが。
聡悟「慶…」
部屋を出ていこうとしていた奴は、僕の名前を小さく発してこちらに振り返った。
聡悟「お前ももう高3だ。いい加減大人になってくれ…。父さんはほんとに疲れたよ」
この言葉を聞いて、身体中が煮えたぎるような熱さを覚える。
どうやら、こいつは僕の言葉を理解していないようだ。
“大人になれ”。
ずっと言われ続けてきたから、どういう意味で言っているのかすぐにわかる。
「それは…、どういう意味だ?」
だが、念の為聞いてやろう。
僕がいない間にこいつの考えが変わっていたら、違う意味で言っているのかもしれない。
聡悟「いつも言っているじゃないか。うちは前からずっとこうなんだ。怒鳴り散らすのはやめてくれ」
僕の淡い期待は今の発言で消え失せた。
こいつらは何も変わってない。
“この家は前からこうだから、いい加減、大人になって受け入れろ”。
要はこういうことだ。僕の解釈は間違っていない。
「黙れ。そっちこそ大人になれ。たかが10万のテレビでキレて、僕の弁護人を雇わなかったお前が言うなクソヤロー」
今の僕はまだ冷静な方だ。この家にいる割にはな。
僕は身体の震えを抑えるよう努めながら、奴に言い返した。
この話を覚えているかはわからないが、僕は鬼ごっこを始める前、この家にあったテレビを持ち出したんだ。
それがその日に買った超高機能なテレビとは知らずにな。
こいつはそれにキレたのか、僕が捕まったときに弁護人を雇わなかった。
そもそも、僕の家族は法廷にすら顔を出していない。
聡悟「それとこれとは違う。お前は悪いことをして刑務所に入れられたんだ。弁護士を雇ってもそれは覆らないからお金の無駄になるだろ? 悪いけど、うちに無駄金を叩く余裕はない」
頼りない風貌と弱々しい口調で、苛立たさせてくるところも変わらない。
これだけを聞いたら正論に思えるかもしれない。まともな人間の言葉なら、それなりの数が同意するだろう。
現に悪事を働いたのは僕だからな。
「そうか。妹…、あいつに貢ぐのも無駄金だと思うが」
聡悟「おい…! はしたない言い方はやめろ!」
僕が独り言のように呟くと、こいつは即座に反応した。
「あいつが欲しいと言ったものは、金に糸目をつけずに何でも買い与えた。食べたいものもな。それが高級料理であってもだ」
この家の話になると、僕の口は怒りのせいで止まらない。
「だが、金は有限だ。そこに使いまくったしわ寄せは…、いつも僕に来る」
僕は、エアコンすらない殺風景な自分の部屋を見渡しながら話を続けた。
「お前らは僕に何も与えなかった。金がないからと言ってな。勉強に使う筆記用具さえ妹のお下がりだ。そして、あいつが高級料理を食べる日、僕は梅干しとご飯1杯だけしか与えられなかった。これを大人になって受け入れられる奴がどこにいる?」
おむすびせんべいがデザートで出てくることもあったが、それで空腹が満たされることはなかった。
これが、何回も大人になって受け入れろと言われた僕の境遇だ。
こいつの言っていることは、毎日虐待されている子どもにその境遇を受け入れろと言っているのと変わらない。
僕がまくし立ててから奴が言い返してくるまで、さほど時間はかからなかった。
聡悟「それはお前の努力不足が招いた結果だろ?」
こいつ、何意味のわからないことを言っているんだ? いや、弱々しくムカつくことを喋るのはいつものことか。
聡悟「東は僕らの希望、自慢の娘だ。美人で愛想が良くて近所からも評判が良い。勉強もできて先生からもよく褒められる。それに比べてお前といったら…」
東、こいつらが愛して止まない妹の名前だ。
嬉しげな表情で妹のことを話していたこいつの表情は打って変わり、僕を睨みつけてきた。
聡悟「無愛想で、引きこもって、訳のわからないものばかり造るようになった。妖瀧拳をしていたときはまだマシだったけど、センスがなかったな。素人の子どもに負けたのは同情するけど…」
「黙れ、あんな化け物と比べて僕を下げるな!」
話の途中で僕が怒鳴っても、こいつは構わず話を続けた。
聡悟「他にやることがあるだろ? 東のように与えられたいのなら、素晴らしいことを成し遂げるんだ」
「あいつは何かを成し遂げたのか?」
ここしばらくはわからないが、僕が住んでいた数年間であいつが素晴らしいこととやらを成し遂げた覚えはない。
どうせ屁理屈が返ってくるだろうが、僕は率直な疑問を投げかけた。
聡悟「容姿、性格、知性、才能。東は生まれたときから全てを持っている。お前には何もない。だから何かを成し遂げることで、お前はようやく東と同等になれるんだ」
それは、ただの思い込みだ。妹の容姿が良いのは認めるが…。要するに、親バカってところだろう。別にそれは良い。
こいつは度が過ぎていて気持ち悪いが、そういう親はどこにでもいる。
親バカな父親なのに、なぜ僕に対しては…。
「政府がビビって押収するくらい有能なアプリを造った。そしてそれを取り返すため、銃火器の効かない頑丈な鬼を量産し大量の人質を取った」
聡悟「アプリ…? それはよくわからないけど、何が言いたい?」
いきなり話し出した僕に、怪訝な顔をする父親。
その表情からは恍けているのでなく、本当に理解できていないことが窺える。
こいつも一応軍人だが、アプリに関しては情報の漏洩を防ぐために知らされてなかったんだろう。
所詮はただの一般兵か。
そもそも鬼ごっこ自体、隠蔽されているからな。地元の人間が噂程度に知っているくらいだと思われる。
「なら、これは? 凶悪な機械の襲来からこの町を救った。友達を守った。負傷者はいるが誰も死なせずにな。お前らは“RealWorld”内に匿われていたから知らないだろうが…」
奴は僕の話を聞いて数秒固まった後、溜め息を吐きながら首を振った。
聡悟「幼稚な妄想だ。そんな話、信じるわけがないだろ。ご飯ができるまでここで反省しなさい。お前は何も変わってないな…」
奴はぶつぶつとそう言いながら、この部屋を後にした。
『貴方は憎くて仕方がない存在である親に認められたいのですね』
その直後に、ポケットの中から“FUMIZUKI”が音声を発する。
「よく今まで黙っていたな、無能の“FUMIZUKI”。今の発言は見逃してやる。今後も黙ってろ」
『最近、心理学というものを“GORGLE”でゴゴッておりますので、ある程度、貴方の感情を理解しているつもりです。ですが、憎くて仕方がない相手に認められたいという欲求は理解しかねます』
※ゴゴる…検索エンジン“GORGLE”で調べるという意味。
こいつは僕の命令を無視して、話を続けた。
学習機能を付けるべきではなかったか。その内、反抗的な態度を取ってくるかもな。
「黙れと言っただろ。気になるなら自分で調べろ。後、ゴゴッたくらいで全てを悟った気になるな。次、音を発したらガチで破壊するぞ」
流石にビビったのか、僕がそう言ってから彼が音を発することはなくなった。
「ご飯できたわよ~」
ドアの向こうに続く台所から、母親の声が聞こえてくる。
「はぁ…」
僕は気怠さを抱えながら部屋のドアを開け、奴らのいる台所へと向かった。




