廃部 - 水瀬 友紀④
「水よ…! 花壇に水をやってくれ!」
僕は学校の玄関近くにある花壇に向かい、右手を翳してそう言った。
今日も授業が終わり、することが特にない僕はある練習をしている。
“EvilRoid - Aqua”が使っていた水の理。水を意のままに操る力だ。
「…………。ダメか」
全く反応がない自分の右手を見て、僕は肩を落とした。
“EvilRoid”との戦い以降、使えたためしがない。
いざという時には、使えるようになるんだろうか?
あの時は、清らかな心で訴えかければ使えるという結論に至ったけど、それで合ってるのかもわからない。
そういえば、依頼は上手くいったのだろうか?
僕は花壇の中の乾燥した土を見ながら考えた。
御影教頭から依頼を受け取って、2日経っている。
昨日の放課後に、みんなやってくれたはず。サボってなかったら…。
報告してとは言ってないけど、何もないと心配だ。
もちろん、自警部のグループチャットにも何も来ていない。
とは言っても、ほとんどの人が同じクラスだ。でも、どうだったか聞いても、みんな話をはぐらかしてきた。
怜に関しては、今日学校に来ていない。
まさか、“BREAKERZ”に目をつけた神憑に襲われたとか…?
「何をしておる?」
花壇を見つめている僕の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
無機質で生気の感じられない低い女性の声。
僕は振り返って、彼女の名前を呼んだ。
「霊園さん」
細身で背の高い彼女からは、変わらず疲労感が漂っている。
霊園「我の名は、霊園千夜。水瀬友紀よ、此処で何をしておる?」
前と同じく、自身の名前を名乗る霊園さん。
この人、毎回名乗ってくるタイプ?
名前は覚えてるみたいだから、僕のことを忘れてるわけじゃないみたいだけど。
「あ、あの……、練習をしてたんだ。水の…」
ちょっと待った。彼女に言って良いのか?
正直、霊園さんは得体が知れない。しかも、普通の人じゃないと思う。
慶の創ったあのアプリの世界から、何かしらの手段で僕を現実に戻したんだ。
そして、彼女は特質や神憑といった能力に興味を持っている。
「水を…、花に水をやりたいんだけど、ジョウロがなくて探していたんだ」
能力に詳細については、あの時と変わらず伏せておいたほうが良いよな。
霊園「そうか。己は全ての命を尊重するというのか」
当たり障りのない無難な返答に対して、彼女は無表情のままそう言った。
何か前も壮大な話になったよな…。まぁ、誤魔化せてるなら良いけど。
霊園「異能を持つあの者たちはどうしている? “BREAKERZ”と言ったか?」
彼女は、低い声で淡々とそう続ける。
やっぱり僕らを探っている?
もし、敵だったら能力については絶対に話してはダメだ。対策されて全員やられてしまう。
「あまり知らないんだ。同じクラスに固まってはいるけど、ずっと話しているわけじゃないから…」
自警部のことについても隠した方が良い。
みんな、平和ボケしてるというか素直というか、普通にペラペラ喋りそうだから…。
彼女と関わりを持たせたら、情報漏れまくって終わる気しかしない。
霊園「そうか、それは残念だ」
無表情だった彼女は、ほんの少しだけど眉をひそめた。
同時に僕は、隠し通せたこと、嘘を疑われなかったことに安堵する。
だけど、間が悪すぎた。
霊園さんが後ろに振り返ってこの場を去ろうとしたとき…、
御影「水瀬、ちょっと良いかしら?」
僕のすぐ後ろから、御影教頭の声がしたんだ。
突然の声に驚き、僕の身体は少し跳ねる。
霊園「異能を持つ者。己も“BREAKERZ”か」
そう言う彼女の目線は、御影教頭を捉えていた。
なんでわかったんだ?
そう思いながら、僕は後ろに振り返る。
目がギョロッとした30代の女性。いつもと変わらない御影教頭だ。
御影「あら、お友達? そんな愚劣なものと一緒にしないでくれる?」
彼女は霊園さんにそう言ってから僕を見る。
御影「今から生徒指導室に来なさい。一言で言うと、あいつらやらかしまくってるわよ。昨日、早速ね」
眉にこれでもかと言うほどのしわを寄せ、顔中に青筋を立てる御影教頭。
例えじゃなくて、マジで静脈が浮き上がっているんだ。
「はい…、わかりました。直ちに向かいます」
憤死するレベルの怒りを抑えているであろう彼女に圧倒された僕の返事は、震えたか細いものになってしまう。
返事をすると同時に、彼女の身体は無数の黒い粒状のものとなって分散し、跡形もなく消え去った。
双涅の霧…、だっけ? 慶が名付けた能力の名前。
本体じゃなかったのか。今までも後ろに突然現れることがあったけど、あれもそうなのかもしれない。
多分、霊園さんからは黒色の粒が集まって彼女を形成したように見えたんだろう。
だから、能力を持っているとわかったんだ。
やらかしまくったって言ってたっけ。
“廃部”という文字が脳裏にちらつく僕は、霊園さんの存在を忘れて走り出し、生徒指導室に続く階段を駆け上がった。
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荒い息が整うのを待たずに、僕は生徒指導室のドアを開ける。
こちらに向いて立っている御影教頭と、彼女に対峙している皇たち。
昨日依頼をこなしたみんなも、僕と同じく呼び出されたんだろう。
御影「どうして呼び出されたか、わかるわね?」
変わらず青筋を立てている彼女は、ギョロッとした目を細めてそう言う。
ずっとあの状態なんだろうか? 血管裂けて死んだりして…。
それはそうと、みんな何をやらかしたんだろう? お餅配り、畑の仕事、弁当配達という至って普通な依頼だ。
そんな危なっかしいことにはならないと思うけど。
だけど、彼らの表情や態度から何かあったってことはわかる。
皇「さぁ? 検討つきませんねぇ。他は知らねぇが、俺たちは言われたことをちゃんとやったぜぇ? なぁ、お前らぁ?」
みんなが俯く中、1人だけ飄々と返事をする皇。
日下部「まぁ…、一応ね」
彼にそう聞かれ、隣にいる日下部は白けたような表情で答えた。
対して、不死身の不知火は、微動だにせず俯いている。激怒している御影教頭に圧倒されているんだろうか?
獅子王「あれは僕じゃない…! ゴリラがやったんだ!」
ゴリラって自分のこと? それとも、本物の別のゴリラ?
目を泳がせながら、よくわからない言い訳をする陽。
昨日、何かあったのは間違いない。怜が休んでいることも関係あるのかも。
朧月「…………」
そして、こちらに振り返り、心なしか申し訳なさそうにしている朧月くん。
まさか、君もやらかしている…? 頼むからそのまま黙秘を突き通してくれ。
御影「はぁ…、悪いけど証拠は撮れているのよ」
彼らの言い分を一通り聞いた御影教頭は、溜め息混じりにそう言った。
そして、彼女は自身のスマホを取り出して僕らに突きつける。
御影「360度、超高画質で映る球状の小型カメラ。便利よね」
そう言った彼女の持つスマホには、依頼をこなしている彼らが映し出されていた。
皇たちの前で餅を丸呑みして卒倒するお婆さん。
頭に鍬が突き刺さったお婆さんに手を伸ばす陽らしきゴリラ。
そして、カレーライスを片手に持つ朧月くんの前で、ダンプカーにはね飛ばされる3人の生徒。
これらの映像が本当なら、完全にやらかしている。
そもそも、なんでカメラで撮っていたんだ? わざと失敗しそうな依頼を僕に紹介して、廃部に追い込もうとしたとか…?
考えすぎだろうか。
御影「他に何か言いたいことはあるかしら? 証拠に勝る言い訳なんてないと思うけど」
青筋が引いた御影教頭は、勝ち誇った顔をしている。
もしかして、仕込んでいた? 変わった能力を持つ僕らに、妙なことをさせたくないというのが政府の本音なのか?
てか、証拠は小型カメラで撮ったみたいなことを言っていたけど…。
それって、元は慶が造ったものだよな。押収して、閉じ込めて、使えるものは搾取してとことん利用してやろうってこと?
やり方は良くなかったと思うけど、彼が政府に盾突いた気持ち、わかった気がする。
皇「あぁ、確かにその映像は事実だ。だが、不可抗力って言葉を知らねぇのか? ゴリラは有罪だが、他はただの事故でしかねぇ。丁寧なアフターケアもしてやったぜぇ?」
揺るぎない証拠があってかなり不利な立場なのに、平然と語る皇。
彼は一応部長だ。こういうときは頼りになるのかもしれない。
獅子王「待ってくれ! わざとじゃなかったんだ…! じゃなくて、あのゴリラ、マジ最低だったな!」
対して、狼狽えまくって墓穴を掘りまくる陽に生徒会長の面影はない。
皇「後、気になることがあるんだが…」
焦りまくる陽を無視して、皇は御影教頭に話を続ける。
皇「この依頼は全部、御影教頭サマのご紹介だよなぁ♪ しかも、タイミング良くバッチリ証拠も撮れてやがる。やらかすように仕込んだと疑われても文句は言えねぇよなぁ?」
彼は腐っても部長なんだ。自警部の存続を全身全霊の口先で守り抜こうとしている。
だけど、勝ち目なんてなかった。
御影「元々貴方たちに期待なんてしていない。この学校や国に訪れる異能の脅威は、私たちだけで対応するつもりよ。宛になるとしたら、鬼塚くんくらいかしら?」
淡々とそう話した御影教頭は、後ろの机に置いてあった紙を手に取り僕の元へやって来る。
御影「いつでも良いから、この廃部手続きにサインしなさい。勝手に活動すれば退学処分にするわよ」
本当に仕込まれていたとして、それを暴いても意味はないんだ。
僕らはただの生徒で、相手は絶対的権限を持つ教頭かつ政府の人間。
彼女の一言で、退学にもできれば廃部にもできるだろう。
吉波高校の生徒や近隣の住民を、神憑ら異能の脅威から守るのなら、多少の暴挙は許されてもおかしくない。
慶…、奪われるってこういうことだったんだな。
僕は何も言い返せずに、御影教頭から紙を受け取った。
溜め息を吐きながら僕を横切って、生徒指導室から出ようとする彼女。
ちょっと待てよ…?
彼女のある発言が引っかかった僕は振り返る。
「琉蓮に何かさせているのか…?」
うっかりしていた。今日、僕のクラスで休んでいたのは怜だけじゃない。
無敵で最強の特質を持つ彼も欠席していたんだ。
なんで、今まで忘れていたんだ。彼は“BREAKERZ”の一員で普通に毎日話している友達なのに。
もしかすると、僕の脳は琉蓮のことをそこらの石ころと同じように認識しているのかもしれない。
直立不動の彼は、話しかけるまでマジで動かなかったりする。
普段動かないものが印象に残ることは少ない。黒板のチョークが1本減ったところで誰も気づかないだろう。
後は琉蓮に対する絶対的な信頼だ。
最強な彼が学校を休んだからといって、心配になることはない。
御影「ちょっとしたお使いを頼んだだけよ。もう帰ってきてるわ」
彼女は少し微笑みながらそう言って、生徒指導室を後にした。
琉蓮が喜んで彼女の手伝いをしているとは考えにくい。良いように使われてなければ良いけど。
そして…終わりだ、この部活動は…。1週間しか持たなかった上に、初の依頼でみんな見事にやらかした。
紙を持つ左手に力が入る。
「出よう…、みんな」
ガラガラ
みんなにそう言って、僕は生徒指導室のドアを開けた。
霊園「何だ、いるではないか」
しまった…。着けられていた? 彼女にどこまで話を聞かれたんだ?
霊園「異能の者が集う場所。何か理由でもあるのか?」
独り言のようにそう呟きながら、生徒指導室内を隈無く見渡す霊園さん。
まぁ、でも、大丈夫か。今日で活動は終わり、みんながここに集まることはなくなるだろうから。
いや、そもそも僕以外ほとんど来てなかったんだけど…。
皇「お前、誰だぁ? 負のオーラが漂いまくってるぜぇ?」
僕の後ろにいた皇はいつもの笑顔を作り、そう問いかけた。
彼も多分、霊園さんを警戒している。声のトーンから何となくそう感じた。
霊園「我の名は、霊園千夜。己は鋭い感性を持っているようだな。異能たちの主と見た」
この先、僕は彼女のフルネームを聞きまくることになりそうだ。
皇の勘の良さを一発で見抜いた? いや、考えすぎか。
皇「よくわかってるじゃねぇか♪ 俺がこいつらのリーダーだ。とりあえずは気に入ったぜ。俺の機嫌を損ねるなよ?」
上機嫌な皇に対し、彼女も僅かに口角を上げる。
霊園「それは光栄だ、異能の主よ。集うこの場所に、時折顔を覗かせても良いか?」
皇「良いぜぇ♪ だが、少しでも俺の気に触ったら出禁にする。そこんとこよろしく頼むぜ」
いつもの笑顔ではなく、最後は真剣な表情で答えた皇。
やっぱり、警戒はしているみたいだ。そして、相手にそれを悟られないよう寛容なところも見せている。
まぁ…、明日以降集まらないと思うけど。
霊園「そうか…、そうならぬよう意識はしておくが自信はない。忌まれる質なのでな」
霊園さんも真顔でそう返して、この場を後にした。
廊下の突き当たりを曲がって、彼女の姿が見えなくなったところで日下部が口を開く。
日下部「念の為言っておくけど、彼女は神憑じゃない。向こうの位が高すぎる場合、姿を隠されて見えないことがあるみたいだけど、シリウス以上の神が人に憑くことはまずないと思う。ボイコットしなくてもいい待遇を受けているからね」
日下部は彼女について、他にも知っていることを話してくれた。
“EvilRoid”との戦いが始まる前、霊園さんは日下部のクラスに転校してきたらしい。
そして、彼女は遅れて教室に入ってきた日下部に名前を名乗った後、いきなり倒れたんだ。
そういうことがあって、彼も普通の生徒ではないと注意を払っている。
日下部「まぁ、ただの変わり者かもしれないけどね。色々あったから、警戒をしておくに越したことはない」
僕や陽、朧月くんは彼の発言に対して頷いた。
あまり仲良くなさそうな皇も、これには賛成なのか首を縦に振っている。
日下部「じゃ、今日は解散しようか。自警部の件、残念だけど…。放屁でどうにかなる問題じゃない。武力行使は余計に不利になるからね」
彼の発言を皮切りに、みんな歩き出し、階段を降りて正面玄関へ向かった。
不知火「先生、怖かったね」
日下部「怖かった? 赤くて巨大なブロッコリーは平気なのにかい? 君はよくわからないね」
先頭を歩く2人の会話が聞こえてくる。
首を傾げて怪訝な顔をしている日下部。お餅配りで少し打ち解けたみたいだ。
獅子王「友紀、ごめん。僕があの時手を滑らせなかったら、こんなことには…。実はあのゴリラ…、僕なんだ」
隣で歩いている陽は、今にも泣きそうな顔をして謝ってくる。
うん、わかってたよ。十中八九、君だろうと思っていた。
「いや、僕の方こそ悪いよ。失敗なんて誰にでもあるものなんだ。1回でもやらかせば廃部にするって条件には、抗議するべきだった。自警部を作る許可が貰えたことに安心して、理不尽な条件を呑んでしまったんだ」
獅子王「友紀……」
そんなことを話している内に、僕らは正面玄関へ辿り着いた。
お互い謝ったり残念がったり…。
僕と皇以外は、自転車に乗って帰っていった。
皇「まだ出すんじゃねぇぞ。催促されてもできる限り引き伸ばしてチャンスを待て」
自転車を押して校門へ向かう彼はそう言う。
皇「どうせまた何かあるだろ♪ その時に自警部を復活させるぜ。依頼を自分で受けるのは面倒だが、部そのものがないと、それはそれでつまらねぇからな」
また何かある…。
慶が鬼ごっこを起こしてからは、何かと能力持ちの敵がやって来ている。
そのタイミングで、何かをしようと彼は考えているんだろう。
まぁ、また行き当たりばったりになりそうだけど…。
「わかった、この紙は絶対に出さない」
皇は頷いてから自転車に跨がり、自分の家へ帰っていく。
そして、僕は彼に背中を向け、自分の家に向かって歩き出した。




