依頼:農耕作業 - 獅子王 陽①
剣崎「ふんっ! ふんっ! ふうぅぅぅん!!」
僕から少し離れたところで、全身を力ませスクワットのような動きをしながら畑を耕す剣崎。
僕も同じく、普通に鍬を持って畑を耕している。
僕と剣崎に割り振られた依頼は、見ての通り農業そのものだ。
耕すだけじゃない。1年間を通して、僕らはこの畑でじゃがいもを育てるんだ。
もちろん、これは自警部のボランティア活動のため、給料や報酬は一切出ない。
この依頼を承諾して、僕らに割り振った友紀には色々と言いたいことがある。
1年かかる上に、肉体労働かつ無給。
え、何これ、いじめ…?
これって、ここの爺さん婆さんにこき使われてるだけじゃない?
やってること自警部っていうより、労働部じゃん。
これから僕らは毎日、放課後に通い詰めないといけないんだ。
しかも、僕は一応生徒会長。生徒会活動や勉強を両立しながらってことになる。
剣崎「ふんっ! 効いている…! この動きは全ての筋肉に負荷をかけている! この鍛錬を紹介してくれた水瀬氏には最大限の感謝を…!」
やる気と体力のない僕に反して、剣崎は鍬を大きく振り上げて、スクワットをしながらテキパキと耕していく。
彼はきっと、深く考えていないんだろう。それとも1年間無給で肉体労働させられることを前向きに捉えている?
彼にとっては、良い鍛錬ができる最高の機会なのかもしれない。
はぁ……、鍬が重たいし、腕や腰が痛い。明日、絶対に筋肉痛になるよな。
剣崎「手が止まっているぞ、獅子王氏! 限界まで筋肉を追い込むのだ。それが身体能力を極限まで高める唯一の方法なのだ!」
鍬をひたすら振り下ろしながら、手の止まった僕に呼びかける剣崎。
彼にそう言われると、説得力しかない。
音速を超えるFluidや、Undeadの増殖体との戦闘で人間離れした身体能力を発揮していたからだ。
でも、僕には関係ない。他の人にとって、戦いに備えて鍛えておくというのは大事なことだけど。
僕は戦うとき、元々それなりにムキムキなゴリラになれるから、今鍛えてもあんまり意味ないんだよ。
…………ん? ゴリラ?
僕は両手で握っている鍬を見つめた。
あぁ、何やってんだろ。
こんな辛い力仕事、人間のままやらなくても良いじゃないか。
僕は鍬から両手を離し、沈みかけている夕陽を見据えて手を開いた。
「現世を放棄した怠慢なる豊穣の神よ。今一度、此処へ再臨し、母なる自然の復刻に手を貸し給え__唖毅羅」
僕は少し変わった体質を持っている。
太陽を直視し、自身の名前を口にすることでゴリラになれるという体質だ。
僕の手足はみるみる太くなっていき、黒い体毛に覆われた。
あ、ちなみに名前を言う前のセリフはなくても大丈夫。言っても言わなくても何も変わらないし、セリフが長いほど強くなれるとかそういうのも別にない。
ただカッコいいから余裕のある時は言ってるんだけど、そろそろセリフのネタが尽きそうだ。
僕は自身の肥大化した身体を確認し、片手で鍬を持ち上げた。
さすがゴリラの腕力だ。超軽い。
サクッ サクッ サクッ サクッ
唖毅羅となった僕は、息をするように鍬を上下に動かしながら前へ進んだ。
前方で耕していた剣崎に、あっという間に追いつき、横並びになる。
剣崎「獅子王氏…! それは狡猾であるぞ。鍛錬を…、水瀬氏が設けたこの機会を何だと思っている?」
楽々と追いついた僕に、全身から汗を垂らしながら鬼の形相を向けてくる剣崎。
怒っているのか、かなりの負荷に顔を歪めているのかは判断できない。
“いや、君と僕では事情が違うんだよ。人間の状態で鍛えても結局ゴリラになるから意味ないんだ”。
って彼に返したいけど、この状態じゃ言葉を発しづらいから面倒くさいな。
よし、無視しよう。さっさと終わらせて僕は家に帰るんだ。
僕は剣崎に向かって、満面の笑みを作りグッドポーズをしてから作業を再開した。
剣崎「ま、待つのだ、獅子王氏! その怠慢は死に繋がるぞ。共に凶悪な敵と戦った君にもわかるはずだ。見よ、私の筋肉を! 全身がピクピクと痙攣している。鍛錬が効いている証拠だ。せめてこれぐらいはやらないと、敵には勝てない!」
サクサクと畑を耕す僕の後方から、いつも通り長ったらしく熱弁する彼の声が聞こえてくる。
せめてこれぐらいって言ってるけど、誰もそこまで追い込んでないと思うんだけど。てか、制服の上からだと筋肉が痙攣してるのとかわかんないから…。
もう少しで畑の端に到達する。そこから折り返してまだ耕してないところへ移ろう。
絶え間なく続く剣崎の熱弁を、僕は聞き流しているつもりだった。
つるっ
「ウホッ…」
でも、無意識の内に、彼の猛烈なトークに気を取られていたんだと思う。
高速で上下させていた鍬は、汗ばんだ僕の手からツルリと抜け、後方に回転しながら飛んでいった。
あ、ミスった。拾いに行かないと…。
回転しながら飛んでいく鍬を見て、僕はただそう思う。
もの凄い剣幕で熱弁を止めない剣崎と、この畑の持ち主の家に向かっていく鍬。
いや、ちょっとまずくない? 思った以上に飛距離が長い。
僕が感じた嫌な予感は、的中してしまった。
ガチャッ!
勢いよく開く裏口の扉。
そして……、
「2人とも休憩にしないかい? さっき餅を貰ったんじゃ……」
グサッ
餅が入っていると思われる袋を持った60代の女性の頭に鍬が突き刺さったんだ。
僕がうっかり手を滑らせてしまったあの鍬が…。
「ばあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ざあ゛ぁぁぁぁぁぁぁん゛!!」
僕は黒い体毛に覆われた太い腕を伸ばしてそう叫ぶ。
咆哮に近い僕の叫び声は近隣に響き渡っただろう。
耳を塞いで苦悶の表情を浮かべながら、後ろに倒れた剣崎。
そんな彼を差し置いて、僕はゴリラのまま鍬が刺さった彼女の元へ駆け出した。
僕は、ゴリラの腕力を見くびっていたんだ。手を滑らせただけであんなに飛ぶなんて…。
わかっていたら、もっと強く握り締めていたはずだ。でも、悔やんでいる暇はない。
「今の音はなんじゃ!」
僕がお婆さんの元へ駆け寄ると同時に、家の中から男性の声と足音が聞こえてくる。
まずい、この姿だとパニックになる…!
僕は夕陽を直視し、小さく呟いた。
「陽……」
僕が人間に戻った瞬間、同じく60代くらいの男性が裏口から姿を現す。
「ばあさん…! これは……いったい……」
頭に鍬が刺さって倒れているお婆さんを見た彼は、恐怖や失望からかわなわなと身体を震わせた。
大丈夫、落ち着くんだ。僕までパニクったら、お婆さんは絶対に助からない。
お婆さん1人に狼狽えるな。僕はこの前、左胸に穴を空けられてそこから生き返ったんだ。
仲間と共に少なくない死線を潜ってきた僕なら大丈夫。お婆さんを助けられる。
「お爺さん、心配しないでください。ぱっと見ヤバそうですけど、高速で病院へ行けば大丈夫です」
僕はお爺さんに安心してもらえるような言葉を掛けてから、畑に倒れている剣崎の元へ向かった。
ああは言ったものの、時間に余裕があるわけじゃない。一応、脳みそ損傷してるから、なるべく早くあそこに搬送しないと。
だから、1番早く運べそうな彼に頼むんだ。
僕は仰向けに倒れ込んでいる剣崎を覗き込んだ。
「剣崎、頼む! 君の特質でお婆さんを吉波総合病院まで運んでくれ! コンプレックスなのはわかっている。だけど、時間がないんだ」
さっきとは打って変わって、燃え尽きたような表情をしている剣崎。
彼は目だけを動かし、僕の顔を見て掠れた声でこう言う。
剣崎「私は今、全身の筋肉が攣っていて身動きできないのだ。獅子王氏の雄叫びに対し、身体を強ばらせたのが原因だと思われる。唾液滑走で運びたいのは山々だが、すまない。今、身体を動かせば、激痛が走るため搬送は不可能である」
「わかった。僕が何とかするよ。君はここで安静にしといてくれ」
満身創痍な剣崎にそう言って、2人の元へ走って戻った。
「はぁはぁ…、今すぐお婆さんを病院に運びます。腕利きの医者を知っている。彼に治せないものは多分ありません」
あの髭もじゃの外科医が僕の脳裏に浮かぶ。
みんなのお見舞いに行ったときに、何度か会ったことがあるんだ。
彼ならきっと、この鍬を何とかしてくれるだろう。ていうか、それに賭けるしかない…!
「わ、わかった。き、救急車を呼べば良いんじゃな…?」
お爺さんは、震える手で電話の子機をポケットから取り出してそう言った。
「いや、救急車より僕が運ぶ方がまだ早い」
「………は?」
すかさず返した僕の答えに、首を傾げるお爺さん。
そして、僕は倒れたお婆さんが持っているお餅の入った袋を拾い上げた。
「これは…、世界に7つしかないスペシャルお餅です。食べた者に幸運をもたらすと言われています。これを食べながら待っていて下さい」
僕はそう言って、お爺さんに袋を渡す。
それを受け取ったお爺さんは、袋の中身を確認した。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……、いや、8つあるんじゃが?」
まずい、テキトーに言ったことがもうバレそうだ。
このままじゃ、お爺さんを勇気づけるために言ったことが徒になってしまう。
「あぁ、多分…、1個普通の奴混ざってますね、はい」
僕は必死に誤魔化して、ほとんど沈んでいる夕陽に目を向けた。
「唖毅羅!」
そして、再びゴリラの姿に変身する。
「な……、巨大な獣…? く、熊か…? あ゛ぁっ! 餅が喉に…!」
僕は驚いた様子の声を上げるお爺さんを無視し、鍬が刺さったお婆さんを担いで走り出した。
ーー ゴリラとなった獅子王陽は、お爺さんが驚いて餅を喉に詰まらせたことに気づいていない。お婆さんを助けることに意識が向いていたからだ。
僕はなるべく早く走りながら考えた。
自警部の活動は、誰かが問題を起こせば即廃部になる。
命を救うため、友紀が立ち上げた僕らの部活動を守るため、僕は必ずこの人を助けなければならないんだ…!
地平線に隠れた夕陽を背に、僕は田舎道を駆け抜けた。
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「きゃああああ! ヒグマあぁぁ!」
「患者の皆さん、避難してください!」
病院の受付の前に立つ僕を見て、パニックになる2人の看護師さん。
やらかしてしまった…。病院に着く頃には完全に日が沈んでいて、人間に戻れなくなってしまったんだ。
でも、戻れないからといって明日出直すなんてことはできない。一刻を争う事態だから。
僕は受付に立つパニック状態の看護師さんに鍬が刺さったお婆さんを突き出した。
「急患でず! ごの゛人治じで!」
「きゃああああ! 人殺しいぃ! それ、葬儀屋に持ってって! 多分、死んでるから!」
「落ち着いて! 動物愛護センターに電話するから静かに…!」
死体に限りなく近い容態のお婆さんを突き出すことで、2人や待合室にいた患者は更にパニックになってしまった。
僕の思っていた通りだ。ゴリラは恐がられる。だから、話を聞いてくれない。
この姿を受け入れてくれるのは、“BREAKERZ”と特質に理解のある先生のみ。
普通の人からすれば、唖毅羅は恐怖の対象でしかない。
お婆さんを突き出したまま、僕は固まった。
どうすれば…。このままだと、お婆さんが死んでしまう。
「急患、2人追加でお願い致します」
後ろにある病院の入口の方から声が聞こえて、僕は振り返った。
さっきのお爺さんを背負った剣崎が息を荒げている。意識を失っているのかお爺さんの身体はぐったりしていた。
剣崎、彼は確か全身攣っているって言ってたよな? 唾液で滑ってここまで来たとしても、相当痛いんじゃないのか?
僕が思ったとおり、かなり痛かったんだろう。
彼は力尽きたのか、入口の前で膝から崩れ落ちた。
それでも、歯を食いしばりながら顔を上げ苦しそうな声でこう話す。
剣崎「餅を喉に詰まらせた年配の男性と、全身肉離れを起こした高校3年生です」
餅を喉に…? まさか、僕が渡したときに食べて詰まらせたのか?
何やってんだよ、僕は…。全部、僕のせいじゃないか。
剣崎の登場によって、みんなパニックを通り越して静かになる。
「え、いつ来たの?」
驚きを隠せないのも仕方ない。
およそ時速100キロメートルで移動する唾液の滑走は、常人の目には留まらない。
看護師さん2人には突然、現れたように見えたんだろう。朧月くんじゃないけど…。
外科医「急患かどうかを決めるのは、ゴリラや患者ではない。医者である僕が決めるんだよ」
そして、僕らがお待ちかねの髭もじゃの外科医が受付の奥からやって来る。
彼は頭をポリポリと掻きながら、僕や剣崎に目をやった。
外科医「餅を詰まらせたのは、今日2人目か。さっきと同じように掃除機で吸い出してあげなさい」
「はいっ!」
返事をした2人の看護師さんは、剣崎が背負っていたお爺さんの肩を組んで診察室の方へ運んでいった。
外科医「で、これは手応えのある手術になりそうだね。脳に突き刺さっちゃってるよ。すぐに始めよう」
彼は僕が突きだしているお婆さんを好奇の目で見つめながらそう言う。
手術をしてくれるということは、助かる可能性があるということだ。いや、この髭もじゃの外科医なら必ず手術を成功させる…!
外科医「で、君は何しに来たの? ここは病院、病気や大怪我を治すところだよ?」
彼は激痛で今にも意識を失いそうな剣崎に対して、そう問いかけた。
剣崎「全身……肉離れです」
苦しそうに答える彼を、髭もじゃの外科医は鼻で笑う。
外科医「ふっ…、肉離れね。放っておいたら勝手に治るじゃないか。とっととお帰りください」
彼が手の甲でしっしと払った瞬間、剣崎は意識を失って床に倒れ込んだ。
この人、無慈悲すぎる。どう見ても普通の肉離れじゃないのに…。
てか、ごめん。僕がお爺さんに餅を渡したからこうなったんだ。お爺さんを背負って無理して滑ったから肉離れを起こしてしまった。
外科医「それにしても、今日は妙な患者が続くね。さっき車にはね飛ばされたような外傷を負った高校生3人組が、受付の前に突然降ってきたんだよ」
彼は独り言のようにそう呟いた後、こちらに振り向きニヤリと笑う。
外科医「獅子王君……だね? 日下部くんから話は聞いたよ。君の身体を解剖して調べても良いかい? もちろん君は死ぬけどね」
「い゛い゛え゛、結構でず! お゛婆ざん゛を゛よ゛ろ゛じぐお゛願い゛じま゛ず」
ゴリラの僕は、お婆さんを受付の台の上に乗せてから頭を下げた。
そして、剣崎を担いで、逃げるように病院の出口へ。
日下部、なんでバラしたんだよ。あの人はヤバいって君が1番言ってたじゃないか。
聞かれたから素直に答えてしまったのか?
とにかく、もうここにはなるべく来たくない。
しれっと鎮痛剤的なのを打たれて、気づいたら解剖されてそうだから。
決めた、僕は今決心するよ。
今後、どんな敵が来ようとも誰も死なせないどころか怪我すらさせない。
何故なら、あそこにはお見舞いにすら行きたくないからだ…!
全員でちゃんとした連携を取って、どんなに強い敵でも完封するんだ。そのためには一丸となって訓練する必要がある。
明日から友紀と共にみんなに呼びかけよう。
僕らはもっと、強くならないといけない!
剣崎を背負った僕は、一通りのない夜道を歩きながら静かにそう誓った。
【 依頼:農耕作業 ー 保留 ー 】




