終戦 - 文月 慶⑰
「うっ…!」
頭に鋭い痛みを感じて、僕は目を覚ました。
気を失っていたのか。確か学校は潜んでいた人魚型“EvilRoid”によって、水に沈んでいたはず。
僕は頭を押さえながらゆっくり上体を起こして、辺りを見わたす。
保健室内はグチャグチャになっているが、水は引いているみたいだ。
僕のすぐ隣でまだ気絶している主犯の辻本と小林。
見るだけでクソほど殺意が湧いてくるが、こいつらの処置は後回しだ。
今はグラウンドにいる彼らの方を優先するべきだろう。
「ふっ……!」
近くに杖がなかった僕は、保健室の窓に手を掛けて身体を持ち上げた。
死なないが脆くて不便な身体。この戦いが終わったら、さっさと元に戻したい。
身体を持ち上げた僕は、すぐに保健室の窓からグラウンドを見据える。
頭部が破壊されているDestroyの身体を見て、僕は安堵した。
随分と静かだったからな。戦いが終わっているということには薄々気づいていた。
勝ったのか殺されたのかを確認するために覗いたようなものだ。
負傷者や気絶している者はいるが、1人を除いて全員無事だろう。
彼らは壊れたDestroyの周りに立っていた。
壮蓮『琉蓮、ハワイへ逃げよう。あの2人が亡くなればお前は裁かれてしまう』
鬼塚『いや、お父さん……、僕は自首するよ。お父さんはまず、僕が壊した体育館の賠償金を払わないと』
湿ったイヤホンから流れてくる2人の音声。
このイヤホンは防水かつ深海の水圧にすら耐えられるように造ってある。あの一件で水圧を侮ってはいけないと学んだんだ。
彼らは倒れている日下部と謎の能力を持っている女子高生、御門伊織の方を向いてそう話していた。
何があったのかは知らないが、とりあえず敵は全て葬ったようだな。
途中で気を失っていたことが不甲斐ない。
そして、どういう手段でかはわからないが、いつの間にか戻ってきている水瀬 友紀。
あいつにも色々と聞きたいが、今1番しないといけないのは新庄を助けることだ。
「FUKIZUKI、“RealWorld”を解除した後、病院に電話を繋いでくれ」
僕はイヤホンに手を当て、人工知能の“FUKIZUKI”にそう命じた。
“RealWorld”が解除された後、ほんの数分で救急車が到着。
全身血塗れの状態で意識を失っていた新庄は、救急隊員によって病院へ搬送された。
彼らは事件性があると思ったのだろう。
“EvilRoid”の残骸を見て戸惑いつつ、何があったのか事情を後で聞きたいと言っていた。
恐らく警察にも伝わり、直にここへやって来るだろう。
僕はまだ気絶して倒れている小林と辻本に目をやった。
警察が来れば、こいつらは終わる。捕まって牢にぶち込まれてろ、凶悪な犯罪者め。
だが、その前に盗んだり破壊したりしたデータがあるのなら返して貰わないとな。
小林・辻本「「ううっ……」」
僕が2人を見下ろしていると、双方同時に目を覚まして鼻をつまんだ。
気絶させるために放った日下部の昏倒劇臭屁がよほど臭かったようだ。
まぁ、気持ちはわかる。僕も喰らってるからな。
「お前ら、ただで済むと思うなよ」
僕はそう言い放ち、意識を取り戻した2人を睨む。
新庄は、こいつらのせいで瀕死の状態だ。
こいつらも彼と同じように死ぬ直前まで追い込んでやりたいが…。
「最後のチャンスをやる。僕らを殺そうとした明確な動機があるならここで言え。ふざけた動機なら、今ここで……」
小林「文月くん…!」
動機を聞き出そうとした僕の足にしがみつく小林。
涙目で、全身をぶるぶると震わせながら彼はこう言った。
小林「あれからどうなったのか教えてくれないか? 日下部くんのお尻を見てから後の記憶がないんだ。あれから何日か経った…? みんなは……無事なのか?」
なんだこいつは…。僕の足にしがみついてまで彼らの容態を知りたがる理由とは…。
ちゃんと殺せたか確認したいのか?
僕は小林の手を振り払ってグラウンドを指さした。
「自分の目で確認したらどうだ? 残念ながら、お前らのガラクタを全て破壊した上で全員生存している。重傷者は1人いるが、僕が万能薬を完成させて投与すればすぐにでも治るだろう」
僕が2人に向かってそう言うと、小林は泣き崩れ、辻本は泣くのを堪えながら深く何度か頷いた。
小林「良かった……良かった………」
辻本「すまんな、すまんかったな……みんな」
こいつらの反応は理解しがたい。
僕らを殺せなくて泣いているのか? その割には、どこか嬉しそうというか安堵しているように見える。
この2人は二重人格者か何かで、殺そうとしている人格と、普段の先生の人格を持ち合わせているということなのか?
手で顔を伏せてすすり泣く小林、両膝を床に着いて項垂れている辻本。
いや……、違う。
そういえばあの時、いきなり叫び声を上げてから…。
彼らの様子や昨日の言動から、もう1つの説が頭に浮かんだ。
そして、僕は2人に問いかける。
「黒幕は誰だ?」
図星だったのか小林先生は泣くのを止め、頭を上げた辻本先生と顔を見合わせた。
もう1つの説とは__
2人の反応からして、この説が正しいと確信しても良いだろう。
__裏で彼らを操っていた神憑がいるということだ。
そして、“EvilRoid”が破壊され抹殺が失敗に終わった今、彼らを操る必要がなくなったと考えられる。
だから、今の2人はシラフなんだ。
その言動は、自分の生徒の安否を心から気にしているということか。
猿渡や御影といった人の精神に干渉する神憑は既に確認されている。
遠隔で洗脳や精神操作をして人を操る能力を持つ神憑がいても不思議じゃない。
「図星のようですね。わかる範囲で良いので誰に……どんな奴に操られていたのかを教えてください。そいつには僕らが報復する」
顔を見合わせるだけで答えない2人に対し、僕は更に問いかける。
そろそろ警察がやって来るだろう。彼らが来たら事情聴取が始まり、こうやって話をする余裕はなくなる。
なるべく早く聞き出さないといけない。
そういう僕の考えに反して、小林先生は首を横に振り、辻本先生はゆっくりと口を開いた。
辻本「文月なぁ、先生からのお願いなんだけどな、深追いはしないでほしいんよなぁ」
…………は? どうやら僕の説は当たっていたようだが、何故敵を庇うんだ。
目が赤くなっている小林先生も、彼の発言に対し深く頷いてこう言う。
小林「僕からもお願いだ、文月くん」
「いや、放っておくわけにはいかない。敵は本気だ。また僕らを殺しに刺客を送ってくるに決まってます。だから先に仕掛けて、報復ついでに息の根を止めてやる…!」
2人の逃げ腰な要求に対し、僕は思わず喉を掻っ切るように手を動かした。
その際、一瞬グラウンドの方を見たが、通りの向こうから数台のパトカーがもうやって来ている。
早く聞き出さないと。
2人に罪が課せられ収監されたら、聞き出す機会は二度と訪れないかもしれない。
辻本「良いかな、文月。先生からのな、最後のお願いなんだ」
そう言いながら立ち上がり、僕の肩に手を置く辻本先生。
同時に、小林先生も立って僕の方へ近づいてきた。
辻本「お前の気持ちもわかる。自分や友達が酷い目に遭って。辛いよな、腹立たしいよな。また来るかもしれないって不安なのもわかる。やり返したい気持ちも…」
小林「でも、先生としては、みんなには普通の高校生活を送ってほしい。勉強や部活に励んで、休みの日には友達と遊んだりゲームやマンガを読んだり…。だから、文月くん、お願いだ。先生は自首しようと思う。みんなにも先生は悪者だった、自分が教えた生徒を殺そうとした極悪人だったと伝えてほしい」
ここまで言って、小林先生は涙を流した。
それに釣られたのか、辻本先生の目も赤くなる。
小林「君に背負わせてしまってすまない。友達に嘘を吐くのは辛いと思う。それに、君が前に教えてくれた能力の前では何もできなかった…。為す術無く良いように使われて君たちをこの手で殺めようとしてしまったんだ…!」
辻本「この通り、お願いだ。先生たちが警察に自首して終わりということにしてほしい。もし、警察の人に話せる機会があれば、能力のことを伝えて、お前たちの安全を確保してもらうよう掛け合ってみるからな」
2人の熱意や涙に対し、僕は思わず後ずさった。
この2人は自分の身を犠牲にしてまで、生徒である僕らを守ろうとしている。
黒幕に対する怒りや復讐心が消えたわけじゃないが、覚悟を決めている2人に対して何も言い返すことはできなかった。
グラウンドの方へ目をやると、疲労して地面に座り込んで放心している彼らが視界に映る。
そして、校門の近くにパトカーを止めた警察官が数人ほどグラウンドの方へ向かっていっていた。
僕自身の怒りや復讐したいという願望を押しつけ、あいつらを危険に巻き込むわけにはいかない。
僕は辻本先生と小林先生の顔を見据えてこう答えた。
「わ……かり…ま……した」
途切れ途切れに出た了承の言葉。
2人は安堵の表情を浮かべてから、グラウンドの方へ向かう警察官たちに視線を移す。
辻本「さぁ行きましょう、小林先生。刑務所でもねぇ、よろしくお願いしますね」
小林「えぇ、こちらこそ。同じ刑務所になると良いですね」
彼らはそんな会話をしながら、保健室を出て警察の方へ歩いていった。
はぁ、まさか……この僕が気を遣って社交辞令を言うときが来るとはな。
2年生と3年生では違う…。男虎先生の言っていることも強ち間違いではなかったということか。
僕はもう普通の高校生活を送る気はない。鬼ごっこを起こしたときに、そんな気持ちは捨てたつもりだ。
神憑か特質持ちか、はたまた全く別種類の能力者かは知らないが。
今回の黒幕よ、必ず特定してやる。
データを窃盗及び破壊し、僕の身体をこんな風にした挙げ句、“BREAKERZ”を殺そうとしたクソ野郎。
それ相応のツケは払ってもらうぞ。
冷水で首を洗い、ガタガタと身を震わせながら待っていろ。
僕はこの日、黒幕に対する報復を密かに、そして固く決意した。
そういえば、あいつのことを忘れていたな。
僕は保健室の端でひっくり返っている机の前に立った。
「おい、不知火。戦いは……終わったぞ…!」
下敷きになって動けなくなっていたこいつにそう言いながら、僕はボロボロの身体で机を退かす。
不知火「ありがとう! 動けなかったんだよね!」
曲がってはいけない方向に曲がっていた首や手足の関節を再生させながら、礼を言う不知火。
呼び出したものの、こいつは全く使えなかったな。敵のUndeadを見習ってもらいたい。
「行くぞ、恐らくこれから事情聴取だ」
不知火「えぇ!? 僕、何も悪いことしてないよ?」
立ち上がろうとしていた彼にそう言うと、驚いたような顔をする。
そんな彼に対して、僕は保健室を出ながらこう伝えた。
「安心しろ。犯人は既に見つかっている。僕らは聞かれたことに答えるだけだ。早く来い」




