水中戦 - 水瀬 友紀⑥
A「水瀬友紀、少し話をしよう」
溺れて沈んでいく男虎先生を見送ったAquaは、こちらに振り返ってそう言った。
きっと、きっと先生は大丈夫だ。先生はムキムキだから火葬に耐えた。
だから今回だって、溺れて死ぬなんていうしょうもない死に方をするはずない。
みんなの命が懸かっている。今は目の前にいるこいつに集中しないと…!
僕は何となく気づいていた。水中で意識を失っているみんなを見たときから…。
「あぁ、こっちも質問がある」
僕はAquaにそう答えてから、グラウンドの中央で浮遊している彼らを一瞥する。
ペットボトルを口に咥えている皇以外は意識を失っていて、動いていない。
だけど、多分死んでもいないんだ。
僕が現実に戻ってきたときには、既に学校は浸水していた。
僕がここまで泳いできて、男虎先生が溺れるまでの時間を合わせると10分程度経っている。
普通の人は、溺れてから2、3分で意識を失い、10分も経たない内に死んでしまう。
だけど……、彼らはまだ生きているんだ。
根拠としては薄いかもしれないけど、感覚的にこの水は普通じゃない。
口の周りを水が避けて流れているような気がする。口の中や肺になるべく水が入らないように。
男虎先生は、口を開けすぎた上に肺活量が凄すぎて吸い込んでしまったんだろうけど。
「どうして、みんなや僕を殺さない?」
僕はAquaの目を見据えて、そう尋ねた。
確かに勝負はついていて、急いでとどめを刺す必要はないと思う。
それはわかるけど…、だったら普通に浸水させれば良いだけだ。
こいつは間違いなく水を操ったり発生させたりする能力を持っている。
わざわざ口に入らないような流れを作っている理由は何だ?
僕の質問に対して、Aquaは口元を緩ませた。
A「流石は、水瀬友紀。よく気づいたな。確かに俺は、あいつらが溺死しないよう手を施している」
Aquaがそう答えたことで、僕はみんなが生きていることを確信する。
正直、確証はしていなかった。僕が抹殺対象じゃないから生かそうとしているだけで、他のみんなにはそんなことしていない可能性だってあったから。
みんなを意図的に生かしているAquaは続けてこう話す。
A「聞いてくれてありがとう。この話は、俺が話したかったことでもある。俺はお前を試しているんだ。水中を自在に動けるのはお前だけ。この状況をお前ならどう打開する?」
敵の割には随分と優しい対応だ。
これがハッタリとかじゃなくて本当のことなら、みんなを助けるチャンスを与えてくれている。
僕は彼の発言に対して、首を傾げた。
「わからない。僕らを殺せという指示以外も受けているのか? ひと思いに殺さない理由を聞きたい」
どうしてすぐに殺さないのかという問いに、彼はまだ答えていない。
僕が立て続けにそう尋ねると、彼は両手を頭の後ろに回しながら、気怠そうにこう話す。
A「俺たち“EvilRoid”にも自我のようなものがあるんだ。プログラムされたのか偶然そうなったのかはわからないけどな。意識が芽生えた瞬間、人を殺せと指示を受けたら、快く引き受けるのか? お前ならどうする、水瀬友紀」
リラックスしているような姿勢で、僕の様子を窺うAqua。
「引き受けたくはない」
そんな彼に対して、僕は少し間を置いてからそう答える。彼への警戒心や、挙動の観察が返事を遅らせた。
後ろに回していた手を下ろし、僕に顔を近づけてくるAqua。
A「俺も同じだ。だけど、俺とお前では決定的に違うところがある。お前は指示を断って、自分の道を歩めるだろうけど、俺は“BREAKERZ”を抹殺するためだけに造られた機械だ。逆らって自分の人生を歩むという選択肢はない。だから、今こうしている。お前に俺を倒す猶予をやるけど、お前が俺を倒せなければ……全員、抹殺する」
前のめりになって話してくる彼の言い分を聞いて、辛い気持ちになった。
与えられた命令通り、彼は僕らを殺さなければならない。でも、そんなことをしたくない彼は僕にチャンスを与えたんだ。
つまり、彼は僕に自分を破壊してほしいと願っている…。
A「さぁ、抗ってみろ。ちなみに、俺を壊せばこの水はただの制御されていない水に戻る。学校外に水が溢れ出すのはもちろん、“BREAKERZ”は溺死するだろう。今のお前が俺に地力で勝つのは無理な上、仮に勝てたとしても仲間は死ぬ。1つだけヒントをやるとすれば……、俺の基は、お前だということだ」
話が終わったのか、急に黙り込んだAqua。
腕をがっちりと組んでこちらを見据える彼に、攻撃する意思はないようだ。
僕から仕掛けない限り、動く気はないのか?
やっぱり、彼は僕を元に作られていた。声が同じだから何となくそうなんじゃないかと思っていたけど。
それをわざわざヒントとして教えるということは、僕の擬似的なエラ呼吸が彼を倒す鍵になるのだろうか?
A「チッ…、往生際の悪い奴だ。水の中で俺に勝てると思っているのか?」
そんなことを考えていると、Aquaは振り返ってそう言った。
彼の動きに釣られて、僕も彼が見ている方向に視線を移す。
Aquaの視線の先には、空になった2リットルのペットボトルを咥えてクロールしながらこちらに迫ってくる男虎先生の姿が。
良かった、生きていた。きっと死にかけていた先生に皇がペットボトルを渡したんだろう。
男虎『おい、銀色人魚ちゃん! よくも学校を水浸しにしてくれたな! 生徒を溺れさせるような真似をするのなら、儂はお前を破壊する!』
空のペットボトルの中には酸素を含んだ空気が入っている。
理屈では声を出せるんだけど、普通はペットボトルの中にこもるからここまで響いてこない。
もの凄い声量と肺活量だ。
だけど、今戦うのは分が悪い。いくら先生が武術に長けていても、ここは水中。
人間にとって不利な領域なんだ。
Aquaはさっきと同じように人差し指を男虎先生に向ける。
警告したいけど、多分やめておいたほうが良い。つい興奮して口を大きく開けたら、さっきの二の舞になってしまう。
「や、やめろ!」
僕は攻撃を止めるため、Aquaの身体にしがみつこうと手を伸ばした。
先生に声をかけるのは危険だ。だから、彼を止めるか攻撃を阻害するしかない!
だけど、Aquaはこちらには目を向けず、僕にもう片方の手の平を見せつけた。
A「水の理・水衝」
ドンッ!
重いものがぶつかるような音が聞こえたと思った瞬間、僕の身体は後方へ吹き飛ぶ。
何だ……今の技は……?
水の流れで押し出された? それにしては、瞬発的すぎる。どういう原理で繰り出せたんだ?
飛びつこうとした僕を退けたAquaは、男虎先生に向かってこう言った。
A「水の理・貫水線」
先生に向けられたAquaの人差し指から、白いレーザーのようなものが放たれる。
それが何なのか僕にはすぐにわかった。
圧縮に圧縮を重ねた高圧な細い水流だ。
ウォータージェットといって、人が切断加工に使っているものと恐らく同じもの。
それを奴は指先から出して、人間に対して使おうとしているんだ。
いくら先生がムキムキで頑丈でも関係ない。あの水流の前では皆、等しく貫かれて切断される。
男虎「レーザーとは久しい! 龍風拳!」
ゴオオオオオ……!
一直線に向かっていく水のレーザーに対し、手首を捩りながら繰り出す男虎先生の龍風拳が炸裂。
先生の拳から発生した竜巻は渦を作り、水のレーザーを掻き消しながら、Aquaに向かっていった。
竜巻が直撃した彼の身体は激しく回転したけど…。
A「中々やるな。“BREAKERZ”が脅威とされるのも無理はないか」
何事もなかったかのように、すぐに体勢を立て直してそう語る。
あの竜巻は決定打にならない。それは彼が“EvilRoid”で頑丈だからじゃない。もちろんそれもあると思うけど。
水の抵抗によって、男虎先生の突きの威力は激減しているんだ。
仮に僕が同じ技を喰らったとしても、目が回って気分が悪くなる程度で収まるだろう。
変わらず高速でクロールしながら迫ってくる男虎先生に、彼は手を翳した。
A「水の理・指定領域水圧完全制御“海底の処女”……発動」
Aquaがそう発した瞬間、先生の激しいクロールがぴたりと止まる。
そして……、
男虎『うおおおおぉぉぉぉぉぉぉ! 痛いわあぁぁ!』
身体を丸めて、ペットボトルが口から離れないようにタコのような口のまま絶叫した。
何が起こったのかぱっと見ではわからないと思う。だけど、水を知っている僕は一目で理解した。
水圧だ…。先生の周りだけ水圧が異常に大きくなっているんだ。
普通なら押し潰されて圧死してもおかしくないレベルなのに、先生は筋肉で耐えている…!
A「俺が引き出せる最大限の水圧に耐えるのか? お前、面白いな」
手を翳したまま驚いたような口調で話すAqua。
ドオォン…
彼は蹲る男虎先生に目にも留まらない速さで、急接近した。
そして、彼は右手に拳を作って後ろに引く。
A「なら直接、撲殺してやる__水の理・水衝」
ドンッ!
さっき僕に使った技を拳に乗せて、パンチを繰り出すAqua。
手の平を向けられただけで僕の身体は吹き飛んだ。今度は殺意を持って殴っているから、それよりも威力は高いはず。
バシッ
だけど、男虎先生はその拳を片手で難なく払いのけて構えをとった。
男虎『灰燼・腥風の構!』
龍風拳特有の構えなんだろうか? 両手に拳を作り、片方は腰の真横に、もう片方は前に突き出している。
この構えを見るのは初めてだ。学生大戦で羽柴先生に対しても竜巻を発生させていたけど、こんな本格的な構えはとっていなかった。
もしかして、これが男虎先生の本気? 更に強い打撃や竜巻を出せるってこと?
振り払われた手でもう一度拳を作って殴ろうとしていたAquaだったけど、それよりも早く、構えた先生は次の攻撃を繰り出した。
男虎『烈牙荒天!!』
捩りながら繰り出す先生の連続パンチは、間髪入れずにAquaに襲いかかる。こんな激しく動いたら、口に咥えたペットボトルが外れそうだけど今のところ大丈夫みたいだ。
ギリギリのところで躱して少し後ろに引いた彼は、殴りまくりながら間合いを詰めてくる先生に対し手の甲を向けた。
A「水の理・水壁」
その言葉を発すると当時に、男虎先生の前進は、ギリギリ拳が届かないところで止まる。
連続で殴りまくりながら、前に進もうと足を高速でバタつかせているのにも関わらず…。
男虎『なんでだああぁぁ!? 水が硬い。水が儂の前進を邪魔している!』
A「とある人間の努力の賜物だ。俺はそれを利用しているに過ぎない」
一向に進めそうにない男虎先生の、水中なのに暑苦しい疑問に答えるAqua。
そして、彼は人差し指で正円を擬えながらこう言った。
A「水の理“法則混合”・円状貫水衝線」
ドドドドドドン!!
指で円形になぞったところから、高圧な水のレーザーが男虎先生に向かって十数本放たれる。
法則混合みたいなこと言ってたから、水のレーザーにあの衝撃の威力も加わっている…!
今回は数が多い上に竜巻を発生させても、衝撃によって押し負けるかもしれない。
男虎先生……、今度こそ……本当に……。
男虎『龍風拳の数少ない受け技あぁ!』
ペットボトルを咥えた状態でそう叫びながら、先生は両手で時計回りに大きく円を描いてから、胸の前で手を交差させる。
男虎『遁流柳風』
そして目の前まで迫っていたレーザーに対し、左右に大きく手を広げて胸を開いた。
一見、無防備に見えるあの体勢。
だけど、腕を広げた先生の前の水が軽く渦巻いている様子を僕は見逃さなかった。
衝撃を伴うであろう水のレーザーは、その渦によって軌道を逸らされ、四方に拡散。
先生が無事だったのは良いんだけど…。
「…………っ!」
拡散した内の1つがこちらに向かってきたんだ。
突然の危機に身体がすくんで動かないし、動けたとしてもこの速さの攻撃を避けるのは無理だったと思う。
僕の身体にレーザーが当たろうとしたとき…、
とんっ
誰かに左から押されたような感覚がした。
実際、僕の身体は右に少し移動し、レーザーの直撃を免れたんだけど…。
身体を張って僕を助けてくれた人物…。
皇『あぁ……クソ……』
ペットボトルを咥えた皇尚人は、出血した脇腹の部分を両手で押さえていた。
皇『さっきから手招きしまくってるのに、いっさいこっち見ねぇじゃねぇか。これだから、勘の鈍い奴は…』
ペットボトル越しにそう言いながら、呆れたように首を軽く振る皇。
僕をグラウンドの底から呼んでいたのか。ごめん、2人の戦いに夢中になってて気づかなかった…。
「ご、ごめん……」
庇ってくれた皇に謝ってすぐ、僕は再び彼らに目を向ける。
彼の負った傷も気になるけど、先生からも目が離せない。
Aquaはこちらの様子を一瞬だけ見て、男虎先生に接近戦を仕掛けていった。
男虎『かかってこい、人魚ちゃん! 倒した後、焼いて美味しく食べてやる!』
A「“EvilRoid”の俺に性別はない。そんな軽口叩けないくらい圧倒してやる」
彼らの間で打ち合いが始まる。
竜巻を起こす龍風拳に対し、Aquaは、時折水の衝撃波を繰り出しながら主に自身の拳や尻尾で応戦。
ぱっと見、互角で打ち合っている。
水中関係なく戦えてる先生も凄いし、龍風拳に正面から打ち合えるAquaも凄いと思う。
だけど、なんで彼はわざわざ接近戦を仕掛けたんだ?
水の壁を作りながら、龍風拳の射程外からレーザーを打ち続けた方が良いに決まってる。
いくら先生でもいつかは体力が切れて動けなくなるから。しかも、ここは何度も言うけど水中だ。地上よりも動きが鈍る上に消耗も早い。
ずっと射程外から力尽きるまで攻撃したとしても、そんなに時間はかからないはず。
やっぱり、彼は人を殺そうとしている自分を止めてほしいんだ。
だから、確実に勝てる手段よりも、どうなるかわからない戦い方を選んでいる。
皇『おい、ボーッと見てんじゃねぇぞ。あの人魚野郎を倒すのはお前だぜ』
隣で脇腹を押さえながら、そう語る皇。
怪我、大丈夫かな…。
皇『俺のことは気にすんな。内臓には喰らってねぇよ』
僕が案じて、声を掛けようとした瞬間に彼はそう言った。
これが慶の認めた直感か。鋭すぎて心を読まれているような気分になる。
皇『俺が身を挺して庇ってやったんだ。それ相応の仕事はしてもらうぜ』
男虎先生とAquaの打ち合いを眺める皇の口角は今の発言を機に徐々に上がっていく。
これ以上、口を開くとペットボトルに水が入るという直前のところで止まり、彼はいつもの調子でこう言った。
皇『奴をよく見て学べ。あれは……、お前の特質だぜぇ♪』




