水中戦 - 水瀬 友紀⑤
いったいこっちで何が起こったんだ?
本当にここは現実の世界なのか?
水中で浮遊しながら戸惑う僕は、完全に浸水した保健室を見渡した。
とても透き通った汚れのない綺麗な水だ。
目の前で、目を瞑った慶が仰向けの状態で浮かんでいる。意識がないのか、考えたくはないけど溺死したか。
保健室の端っこで横たわっている主犯の辻本先生と小林先生のところだけ浸水していない。
彼らの回りを円形状に水が避けているようだ。
主犯の2人が浸水から逃れられているということは、この水を発生させたのは恐らく敵の“EvilRoid”の仕業だと思う。
2人とも気を失っている上に、凶器になるようなものは持っていない。
とりあえず、慶を2人がいる浸水していないところへ運ぼう。
僕は浮遊している慶の腕を掴んで、彼らの元へ泳いで引っ張っていった。
水の中で良かった。大して力の強くない僕が人を片手で動かせるのは、浮力のお陰だ。
地上では重たくて持てないものも、水中でなら動かせたりする。
僕は慶の背中の軽く押し、2人のいる水のない空間に押し込んだ。
ドンッ………ボキッ。
えっ……まさか……? やってしまった…?
地面に軽く打ちつけた彼の身体から嫌な音がする。どこかの骨が折れたような音…。
きっと気のせいだ。そう思うことにしよう。溺死するより多少骨が折れても、生きていてくれた方が良いに決まってる。
僕はうつ伏せに倒れ込んでいる慶から、保健室の窓へと目を移した。
目の錯覚だろうか?
水没した都、アトランティスを彷彿とさせるような巨大な建物が水で象られている。
僕じゃなければ、現実に戻った瞬間に溺れていたかもしれない。
僕は水泳を習っていた上に、水の法則を熟知している。エラ呼吸を模倣した呼吸法を習得した僕は、魚のように長時間泳いでいられるんだ。
今、戻ってきて正解だったと確信した。水の中でなら、僕だって何か役に立てるかもしれない。
僕は他のみんなや周りの状況を知るため、泳いで割れた保健室の窓から飛び出した。
そして、古代の建物らしきものが見えるグラウンドの方へと向かう。
足を上下に動かし、保健室の窓から校庭へ。
そういえば、みんな泳げるんだろうか?
そもそも普通は息継ぎができないと、泳げるかどうかに関係なく溺れてしまうけど。
みんながどれくらい泳げるのかはあまりわかっていない。琉蓮を除いては…。
彼は、中学で知り合った時から究極の金づちだと自称していた。
あの時は大げさだなと思っていたけど、“自分が溺れたらプールの底が陥没して弁償しないといけなくなるから、いつも見学しているんだ”とも言っていたっけ。
半年前に彼の強さを目の当たりにしてから、それが冗談じゃなく本気で悩んで言っていたことだと気づいた。
強すぎるが故の弊害ってことかな?
そんな無敵でどうやっても死にそうにない彼でも、泳げなくて溺れるなんてことあるんだろうか?
他のみんなもそうだ。これが敵の攻撃なら、息継ぎなんてさせてもらえない。
そう思うと同時に、足の動きが自然と速くなる。
みんな、どうか無事でいてくれ…!
自転車置き場がある校庭を抜け、グラウンドに差し掛かったところで、戦っていたと思われる彼らや敵の姿が鮮明に見えてくる。
この状況を一言で説明するとしたら…、ヤバい。
悔しいけど、霊園さんのあのテキトーな発言も強ち間違いではなかった。
グラウンドの中央にいる全身銀色で人の形をしているあいつが“EvilRoid”か?
水中で直立不動のあいつを見て、琉蓮が頭に浮かんだ。
そして、その周りでは水の浮力によって何人かが浮遊している。みんな意識はないのか、息ができなくて苦しんでいるといった様子はない。
ゴリラになった陽、剣崎、朧月くん、的場、そして……、血塗れの新庄。
後は琉蓮に似ている40代くらいの人が水中で突っ立っていた。
あの“EvilRoid”の周りにいる中で1番まずいのは、新庄だ。きっと重傷を負っている。
彼らの後方には日下部と、昨日みたいに変装している御門さん…?
日下部を追ってきて、この戦いに巻き込まれたんだろうか?
後は、僕から見てグラウンドの左端にいる皇と地面に足をつけて全く動きそうにない琉蓮がいる。
皇はコーラのラベルがついた2リットルのペットボトルを口に咥えて、両脇に同じペットボトルを抱えて彼の元へと泳いで向かっていた。
もの凄い対応力だ。
彼は、空になったコーラのペットボトルを一時的な酸素ボンベとして活用している。
僕と同じく特質を持っていなくても、彼は彼なりに独自のセンスを活かしてできることをやっているんだ。
僕も頑張らないと…!
意識があって行動できているのは彼だけ。
グラウンドを囲っている赤いブロッコリーは、樹神のものだろうか? これも動いている様子はないけど、敵の能力じゃないことを願いたい。
ざっとグラウンドを見渡して気づいたことがある。
保健室にいたときは、この町全体が水に沈んだんじゃないかと思っていたけど、多分そんなことはない。
グラウンドを囲っている赤いブロッコリーや学校の敷地より少し外側のところに水の壁のようなものができている。
水の壁の先は、恐らく沈んでいない。
つまり、この水は学校全体を直方体の水槽のように囲っているんだ。
みんなを助ける方法は、大きく分けて2つだろう。
僕は首を上に傾けた。
銀色の身体に下半身が魚の尾の形をしているもう1体の“EvilRoid”が水面付近で回遊しているのが目に入る。
水を発生させて学校を沈めたのは、恐らくあいつだ。
あいつを倒すか、みんなを水の外側へ運ぶかのどちらかしかない。
さぁ、どうする…? あいつを倒すにしても、ただ泳げるだけの僕が丸腰で挑むのは危険だ。
だけど、みんなを水の外側へ運ぶのをあいつは黙って見ていないだろう。
そんなことを考えていると、水面付近で泳いでいた奴と視線がかち合った。
まずい……、バレた!
ボコボコ……!
そう思った瞬間だった。
水の泡が突拍子もなく発生したかと思ったら、奴が僕の目の前に来ていたんだ。
「…………!」
いくら機械でも泳ぐの速すぎるだろ…!
泳ぐ速さには僕だって自信があった。だけど、こいつには絶対に敵わない。
不意を突かれたとはいっても、迫って来ていることがわからなかった。目の前にこいつが来て、初めて向かってきていたことを理解するレベルの速さだ。
A「生身で自在に水中を行き来する人間。お前、水瀬友紀だな?」
目の前に来たこの“EvilRoid”は言葉を発した。その声に僕は驚愕する。
なぜなら、自分の声そのものだったから。録音された自分の声そっくりな音に、僕は思考を巡らせた。
こいつは、僕を元に作られたのか? 確かに僕も昨日の昼、保健室に呼び出された1人だったけど。
奪ったのはみんなの特質だと聞いていたけど、いったい僕は何をされたんだ? 普通の人間である僕と特質持ちの違いを調べただけじゃなかったのか。
今さら隠してもしょうがないと思った僕は、彼の質問に対して首を縦に振る。
僕の応えに、銀色の彼の口元が僅かに緩んだ気がした。
A「そうか、お前が…」
そして、自身の胸に手を当てて、彼はこう名乗る。
A「俺は“EvilRoid - Aqua”。お前ら“BREAKERZ”を抹殺するよう指示された者の1人……いや、1体だ」
やっぱり敵で間違いなかった。直立不動のもう1体も仲間と思っていいだろう。
だけど、なんでわざわざ名乗ったんだ? 殺すのが目的なら、僕はもう殺されている。
あの泳ぐスピードに対応できていない時点で勝負はあったはずだ。
特質を持っていないから、僕は対象外なのかとも考えたけど、恐らくそうでもない。
なぜなら、まだ…。
色々と考えたいところなんだけど、Aquaの背後から迫ってくる人影のせいで僕は集中できずにいた。
その人物に、色々と思うことがありすぎてうっかり目の前の敵のことすら忘れてしまいそうだ。
あの人は僕を助けようしてこちらに迫ってきていたんだと思う。
そして、Aquaもその人物がやって来ていることに気づいてなかった。
黙るか、あるいは話を続けていれば、もしかしたら勝てたかもしれないのに…!
「なんで生きてるんですか!? 男虎先生?!」
僕は頭の中に湧いた大きな疑問を抑え込むことができなかったんだ。
この前、墓参りに行ってヌンチャクのレプリカを置いてきたからはっきりと覚えている。
先生は戸籍上、死んでいることになっているはずなんだ。
なんで生きているんだ? 仮に生きていても、医師が判断をミスって火葬してしまった時点で骨しか残らないはず…。
我慢できなかった。本人に聞いてすぐに真相を確かめたいという気持ちを抑え込めなかったんだ。
A「凄まじい迫力のクロールだ。人間とは思えないな」
腕を全力でぶん回しながら、泳いでくる男虎先生に対し、Aquaは人差し指を向けた。
このポーズは…!
羽柴先生の紫死骸閃が頭をよぎる。
「先生、僕のことはいいから、逃げてください!」
水中とか関係なく、僕は声を発して男虎先生に警告した。
さっきも言ったように、僕は水の法則を熟知している。普通の人なら、水の中で声を発することなんてできないはずだ。
たとえ発することができても、遠くにいる人は疎か、目の前に人がいても声を届けることはできないだろう。
それは僕より長く生きていて、かつ知識が豊富な高校教師なら誰だってわかっているはずだ。
だけど、ここは透き通った水の中。
僕の声が聞こえた男虎先生は話せると錯覚してしまったんだ。
男虎「……………!」
ゴボボボボ………
大きく口を開けて僕に何かを伝えようとした先生は、口から水の泡を吹きながら白目を剥いて沈んでいった。
肺に水が溜まって呼吸ができなくなったんだ。
先生、ほんとにごめんなさい。生きたまま火葬された挙げ句、今度は僕の手で水葬してしまった…。
A「やはり人間は水中での活動ができないか。直接、手を下すまでもなかったな」
Aquaは先生に向けていた腕を下ろしながらそう言う。
やっぱり殺そうとしていたのか…! 自分に似ているから、もしかしたら話せばわかると思っていた。
こいつは、僕と違って残忍な性格をしている。
A「この空間に、俺の邪魔をできるものはいない。水瀬友紀、少し話をしよう」
ゆっくりと振り返りながらそう言うAquaに対して、僕は奴の真っ黒な目を睨みつけていた。




