脱出 - 水瀬 友紀④
はぁはぁ...
こんなに走ったのは多分、慶が起こした鬼ごっこ以来だ。
文月『あぁ、水瀬友紀も対象に含めろ』
あの時、保健室で慶がそう言った瞬間、僕の周りからみんなが消えたんだ。
恐らくここは、“RealWorld”という彼が造ったアプリの中だろう。
どこか現実世界に繋がる場所や方法はないのか?
そんなことを考えながら、僕は学校内を走りまわっていた。
だけど…、
「はぁ……はぁ……! クソッ……」
体力に限界が来た僕は、両膝に手をつき肩で息をする。
脱出方法なんてものはない。
正直、走り回って探し出そうとする前からわかっていたよ。
このアプリ内に町の人たちを匿ったのは、“EvilRoid”と僕らの戦いに巻き込まないようにするため。
だとすれば、絶対に脱出できないように設定していると考えるのが妥当だ。
しばらくして息が整ってきた僕は、ゆっくりと廊下を歩く。
結局、僕は彼らに協力することはできない。仮にここから出たとしても、何の能力も持たない僕が役に立てるのかというと…。
慶が僕を匿ったのはそういう理由なんだ。嫌味とか仲間外れにしたわけじゃなく、僕の安全を確保するため。
ほんとに自分が情けない。アプリにみんなが匿われている間は、まだ戦いが続いているということだ。
強大な相手を前に、犠牲者が出ていてもおかしくない。あまり考えたくはないけど、全滅している可能性だってあるんだ。
アプリから脱出する方法もわからない上に、脱出したところで何もできないと思った僕は、溜め息を吐きながら元いた保健室に向かった。
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当たり前だけど、保健室にも誰もいない。
いつもなら保健室の先生がいるんだけど、今日は土曜日、休日だ。
たまたまだと思うけど、今日はどこも部活とかやっていないみたい。今学校の敷地内にいるのは、たぶん僕だけ。
保健室の窓から見えるグラウンドには誰もいないし、何もない。
だけど、グラウンドを囲った緑色の防球ネットの向こう側の道路には、ときどき自動車や歩いている人を見かける。
この町の人たちは何の違和感もなくいつも通りの休日を過ごしているつもりだろう。
僕だって、あのときの慶の発言やみんなが目の前で消えたような現象がなければ、ここがアプリ内だとは気づけないと思う。
現実と何ら遜色のない世界。
みんなが今戦っているのでなければ、別にここにいても良い気さえしてしまう。
僕は、綺麗に並べられたベッドや点滴台のある保健室を見渡した。
今の僕にできることは何かないのか…?
せめて現実とこっちで通信できる手段があれば、敵を倒す作戦を一緒に立てたり、戦っているみんなが気づけないことにも気づけたりと役に立てるかもしれないのに…。
両手に力がこもり、足元に視線が落ちる。
今日は休日だ。僕の家には、母さんと父さんがいるはず。
何もできないからって帰るのか? 本物の両親がいる作り物の家に。
のこのこと帰って、彼らが勝つのをただただ祈るのか…? 無理だ、そんな薄情なことできるわけないだろ!
僕は頭を抱えて、歯を食いしばった。
大切な友達が命を懸けて戦っているのに、なんで……なんで何もできないんだよ。
ザッ……
頭を抱える僕のすぐ後ろから、足音が聞こえた。
人の気配…、保健室のドアの前に立っている。
僕が振り返ろうとする前に、その人から声をかけられた。
「なんだ、いるではないか。今日は人間が集まらない日……、休日とやらではないのか?」
無機質に発せられる低い女性の声。
「今日、向こう側では奇天烈なことが起こっておるが」
その言葉に対し、僕はほぼ反射的に振り返って彼女の姿を目の当たりにする。
初めて見る女子……女性だ。
長く真っ直ぐな髪の毛に、若干疲労感のある垂れ目と薄い唇、体型は細身で背の高い彼女は僕を見つめていた。
そして、休日なのに制服姿…。
ここが現実ではないことを知っている?
敵かも知れないと思った僕は、身構えながら後ろに下がる。
何かしらの手段で侵入してきた可能性は充分にあるだろう。
僕は“EvilRoid”の姿を見ていないんだ。特質を使ってくる人型のロボットなのは何となくわかるけど、見た目は人と同じものかもしれない。
警戒しながら距離をとる僕に対し、彼女は悪びれることなく、自己紹介を始めた。
「我の名は、霊園千夜。昨日、転校してきた者だ。己の名は何と言う?」
ただの転校生なのか? いや、まだ安心したらダメだ。話し方が普通と違いすぎる。
名前を名乗るべきなのだろうか?
信じがたいけど、“EvilRoid”を造った小林先生と辻本先生の目的は僕ら“BREAKERZ”を殺すこと。
慶からそう聞いている。
もし、僕も殺す対象で彼女が敵なら。
そう考えた僕の額に1滴の汗が流れた。
…………。
いや、何をビビっているんだ。向こうではもっと激しい戦いが繰り広げられているに違いない。
今、ここで名乗って襲ってこなければ、恐らく彼女は敵じゃない。
殺されるかもしれないとビビっていたから、僕は戦力外にされたんだ。
戦えなくても、力がなくても、戦っているみんなのために僕は身体を張るべきだ。
僕は一呼吸置いてから、自分の名前を彼女に明かした。
「水瀬友紀だ。なんでこの世界が偽物だと知っている?」
名前を名乗ってそう問いかけると、彼女は表情を変えずに首を傾げた。
すぐに襲ってくる様子はない。まだ敵かどうか判断するのは早いけど。
霊園「逆に問おう、水瀬友紀。己は何故、現実ではないことを知っている?」
質問には答えず、手の平をこちらに向けてそう返してくる彼女。
正直に答えるべきか…?
ここが現実じゃないことを知っている辺り、普通の生徒じゃないのは確かだ。昨日、転校してきたばかりなら尚更怪しい。
僕が答えるまでの間、沈黙が流れる。
…………。
今はぐらかせば、核心には迫れない。
「僕の友達がこの世界を……アプリを造ったから。その友達と何人かは現実で敵と戦っている。町の人たちをこの世界に匿って、安全を確保しているんだ」
具体的なことは明かさず、なるべくざっくりと本当のことを話す。
それが僕の出した答えだった。
突拍子のない現実離れした話をされたはずなのに、彼女は動じることなくこう返す。
霊園「粗方、理解した。向こう側の状況を知りたいか? 友人の安否を己は気にしておるのか?」
普通ならこんな話、意味がわからないといったような顔をするはずだ。
転校生なら慶の技術を知らなくて当然。ありえないと全面的に否定してきてもおかしくないのに…。
霊園さんは、僕に対する殺意を持ってはいない。だけど、敵と戦っている僕らに対して興味を持っていると思う。
「気になるよ。当たり前だけど、友達の生死が懸かっているんだ。大げさな話じゃない。僕だって信じられないけど、彼らは僕らを殺そうとしている…!」
仮に本当に向こうの状況を彼女が知っているとして……、そして、かなりヤバい状態にあったとしたら、普通なら友達である僕にすかさず伝えようとするはずだ。
それを勿体ぶって教えないのは__
僕の訴えかけに霊園さんは、抑揚のない声で淡々とこう言い放つ。
霊園「良いだろう、向こう側の状況を教えてやる。ただし、我の質問にも答えるのだ」
__僕ら“BREAKERZ”のことを探ろうとしているから。
彼女は冷酷だ。他人の命よりも自分の好奇心を優先した。
「うん…、わかった。答えるよ」
もう退けないところまで来ている。ここで引いたら結局、戦いが終わるのを何もせずに待つのと同じだ。
そう思った僕は頷きながら、彼女にそう言った。
霊園「己の友人とやらは、空を自在に飛び回ったり、大地に紅の花を咲かせるなど異能を持つ者がいるようだが、あれは何だ? 我の知っている人間とはかけ離れている」
やっぱり、僕らの特質や神憑の能力に興味があるみたいだ。
彼女の発言から、ここから出られる希望が見えてきた。
昨日、転校してきた彼女が日下部や樹神の能力を知っているということは、この世界から何らかの手段で抜け出し、今戦っている彼らの姿を見た可能性が高いということ。
つまり、僕らの能力について教えると、現状を知れるだけでなく、現実に戻れるかもしれないんだ。
「僕らは、“BREAKERZ”というチームだ。チームのメンバーのほとんどは何かしらの能力を持っている」
僕は正直に、特質や神憑のことについて話した。
もちろん今会ったばかりだから、警戒はしていたよ。殺意はなく敵じゃないとしても怪しいものは怪しい。
だから、全てを話す気はなかった。
僕が話したのは、特質と神憑の2種類の能力持ちがいて、こういう人たちが発覚したのは夏休み明けに行われた慶の鬼ごっこからだいうこと。
ただ、これだけだ。具体的に誰がどんな能力を持っているのかは聞かれない限り、伏せておこうと思った。
「…………という感じなんだけど」
大して長くはない僕の話を聞いていた霊園さんの首は後ろに倒れ、天井に向いた口は大きく開いていた。
霊園「ぐおぉーぅっぷすぅーー…………」
鼻の穴や口からいびきのような音を漏らす彼女。
もしかしなくても、寝ているよね完全に…。まぁ、目の下の隈すごいなとは思っていたけど。
突っ立ったまま寝れるものなのか…?
「霊園さん、寝てる場合じゃない! 人の命が懸かっているんだぞ!」
霊園「…………はっ! 済まぬ」
僕の荒い声に霊園さんは目を覚まし、後ろに傾いていた首を前に戻した。
霊園「睡眠とやらがまだ不足しているようだ。全く、人体とは何ゆえにこれ程まで不自由なのか…」
独特な言い回しをする彼女は、不満そうな顔をしている。きっと彼女は夜型人間なんだろう。
「えっと、もしかして、最初から話さないといけない感じ?」
多分、僕は彼女を睨みつけていたと思う。
友達が戦っている。一刻を争う状況なんだ。それなのに悠長に寝落ちして話を聞き逃すなんて、いくら寝不足でも許せないよ…。
霊園「それは問題ない。全て話したのならな。脳や耳が眠っていても、この人体にある幾多の毛穴に情報が染みついているはずだ」
彼女は制服の袖を捲り、腕に毛穴があることをアピールするかのように突き出してきた。
そ、そうなんだ。毛穴に声の情報が記憶されるなんて初めて聞いたんだけど。
え、生物のテストの応用問題とかに出てきたりするんだろうか?
機会があったら、学年1位の人にまた聞いてみよう。もし、習っていたら彼は絶対に覚えているから。
霊園「では約束通り、向こう側の状況を教えてやろう」
そう言いながら、捲った袖を元に戻す霊園さん。
勝っているのか負けているのか、僕は固唾を飲んで、彼女の言葉を待った。
霊園「己の友人たちは、一言で言うと……ヤバいのだ」
…………。え、それだけ?
“ヤバい”なんて誰でも言えるんだけど?
最初なら真剣に取り合う気なんてなかったのかもしれない。
話してる最中に寝たりするし、いざ口を開けば“ヤバい”の一言。
ただの茶番じゃないか。
彼女は普通の高校生で、傍から見たら頭のおかしなことを言っている僕を冷やかしていたのかもしれない。
「ふざけるな! 何度も言ってるけど、友達が危険なんだ。おかしいことを言っている自覚はあるけど、茶化すのは止めてくれ。こっちは真剣なんだ」
僕の怒鳴り声が保健室内を木霊する。
ここで彼女の表情に初めて変化があった。驚いたのか目を丸くした彼女は、首を傾げる。
霊園「己の命が大事なのは百歩譲ってわかるが、他人の命に何故そこまで関心があるのだ? この世界では、己の知らぬところで数多の生物が命を落としている。それと友人の命、いったい何が違う?」
真剣な顔をして、いきなり壮大な話を持ちかけてくる霊園さんに、僕は握った拳を振るわせる。
水瀬「重さは同じだと思う。だけど、自分と関わりの深い命ほど強く関心を持つものなんだ。僕が知らないどこかの人も、僕が知らない誰かに愛されていたり関心を持たれている。君は僕の友達を知らないからそんな風に言えるし、僕らをからかえるんだよ。だけど、当事者からすれば、それは物凄くイラつくことだ……てか、なんでこんな話になっているんだ?」
そうだ、こんな面白半分にからかってくる人を諭したってしょうがない。
クソッ、まんまと時間を取られてしまった。
だけど、彼女を相手にしなかった時間で何かできたのかと言われると…。
霊園「そうか、よくわからないが、不快な気持ちにさせたことは謝ろう。我はそういう性分なのでな…。最近の人間は、“ヤバい”の一言で会話が成り立つと思っていたのだ」
元の冷徹な表情に戻った彼女は、意外にも素直に謝ってきた。
からかっているわけじゃなかった? どういう人なのかよくわからないな。
続けて彼女はこう言う。
霊園「我の可能な範囲で手伝ってやろう。水瀬友紀、己の望みは何だ?」
恐らく敵じゃない。でも、普通の人間じゃないのも確かだ。
どうする? 最初に言っていた彼女が現実とアプリ内を行き来できる可能性に賭けて、頼んでみるか?
口調や思想、風貌に行動、全てが怪しいけど一か八かだ。
「現実の世界に戻りたい。友達を助けに行きたいんだ」
僕の発言に、彼女はあっさりと頷いた。
霊園「そんなことか。良いだろう。ただし、我が良いと言うまで目を瞑っておけ。途中で開けたら最悪、己の命を奪うことになるだろう」
「わかった」
僕は彼女の言うとおりに目を瞑る。視界は下りてきた瞼によって一気に暗闇に。
ただの冷やかしでも良い。自力で脱出できる方法がない今、可能性があるものは何だって試してやる。
コツコツコツ……
こちらに歩いてくる彼女の足音が何回か聞こえた後、僕の肩に彼女の手が置かれた。
冬だからっていうのもあると思うけど、彼女の手はとても冷たい。本当に生きているんだろうかという失礼な疑問が脳裏に浮かんでしまう。
霊園「良いぞ、準備は整った」
ほんの数秒後、肩に置かれた手を話ながらそう話す霊園さん。
目を瞑ったままの僕に、彼女は続けてこう忠告する。
「目を開けたら、もうそこは現実だ。くれぐれも注意しろ、向こう側の校舎は__」
説明があると思わなかった僕は聞き終えるまでに目を開けてしまう。
彼女が何て言おうとしていたのか、おおよそ理解できた。
“__向こう側の校舎は、水に沈んでいる”。
ドドドドド……!
目を開けた瞬間、水が勢いよく目に入ってきて、僕の身体は透き通った水に包まれた。




