凶敵 - 文月 慶⑮
D『妖瀧拳・石穿雫突』
新庄に向かって直線的に突き出されるDestroyの手。
ドッ……! バキッ……!
攻撃を予感したのか新庄は咄嗟に金属バットを下に向け、自分を守るように身体の前へやった。
ここからどうなったのかはよくわからない。
彼は校舎とDestroyの間に立っていたんだ。学校を守ろうとしていたのかたまたまかは曖昧だが。
新庄が立っている地面からこちらに向かって二筋の亀裂が入ったのが見えた瞬間、僕の身体は後方に吹き飛ばされた。
そして、壁に頭や背中を強打してから床に叩きつけられる。
痛みはない。この程度なら“準不死身”の状態で死ぬことはないだろうが、全身を痛めたせいですぐには起き上がれない。
校舎にいる2人に対して、遠慮なく打ってきたのか。それとも、即興で技をインストールしたため加減ができなかったのか?
不知火や樹神、主犯の辻本と小林は無事なのか? 早く起き上がって確認しなければ…。
『校舎に大きな亀裂が縦に2つほど入りました。主要な柱に損傷はないものの、崩れてもおかしくはない状況です』
淡々とそう述べる人工知能の“FUMIZUKI”。
人質として2人を確保していたこの場所も絶対に安全とは言えなくなったわけだ。
奴の動きを力尽くで止められそうにない剣崎や的場たちをこちらへ避難させようとしていたんだが…。
そういえば、奴の石穿雫突を間近で受けた新庄はどうなった?
「うぅっ……!」
這いつくばってはいられない。
僕は震える両手を床に着いて、身体を何とか持ち上げた。たまたま近くに転がってきていた杖を支えにして立ち上がる。
樹神はいない…。不知火は吹き飛んだベッドの下敷きになって痙攣しているが死にはしないだろう。
あんな衝撃があったにも関わらず、辻本と小林は元いた場所から動いていない。
やはり、奴は機械。力の調整は徹底していたようだ。
ベッドや点滴台などが散乱した保健室内を一瞬だけ見渡した僕は、新庄の方へ目をやった。
新庄『はぁ……はぁ……。ヤベぇな』
バットの先を地面に着けて身体を支えようとしている様子の新庄だったが、腕の力では支えきれないのか両膝を着いて項垂れる。
後ろ姿じゃどうなっているのかわからない。その上、奴のジャージは既にUndeadの分離体や増殖体の血で染まっている。
だが、息が荒く立ち上がれない様子を見る限り、無事じゃないことは明らかだ。
「FUMIZUKI、新庄の容態を教えろ」
『両目や口から絶え間なく流血している状態です。出血は止まる気配がなく、最悪の場合、死に至る可能性もあります』
無数に配置されている小型カメラから、新庄の様子を確認してそう告げるFUMIZUKI。
クソッ…、ただのテキストから武術を取り入れるなんて誰が思う?
それに、奴は恐らく即座にインストールできるものの中から妖瀧拳を抜擢している。
倒すのに手間取れば、剣崎の唾液や日下部の放屁なども取り入れる可能性があるわけだ。
今は余計なことを考えるな。どのみち、奴の動きを止められなければ全員死ぬ。
死にかけの新庄に関しても、もう一度万能薬を投与すれば回復させられるだろう。朧月の能力を使えば、投与はいつだって可能なんだ。
朧月の位置からなら、新庄の具合はすぐにわかるだろう。
彼も自身の能力を使い、Destroyが新庄にとどめを刺す前に、注射針を突き立てようと思っていたはずだ。
D『やはり限界が来ていたようですね。あの赤い液体には治癒の効果があるようですが、そんな強力な効能のある薬に副作用がないとは思えません』
奴が膝を着いている新庄を見下ろしながら、そう言うまでは…。
両手に注射器を持った朧月はDestroyの発言に対して目を細めた。
新庄の息遣いが徐々に荒くなってきている。
早く投与して奴と距離をとらせたいが、さっきの発言がどうも引っかかるな。
基本的に、僕が造るものに欠陥品はないはずだが…。ハッキングによる邪魔が原因ではあるが、臨床試験には失敗している。
実際にした投与はあれが初めてで、2回目はFluidとの戦いで軽傷を負った剣崎に…。
まだ試行回数が少ない分、奴の言った副作用などについては不明瞭なことが多い。医学に手を出したこと自体、今回が初めてでもあるからな。
立ち止まっている朧月に、“ハッタリだから迷わず投与しろ”などといった指示を簡単には出せない。
D『分析した結果、元は不知火真羽の血液と出ました。他人の血液は基本的には猛毒。何かしらの手段で治療薬として使用できるようにしたのでしょうが、何の副作用・副反応もなく使えるということはなかったようだ。新庄篤史、貴方の金属バットは私の妖瀧拳を完全に受け流した。貴方の状態は治療薬の過剰摂取が原因でしょう』
どうやら、口から出任せではないようだ。
万能薬をこちらが使い続ければ殺害は不可能だと踏んでのハッタリであってほしかったが…。
Destroyは拳をゆっくりと上に持っていきながら、続けてこう言った。
D『現在、投与済みの者は2名。剣崎怜と比べて、貴方の身体に対する治療薬の血中濃度は2倍程度と計測。使えるのは1人につき1回のみ。計算は実に簡単です。1人につき、私は最大で2回殴ることになる。吉波高校の敷地内にいる生存者を全員抹殺すると仮定して、最大で20回ほど打撃を加えれば任務は完了です』
これが絶対的強者の余裕なのか。
全てを語った上で、奴は目の前にいる新庄に向かって拳を振り下ろした。
ドンッ…!
…………。
新庄の頭に拳が当たる瞬間、僕は思わず目を逸らしてしまった。
万能薬の強力な副作用のせいで、かなりまずいことになったな。ハッキングされた後、念入りに試行したり改良する時間がなかったというのはただの言い訳だ。
僕らの生死が懸かっている以上、そういった懸念は徹底的に見つけ出し、解消しておくべきだった。
慢心していたのか…?
今までもそうだ。僕は肝心なところで躓いている。敵が強いとかは関係ない。
“詰めが甘い”。
この半年間でそれに気づくべきだった。今回は負けだ。ここで僕らの人生は幕を閉じるだろう。
僕が鬼ごっこを起こしてから、この学校の日常は崩れ去った。
悪いな、こうなったのは僕のせ……、
『早く指示を出してください。皇尚人の作戦を彼らに伝えて遂行しましょう』
グラウンドから目を逸らしたままの僕に声をかけてくるFUMIZUKI。
何を言っている? 万能薬のデメリットによって、勝ち目はなくなった。
動きを止められたとしても、奴が暴れることでしがみついた奴はバラバラになるかもしれない。
『今のこの状況、勝算はあると思います』
淡々としたFUMIZUKIの音声。
嘘や社交辞令を言うようなプログラムはしていない。本当のことしか言えないこいつがそう言うのなら…。
僕はゆっくりと顔を上げ、再びグラウンドへと目を移した。
D『まさか、生きていたのですか?』
表情は変わらないが、驚いたような声を出すDestroy。
奴は、新庄との間に割って入り自身の拳を両手で受け止めている壮蓮さんを見据えていた。
あの威力の殴打を何度も喰らったのに、まさか生きていたとは。顔面はボコボコになっているが、奴の攻撃を止める体力は残っているようだ。
壮蓮『数回殴った程度で死ぬほど人間は脆くないぞ。保護者の前で、子どもたちを20回も殴れると思うなよ?』
全身を力ませながらも、奴の拳を止めている壮蓮さん。
勝算があると言った理由がわかった。
一応だが、Destroyは彼によって動きを止められている。
新庄『お……おっちゃん………』
今にも死にそうな声で新庄は自身を守った壮蓮さんを呼びかけた。
壮蓮『よく戦ってくれた。今まで気絶してしまっていて不甲斐ない。後はこっちに任せて安静にしていなさい』
Destroyを睨みつけながら褒める壮蓮さんに対し、あいつは首を傾げた。
新庄『おっちゃん………整形失敗したのか?』
壮蓮『…………。』
拳を止めたまま膠着状態の1人と1体。
傍観している場合じゃない。早く皇の作戦を伝えなければ…。
皇『おい、嫌な予感ってのは気のせいだ。コーラ飲みすぎてゲップが込み上げてきてるだけだったぜ♪ 文月、今がチャンスだ。全員で奴にしがみつけと直感が言っている!』
おどおどしていたが、一瞬でいつもの笑顔に戻る皇。
僕は意を決して、イヤホンに手を当てた。
こいつがそう言うなら、自信を持って彼らに指示を出せる。
「全員……いや、したい奴だけでいい。壮蓮さんと一緒に奴の動きを完全に止めてくれ」
現在、グラウンドで傍観しているのは、朧月、獅子王、剣崎、的場……そして、最後にとどめを刺す鬼塚の5人だ。
鬼塚以外の彼らが僕の指示を聞いて、顔を見合わせていると…。
ドンッ!
思い切り蹴り飛ばすような爆音と共に、地面に落ちていた灰色のジャージが消える。
ふっ…、やはり生きていたか。
服が脱げてしまったから、体育館倉庫の裏にでも隠れていたんだろう。
火葬の熱に耐える肉体が、あの程度の爆発で燃え尽きるとは思ってなかったぞ……男虎先生。
灰色のジャージを走りながら一瞬で着た彼は、常人離れした速さでDestroyに迫っていった。
流石は龍風拳の達人。50メートルを2、3秒で駆け抜ける勢いだ。
男虎『聞こえたぞぉ! 生徒の助けを呼ぶ声があぁ! あいつを止めれば良いんだな!』
相変わらず暑苦しい上に助けを呼んだ覚えはないが、今は男虎先生の力も必要だ。
D『増援ですか…』
彼の大声に反応し、振り向くDestroy。
わざわざ大声を上げたせいで、気づかれてしまったな。黙ってあの速さで接近すれば気づかれずに押さえつけられたかもしれないのに。
Destroyの右手の拳は壮蓮さんに押さえられていて恐らく動かせない。
奴は空いている左手を広げ、手の平を上にした状態で男虎先生の方へ指先を向けた。
D『邪魔をするなら抹消します__石穿雫突』
ドッ……!
そして、軽くその手を前へと突き出した。
石穿雫突は本来、指先を相手の身体に当てることで内臓に大きな振動を与える技だが、まだ距離はかなり離れている。
だが、奴にとって距離など関係ない。そのイカれた破壊力で全てを消し飛ばすからだ。
武術を習得したのは人間の内蔵に損傷を与えるためにではなく、単により高い威力を引き出すため。
男虎先生がいくら龍風拳を達人級に使いこなせるとはいえ、まさか風圧で殺されるとは思いもしないだろう。
距離があっても危険だと伝えたかったが…。
男虎『ふんっ…!』
バシッ…!
その必要はなかったようだ。彼が風圧にやられるという心配すらもな。
男虎先生は、Destroyが左手を突き出した直後、走りながら手を払い上げるような動作をした。
D『妖瀧拳が相殺された?』
鬼塚の特質を所有している自分に絶対的な自信があったのか、相殺されたことで初めて動揺した様子を見せるDestroy。
男虎『銀色くん、君がしているのは妖瀧拳じゃない! ただ手を前に出しているだけだ。基本の“き”すらなってない。武術の心得を弁えるところから始めろバカタレがあぁ!』
いくら力の差が歴然だろうが、武術においては男虎先生の方が長けている。
あまり武術を冒涜しないほうがいい。
ただテキストを読み上げて真似した付け焼き刃な武術とは、練度が圧倒的に違う。
あまりにも愚かな奴だ。石穿雫突の威力に依存せず、普通に殴っていれば良かったものを。
生徒を殺そうとしていることに怒っていたのか、彼は暴言を吐きながら左腕にしがみついた。
一応、こちらの指示は伝わっているようだ。理解してくれて幸いだ。
これで奴の両腕は塞がれた。
そして、Destroyの背後から走ってくる獅子王が目に映る。
獅子王『とりあえず、動きを止めれば良いんだな? 信じるぞ、文月!』
彼はそう言いながら、奴のすぐ後ろに迫ったところでこう叫ぶ。
獅子王『唖毅羅あぁ!』
一回り大きいゴリラに変身した獅子王は奴に後ろから飛びつき、有効かはわからないが、その豪腕で首を締め上げた。
右腕は壮蓮さん、左腕は男虎先生。そして、上半身はゴリラとなった獅子王が封じ込めている。
両脚はまだ空いている状態だが、動き出さないところを見れば、彼らで充分押さえ込めている可能性も。
この状態で鬼塚に指示を出すのも良いが、本当にこれで大じょ……、
樹神「あぁ~~~れえぇ~~~~!!」
イヤホンを介して鮮明な音声が聞こえ……いや、違う。
これは直接、僕の耳に届いた樹神の肉声だ。
ちょうど真上から聞こえてきたと思った瞬間、彼は上から真っ逆さまに落ちてきた。
「………は?」
あまりに唐突な出来事に言葉が出ない。
ズボッ!
こいつは保健室のすぐ外のコンクリートに頭から豪快に突き刺さった。
なるほど、ようやくお前もやる気になったようだな。敵の強大さに気づいて当事者意識を持ったに違いない。
ゴゴゴゴゴ………
樹神の頭がコンクリートに突き刺さった瞬間、地鳴りの音と共に地面が揺れ始める。
そして、グラウンドを囲っていた今は機能していない黒いブロッコリーを内側から突き破るように赤い50メートルを超える巨大ブロッコリーが咲き誇った。
緑花帝国・血戦革命。
赤いということは、相当キレているということだろう。
夢の中でパチンコに負け続けた腹いせをDestroyにぶつけるつもりか。
樹神『お前がイカサマパチンコ店のオーナーかあぁぁ!! ママから貰ったお小遣い、返せええぇぇ!!』
あのブロッコリーから発せられているのかはわからないが、グラウンド中に樹神の怒号が響き渡る。
かなり理不尽な怒りだが、Destroy相手なら何でもいい。
シュッ………。
バチバチバチバチバチ……!
そして、グラウンドを囲っている大きなブロッコリーから枝分かれした全ての赤くてしなるブロッコリーがDestroyの下半身に巻きついた。
よくやった、樹神。
そういえば、お前には色々と借りがある。
“とつぜんステーキ”に加えて、“21アイスクリーム”も奢ってやらなければ。
これで奴の全身を固定した。
ガキンッ!
充分だと思ったが、最後に力を振り絞って新庄も立ち上がり、金属バット“轟”を奴の右肩に押し当てた。
新庄『おっちゃん、俺も最後まで戦うぜ。こいつでラストなんだろ? こいつを倒せば終わるんだ。だったら、最後まで踏ん張るしかねぇよな!』
恐らく金属バットを握るあいつの手に力はこもっていない。もう立っているのが不思議なくらい危篤な状態かもしれないんだ。
さっさと鬼塚に倒してもらって、“RealWorld”に匿った人たちを戻し、一刻も早く病院に搬送しなければならない。
僕はイヤホンに手を当てて、鬼塚に最後の指示を出す。
今日、何度このイヤホンに触れただろうか?
「準備は整った。鬼塚、Destroyへの攻撃を許可する。コアは頭部にある。問題ないと思うが、必ず一撃で仕留めるんだ」
鬼塚だけじゃない。今、動きを止めている彼らにも伝えないといけないことがある。
「そして、鬼塚が王撃を放つ瞬間、全員一気に離れてくれ。彼の本気の攻撃は計り知れないからな」
全員、動きを止めるのに必死で、返事や反応はなかったが伝わってはいるだろう。
相変わらず自信のなさそうに立っている鬼塚は、1度深く息を吐いてからDestroyに向かって走っていった。
これで……これで長い1日が終わる。
作戦は思った以上に順調に進んだ。
何も……何も起こらなければ良いんだが…。
どうも……どうも胸騒ぎがしていたんだ。




