恐霊 - 朧月 悠②
「君の本来の人生を壊してしまったかもしれない」
とてもゆっくりと襲いかかってくる氷堂に背を向け、僕は彼の話に耳を傾けた。
どうして、僕の人生を壊したと彼は思ったのか。
結論から言うと、彼が見え始めた頃から僕は憑かれていたんだ。
“BREAKERZ”の人達の言葉を借りると、僕は神憑ってことになる。
こっちにやって来た神様が人に憑く理由についてもこのとき聞かされた。
多分、高校で出会った日下部って人に憑いてる神様も同じような理由だと思う。
彼が僕に憑くことで、僕は彼が見えるようになった。
普通の人だと思っていた僕は彼に話しかけたことで、みんなに怖がられたり施設を転々とさせられたりと散々な目に遭っただろうと彼は言う。
自分が憑かなければ、僕には普通に友達ができて怖がられることはなかった。里親になってくれる人も簡単に見つかったかもしれないと…。
「それは………違うよ…………」
執拗に謝ってくる彼に対して、僕は首を横に振る。
元々、感情に起伏がなく人に関心がない性格だったから彼がいなくても変わらなかったと思う。
彼は人じゃないのかもしれないけど、僕が初めて興味を持てた“もの”だったんだ。
「君は…………友達だよ。これからも………よろしく」
僕はそう言って、彼に手を差し伸べた。
「良いのか? 君にこのまま憑いていても…。はっきり言って、私は利己的な理由で憑いたんだ。私の身勝手な行いで君に迷惑をかけている」
何かよくわからないけど、僕に対して悪いと思っているらしい。
最初は人間の都合なんてどうでも良いと思って、たまたま近くにいた僕に力を注いだ。
だけど、僕と遊ぶ内に親しい気持ちが湧いてきて後悔したと彼は語る。
そして1度注いだ力は、彼1人では戻せない。僕が今まで声を聞き取れなかったため、こういう説明もできなかった。
声が聞こえなかったのは多分、子どもの頃の僕が完全に認識できてなかったからだと思う。日下部って人も神が見えるようになったのはつい半年前だって言っていたし。
僕は、今度は首を縦に振ってこう返した。
「うん………君は……これからずっと………何があっても………僕の友達だよ」
彼は少し身を退きながら、口元を不器用に緩ませる。
「あ、ありがとう。ならば、私も何かお返ししないとな。とりあえず……」
そして、何かを言いかけて目を瞑ったかと思ったら……、
「…………え?」
彼は忽然と姿を消したんだ。
突然の出来事に僕は戸惑いながらも、辺りを見渡して彼を探す。
“__こっちだ。左の手首を見てくれ”。
…………! 妙な感覚だ。
耳から入ってきた声とは違って、頭に直接響いてくる感じといえば良いのかな。
僕はその声に言われた通り、自分の左手首に視線を移した。
腕時計…?
着けた覚えはないというか、今の時代はスマホで見えるから時計なんて持ってないんだけど。
“__自分が常に後ろから着いてくるなんて目障りだろう。後、密着していた方が力を共有しやすい気がするんだ”。
なるほど、神様の力か何かで腕時計になったんだね。多分これも僕以外には見えないんだろう。
この時、もちろん僕は神様の力の使い方なんて知らない。そして、それは彼も同じだったんだ。
人に自身の力を注いで憑くのは初めてで、手探りなところがちょくちょくあった。
お互い感覚を一気に掴んだのは、後に起こる第2次学生大戦での戦い。
力を使って上の神様に目立ちたくなかった彼と、神様の力にそこまで興味のなかった僕だから、あれが起こるまではほとんど使わなかった。
“__君が必要とする時、私の力を存分に使ってくれても構わない。もう上を怖がってはいられない。憑かせてもらっているのだから、それくらいの恩は返したい”。
腕時計となった彼は、続けてそう言った。
でも、使いどころなんてあるのだろうか? ここは別に紛争地域じゃないし、明日の命も全然保証されている。
昔ならカツアゲとかあって、いきなり殴りかかられることもあったかもしれ…、
僕は考えるのを1度止めて、後ろに振り向いた。
目を剥き出して、口を“い”の形にしながらゆっくりと襲いかかってきている氷堂が目の前に。
確かさっき“殺す”って叫びながら走ってきたから、“死ね”的なことを言おうとしているんだろう。
彼との話に夢中になっていてうっかりしていた。
そうだ、僕は今殴り殺されようとしているんだ。
だいぶ長く話していたみたい。これだけゆっくりでも、もう拳がそこまで来ている。
つまりは…、今が使いどころというわけか。
「早速………使っていい?」
僕は腕時計に目をやってそう話す。
“__いや、恐らくもう使っている。君は今、自分に流れる時間をとばしているんだ”。
これはあくまで彼の予想。彼の力を僕は自分の時間をとばすという形で使用しているらしい。
まぁまぁ説明が長くなりそうだと思った僕は、ゆっくりと迫る拳に当たらないよう2、3歩ほど距離をとってから腕時計に耳を傾けた。
“時間をとばす”というのは、どういうことなのか?
彼は時間に関係する神の1柱。
それもあってか、僕が使う力も時間に関するものなんだ。
時間の流れというのは、時の神たちが関与しない限り、みな平等に流れる。
だけど、“時間”というものは1つじゃない。
大きな時間がドンとあるんじゃなくて、この世界の各物質や要素に1つずつ存在していると彼は語る。
例えば、僕の時間と殴りかかろうとしている氷堂の時間は別物なんだ。
基本的に流れ方は同じで、普通に生活をしていれば違和感を感じることはない。
つまり、違和感どころの話じゃない不思議な感覚を味わっているこの状態は時の神の力がそうさせている。
僕に流れる時間を、氷堂やこの世界にあるあらゆる物質に流れる時間より早くしているって感じ。
周りよりも時間を飛ばすことで、相対的にゆっくりと動いているように見えるんだ。
「じゃあ………もっと時間を……飛ばせば……完全に止められる?」
“__それは止めておいたほうが良い。なぜなら…。とりあえず、彼を軽くつついてみればわかると思う”。
説明するより実践でってことだね。
僕は拳を振りかざす彼の額に、人差し指を軽くとんと押し当てた。
“__これで1度、時間の流れを戻してみよう”。
「…………!」
彼がそう言った瞬間、今まで通りの音や空気の感覚が戻ってくる。
そして…、
ドンッ!
氷堂の身体は額を軸に後方へ吹き飛んで、コンクリートの地面に叩きつけられた。
当たり所が悪かったのか外傷はないものの、彼は気を失って動かなくなる。
“__やはり、時間の流れと物理的な法則は紐付けられているようだな”。
軽くつついただけで人が吹き飛ぶなんてありえない。“時間の流れ”の差には、“物理の速さ”が関連してくると彼は解釈した。
仮に僕が時速100キロの車に乗った状態で、歩いている人をつつけばどうなるだろうか? 同じつつくという動作でも威力は変わってくる。
“__完全に周りを止めるくらい時間の流れを早くするということは、光の速度を超えて動くのと同じ。その状態で人間の君が1歩を踏み出せば、地球は崩壊するだろう”。
「だったら………迂闊に………使えない」
僕は物理的な計算が一瞬でできるわけでもないし、神の力を理解して使いこなせるわけでもない。
1歩使い方を間違えれば、悲惨なことに…。
“__そこは私が調節する。君は力を使いたいときに、一言こう言えば良いだけだ”。
“とばして……と”。
尼寺「ひ、氷堂! よ、よくも……!」
伊集院「覚悟しろ。呪いだろうと人外だろうと、仲間を傷つけた相手に容赦はしない!」
彼ら2人は、身体を大きく震わせながらも僕へ向かってきた。
さっき言われたようにあの合い言葉を僕は口にする。
「早速………とばして」
…………。
僕は再び、音や空気をほとんど感じないこの世界へ。
さっきと同じように、2人の動きもゆっくりになる。
「僕が……怖がられるのも………君の力?」
“__私は時間以外の要素に関わってはいない。それに私でさえ、君を怖いと思うときがあるんだ”。
じゃあ、みんなから怖がられるのは彼のせいではなさそうだね。
2人は本当に少しずつだけど、こちらへ走ってやって来ていた。
この速さなら、僕のところへ来るまでに途方もない時間がかかりそうだ。
僕から向かおう。そっちの方が早い。
僕はゆっくりと動く彼らの元へ。
そして、地面を踏み込んだ彼らの軸足を、自分の足の甲を使って少し浮かせた。
多分、こうすればバランスを崩して転倒すると思うから。
僕は2人の浮いた軸足を確認し、腕時計の彼にこう言った。
「いいよ、戻して」
…………。
音や空気を感じ、元の世界へ戻ってきたんだと実感する。
尼寺「き、消えた!?」
伊集院「あ、足が…!」
ドサッ!
やりすぎたかな…。
彼らは受け身をとれず、地面に顎を打ちつけた。
コンクリートの上で転倒した彼らは、見かけ以上にダメージを負っていると思う。起き上がれる状態じゃない。
伊集院「いつの間に…。な、何を……したんだ」
身体を打ちつけた伊集院は頭だけを持ち上げて、僕を下から睨みつけてくる。
後に高校で出会う彼ら“BREAKERZ”から神出鬼没と言われるのは、こういうことなんだろう。
僕から見れば相手が遅くなる。逆に相手からすれば、突然消えて現れるように見えるということ。
そして、よくわからない攻撃を喰らったという認識だけが残る。
高2の冬に戦うことになる“EvilRoid”のFluidやPlantも僕に何をされたかわかっていなかったみたいだし。
彼らに対してやっていることも今と根本的には同じ。ナイフを持った状態で時間を飛ばし、淡々と捌いていた。
体力はあまりない方だから、かなり疲れたけどね。
僕は歯を食いしばりながらも、立ち上がれそうにない2人に背を向けた。
さぁ、施設に帰らないと…。
そう思って前へ進もうとしたんだけど、前方から嫌な気配を感じて足が止まる。
誰かがこちらに来ている?
コツコツコツ……
静かなこの場所に1つの足音が響き渡る。人影が薄らと見えているけど、まだ姿は見えない。
ちょうど前方にある街灯にその人物が照らされたとき、中学生だった僕ははっと息を呑んだんだ。
年齢は多分、40代くらい。身長は170センチ程度で細身だけど筋肉質って感じ。
短い金髪のツンツン頭に金色の顎髭。薄暗い中でも輝く複数のピアスは、耳たぶだけに留まらず、口や鼻にも貫通している。
両手の5本指には厳つい髑髏などがデザインされている銀色の指輪。そして、歩くたびジャラジャラと音を立てる鎖のようなネックレス。
僕は前方からやって来る大人の男性を見て戦慄した。
あれは本当に怖い人だ。ヤンチャな氷堂の比じゃない。拳銃の1つや2つ持っていてもおかしくない風貌だ。
そして……、何だろうか?
よく見ると、彼は黒いオーラのようなものを纏っている気がする。オーラというか煙というか。
“__あれは…!”。
腕時計の彼も怖がっているみたいだ。
金髪の大人はニヤリと笑って何かを言いかけていた。
「よぉ、か……」
“__悠! とばすぞ!”。
あの人が“か”から始まる何かの言葉を言おうとしていたのは多分間違いない。
腕時計の彼の“とばす”という声が脳に届いた後、どうなったかを覚えていないんだ。
気づけば僕は、今いる施設の自分の部屋にいた。
今思えば、あの黒いオーラ…。
羽柴先生に纏っていたものと同じだと思う。
僕や日下部みたいな人を“神憑”っていうのなら、羽柴先生やあの人の力は別の何かな気がするんだ。
__________________
「そういえば………君の名前……」
僕は施設に着いてから、今日初めて話せるようになった彼に名前を尋ねた。
“__神に名前なんてないよ。呼びたいように呼んでくれれば”。
そう応える左手首に着いた腕時計の彼。
うーん…。
僕は首を少し傾けて考えた。
名前なんて付けたことがないから、結構悩んでしまう。
彼は時間の神だと言っていたから……、
「時神…………で良い?」
“__では、それで”。
名前って、意外とあっさり決まるものなんだね。
僕はこの日から彼のことを“時神”と呼ぶことにした。
コンコン……
「朧月くん、今お話し大丈夫かな?」
この施設の人の声だ。
特に用事をしていなかった僕は、無言で立ち上がりドアを開けた。
部屋の前で彼女は僕に申し訳なさそうな顔をして、話を始める。
「あのね……、この前来てもらったばかりで悪いんだけど……」
簡単に話すと、僕は別の施設を移ることになるらしい。
やっぱり、みんな僕のことが怖いみたいなんだ。最近は時神とも話してなかったんだけど。
「そこでね、1つ提案があるんだけど聞いてくれる?」
申し訳なさそうにしていた彼女の表情は少しだけ明るくなり、僕にそう聞いてきた。
「どっちでも………」
聞くか聞かないか、本当にどっちでも良かった僕はそう返す。
「はは……、じゃあ、聞いてね!」
彼女は僕の反応に、苦笑いを浮かべながらも提案について話し始めた。
「田舎で過ごしてみない?」
僕がどの施設にも馴染めない理由を、彼女は場所のせいかもしれないと思ったらしい。
人の多い都会が苦手な人もいれば、逆に虫の多さや花粉症などで田舎が苦手な人もいる。
僕の感情を豊富にしたり、個性を発揮させたりするには、開放感のある田舎の環境が最適だと彼女は考えた。
正直、僕は……、
「どっちでも良いです」
どっちでも良かった。遠い田舎に移っても、近くの施設に移るのも…。時神が着いてくるならどこでも良いんだ。
こういう経緯があって、僕は田舎の施設に移り、高校受験もその地域にある偏差値普通の高校を選んだ。
僕自身は高校にもこだわりがなく、ネットで調べてたまたま出てきた吉波高校を受験したって感じなんだけど…。
今思えば、何らかの力によって引き寄せられたのかもしれない。
特質や神憑が集まってきているような気がするんだ。
こういう下りがあって、僕は吉波高校に入学した。まぁ、住む場所は関係なかったみたいで、こっちでも怖がられているみたいだけど…。
ちなみに、新庄や剣崎を一瞬で移動させてるのは人力だよ。
自分の時間をとばして、移動させたい人や物を担いで運んでいる。
どうしてかわからないけど、とばしている間は人1人くらいなら軽く持ち上げられるんだ。
大前提として、これは神の力だから一般常識に当てはめて考えないほうが良いかもしれない。
これだけの力を持っていて、なんで鬼に捕まったのか気になるって?
あれは僕のせいじゃない。
大して速くない鬼に、実質最速で動けるはずの僕が捕まったのには最悪の理由があったんだ。
僕もあの時、放課後の放送を聞いていて、その後すぐに鬼が教室に入ってきた。
最初はとばそうとは思わず、様子を見ながら普通に走って逃げたんだ。
時神が力を使えば目立つかもしれないって言ってたから。
確か教室を出て廊下を走っているとすぐに挟み撃ちにあったんだっけ。
そこで僕らは時間をとばした。
当然、鬼の動きはゆっくりになる。
難なく掻い潜って、廊下から外へ出ようとした時、ある人物が捕まっている現場に遭遇してしまったんだ。
ここは音や空気がない世界じゃない。そんな感覚になるってだけで…。
階段を降りて、左に曲がると鬼に髪を掴まれている人の背中が目に入った。
「アアァァフウゥロオォブゥレエエエェェェェイイィクウゥゥ~!!!」
僕はその言葉を耳にした瞬間、卒倒したんだ。
ただでさえ、面白い言葉だったんだろう。普通に聞いた人達はみんな爆笑してのたうち回っていた。
そんな言葉を僕は超スロー再生で、しかも目の前で聞いてしまったんだ。
“__悠! 起きろ、立つんだ! 鬼が……鬼が大量に来ている…!”。
僕は背中を地面に打ちつけながら時神の言葉を聞いた。
ここで意識を失い、気づけば他の生徒たちと一緒に牢へ入れられていたんだ。
まぁエアコン効いてて、食事もあるし、風呂やトイレも自由だったから、人質生活に不満はなかったんだけどね。
本当に情けない捕まり方をしたと思っている…。
後は、Plantのコアを的場の弾で撃ち抜いた時、僕が何をしたのかかな。
あれは単純な話。
時間をとばして、コアに迫っていく銃弾を後ろから思い切りデコピンして加速させただけ。
コアを撃ち抜いて、Plantを撃破したのは良いんだけど…。
同時に新庄が血を吐いて倒れてしまった。
多分、あの毒を吸ったから。僕も少し吸ってしまっていて実を言うと、頭が痛い。
“__悠、大丈夫か?”。
このゆっくりと流れる世界で、僕の容態を心配する時神。
僕は校舎の方へ目をやり、彼にこう返す。
“__行こう………時神”。
僕はナイフを持って、Undeadの増殖体の群れに飛び込んだ。




