2日目 - 剣崎 怜②
黒い彼らは何者なのだろうか。
彼らの大半は体育館へと向かっていて、残りの数十体はこちらへ向かってきている。
もしかして私に用でもあるのか?
黒い者たちとの面識は全くもってないが。言葉が通じるのなら話してみてもいいかもしれない。
何も得体の知れないもの全てが自分に害を及ぼすとは限らないからな。
パリィーンッ!
そんな悠長なことを考えていると、教室の窓ガラスが割れ、黒い者が5体ほど入ってきた。
ここは3階であるぞ? まさか、上ってきたのか?
近くで見てわかったが、やはり彼らは人間ではない。そして、このような乱暴な行い。
前言撤回する。彼らは私に危害を及ぼす存在であろう。
黒光りしている正体不明の生物。言葉は通じそうにない。
廊下の方からも金属のような音が迫ってきている。彼らの足音か。
窓から入ってきた5体に対し、廊下側には恐らくそれ以上の数がいると思われる。
さぁ、どうする?
恋愛ゲームで培った会話力は言葉が通じなければ意味がない。
オタ芸で鍛え上げた身体能力も巨躯な彼らの前では無力。
そう考えているうちに窓から来た5体に囲まれてしまった。私は後ずさり、背中は黒板とくっついた状態に…。
時に判断の遅さは死に繋がる。考えるより先に動くべきだったか…。チョークを剣、黒板消しを盾にしたところで逃げられはしない。
万事休すか…。私は彼らに頭を捻り潰されて生涯を遂げるのか。
いいや、まだ一つ秘策がある。
これは皆の衆から嘲笑われるであろう手段になる。しかし、命の危機に瀕している今はやむを得ない。
私は生まれつき、代謝の影響か唾液の分泌量が常人より途轍もなく多く、誰よりも粘かった。
小学生の頃は加減ができず、ただ話すだけでドロドロとよだれが出てしまうせいでみんなから避けられていたのだ。
人と話すことが億劫になり心を閉ざしていたこともある。
だが、今となってはこの唾液の分泌量を完全に抑えることができるように。
更に恋愛ゲームでコミュニケーションを学ぶことにより、それなりに話せるようになったのだ。
抑えることができるということは即ち制御できるということ。
今までは抑えることしかしなかったが、大量に分泌させることも可能なのである。もちろん粘さもある程度、調節可能。
彼らに私の最大級に粘い唾液をかけて動きを封じる。これが最後の秘策だ。
私は大量に唾液を分泌させるため、自身の舌を歯に挟んで引っ込めた。
口の中で唾液が一瞬にして溢れるのを感じる。
飛距離をなるべく伸ばそうと、少し後ろに仰け反った。
「喰らえ……、粘縛唾液」
技名は今、思いついた。中々良いだろう?
口に目いっぱい含んだ粘い唾液を彼らに向けて思い切り飛ばす。
その工程を必死に繰り返した。
何回かけたのだろうか? 気づけばこちらに迫ってきていた5体の動きが止まっていたのだ。
正確には動こうとしているが、私の粘い唾液に包まれて身動きがとれない状態だ。
命は助かった。私は恥を捨て生きることを選んだのだ。
廊下側から聞こえてくる金属の音が大きくなってきている。早く外に出たほうが良さそうだ。
廊下に出ると、そこは彼らの黒色で埋め尽くされていた。いったい何体いるんだ?
大量の黒い者が私を狙って迫ってくる。普通に走っても追いつかれるだろう。
怪我を覚悟で窓から飛び降りるか、それとも……、
彼らの絶妙な合間をすり抜けるか。
ふっ……無難に窓から飛び降りたところで、どうしようもないことはわかっている。
怪我をして動けなくなれば私の人生は終焉を迎えることだろう。
ならば、後者の手段だ。普通に走ればかなりのリスクになるが、私なら…。
………さっきも言ったが、もう恥は捨てた。それに今、この学校には誰もいない。
「君たちに、私の唾液の力を存分に披露してあげよう」
私は自身の唾液を足元に垂らした。靴の裏が唾液でドロドロになっていくのがわかる。
何をするのかって?
普通に走れば間を潜り抜ける前に掴まれてしまう。だから、高速で滑って逃げるのだ。
“唾液滑走”
これも今、思いついた名だ。我ながら中々センスがある。
滑りやすい唾液を分泌し、靴の裏に垂らしたのだ。
それにしても、かなり滑る。時速100kmくらい出てるか?
その速度で彼らの間を何とか掻い潜り、一瞬で置き去りにする。
君たちは反応して手を伸ばしたが、私の方が格段に速かったようだ。
この速さで滑ってぶつからないのかって?
問題ない。私は格闘ゲームをやっていて動体視力を鍛え上げている。
これくらいの速度、はっきり言って止まって見えるのだ。
このまま外に出るとしよう。
廊下の突き当たりにある1階に続く階段が見えてきた。
速度を維持したまま壁にぶつかるすんでの所で旋回し、手すりに乗って滑り降りる。
それにしても何て滑稽な恰好なんだ…。
自分の唾液を足の裏に塗ってスケートをしている姿など…。同級生に見られたら私の高校生活は確実に終了するであろう。
今逃げ切ったら、これらの技は見られないうちに封印しなければ…。
………ぃ。お…。
「おい!」
ん? 何だ?
後ろから声がしたので、私は滑るのをやめて振り返った。
「お前、生き残ってたのか!」
この者は確か、覚えやすいはずの私の名前を幾度となく聞いてきた金属バットの不良。
私と同じく登校していたのか。
ちょっと待て…。いつからだ?
一体、この忘れん坊将軍はいつから後ろにいたのだ?
終わった…。見られてしまったに違いない。私の高校生活は終わってしまったのだ。
「はい。生きてました……」
私は俯きながら、弱々しく生気のない声で返した。
「良かった! 一緒に逃げるぞ! あいつら昨日より数が半端じゃねぇ! 全部、ぶっ壊してやりてぇけど無理だ」
そんな私に対して、忘れん坊将軍は元気もりもりいっぱいと言った具合で喋る。
昨日? 彼らは昨日からいたのか。私が休んでいる間に何があった?
彼が忘れてくれることに賭けるとしよう。そうなれば私の今後も保証される。
強気なのは頼もしい。私は彼と行動を共にすることを決意した。
「了解、校門に向かおう。残念ながら、この学校で出入りできるのはそこしかない」
「俺も同じこと考えてた! 行くぞ!」
私は彼と共に走って校門へと向かう。その際、体育館を横切るのだが…。
私は戦慄した。廊下で見かけた数とは比べものにならないほどの大群。
私たちを見つけるや否や一斉に押し寄せてくる。
「クソッ! やべぇ! もっと全力で走るぞ! 校門まで後ちょっとだ!」
私より少し前を走って先導してくれているのは良いが、私は君に合わせて走ってあげているのだ。
“唾液滑走”なら普通に走るより数倍の速さで移動できる。
ただの金属バットしか持たない君を放って逃げると間違いなく彼らに追いつかれ肉塊にされてしまうだろう。
何かあったら私の唾液で守るために合わせているんだ……なんて言えるはずがない。
校門が見えてきた。校門から出ることはできそうだが…。
どこまで逃げればいいのだ? 学校から出たとしても彼らは追ってくるだろう。
それに彼らは私たちより速く、徐々に距離が縮まって来ている。
果たしてこの不良を守りながら逃げ切ることはできるのだろうか。
キキィーー!
そう思ったとき、校門の前に1台の軽トラが止まり勢いよくドアが開いた。
「急げ! 早く乗れ!」
あれは確か、
水瀬氏。




