増殖体 - 文月 慶⑧
F『よせ、止めるのだ兄者! 弟を殺す兄がどこにいるというのだ!』
剣崎『その問いに答えよう。私の親族に……兄弟を殺そうとする兄や弟は存在しない』
僕は保健室の窓から、剣崎が折れた刀でFluidのコアを両断する光景を見ていた。
無茶はするな、時間を稼ぐだけでいいと言ったが、あの速さで迫られたら勝負を決めるしかない。
男虎先生の龍風拳、的場のエイムショット、朧月による唾刃の対応で死傷者を出さずに勝てたが…。
音速の唾液滑走や尾蛇剣舞に唾刃…。
結果が良かっただけで誰かが死んでいてもおかしくはなかった。
そして、獅子王…。あのゴリラはこの戦いに着いていけないだろう。
水瀬同様にあいつも“RealWorld”内に匿ったほうが良かったか?
それよりも先に、手負いの剣崎を保護しなければ…。
「朧月、剣崎を保健室まで運んでくれ」
僕は右耳に入れているイヤホンを経由し、グラウンドに配置したカメラのマイクに声を流した。
指示が聞こえた朧月と右手を切っている剣崎は、一瞬で僕の目の前に現れる。
そう、これが朧月の能力。“突然、現れては消える”と言うのは強ち間違いではないだろう。
今説明する暇はないが、この能力については彼自身から聞いている。
「礼を言う。グラウンドに戻ってもう少しの間、時間を稼いでくれ」
生気を感じられない不気味な雰囲気を放つ朧月は無言で頷き、消えるようにグラウンドへ戻っていった。
まぁ、僕から見た感じは消えたようにしか見えないんだが…。
鬼塚「文月くん、みんなは大丈夫?」
保健室のベッドに仰向けの状態で点滴を打っている鬼塚が僕の方へ首を傾けた。
ちなみに寝巻姿の樹神は、うつ伏せで死んだように爆睡中。
この2人の治療も“FUMIZUKI”の計算では後20分ほどで完了する。
こいつは無能だから、計算が狂うかもしれないがな。大目に見て30分かかると思った方が良いだろう。
「4体の“EvilRoid”の内の1体、Fluidを撃破した。剣崎が自ら手を切っただけで、他は全員無事だ」
僕が鬼塚の目を見てそう言うと、彼はほっと息を吐き、安堵の表情を浮かべた。
半時間後には鬼塚が復活し、状況は一気に好転するだろう。
それまで精々イキがっていろ、模造品どもめ。
剣崎「文月氏、まるで私がヘマをしたような言いようだが。最初から刀を2本渡してくれていれば怪我をせずに済んだのだ」
僕の目の前で怪我をした右手を左手でわざとらしく撫でる剣崎。
「あんな技があるとは知らなかったんだ。後で文句を言うくらいなら先に言え」
僕が軽く言い返すと、僕を見る彼の目が鋭くなった。
剣崎「私も知らなかったのだ。あれ程までの強敵を相手にするとは。文月氏、先に言ってほしかったのは私の方であるぞ!」
こいつ、なんでこんなに言い返してくるんだ? どっちでも良いだろう。結果的には倒すことができたんだ。
鬼塚「ふっ……良いなぁ」
僕らの下らない言い合いを聞いてか、鬼塚は虚ろな目をして笑う。
鬼塚「こういうちょっとした言い合いができる平穏な学校生活って良いよね…。もう二度と来ないんだろうけど」
僕は彼の発言を聞いて、深く溜め息を吐いた。
鬼塚は、ストレス耐性が余りにもなさすぎる。
いや、知り合いや自分が殺されるかもしれない状況になったらこうなるのが普通か?
前線で活き活きと戦っているあいつらがおかしいのかもしれない。
僕は横になっている鬼塚から剣崎の方へ目を移す。
「剣崎、言い争うのは止めよう。鬼塚が不安定になる」
剣崎「す、すまない。そうであるな。鬼塚氏は今、特質を奪われて治療の最中。心中穏やかでない中、下らない言い争いをしてしまった」
彼ははっとした表情をし、軽く頭を下げて謝った。
一応、こいつも特質を奪われているはずなんだが、前よりも強く見えるのは気のせいだろうか。
音速に対応できる身体能力や剣捌きは、努力で獲得できる範疇を超えている。
神憑の能力だと言っても、誰も疑いはしないだろう。
そして、半年間のオタ芸という名の努力で人間を超えた彼にプレゼントだ。
僕はポケットから赤い液体の入った1本の小さな注射器を取り出した。
「剣崎、これを使え」
この注射器の長さはだいたい僕の人差し指と変わらない。
剣崎「これは……何であるか?」
彼は注射器を受けとって、まじまじと見つめる。
赤い液体と聞いて何となくわかる人もいることだろう。これは…、
「簡易版の万能薬だ。それを投与すれば傷は塞がる。お前の唾液も1度くらいなら使えるようになるはずだ」
僕の言葉を聞くや否や、彼はすぐさま簡易版万能薬を腕に投与して、傷が塞がった右手で半分に折れた刀を拾い上げた。
そして、折れた刀身を少し見つめてから、僕の目を見据える。
剣崎「文月氏、今、この保健室に護衛はいないが、安全であるか?」
「ああ、ここは安全だ。護衛は今のところ必要ない」
最初は護衛が必要だと思っていたんだが…。
僕は保健室の端で倒れている小林と辻本に目をやった。
“EvilRoid”たちはこの2人を巻き込むような攻撃はしてこないと思われる。そういう風にプログラムされているのかは知らないが。
こいつらは実質、人質だ。
もし巻き込んでも良いと奴らが思っているのなら、Destroyの一撃で校舎ごと吹き飛ばしてくるに違いない。
仮に手加減をして戦いを愉しんでいたとしても、鬼塚に復活されるのだけはどうしても止めたいはずだ。
証拠として、Fluidは治療を開始する直前に僕を殺そうと仕掛けてきている。
「つまり、辻本と小林が人質として使える間、ここは安全というわけだ」
僕がその旨を伝えると、彼は真剣な表情で深く頷き、グラウンドの方へ身体を向けた。
Fluidを破壊してから奴らに動向はなく、獅子王らと向き合って膠着している状態だ。
的場『時間稼ぐだけで良いって? いや、俺たちなら全員倒せるじゃろ!』
グラウンドに配置した小型カメラのマイクからイヤホンに音声が流れてくる。
沈黙を破ったのは機関銃を担いだサッカー少年、的場。
「それ以上、無理はするな」
僕は右耳のイヤホンに手を当てながらそう言って的場を制止する。
無理に奴らと戦う必要はない。人質を確保している上に、後少しで鬼塚が復活するからな。
ついでに樹神も…。
「FUMIZUKI、治療には後どれくらいかかる?」
イヤホンに手を当てたまま、今度はFUMIZUKIに話しかけた。
『およそ15分ほどで完了すると思われます』
大目に見て、25分ってところか。
さすがにその間ずっと膠着しているままではないだろう。
やはり応戦は免れないのか…。
D『全員……ですか。その中に私は含まれていますか? だとしたら、貴方たちは余りにも愚かだ』
遠目で少し見えづらいが、Destroyは自分の銀色の身体を撫で回し始めた。
D『この完全無欠のボディが貴方たち如きに敗れるとでも?』
同時にベッドで仰向けになっている鬼塚が身震いする。
鬼塚「文月くん、何だか身体がゾクゾクするよ。これって治療薬の副作用かな?」
横になっている鬼塚に窓の外に映るグラウンドは見えない。
彼の質問に対しては何も答えないでおこう。自分の特質を持った機械が気持ち悪いことをしていると知ると、また不安定になるかもしれない。
不知火「わぁ、気持ち悪~い! 鬼塚みたいなのが、身体ナデナデしてる!」
さっきまでボーッと一点を見つめていた不知火だったが、いきなりDestroyを指さしてそう言った。
このクソガキ、鬼塚の戦意を削ぐな。
剣崎はそんな不知火に対し、何も言うことなく表情を強ばらせて睨んでいる。
半年前のあれの怨恨は、まだ残っているみたいだな。
鬼塚「はは……。あいつら作ったの先生だよね? 僕、ちゃんと授業受けてたのになぁ。理不尽なこと言われても一切反抗しなかったのになぁ! 何の恨みがあってそんな性格にしたんだよ、クソヤロー!」
彼は目と口を限界まで開いて絶叫している。
まずい、鬼塚 琉蓮が壊れてしまった。
だが、彼をあやす余裕はもうないみたいだ。
不知火の特質を有しているUndeadがこう言ったんだ。
U『そろそろ良いかな♪』
僕らは時間を稼いでいた。そして、それは…、Undeadも同様に。
奴はその場にしゃがみ込み、地面に両手をついた。
U『成体変化・無性餓鬼群』
奴を中心に地面からぼこぼこと湧いて出てくる裸体の不知火軍団。
元々の体型かもしれないが、1人1人が痩せ細っていて出てきた奴らに意思はないのかうろうろと彷徨っている。
そいつらは膨大に増え続け、グラウンドの半分程度を覆う数となった。
的場『退け! 退くんじゃ! 襲われるかもしれんぞ!』
それに伴って、獅子王らも校舎側へ後退。
全身撫で回すのも気持ち悪いが、この技も同等な気持ち悪さがある。
ちなみにだが…、コンプライアンス的にまずいのか裸体の奴らにあれはついていない。
いや、そんなふざけたことを言っている場合じゃない。
この数、どう処理をすれば…?
Undead本体が群れの中から先頭へ顔を出した。
U『時間稼ぎ、ありがとね! 足の裏から細胞を分裂させて徐々に仕込んでいたんだ。さぁ、もう逃げ場はないし、時間稼ぎもできないよ?』
まさかあいつら、人質関係なく保健室にも突っ込んでくる気か?
クソッ……どうする? 的場たちに応戦させたところでこの数は厳しい。
奴らに捕まえられたら最期、四肢を引き裂かれて殺されるだろう。
的場『獅子王! 何しとんじゃ! 戻れええぇぇ!』
的場が声を荒げたところで僕はあることに気づいた。
撤退する彼らの中に獅子王がいない。
杖をついている僕は足を引きずりながら、保健室の窓へ近づき、グラウンドを見渡す。
あいつは無数の不知火軍団の目の前で立ち尽くしていた。
「獅子王、早く下がれ」
クソッ、何をしている?
僕の指示を聞く様子はなく、彼は両手に拳を握り締めてぽつりと呟いた。
獅子王『あのときの雪辱を晴らすチャンスなんだ……』
なるほど、そういうことか。
あのとき不知火と戦った奴らは何かしらの思いがあるらしい。
特に獅子王は空が曇っていたせいで何もできなかった。
U『ん? 逃げないの? 自殺志願者~?』
理解できないといった様子で群れの先頭にいるUndeadは首をかしげる。
獅子王『神様、ありがとう。今日を……快晴にしてくれて!』
剣崎、日下部、樹神、転校して今はいない立髪もあのときのことについてまだ思うことがあるのだろうが…。
皆が戦っている中、全くの無力だった獅子王の思いが1番強いに違いない。
U『……彼を殺して』
恐らく不知火本人の記憶を引き継いでいないUndeadは何も知らないだろう。
奴が自分の軍団に冷たくそう言い放つと、裸体の飢えた不知火たちは獅子王へと迫っていった。
それに動じることなく獅子王は力強く怒りのこもった声でこう叫んだ。
獅子王『霊長類の神であり善悪見境なく喰らう漆黒の王よ。我の激昂を糧に混沌とした現世界を破滅へと導くべく、今ここに降臨せよ___唖毅羅あ゛ぁぁ!』




