三叉槍 - 日下部 雅⑨
「はっ……! ここは……地面?」
僕の記憶はあの地盤の中から飛びだした辺りで途絶えていた。
気づけば仰向けの状態で、この荒れ果てた日本庭園の芝生の上に寝そべっている。
今日はやたらと意識を失う日のようだね。
「シリウス、僕らは勝ったのかい?」
僕は若干痛みを感じる上体を起こして隣にいるシリウスに声をかけた。
彼は腕を組み、僕の声に反応することなくただ前を見つめている。
うっ……! 何て惨たらしいことを。シリウス、これはいくら何でもやりすぎだ。
同じように僕も前を向いて、視界に飛び込んできた悲惨な光景に思わず目を見開いた。
そこには手足があらぬ方向に曲がって倒れている氷堂と伊集院の姿が…。そして、そんな彼らを尼寺は突っ立ったまま見下ろしている。
シリウス「僕がやったんじゃないよ。雲の上から落ちてああなったんだ」
うん、それは言葉が足りていないね。
恐らく僕が使おうとしていた蟲翬屁で鼓膜を攻撃し、撃墜したんだろうけど…。
“__シリウス、落とすのは良いけど…。どうして着地のフォローをしなかったんだい? 彼らは死んでしまうよ”。
僕は芝生に座り込んだまま、シリウスを見上げて睨む。
シリウス「いろいろと事情があってね。まぁ見ていて。尼寺の力で彼らは復活するだろうから」
彼は変わらず、前にいる尼寺たちを見据えている。
もしかして、尼寺の力を見破った?
僕も大方予想はついてるけど、まさかそんなことで致命傷も治るのかい?
シリウス「憑いている神の種類と神憑の能力はあまり関係がなかったりするんだ。僕らはとても良い例だね。言うとややこしくなりそうだから今まで言わなかったけど、尼寺に憑いている神は……」
シリウスはそこまで言ってから僕を見下ろす。彼は若干の間を作り…、
シリウス「言葉に関係する神だ」
尼寺に憑いている神が何なのかを明らかにした。
まんまじゃないか! 先に言ってくれたほうが絶対に良かったね。
シリウス「ちなみにこっちへ来る前は、この世界で新しくできた人の言葉を記録する役目を果たしていたらしい。絶え間なく生み出される言葉のせいで休む暇はなく、嫌になって逃げたらしいね。君が少し眠っている間に雑談していたんだ」
随分と悠長なことだね。僕が寝ている間に殺されても良いのかい…?
確かにそれは忙しそうで可哀想な気がしないこともないけど…。
シリウス「彼らに憑いた神も困っているみたいだね。やはり視認はできてないらしく、話し合えないから彼らの暴動を抑えることもできないんだ」
なるほどね。つまり、あの3人に憑いている神に罪はないと。
強いて言うなら憑く相手を間違ってしまったということだろう。
さて、そろそろ立ち上がらないとね。2人が再生すれば、また仕掛けてくるだろうから。
僕は手と足で地面を押して、ゆっくりと立ち上がった。
さっき喰らったヒートショックの影響かな。まだ身体は重く、若干の頭痛がするね。
尼寺は彼らに発言することはせず、ずっと負傷した2人を見下ろしている。
氷堂「あぁ、痛ってぇ。クソ痛ぇよ…。骨なんて折ったことないのに」
手足がありえない方向に曲がっているため、自力で立ち上がることができない氷堂。
危なっかしい性格なのに骨を折ったことないのは意外だね。アウトドア派と見せかけてインドア派だったりして…。
あぁ、治せるなら早くしたらどうなんだい? 見てるこっちまで痛くなりそうだよ。
伊集院「は…や……く治せ、アマ……。敵が……復活しているんだぞ」
もはや激痛で声を出すことすらままならない様子の伊集院。
それに対して、尼寺は余裕のあるにこやかな表情を見せた。
尼寺「う~ん、そろそろ良いかな。僕から離れるからこうなるんだよ。次からは無闇やたらに動かないでね?」
ふんわりとした中性的な見かけによらず、彼は冷徹なところがあるね。
勝手に動いた2人をすぐに治さないのは、罰を与えているつもりなのだろうか。
“__シリウス、尼寺が2人に発言し終えたと同時に仕掛けよう”。
シリウス「あぁ、そのことなんだけどね…」
発言のタイミングを狙おうとお尻に力を込めた僕に対し、シリウスは絶体絶命なことを知らせてきた。
どうやら僕は今、ガス欠らしい。
僕らに応戦する術はもうないということ。だったらもう…、後は待つしかない。
伊集院「わかったから早く……」
氷堂「痛ぇよ。クソ痛ぇよ…」
苦しそうに声を出す伊集院と氷堂に、尼寺は全く表情を崩さず淡々と発言した。
尼寺「はいはい。ブロンドとバレット、君たちは今、負傷していない」
ゴキ、ゴキ、ゴキ………
2人は痛々しい音こそするものの、再生していき瞬く間に完治。
彼らは立ち上がり、3人ともこちら側に身体を向けた。
「凄いね、その力。言ったことが現実になるって感じかい?」
尼寺「うん、そんな感じだよ」
僕の質問に対して尼寺は予想通りの回答。
まぁ、普通に考えたらそういう能力なんだろうし、本人が言うなら間違いないと思う。
神憑は例外を除いて、理不尽で凶悪で使用制限のないものばかり。
こんなどうしようもない能力だと言われても疑いはしないね。
だけど、もし本当にそういった力なら、彼の行動には違和感があるんだ。
僕は尼寺に質問を続けた。
「じゃあ、僕に君が“死ね”と言えば僕は死んでしまうのかい?」
尼寺「そうだね」
彼は僕の問いに対し、一切表情を変えることなく即答。彼から嘘を見抜くのは難しそうだね。
じゃあ、こうしよう。
「それはダウトだね。君は本当のことを知っているんだろ、氷堂」
僕は氷堂に向かってサッと指さした。
彼ら3人はチームだ。お互いの力を知っているはず。
嘘を吐くのが下手そうな彼に投げかければ、きっとボロが出るに違いない。
氷堂「ダウト? 何それ、面白いの? それとも食う系の奴?」
ダメだこりゃ…。一周回って効かなかったね。
決して煽っている訳じゃない。彼は前のめりになって純粋な目で僕を見ている。
初めて聞いた言葉で、本当に興味があるみたいだ。
尼寺は彼の反応に溜め息を吐き、再び発言を始める。
尼寺「僕たち三叉槍は、日下部の力によって負傷したり死亡したりすることはない!」
言ったことが本当になるのなら、仮に今僕が放屁を使えたとしても彼らにダメージを与えることはできなくなったわけだね。
尼寺「うん、ダウトで合ってるよ。今の君に力を使うのは難しそうだからこうするよ。どちらにしても、もう君は僕らに勝てない。君が負けるのは時間の…………え?」
ドサッ……ドサッ……。
何の前触れもなく地面に倒れ込む氷堂と伊集院。それを見て初めて動揺を見せる尼寺。
ふっ…、ようやくだね。この時をどれだけ待ちわびたことだろう。
“__シリウス、あれから何分経った?”。
僕の質問に対し、隣にいる彼はニヤリと笑う。
シリウス「17分、チェックメイトだ」
尼寺「な……ん……で……?」
シリウスがそう言うと同時に、尼寺も地面にうつ伏せになって倒れ込んだ。
17分か、体感的にはもっと長く感じたさ。
彼らが倒れた理由は、昏睡屁を吸っていたからだ。
最初に三叉槍と対面したとき、憑いている神を視認できないことに気づいた。
昏睡屁はパステル調の水色の放屁だ。
憑いている神が視えてないということは、放屁の色も視えていない。
僕は自己紹介を終えた辺りでさりげなく昏睡屁を彼らに向けて放ったんだ。
それを彼らは気づかない内に吸ってしまい、今に至るというわけだね。
最後は少し焦ったよ。“眠らない”と言われていたら打つ手はない。
勝つことはできたけど、ギリギリだったわけだ。
後は御門さんが戻って来るのを待って、元の場所へ返してもらおう。
3人の神憑を相手するのにプレッシャーを感じていたのかもしれない。
戦いが終わった途端、僕は全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。
【数十分後】
御門「ちょっと、何よこれ! 悪化しまくってるじゃない!」
たった今、彼女が日本庭園内にいた人を近隣の体育館へ避難させて帰ってきたところだ。
地下室にいたときの巫女のような恰好とは違い、グレーのフード付きパーカーを着ている。
そして戻ってくるなり、逆さまに突き刺さった噴水や灯籠を指さして喚き始めた。
悪化しまくってるって言ってるけど、帰ってきたら直っているとでも思ったのかい?
死闘を繰り広げていたんだから、仕方ないじゃないか。
御門「この丸い塊みたいなのは何!? これに関しては趣があって良いと思う!」
彼女が賞賛しているのは、伊集院が僕を中心に多くの地盤を集約させようとしてできたものだね。
あれほどの地盤を球状に固めたんだ。見た感じ、直径10メートルはゆうに超えているだろう。
この日本庭園内に落下して良かった。町中に降っていれば死者や怪我人を出したかもしれないからね。
御門さんは腕を後ろに組み、その球を近くで隈無く観察している。
休んでいる暇はない。早く慶たちと合流しないとね。
僕はシリウスが攻撃されるんじゃないかと言う若干の警戒心を心に仕舞いこみ、彼女の元へ向かう。
そう言えば、あの3人に憑いていた神は御門さんのことを話すとどこかへ消えてしまったよ。
尼寺の本当の力については聞きだせたけど、その後に彼女の話をしてしまって彼ら3人が何者なのかを聞くことはできなかった。
判断を大きく誤ってしまったね。彼女のことより先に聞くべきだった。
また彼らのような神憑が、僕ら“BREAKERZ”を襲撃する可能性だってあるのに…。
尼寺の本当の力は、具現思想と言うらしい。
言葉を現実にするのにはある条件が必要みたいなんだ。
その条件は、尼寺の発言が本当に現実化されると心の底から思い込むことらしい。
簡単なようで難しい条件だね。
彼が伊集院と氷堂と組んだのは、思い込むことができたからだと考えられる。
味方や自分に適用する分には最高の力かもしれないけど、敵に通用させるのはひと工夫が必要だね。
僕がダウトだと疑ったから、彼は僕を直接殺すことができなかったんだ。
もし、彼の一言でいつでも殺されると思ってしまったら危なかったね。
後もう1つ制約みたいなものがあって、抽象的で本人がイメージできないものは現実化されないらしい。
例えば、“神になる”や“万能の力を手に入れる”みたいに抽象的かつイメージしづらいもの。
まぁ、これだけ条件があったとしても相手にしたとき厄介なのは他の神憑と変わらないだろうね。
「そろそろ学校へ返してくれないかい? 後、君に能力があるのならこっちにも協力してほしい」
僕が後ろから話しかけると、彼女はパーカーの前ポケットに両手を入れたまま振り返る。
新庄の家に向かうのではなく、学校に戻ることにするよ。これだけ時間が経っていれば、他の人が代わりに呼びに行っている可能性だってあるから。
御門「協力? 良いわよ。実際、術を使ってるとこ見せないと、変な人だって誤解されたままだろうし」
意外とあっさり承諾するんだね。協力の内容も聞いていないのに。
邪神とか幽霊見えるとか言ってる自分を変だと思われるって意味合いなんだろうけど、君はそれを除けても充分変わっているよ。
普通の人はね……死人に恋をしないし、スタンガンで気絶させて拉致・監禁なんて絶対しない。
まぁ、そんなことツッコむとシリウスが消されそうだから止めておくよ…。
御門「で、何を協力すれば良いの?」
首を傾げる彼女に僕は、慶に言われた内容を説明した。
特質の説明からだったから結構、時間がかかったよ。
特質を持った何人かが能力を奪われ、奪った能力を使う“EvilRoid”という機械が僕らを殺しにやって来ることまで全て伝えた。
御門「機械に私の術が効くかはわからないけど試してみたいわね。わかった、協力する」
ほとんどわかってない様子だったけど、彼女は協力してくれるみたいだね。
相手は殺しに来るって言ってるのに…。よっぽど自分の能力に自信があるんだろうか?
御門「解術・羽衣装束」
彼女の着ていたグレーのパーカーは、一瞬にして真っ白な羽衣に。
子どもの頃、絵本で見たのとほとんど同じだね。彼女の術も他の神憑と同じように使用制限はないのだろうか?
御門「これで私も飛べるわ。向かうのは君の学校で良いかしら?」
彼女は僕のことをまだ飛べると思っているみたいだね。
この状態をどう説明すれば良いだろうか? ストレートにガス欠というのは流石に恥ずかしい。
「えっとね、僕は今……その……神の力が……」
シリウス「日下部は今、ガス欠で空を飛べないんだ」
「シリウス……!」
今、僕が言葉を選んで説明しようとしていたのになんで遮ったんだい!?
こんな恥ずかしいこと、よく女性の前でストレートに言ってくれたね。
御門「ええと、今は飛べないのね?」
ガス欠という言葉に反応したのか、彼女は目を細める。
ほら、ドン引きされているじゃないか。それに僕は彼女にただのオナラをかけた前科もあるんだ。
御門「なら、私の力を貸してあげる!」
御門さんが僕に向かって手をかざすと、僕の服装も羽衣へと変化した。
「おお……!」
思わず感嘆の声が上がり、僕は自分の羽衣をまじまじと見つめてしまう。
これで飛べるようになったのだろうか。力を貸してくれたのはありがたいけど、ちゃんと元の服装に戻るんだろうね…?
「ありがとう、御門さん。どうやって飛べば良いのかな?」
御門「それはこっち側で何とかするから気にしなくて大丈夫よ。じゃあ、早速学校へ向かいましょ!」
彼女は自信に満ちた表情で曇り空を見上げて指さした。
僕の羽衣も彼女が操作すると言った感じだろうね。急いでいるし、それで問題ないなら全然良いんだけど…。
「でも、ここから吉波高校までのルートはわかるのかい? 僕はここがどこかも知らないんだけど」
空に指を差していた彼女は振り返り、きょとんとした顔をして首を傾げた。
御門「ここから君を保護した場所まで辿れば良いんじゃない?」
何も悪びれずによく言えるね…。保護じゃなくてあれは誰がどう見ても拉致だと思うけど。
「な、なるほどね。じゃあ、向かおうか。道案内よろしくね」
御門さんが僕に向かってニコリと頷いた直後、僕らの身体はふわっと雲の上まで飛び上がった。
後ろからシリウスもきっちりと着いてくる。
うっ……! 宙屁とは感覚が違う。
前方で浮遊している彼女は僕の方へ身体を向けた。
御門「さぁ、結構飛ばすわよ!」
絶叫系苦手じゃないけど、これは……スリル満点かもしれないね…。




