三叉槍 - 日下部 雅⑦
伊集院「六合念力・崩盤潰葬」
伊集院はそう言い放ち、両手に拳を作って胸の前で腕を交差させる。
それが合図だったのか、雲の上で浮遊していた無数の巨大な地盤は一斉に僕へと迫ってきた。
僕をすり潰そうと、かなりの速度で集まってくる。
対策を考える余地もなければ、宙屁を吹かして逃げ切る余裕もない。
そもそも、前後上下左右の全ての方向から飛んできている時点で躱しきるのは無理な話だ。
ふっ……どうやらこの状況、もう諦めるしかなさそうだね。
いくら神の位が上とは言え、3人相手は無理があった。それにこういう物理的な攻撃をしてくるタイプの場合、あまり位の差は関係ないのかもしれない。
神の力を打ち消したり、緩和したりできても地盤そのものの威力を抑えることは不可能なんだ。
“__シリウス、今日が僕の命日らしいね。見て、とても美しい眺めだ”。
足元にある敷き詰められた雲、ここから遥か遠くにある太陽に、迫り来る無数の地盤。
一生見ることのないこの神秘的な景色を目に焼き付けながら、僕はシリウスに話しかけた。
もうすぐ死ぬというのに不思議なくらい僕は冷静だ。自分で思っている以上に、僕の精神力は強靭だったのかもしれないね。
僕が死ぬことで彼らの目的が達成され、周りに被害がこれ以上及ばないのならこういう結末も悪くはない。
それにこの勝負はもう……どう転がろうとある意味、負けることはないからね。悪くても引き分けだ。
あと数秒後に、僕は肉塊にされてこの世を去ることになる。
死を覚悟して目を瞑ることはないさ。御門さんに拉致されてからスマホがどこにあるのかわからない。
ポケットに入ってないのは確かだ。
だから、この風景をしっかりと目で覚えないとね。
あぁ、美しいね。まるで僕が引力で地盤たちを吸い込んでいるかのようだ。
地盤はすぐ目の前まで来ている。最早隙間などはなく、地盤を操っている伊集院や雲や太陽は見えなくなっていた。
そういえば…。
挽き潰される直前で僕はあることを思い出した。僕が死を恐れない理由、それは…。
慶に毒入りポテトで1回殺されているからだ。
すまない。最期にくすっと笑える質の良いギャグを言いたかったんだけど…。
面白くないし、だから何だって話だよね。
それに少しイライラしてきたよ。毒入りポテトの件について、僕はまだ謝ってもらってないんだ。
シリウス「……聞いてるかい? 何勝手に死のうとしてるのかって言ってるんだけど」
どうして死ぬ直前にこんな気持ちにならないといけないんだい? さっきまで美しく見えていたこの風景もただの薄汚い地面にしか見えなくなってきたよ。
それに僕を球状に囲い込んだ地盤は小刻みに震えて近づいてくる様子はない。
全く…、勿体ぶらずに殺すのなら一思いにやってほしいものだね。
そして、この地盤に纏わり付いている赤い煙は何なんだい?
全てにおいてムシャクシャしてきたよ。
待った。赤い煙……まさか、これは放屁?
「シリウス?」
僕は隣にいた彼の方へ首を動かした。
シリウス「勝手に死なないでくれるかい。僕と君は非常に都合の良い状態なんだ」
僕と同じ姿をしているシリウスの手の平の上には赤い放屁が渦巻いている。
僕の知らない放屁だね。その赤いので地盤の動きを止めているみたいだけど。
シリウス「今、即興で作り出した新種の放屁だよ。名前は自由に決めてくれ」
彼は僕の命を自身の力で守ったようだ。神憑に憑いている神は本来、自身の力を注いでいるためこんなことはできないはず。
「君は今、自分の力を使えないんじゃなかったのかい?」
僕が率直に感じた疑問を投げかけると、彼はニヤリと笑った。
シリウス「言っただろ? 僕らはとても都合の良い状態なのさ」
切羽詰まった状況もあってか、彼は早口で説明を始める。
彼の言う都合の良い状態とは何か。
本来、ニート志望の神たちは人畜無害そうな人を見つけ全ての力を全身に注ぎ込む。
だけど、シリウスと僕の場合は違ったんだ。狙ってやったわけではないらしいけどね。
何らかの手違いで彼は僕のお尻にしか自身の力を注げなかったんだ。
ここまではあの死にかけたときに聞かされたから知っている。
これが原因で、他の神憑とは違ってガス欠を起こしたり、便秘で使えなくなったりと不具合が起きやすい。
これだけ聞くとただの不便で弱い神憑ってことになってしまうよね。
もちろん、それは間違ってはいない。半年前まではその認識で合っていた。
彼がお尻にしか力を注げなかったのは、当時の彼自身が万全ではなかったから。
御影や猿渡、そして今対峙している3人に憑いている神はシリウスよりも下の位。
彼は向こう側ではそれなりの役職に就いていたんだと思う。そんな彼がばっくれたとなると、業務にそれなりの支障が来したんだろう。
シリウスがこちらに逃げてきたとき、かなりの数の追っ手が来ていて応戦しながら逃げ回っていたらしい。
そして、満身創痍な状態でたまたま見つけた僕のお尻に力を注入。
力を失い、連れ戻しても役に立たなくなったと思った追っ手たちは渋々シリウスの前からいなくなったと言う。
シリウス「追っ手たちは誤解していた。全ての力をお尻に注いでしまったとね」
つまり、満身創痍だったシリウスは僕に全ての力を与えてはいなかったというわけさ。
ちなみに当時注がれた自覚は全くなかったんだけど、だいたいいつ頃か予想はついている。
吉波高校に入学してから何故かオナラが頻発するようになったんだ。恐らくシリウスと接触したのはこの頃だろうね。
コントロールできるようになるまではほんとに辛かったよ。クラスメイトと話しているときもいつ暴発するかとビクビクしていたさ。
気づけば飛べるようになってたけどね。
話を戻そう…。
半年前の段階では、追っ手と戦ったときの傷は完全に癒えてはいなかった。
言いかえると、今シリウスは万全の状態。僕に与えた力の量より彼が今持っている力の量の方が圧倒的に多いみたいなんだ。
「つまり都合の良い状態というのは、他の神憑と違って2人で協力して戦えるということかい?」
シリウスは表情を変えず、首を横に振る。
シリウス「それもあるけど、僕にとってはもっと良いことがあったんだ。僕は君の身体を借りたとき、景川に憑いた神に敗れている。僕の直接上にいる格上の神だった」
景川に憑いた神、いわゆるシリウスは直属の上司に敗れ、連れ戻されるはずだった。
シリウスよりも更に上位に位置する神なら、人間に注いだ力を元の神に戻して連れ帰ることは一応できるらしい。
まぁ、いちいち上の神がやってきて下っ端のばっくれた神を連れ帰るなんてことを普通はしないらしいけど。
そんなことをしていると向こう側の重要な仕事が疎かになってしまうから、したくてもできないんだ。
上司に敗れたのに、今こうして彼がここにいるということは…、
シリウス「力を完全に与えていたのではなく、分配していたからだと思う」
景川に憑いた神の更に上の神に教えられた手順通りにやっても、上手くいかなかったんだろうとシリウスは予想する。
少し工夫すれば、僕に注いだ一部の力を取りだせたかもしれない。だけど、失敗した場合、全ての責任は彼の上司が負うことになる。
シリウス「まぁ、奴は面倒ごとと仕事が大嫌いな神だからね。言われた通りにやってできなかったから身を退いたんだろう。恐らく上に報告すらしていない」
彼は呆れたような顔をして首を振った。
神なのに責任逃れで仕事しない。良い役職に就いているのに“報・連・相”もままならないんじゃバックレたくなる気持ちもわからないことはないね。
シリウスはそこらのニート志望の神とは違うようだ。復職を希望しているみたいだし。
すごく真面目で誠実な神なんだろうね。だから、上のしているいい加減な仕事を見過ごせないし、そんな元で働きたくないと思ってしまう。
まぁ、僕はまだ学生でそういう気持ちになったことはないけどね。
まとめると、彼にとって都合の良い状態というのは、たとえ格上と遭遇し負けたとしても連れ戻されないことだ。
責任背負ってなんぼのクリエイティブかつメンタルマッチョな上位の神と遭遇したら詰みそうだけどね…。
それに力を絶妙な加減でお尻にだけ注ぐなんてのは狙ってできるものでもないらしい。
力を人間に与える方法ってのはもちろん習わないからみんな独学なんだ。
というわけで、僕と彼は都合の良い状態かつシリウスは僕に死なれては困るということだね。
……といった感じで早口とはいえ長々と話してしまったわけだけど。
「あれから彼らは仕掛けてこないね」
僕らは今、無数の地盤に球状に隙間なく取り囲まれている状況。赤い放屁の力で押し潰そうとしてくる地盤を食い止めているといった感じだろうね。
シリウス「様子見といったところだろう。この地盤のお陰で外からは僕らの行動が見えないからね」
シリウスは変わらず渦巻く赤い放屁を手の平に持っている。
僕らは神憑の気配や力を感じるけど、彼らは神を視ることも感じることもできていないから尚更近寄れないだろうね。
対して僕らは地盤の外側にいる伊集院と氷堂の気配を捉えている。
とどめを刺せていないのは、何となくわかっていて僕が出てきたら仕掛けようって感じかな。
向こうが何もしてこないのなら、どうするのか考える余裕はある。
「シリウス、その赤い放屁の性質について教えてくれるかい?」
まずは、即興で作ったとされる新種の放屁について。
即興の割にはかなり便利そうな代物。知っておくに越したことはない。
シリウスはよくぞ聞いてくれたという得意気な顔をして答えた。
シリウス「ふっ…、僕が何の神かを知っていればわかると思うよ。何せ即興だ。複雑な工夫なんかはしていない」
なるほど。つまり、彼の得意分野で彼にとっては簡単に作れてしまうもの…。
確か毒入りポテトで死にかけたときに行った真っ暗な空間で言われたね。
何だったのか思い出せない。だけど、放屁とはあまり関係ないものだった気がするね。
だから、オナラの神とかではないと思うんだ。もう少し捻って考えよう。
僕はうつむき加減で少し考えてから、シリウスの方へ目を向けた。
「ずばり……肛門のか…」
シリウス「力の神だ」
流石は神様。返答速度が尋常じゃないね。
シリウスは僕に対し、眉にしわを寄せて目を細めた。
そんなに怒らなくても良いんじゃないかい? 半年以上前に話したことなんて覚えてないさ。
だけど、力の神と言われても赤い放屁の性質に関してはピンと来ないね。
「つまり、その赤い放屁は……」
シリウス「物理的な力を加える放屁さ。簡単に言うと、今回は迫ってくる地盤を同じ力の強さで押し返しているって感じだ」
僕がまるでわかっているかのように切り出すと、シリウスはこくこくと頷きながら説明してくれた。
神の力には相殺屁、神の力を経由した物理的な攻撃や特質には赤い放屁で対応すると。
この両方を使いこなせるようになれば、大抵の攻撃には対処できそうだね。
ふっ…、オナラを極めるのも悪くはない。
「さて、そろそろ仕掛けようか」
僕は自分の真上にある地盤を指さした。
「あそこを突破し、あのうるさい放屁を放つんだ」
シリウス「ふっ……!」
何か可笑しかったのかシリウスは、口角が上がりかけた口元を覆って表情を誤魔化す。
シリウス「さっきとは違ってかなり好戦的じゃないか。放屁や僕の潜在能力の高さを知って試したくなったのかい?」
彼は僕が遊び心で戦おうとしているって思っているのだろうか。
そう思っているのなら全くの見当違いだね。
彼ら3人は僕を殺すための手段を選ばない。日本庭園の破壊や、数多くの地盤を掘り起こしたりとやりたい放題。
勝てる確信があるのなら、これ以上周りを巻き込まないためにも早急に終わらせるべきなんだ。
僕は口元を覆ったままのシリウスを見据えて手を伸ばした。
「シリウス、君の力を貸してくれ。反撃開始と行こうじゃないか」




