三叉槍 - 日下部 雅③
何も見えない。何も聞こえない。
ただ真っ暗な空間が僕の前に広がっている。おまけに身動きすらとれない状況だ。
毒入りポテトを食べさせられたときみたいに、また死にかけているのかって? 答えは否だよ。
僕は生きていると自分で言い切れる。生きているという実感があるからね。
いったい何故、こんなことになったのか僕自身の記憶を辿って考えていくとするよ。
確か1番新しい記憶は…金属バットの不良、新庄篤史を迎えに行こうとしていたときだ。
剣崎が誤解して、鬼塚をみじん切りにしようとしていたのを止めてから、自転車に跨がって学校を出た。
ここまでは何も問題なかったさ。目の前真っ暗で動けなくなる要因なんて1つもない。
だけど、しばらく自転車を走らせたところで僕はあれと遭遇してしまったんだ。
道のど真ん中でうずくまって泣いている小柄でムッチリしたツインテールの女の子。
正直、超タイプで……じゃなくて泣いている子を見過ごすわけには行かず、僕は自転車を降りて彼女に声をかけたんだ。
これから話すことは紛れもなく本当のこと。マンガやアニメの世界でならよくある演出かもしれないけど、現実では信じられないことが起こった。
『ぐへへ……おっといけない。だ、大丈夫かい? 迷子かな?』
僕の良心は本能と戦いながら、彼女に手を差し伸べる。
その子の背中に僕の手が触れるか触れないかくらいで、彼女の身体は白く眩い光を放ったんだ。
『くっ……! 何だいこれは?』
あまりの眩しさに思わず腕で目を庇う。その光が消えたときには、彼女の姿はどこにもなかった。
この超常現象はいったい…? 幽霊? 神隠し?
そんなまさか……僕はそう言ったオカルトチックなものは信じない主義だ。
あ、シリウス…。そういえば彼は神じゃないか!
ビリビリビリッ!
「があ゛ぁ…!」
突如、背中に走る激痛。今思えばスタンガンか何かを当てられたんだろうね。
僕に抵抗する余地はなく、身体は地面に叩きつけられた。
記憶はここで途絶えていて、今に至るわけさ。
本当にうっかりしていたよ。慶がテロを起こしてから今まで、僕の中の常識は劇的に変わっていった。
何がオカルトチックなことは信じないだって? 神とか幽霊とか、それに近い存在が常に付き纏っているのに。
あそこでそんなこと考え込まなければ、刺客に気づけたかもしれない。
“__シリウス、近くにいるかい?”
…………。
心の声で彼を呼びかけるけど、応答はない。
いつもストーカーの如くぴったりと着いてきているのに、いないということは…。
あぁ、だいたいわかったよ。僕をこんな目に合わせている者の正体。
コツ……コツ……コツ……
今まで無音だったこの空間の外から何者かの足音が響いてくる。
その音は上の方から僕のいる場所へと向かってきているみたいだね。
階段を降りて来ていると思って良いだろう。もしかして、僕は地下にでも監禁されているのかい?
コツ……コツ…………ガラララ。
響いていた足音は止み、僕の前方から古びた金属の扉が開くような音がする。
何も見えないけど、今目の前に誰かがいるのは明白だ。大方、予想はついている。
昨日の朝、水瀬と一緒にいて僕を間接的に遅刻させた女の子で間違いない。
シリウスが今近くにいないのは、彼女に怯えて避難しているからだ。
「ふふっ……これで会うのは2回目だね。僕はこれからどんな凌辱を受けるんだい?」
僕は目の前にいると思われる彼女に皮肉じみた挨拶をした。
僕の心にはまだ余裕がある。彼女は恐らくシリウスに用があって、僕を拷問するようなことはしないだろうから。
「キモい言い方するわね。まぁ、女の子の霊で釣れるような人だし、不思議じゃないけど」
彼女の声を聞いて確信する。やはりあのときの女の子か。
「気持ち悪いってのは僕のセリフだよ。いきなりスタンガンを当てられて…。で、僕は目隠しされて身体を縄か何かで縛りつけられてるのかい?」
泣いている女の子に対して、手を差し伸べるのは健全な男子の反応……じゃなくて困ってる人を見たら助けるのが当然だと思うけどね。
君のやっていることは健全でも善意でもないだろう? 気持ち悪いのは圧倒的に君の方だと思うね。
「ええ、そうよ。君は縛られている。確かにいきなりスタンガンを当てたのは悪かったわ。そうでもしないと奴がまた君を飛ばすだろうから」
彼女の声が徐々にこちらに近づいてきているようだ。
いったい何をする気なんだ? 悪い方には考えないようにしよう。
きっと彼女は僕に謝って、目隠しと縄を解いてくれるはずだ。
バッ!
ほら、僕の思った通りだ。彼女は僕の目を覆っていた布を解くのではなく、割と乱暴にはぎ取った。
ちょっと頭が擦れて痛いけど、このまま見えないよりはマシだね。
僕の視界に飛び込んできたのは、巫女の恰好をした彼女と、窓も何もない薄暗い地下室。
上も下も全てコンクリートで固められた部屋といった感じだ。出口は一カ所、彼女が入ってきたと思われる金属製のドアのみ。
部屋の隅には、どうしてかプロテインと書かれた袋が点在している。
そして、最悪なことに無理矢理縄で縛られていたせいで僕の服はしわしわだ。
「いったいここは何処なんだい? それと一応名前を聞いておこうか。後、差し支えなければ縄も解いてほしい。服が悲惨なことになるからね」
僕は丸顔でパッチリ二重の彼女の目を見据える。
今ならまだ間に合う。しわだけならアイロンで伸ばせば良い。だけど、このまま縄が擦れて毛玉ができればもう取り返しはつかないだろうね。
彼女は僕の要求に、腕を組んで首を横に振った。
「まだ解くわけにはいかないの。私は御門伊織。もう隠さなくて良いから言うけど、君に憑いた邪神を祓うのが目的よ。ええと…そして、ここは私の家の地下室。前まである子を監禁していたんだけど、今は貸し切りね」
御門さん……君、自己紹介がてらに凄いことを言ったね。
シリウスを祓うっていうのは何となく予想できていたけど、監禁していたって何だい?
君の家族がしたのかは知らないけど、それ法に触れていると思うんだけど。
とりあえず、監禁については置いておこう。今はここから抜け出して新庄篤史のところに行くのが先だ。
あの子とやらの二の舞になるわけにはいかない。
「御門さんって言うんだね。僕は日下部雅。あ、覚えてもらわなくてもいいよ。君とは距離を置きたいと思ってるからね。どうすれば僕を解放してくれる?」
ちょっとストレートに言いすぎたかもしれない。
彼女は僕の言葉に胸を痛めたのか、眉尻を下げて悲しそうな顔をする。
御門「幽霊視えるとか邪神祓うとか変に思うよね。まぁ慣れてるから良いけど」
違う、そっちじゃない。監禁とかの犯罪臭いところが嫌なんだ。
全く……“EvilRoid”とかいう殺人マシーンと言い、監禁一家といい、いきなり物騒なことになったね。
つい一昨日くらいまでの平穏はどこへ消えたんだい?
彼女は頬を赤らめながら、僕の顔を指さした。もしや、これは脈ありサインかい? 困ったな、彼女のことはタイプじゃないんだけど。
御門「享年25歳の年上イケメン男性に恋してるなんて言ったらドン引きするんでしょ!」
なんだ、ホッとしたよ。恋バナをするのが恥ずかしくて照れていたんだね。
告白なんてされたら、僕は彼女の乙女心を傷つけることになっていたよ。
で、25歳の男性に恋しているって? ふふっ……話に乗ってあげるとするよ。
「君は……僕と同い年くらいかな? 17歳?」
御門さんは可愛らしく手を胸の前で組み、こくりと頷いた。
「となると意中の人は社会人かな? かなり遠く感じるかもしれないけど大丈夫。本当に彼のことが好きなら、環境の違いや年齢差なんて関係ないさ。周りから反対されようと、誰も君たちの恋物語を止めることはできないんだ」
彼女は僕に対してこくこくと頷いている。よし、僕の話に夢中だ。このまま話に気を引き続けよう。
彼女が若干俯いて考え込んだことで、しばらくの沈黙が続いた。
御門「ありがとう、お陰で決心がついたわ! 私、後60年……いや、70年かかるかもしれないけど彼のために待ち続けるわ」
どうやら彼女の中で答えが見つかったみたいだけど…。言ってることが理解し難いね。
60年待ち続ける? いったいどういった理由で? その男性は彼女に何を求めているのだろう。
ちょっと待てよ……。25歳の前に何かを言ってなかったかい?
きょう……何とか。きょう……?
「まさか……」
思わず僕は心の中の言葉を声に出してしまう。
享年!? その人、死んでいるのか?
それはドン引きされても文句は言えないと思う。
「き、君なりの答えが見つかって良かったよ。さぁ、僕を解放してくれ。あまり時間がないんだ」
気を逸らすだけで良い。気の毒だけど、彼女の相手をする暇はないんだ。
“EvilRoid”との戦いは、あの先生たちの宣言通りなら2日後。だけど、それはハッタリでもう仕掛けてきていてもおかしくない。
もう既に学校で戦いが始まってしまっているのは最悪のパターンだ。
能力を奪われた人が復活していない中、僕と新庄篤史が不在なのはまずい。
御門「今は解放できない。でも安心して、君に危害を加える気はないわ。君に憑いた邪神を祓いたいだけなの」
よし、我ながら良い感じに気を引けた。
どうしてシリウス討伐にそこまで拘るのか気になるところだけど、もう彼女と話し合う必要はなくなったよ。
「ありがとう」
僕が礼を言うと、彼女は何に対してかわからず首を傾げる。
「長々と話してくれて」
僕は杜撰に縛られていた手首の縄を解いて、ニコリと微笑みながら立ち上がった。
立ち上がることで、身体にぐるぐると巻かれていた縄はすとんと地面に落ちる。
御門「なっ……なんで?」
「縛り方、適当すぎるよ。本当に動けなくなる人質の縛り方を一般人は知らない。まぁ、僕も知らないけどね」
驚愕する彼女に、僕は両手の平の埃を払いながら淡々と説明した。
あの恋バナは僕の作戦だったというわけさ。
彼女が僕の目隠しを取ったときから自力で抜け出せると考えていた。几帳面な性格ならあんな取り方しないだろうから。
大ざっぱな性格なら、縄の括り方も結構雑なんじゃないかと思っていたよ。案の定、手をもごもごしているだけで縄が緩んでいって解けてしまった。
「さてと、悪いけどおいとまさせてもらうよ」
僕は彼女にお尻を向けて、例の臨戦態勢に入る。
御門「待って。外には行かないで。今、君の邪神がどこに潜んでいるかわからないの」
何も知らない彼女は、僕のお尻に手を伸ばしてきた。逃げないと君は気絶してしまうんだけどね。
すまない、本当はこんな技、女の子に喰らわせるわけにはいかないんだけど…。時間がないから手荒な手段に出るしかないんだ。
良心の呵責から僕は思わず目を瞑ってしまう。
「ごめんね__昏倒劇臭屁」
ブフォオオオオオウ!!
何かいつもと音や感覚が違う気するけど、間違いなく彼女に放屁が放たれた。
僕の心は罪悪感でいっぱいになってしまったよ。でも、もう行かないと。
謝るのはまた今度だ。もし、再会できたらの話だけど。
僕は大きく一呼吸してから、目を開けて地下室の唯一の出口“ドア”の方へ振り向いた。
御門「え、何……。普通に汚いし、臭いんだけど」
え…、効いてない?
気絶したと思っていた彼女は怪訝な顔をし、ドアの前で鼻をつまんで立っている。
いや、確かに臭がってはいるけど、普通なら失神するはず。
どういうことなんだい? あのときの不知火真羽のように免疫でも持ってるのか?
いや、あれはそういう特質だからであって彼女も同じものを持っているとは考えにくい。
僕は再び彼女にお尻を突き出した。
恐らく不発だったんだろう。そういうこともあるさ。もう一度、放てば彼女は気絶する。
「昏倒劇臭屁! ふんっ!」
あれ、おかしい。全く出ないじゃないか。お腹にぐっと力を込めても、出る気配は全くない。
御門「あの、ここ換気できないんだから無理に出そうとしないでくれる?」
鼻をつまんだ彼女は、僕をキッと睨みつけてくる。
はぁ…、途轍もなくヤバいことに気づいてしまったよ。それと同時にシリウスに対する失望感が込み上げてくる。
僕はどこにいるかもわからないシリウスに物申してやりたくなり、天井に向かって大きく叫んだ。
「シリウス!! 君が側にいないと能力が使えなくなるなんて聞いてないぞ!」
恐らくだけど、僕が彼の能力を使えるのは彼が近くにいるときに限られる。
つまり、御門さんに放ったのは放屁じゃなくただのデカいオナラだったってことだ。
とても恥ずかしいんだけど…。今までは技として割り切れていたけど、ただのオナラかけるなんてどこの変質者だって言うんだい?
御門「シリウスって邪神のことね。水瀬もそう言っていたけど、なんで邪神に名前なんか……」
ドオオオオオオオォォォォォォォォン!!
彼女の発言を遮るように、かつ鼓膜を引き裂くように響き渡る爆音と縦に大きく揺れる地下室。
「くっ……!」
御門「ぐっ……!」
唐突の大地震のような揺れにバランスを崩して僕らは転倒する。
1度大きく縦に揺れた後、今度はなだらかに横へぐらぐらと揺れ始めた。
「御門さん、大丈夫かい?」
歩ける程度の揺れになり、僕は倒れている彼女に駆け寄る。
この揺れのこと、どうやら彼女は僕を疑っているみたいだね。彼女は今、そんな表情をしている。
御門「日下部、もしかして仲間を呼んだんじゃないでしょうね!」
彼女のその発言にすかさず僕は反論した。
「そもそもここが何処かわからないのにどうやって呼ぶんだい? 僕だってこの揺れについては何もわかってないし、動揺しているさ」
御門「別の邪神かもしれないわ。君に憑いていた奴が呼んだのかも。邪神の力は絶大よ。これくらいの大地震を無限に起こせる奴なんていくらでもいる」
彼女の息は荒く、身体を震わせながら何とか立ち上がる。
強い女性だ。手を差し伸べたけど、僕の手を取ろうとはしなかった。
「あぁ、強大な力なら僕も体験済みさ。こっちでは神憑って呼んでいる」
僕は彼女を庇いつつ、地下室全体を注意深く見渡した。
いったいこの地震らしきものは何者の仕業なんだろうか。
シリウスは向こうの仕事を放棄したニートだ。こんな目立つようなことはしないだろうね。
『日下部、聞こえるかい?』
まるで脳裏に直接伝わるかのような囁き声。
この声は……!
「シリウス?」
僕と彼女の前に、僕と同じ姿をしたシリウスは突然姿を現した。
御門「……! 出たわね!」
彼女は血相を変えて腕を横に伸ばし、何もないところから錫杖を出現させて手に持った。
「待て!」
すかさず僕はその錫杖を両手で掴んで胸元へ引き寄せる。
彼女も負けじと自分の元へ錫杖を引き寄せようとするけど、僕の腕力には敵わないようだ。
シリウス「どうか落ち着いてくれないか」
錫杖を掴んで離さない僕らにシリウスは両手を顔の辺りまで上げる。
シリウス「君と戦うつもりで現れたんじゃない。上で何が起こっているかを伝えに来た。ほんとは隠れていたかったんだけどね」
僕は手に力を入れたまま、無言で彼の言葉に耳を傾けた。
彼はゆっくりと僕の方へ顔を向けて、こう言い放つ。
「見知らぬ神憑3人が襲来している。狙いは日下部、君の命らしい」




