第五十五話
第五十五話
ソサエティの南地区で、恨みの声が低くこだまする。
だがその声を聴いたものはごくわずかだった。
正確に言えば、当人たちを除けば一人の男だけだった。
声を聴いた唯一の男は南地区の廃屋、その二階にいた。
男は家の中にいるのにマントを着て、フードを深くかぶり顔を隠している。右肩に小さな毛玉のようなものを乗せていた。
怨嗟の声を聴きながら、男と毛玉は一言も話さず、静かに気配を殺しながら窓の脇に立ち、気づかれないように外を見下ろす。
見下ろした南地区の裏路地には、赤い血の跡が点々と続いていた。血痕を追いかけると、カバンを持ち左手から血を流す男が走り去っていく。
その背中が見えなくなったのを確認して、隣の隠れ家の入り口に目を向けると、扉が開き、別の男が体を引きずるように出てきた。男は周囲を見回し、怒声を上げながら復讐を誓い、怒りに満ちた足取りで、血痕とは違う別の道を進んでいった。
二つの人影が完全に見えなくなったころ、右肩に乗せた毛玉が息を吐きようやく言葉を発した。
「うまく行きましたね、マダラメマスター」
肩に乗せた毛玉のようなケラマが俺の名前を呼ぶ。
「ああ、こんなにうまく行くとは思わなかったよ、ケラマ」
俺はかぶっていたフードを取り、大きく息をついた。
すべては俺の計画通りだった。
メグワイヤのダンジョンマスター襲撃計画。もし成功していれば、元グランドエイトが息を吹き返す可能性があった。幸いメグワイヤの配下が全員裏切ってくれたおかげで事が露見し、未然に防ぐことが出来た。
「しかし、どうしてご自分でなさらず、シルヴァーナに捕らえさせたのですか? あの女がメグワイヤを逃がすかもしれませんでしたよ」
ケラマが計画に疑問を投げかける。確かにケラマの言う通り、シルヴァーナがメグワイヤを逃がし、結託する可能性もあった。自分でやった方が確実だっただろう。
「その危険性はあったけど、旧グランドエイトの派閥は根強い。彼らを刺激するべきではないよ」
新参者の俺には、旧グランドエイトの影響力がどこまであるのかわからない。俺がメグワイヤ達を倒せば、だれに恨まれるかわからなかった。だから自分で動かずに、シルヴァーナにやらせたのだ。
「では、あの二人はどうして逃がしたのですか?」
ケラマが窓の外を見る。ソサエティの南地区にある路地裏には血痕が落ちていた。
道に血痕を残して逃げて行ったのが元グランドエイトのソジュ、あとから出てきて、別の道を行ったのがエンミのはずだ。
この廃屋は彼らが用意した隠れ家の隣にあり、壁を隔てて彼らのやり取りをすべて聞くことが出来た。
「どうしてソジュにマナ貨を与え、エンミには手紙で逃げ道を教えたので?」
ケラマは首をかしげるように、体全体をかしげる。
確かに、隣の隠れ家にマナ貨のつまったカバンを置いたのは俺だ。そしてエンミが見張っていた隠れ家に、逃走経路を書いた手紙を置いたのも俺だ。
カバンに詰まっているマナ貨は本物だし、エンミが逃げて行った先には、抜け穴と転移陣がちゃんとある。二人は俺が与えたマナ貨と転移陣を使って、自分のダンジョンまで逃げきるだろう。
「もちろんマナ貨と怪しい逃げ道を与えた意味は分かります。大金と罠がありそうな逃げ道を与えたことで、エンミとソジュは互いが裏切り者だと思い込んだわけです。そこはお見事だと思います。ですがそもそもどうして二人を逃したので? こちらもシルヴァーナにとらえさせてもよかったのでは?」
ケラマの問いはこれも当然だ。確かに敵をわざと逃がしたわけだから、意味不明だろう。
「この策はうまく機能するかわからないんだけどね、あの二人には、醜くいがみ合ってほしいんだ。俺はほかのダンジョンマスターには嫌われているからね。これはその対策だよ」
うまくグランドエイトを下し頂点に立ったはいいが、ぽっと出の新参者に先を行かれて、俺に対して他のマスター達はいい顔をしていない。
猫なで声で勧誘してはいるが、そっぽを向かれているのが現状だ。
「今のところ俺の派閥はおこぼれを狙う小物ばかりだ。実力者は少ない。かといって人気を得ようとしてもすぐにはできない。なら、他の連中の人気を下げるしかないだろう?」
旧グランドエイトのイメージダウン。それが今回の目的だ。
「シルヴァーナを含め、旧グランドエイトは本来すべて俺の敵だ。連中は一致団結して俺を倒すべきだったんだ。少なくとも、ソサエティのマスター達はそれを望んでいた」
旧グランドエイトが一つにまとまり、俺に対して反旗を翻せば、多くのマスターが集ったかもしれなかった。
「権力の座から転げ落ちたとはいえ、彼らの影響力は侮れないし、侮ってはいけない。どう転がるか読めたものではないからね。彼らには仲たがいをしてもらったんだ」
だからシルヴァーナにメグワイヤを捕らえさせ、エンミとソジュに不和の種をまいた。
互いに醜く争いあうグランドエイトを見て、傍観しているマスター達は愛想をつかし、協力しようとは思わないだろう。
「こちらの得にはならないかもしれないけれど、相手の損になってくれるのならそれでいいよ」
俺の言葉にケラマが微笑み返す。
「さすがは我がマスター。損得にしか興味がない」
わが副官もなかなか言ってくれる。
「そう褒めるな、自分でも笑いたくなるほどうまく行った。ちょっと調子に乗りそうだ」
特にエンミとソジュに関しては、手紙とカバンを置いただけだ。それで二人が仲たがいしたのだから、ちょっと自分が怖い。
「これでソサエティが少しは落ち着く、いや、落ち着かないでいてくれるかな?」
俺は今後の動きを予想する。俺にとって都合のいい混乱と、整理が起きてくれればありがたい。ただ、シルヴァーナには要注意だろう。必要があったとはいえ、彼女の陣営を強化するのに協力した。さらにこちらの手管のいくつかを見せたため、次の戦いや、その次の戦いでは、裏をかかれるかもしれない。
ソサエティでの戦いは、これから次のステージに向かうだろうが、望むところだ。
「ところでケラマよ、お前までついてくる必要はなかったのではないか?」
俺はお目付け役として、付いてきたケラマに尋ねる。
エンミとソジュが仲たがいするかどうかを確認するために来たが、もちろんこの体は憑依体で、本体ではない。ケラマまで来ることはなかった。
「それはそうなのですが、マスターはソサエティでは、いつもの慎重さをどこかに置き忘れますから」
我が副官はどうやら俺を信頼していないようだった。以前シルヴァーナに斬られたうかつさを、まだ忘れていないようだ。確かに、あれは失敗だった。あとで考えれば、しなくていい危険を冒した。自戒すべきだろう。
「さてと、見るものは見たし帰ろうか」
右肩に乗るケラマを見ると、我が副官もうなずいてくれた。
ダンジョンに戻れば、やらなければいけないことは山ほどある。
明日も忙しい日になりそうだった
いつも感想やブックマーク、評価や誤字脱字の指摘などありがとうござい。
ロメリア戦記の方も更新していますので、そちらもよろしくお願いします。
次回更新は三月四日水曜日の零時を予定しています。
これからもよろしくお願いします。